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+翡翠の玉座+
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椿は自身の葉に触れるだけで傷が付く。 傷だらけになって首ごと落ちた椿に既視感を覚えて、付いた傷と付けざるを得なかった傷を数えてその比率に呆れを通り越して何となく父母性が芽生える。 そんな傷が傍目では見つけられない椿でも風や衝撃で地に落ちてしまうから生きると言う行為は何より難しい。 落ち椿を手のひらに乗せると夜風に晒されてひんやりと冷たくて、触れたことは無いが多分死体もこんな感じなんだろうと思ったよ。 吸い込まれそうな冷たさを両手で抱えて持って帰って、家の者に見せたら、他の装飾品と合わせて綺麗にリビングへ飾ってくれた。 今年漸く椿園に行くという長年の夢が叶いそうで少しだけ未来に期待している。 繊細と言えば、テツヤが教えてくれたマンボウの繊細すぎる死に方の大半はデマだったようだけど仲間が死んだショックで死んだりするようなマンボウがこの広い大海原の何処かに一匹くらいいても良いんじゃないかと思っている。 埋めることも運ぶことも出来ずに他の魚に喰い千切られていく仲間の姿を見ていることしか出来ないなんて死にたくもなるだろう。そもそも魚にそんな感情はないだろうがそこは人間の御都合主義に甘えようか。 最後にオリオン座を見たのは何時だったか。最後と知らずそのまま別れてしまう時の方が多いくらいの世界で後悔せずに生きていける人間がいるなら、それは最初から最後だと諦めている人間に他ならない。 枯れゆく椿を見て、咲き誇る梅を見て、芽吹く緑の多さと、太陽が作る影の形の違いに春を知る。 相変わらず冷えるがもうすでに春だ。 春過ぎ、夏前。 関東へ赴きたいと思っていたが思わぬ予定が入って真夏の頃に向かうことになりそうで自分の体力や家や学校行事との兼ね合いを今頃から悩んでいる。 願いを叶えすぎているんじゃないだろうかとか、不相応なのではないかとか、それでも死ぬ前にもう一度とか、自分の希望と自分の器とを量って、出ては来ない正しい答えを見送ってばかり。 生きるために別段必要ではないものを求めるというのはどうなんだろうね。 不幸になりたい訳ではないけれど僕が得るはずの幸せを人に譲渡出来るなら少しずつ分けたいと思うよ。 博愛主義では無いから誰にでもじゃないけれど、僕自身が幸せを作り出す事はなかなか難しいからてっとり早く。…なんて言ったら手を抜いている様に聞こえるけれど。 今迄ちゃんと幸せと言うものを認識出来ていなかった懺悔としてね。幸せの無駄遣いをしてしまった、節約と言うか。 テツヤは基本的に快楽主義だから(僕が記憶しているテツヤは、なので今は知らないが多分其の辺りは変わらないだろうと思う)、据え膳は喰うし夢や希望が叶う事は万々歳で受け入れていたけれど僕も其れを見習うべきか、今迄の自分の習慣を今更変えない方が良いんじゃないか、そんな事を良く考えている。 出逢う人の中にある魅力を眩しく見つめる事はよくあるが、だからと言ってそれを自分に取り込むべきかはまた違った問題だ。 僕が自分の中に持つ信念の中に殆ど他者には理解して貰えない信念が一つあって、他者からすれば変えた方が良いと思える信念も自分が変えたいと思わないのならそのままで居るべきだと、思っている。実際変えた方が良いと忠告は幅広くされてはいるがそれを変える事で確実に自分を厭うからこそ、此処まで貫いてきたものでもある。……自分でも感心するほどの頑固ぶりだ。ねぇテツヤ、僕が死んでも変わらないのはこの頑固さだと思うよ。馬鹿は死んでも治らないし頑固さも変なプライドの高さも死んでも治らない。 昔、お互いに死んだら地獄行きだろうっていう話をしたことがあったね。 でも僕はもうこの世で手一杯過ぎて地獄で第二のスローライフなんて送る体力が無さそうだよ。 地獄にだけ咲く花には少し興味が有るけれど地獄に僕の姿が無かったらその手に沢山の彼岸花を抱えて地獄の天辺から三途の川にばら撒いて。地獄の生活に飽きた時で構わないから。 あの藤棚をもう一度見たいと思っていたけど、これは来年に持ち越しだな。 来年の僕がその願いを叶えるに値しているか、来年の僕が其れを許可するかにもよるけれど。願いや希望が多いのはやっぱり疲れるな。
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