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┗373.【小説】MOONLiT
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1 :零
2024/03/14(木) 19:00:04
絵描きの青年が不思議な少女と出会うほのぼのファンタジー。
目次
【Prologue】>>1
【The Mirror】>>2-20
【The Flower】>>21-30
【The Water】>>31-50
【The Moon】>>51-63
【Epilogue】>>64
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46 :零
2024/03/17(日) 17:38:18
「行こう、レイネ」
高鳴る心音を感じながら、フィリオは彼女の手を握り返した。
「なぁエリアス、頼む。僕が持ってたその板、ここに置いてもらえないか? レイネが読めたんだから、同じ言語のものって事だろ。そしてもう一つ。この部屋を閉じてくれ……今すぐに」
レイネが握る彼の手は震えていた。
「フィリオさん、ちょっといいですか」
「エリアス……早くここを出るぞ」
そしてエリアスはこう言った。
「フィリオさん……! 人には誰にでも、知りたくない事、信じたくない事があります! それでも……知識を積み重ねた先に、希望は待っているはずです! 世界は……自分の考え方でいくらでも変えられる。その為に知識が必要なのだと、お父様はいつもわたくしにそう言っていました……」
この場に沈黙が流れる。
「僕は……ダメなんだ」
彼は悲壮な口調でそう言って立ち上がり、レイネに手を出した。
「この部屋から出よう。レイネ」
「ちょっと……まって」
「お願いだ……僕と帰ろう」
彼の目には涙が浮かんでいた。
レイネは立ち上がって、彼の腕をそっと掴んだ。
「ごめん……エリアス。わざわざありがとう……それじゃ」
「あ……はい……」
立ち去るフィリオとレイネを、エリアスはただ見つめていた。
二人は帰路に着いた。曇り空の様な空気が二人の間に流れていた。
「わたし……やっぱりきになる」
レイネがバターミルクを飲んで言った。
「レイネ、君は知らなくていいんだ。僕とずっと一緒にいるだけでいいんだよ」
フィリオはレイネの向かいに座って優しくそう話して、彼女を見つめた。
秋の夕暮れ、突然家のドアが鳴り響く。
「フィリオ! いる? いたら返事して!」
ルミンの声だ。フィリオは急いで階段を駆け降りドアを開けた。
「どうしたルミン!?」
「フィリオ、よく聞いて。信じられないかもしれないけど……リーフ爺さんが死んだわ」
ルミンが発した一言の後、二人の間に静寂が一瞬流れた。
「え?」
「本当の事よ」
「おい、嘘だろ……?」
「私も信じられなかった。そして今もまだ……受け入れられないよ」
ルミンは泣き崩れる。
「そんな……」
フィリオは突然の出来事に思わず立ちすくんだ。
「私帰るね……」
「分かった……僕、リーフ爺さんの所へ行くよ……」
そしてフィリオは、レイネを連れてリーフの街病院へと向かった。
街病院にはクリスティーンに加え、シャンクとサニーがいた。
「よぉ……フィリオ」
シャンクがフィリオに言った。
「フィリオ……リーフ爺さんが、爺さん、が……」
サニーが流した大粒の涙がベッドに落ちる。
「クリスおばさん……本当に、本当にリーフ爺さんは……」
いつかこの時が来る事は分かっていた。覚悟はできていたつもりでも、別れを目の当たりにすると、涙が止まらなかった。
「えぇ。爺さんはついさっき、在るべき場所へ還っていきましたよ」
「そんな……ありえないだろ……」
フィリオは嘆いた。するとシャンクが話す。
「フィリオ。悲しいのは当たり前だ。だがな、いつかこの時が来るって、分かってた事だ。俺達は別れを乗り越えて、前に進んでいく。俺達は先輩の死だって乗り越えてきただろ? 爺さんは、俺達の背中を押してくれたんだよ」
「し……ってなに?」
レイネがフィリオに訊く。
「ずっとお別れって事さ。もう爺さんには会えない。レイネ、こんな事言わすなよ……」
彼がそう答えると、レイネはリーフの遺体に寄り添う。
「おきて……」
「起きるわけないだろ……レイネ」
「おいフィリオ……」
彼を心配する様子でシャンクは声をかけた。
「僕……帰るよ。レイネはここにいていい。少し一人になりたいから」
フィリオはそう言って街病院を出ていった。
日が落ちて、街は寒さを増す。
悲しみに包まれた病院の花壇に、リンドウの花が咲いていた。
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47 :零
2024/03/17(日) 17:39:06
【#22 Black】
フィリオは怖かった。「もう誰とも別れたくない」そんな思いが、彼の心臓に突き刺さって抜けなくなった。彼らは今まで幸せに生きていた。そんな彼らの、のどかで平和な、なんてことない日常が、豪快な音を立てながら崩れようとしている。そんな気がしてくるのだった。
フィリオはアトリエに一人篭る。自分の気持ちもなんとか整理しようと、自分自身を見つめていたのだ。絵とはモチーフとの対話。そして自分自身を映し出す鏡。そしてキャンバスに投影された己の感情は、時に人の心を動かす。彼は、そんな絵の世界に魅せられたのだ。だから、フィリオは絵を描き続けた。大好きな美しいこの世界をキャンバスに切り取る為に。そして自己を表現する為に。
フィリオは、はぁ、はぁと呼吸と整えながら、激しい動悸をなんとか抑えようとする。寂しい、辛い、悲しい……負の感情が彼を絶えず襲う。
彼は背を丸めて、椅子に座って黙り込んでいた。彼の呼吸の音だけが、薄暗いアトリエ全体に響き渡る。
「どうせ僕はダメな人間なんだ。僕はいつまで経っても父さんを越えられない。どれだけ絵を描いても、どれだけ生きても、父さんには追いつけない」
独り言がアトリエに響く。
ドアが開く音がした。レイネが帰ってきたのだ。フィリオは彼女に見向きもせずにうずくまっていた。
「ただいま」
「おかえり、レイネ……」
「どうしたの?」
レイネは何も言わずじっとしているフィリオの側に歩み寄って、そう言った。
「レイネ……今日はもう寝るよ……何もしたくないから」
「そう……」
レイネは言われるがまま、フィリオと共に二階へ上がった。テーブルの、レイネがいつも座っている側に、パンが二つ、皿の上に乗せられている。フィリオが彼女の為に夕食を用意していたのだ。いつもなら、夕食はフィリオの手料理であるのだが、今日はパンだった。彼女はそれを見て呟く。
「わたしの……だけ?」
「僕はいい。君の夕食も、作る元気がなかったんだ……ごめん」
「だったら……たべて。げんきになるために」
ベッドへ向かうフィリオを、レイネが止める。
「ほら……これ、ひとつあげる」
彼女は彼にパンをひとつ差し出した。
「ありがとう……でも……ごめん。やっぱり僕はいいや」
「そう……」
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48 :零
2024/03/17(日) 17:39:17
そしてフィリオはベッドに横になって、眠りについた。
レイネは彼に何も言わなかった。言えなかったと言った方が正しいのかもしれない。
次の日の朝から、フィリオはアトリエに籠り続けた。外出する事なく、ただキャンパスと対峙する。漆黒の絵の具を白と混ぜ合わせ濃淡を作る。何日もの時が過ぎ、やがて純白のキャンパスに現れたのは、灰色の世界だった。キャンパスをただ染める灰色。フィリオはもう、絵が描けなくなっていた。
無意識のうちに、ある日の思い出が呼び起こされる。「やっぱりひと……いっぱい」いつかの春の終わり、レイネが震える声で言った。「いいかレイネ。世の中には沢山の人がいる。君も僕も、沢山いる人々のうちの一人に過ぎないんだ。でも、その一人一人が、みんな特別な存在なんだよ」フィリオはそう言って、レイネに微笑みかけた。彼女と過ごした日々が、彼の心を包む。「あれ……なに?」「あれは雲」「あれ……なに?」「あれは羊」「これはなに?」「これは蟻」「これは?」「これは……君へのプレゼント。シロツメクサの花冠さ」
「きょうも……さんぽしないの?」
レイネ二階から降りてきてフィリオに訊いた。
「あぁ。ごめんな」
「わたし……さみしい」
「レイネ。どうせ君は帰っちゃうんだろ? 自分の故郷へ。僕はもう耐えられないんだ……リーフ爺さんは死ぬし、もうこれ以上誰も失いたくないんだ。父さんを失った時、僕は絵があったから、前に進むことができた。でも、絵を描く気力がもう、僕には無いんだ。僕にはもう、心の支えが何も無い。僕はもう、死んだも同然だよ」
そしてフィリオは筆を床に落とした。
「せつなにさくはなは かぜのようにきよく きおくにふるあめは キミのようにふかく」
レイネが歌い出した。
「このうた……つづきがあるって、クリスおばあちゃんが、おしえてくれた」
「続き?」
フィリオは知らなかった。幼少期から慣れ親しんだあの歌に続きがあったとは、思いもしなかった。
「いつかはかえる かなたへかえる ボクにわかれもつげずに」
どこか切ない響きだった。でも、何故か安心する。そんな不思議な力が宿っている様に思えた。
「わたし……ずっとおもってた。わたしも、ずっといっしょに、こうやってくらしていきたいって。はなれたくないって。わかれるのってかなしい。けど……このきもちはむだじゃない……そんなきがする……」
「そうか……でも、もう僕は誰とも別れたくないや」
「でも、わかれは、ひとをまえにすすませるって、クリスおばあちゃんはいってた。きっと、リーフおじいちゃんは、わたしたちを、まえにすすませてくれる。わかれをこわがらなくてもいいとおもう」
フィリオはこの言葉に聞き覚えがあった。ジタンの言葉だ。
「レイネ……君は……」
「わたしね、ずっといえてなかったことがあるの。それは、いままでわたしといっしょにいてくれて、ありがとうってこと」
気付けばフィリオは涙が止まらなかった。レイネはその涙を包み込む様に、彼女の方へ体を向けた彼をそっと抱きついた。
彼は落とした筆を拾い上げ、握りしめた。
「レイネ……今までごめん。レイネが帰らなくちゃいけないってなったり、リーフ爺さんが死んだりして、僕は父さんに教えてもらった事、信じられなくなってた。でもやっと理解できたよ。別れは立ち止まる為にあるんじゃないって」
そう言ってフィリオは、レイネを抱き返してゆっくりと立ち上がり、彼女の瞳を見つめた。それはまるで、春の陽に咲く花の様であった。
「僕、今までは父さんの言葉に助けられてたって気付いた。けど、これからは自分の言葉、自分の心で、自分自身を支えていきたい。こっちこそ、大切な事に気付かせてくれて、ありがとう」
フィリオの言葉に、レイネは優しい笑顔で返した。
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49 :零
2024/03/17(日) 17:43:10
【#23 White】
季節は移り変わる。
季節はゆったりと動く。
季節は人々の気分を変える。
季節はずっとずっと繰り返し、時の流れを人々に教えてくれる。
そして今、季節は冬を迎える。
動きを止めると凍ってしまうのではないかと思う程に、今日と言う日は酷く寒かった。
「レイネ……もうすぐだからな」
フィリオがレイネを思い、思わず呟いた。向かい風が彼を強く押す。
ルーンプレナの道を見つめながら、彼はひたすらに、一歩一歩進む。夕方、まだ賑やかな雰囲気が街に漂っている。
「ようやく……着いた」
そう独り言を言うと、息が白く姿を変えて、フィリオの目の前に現れた。
かじかむ手でドアを押す。
「……おかえり」
レイネが駆け寄って、フィリオを迎えた。
「ただいま。お目当てのもの、手に入れてきたよ」
フィリオの左腕は、暖かそうな生地の服を抱えていた。
「おそかった……」
レイネはそう言って、紅色の頬をむすっと膨らませた。
「結構待たせたね。急いで夕飯の準備するから、悪いけどもうちょっとだけ待ってて。あ、この服試しに着てみてよ。可愛いの選んできたから、きっと似合うよ」
そう言ってフィリオは台所へと直行した。
シャンクが獲ってきた魚を焼いて、塩を振りかける。なんて事ない料理だが、フィリオはこの質素さが好きだった。
フィリオは台所から、焼き魚を盛り付けた皿を両手に一つずつ器用に持って、居間のテーブルへと運んだ。
「出来たぞー、レイネ……お、似合ってるじゃないか。素敵だよ」
皿をテーブルに置いて、フィリオはレイネの頭をそっと撫でた。
「わたし……このふく、きにいった。ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして。これで明日から寒くないね」
レイネが身に付けたのは、すらっとした水色のクロークだった。
「いくら君が気に入ったとは言え、汚れると悪いから一回脱いでね。これからご飯だし」
「ううん。このままきる」
レイネは顔を横に振って強く断った。よほど気に入ったのだろう。
「ははっ。ま、いいか。しばらく新しい服の君を見ていたいしね。でも、くれぐれも服は汚さないようにね」
二人は夕飯を食べながら、いつもの様に会話を交わす。
「なぁレイネ。確か君は、この星に来てから十三回目の満月の日に、月に帰るんだよな?」
「うん」
あの秋の終わり。フィリオがレイネを抱きしめて、自分を信じたあの日。レイネは言った。「わたし……ここにきてからじゅうさんかいめの、みちたつきのひに、かえらなくちゃいけない。だれがいったかはわからないけど、ふしぎとしってるの」と。「レイネ……そうか。でも、君の本当の家族は、何故君をこの星に送ったんだ? 何が目的で……」フィリオの言葉に、レイネは返した。「わたしは……かえらなくちゃいけない。そして、わたしはそれをうけいれた。いまは、それだけ」
あれから、フィリオは気がかりだった。このままレイネを本当の家族の元へ返していいものか、と。レイネが風邪を引いた時、レイネは父や兄を呼ぶ様な寝言を吐き、うなされていた事、リーフの言っていた記憶喪失の原因についての話。これらの情報から、レイネの本当の家族は、彼女を本当に愛していたのかと言う疑問が生まれる。そして今でも、フィリオが抱えるこの疑問は解決されていない。レイネが本当の家族の事を話そうとしないのだ。
「やっぱり、話してくれないか。君の本当の家族の話。きっと……辛い事があったんじゃないかと思って……話してくれると僕は助かる」
長い沈黙の後、レイネはその小さな口をゆっくりと開けた。
「……わたしは、だれもきずつけたくない、だからはなしたくない」
レイネは下を向いて、言った。
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50 :零
2024/03/17(日) 17:43:23
「レイネ、君は本当に優しいんだね……レイネ、もう何度も言ったと思うけど、君は何があっても僕達の家族だ。確かに、君には本当の家族がいる。でも、こうして君と僕が巡り合って、繋がった。だから僕達も、もう一つの本当の家族なんだよ。家族ってのは、お互いが心の深い所で、いつも繋がっているものだ。だから大丈夫。何を話しても、受け入れるよ」
「……」
「レイネ」
「……」
「何、泣いてるの」
「……」
「レイネ……約束しよう。その悲しみを半分、僕に預けてくれ……それが家族ってものだから」
レイネの涙が床に落ちる。彼女はか細い声で言った。
「わたしね……つきにいるかぞくに、ずっといじめられてた……でも、なんでだろう……わたしはあのひとたちのことが、きらいになれなかった……だから、もういちどかぞくにあいたい」
フィリオの頭の中でレイネの言葉がこだまする。
「レイネ、いいかい? さっきも言ったけど、僕達は心の奥深くで繋がってる。離れ離れになっても、僕達家族の絆は変わらない。別れは孤独じゃない。一緒に乗り越えていくものだから」
レイネは涙を手で拭って、クロークを脱いだ。悲しみで温もりを濡らしたくなかったのだろう。窓の外から満月が見える。二人が出会ってから、九回目の事だった。
そして、あれから一週間の時が過ぎた。窓の外の景色は、まだ何も世界を知らないキャンバスの様に白かった。
「……ねぇ……おきて」
ベッドの上で、レイネが寝ているフィリオの上に乗り、彼を揺らす。
「……ん……お……はよ……起きるの……早いね……レイネ」
「ゆき……いっぱい」
彼女が窓の外を指差す。
「あぁ、夜の間に積もったんだろう。どうだ? 雪遊びしてみるか?」
「なにそれ」
レイネは首を傾げる。
「その名の通り、雪で遊ぶのさ」
「きになる」
目を輝かせるレイネ。
「よし! そうと決まれば、思い立ったらすぐ……」
フィリオはレイネに乗られたままレイネに言った。
「……こうどう」
呟くレイネ。
「そう! さっすがレイネさん。そしたら……あ、まず僕から降りてもらっていい?」
それから二人は一緒に朝食を食べ、ペントにご飯を与えた。その後は着替え。レイネは、あの時フィリオが街中を回ってやっとの事で手に入れたクロークを身にまとい、フィリオも黒いロングコートを着て、準備は完了した。
「よし、じゃあ行こうか、白銀の世界へ!」
フィリオが勢いよくドアを開けると、弱く冷たい風が二人を包んだ。
しんしんと降る雪を、二人は静かに眺める。
「……きれい」
「あぁ。綺麗だ」
レイネは身体を屈ませて、両手にありったけの降り積もった雪を抱えた。
「みて、しろくて、ふわふわしてる」
「この星に来てからは、雪は初めて見るもんな」
「つきには、こんなのなかった。だから、たのしい」
そしてレイネは、抱えた純白の雪を、思い切り手を広げて空へ向かい飛ばした。道に雪がひらひらと舞う。
レイネはずっと笑っていた。初めて見る世界に胸を躍らせているのだろう。フィリオは彼女のそんな姿を見て、和やかな気持ちで心が一杯になった。
風が強くなってきた。
「て、つめたい」
レイネは紅くなった手をフィリオに差し出した。
「手、握るか」
「うん……」
フィリオの左手とレイネの右手がしっかりと密着した。
「さむい……けど、あったかい」
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51 :零
2024/03/18(月) 16:23:02
【#24 Time】
時間ってのは無情なもので、過ぎ去って欲しくないといくら願っても、律儀に流れていく。そんな時間に僕らは身を委ねて、レイネと二人の時間を沢山過ごした。
まず、二人で絵の具を作った。僕はいつも朝散歩に出かけるけど、レイネは流石に寒いんだと言ってこの頃は外出しようとしない。だから、僕は家で簡単にできる遊びを考えた。絵の具を作るってのは簡単な事じゃない。顔料、水、油なんかを使って、ペインティングナイフで混ぜたり掬ったりする。結構地味な作業だけど、僕たちは数々の材料が一つに力を合わせて絵の具になっていく工程をまじまじと見て楽しんだ。
初春月には僕の誕生日があった。母さんの店で家族揃ってお祝いしてくれた。僕にとってとても素敵な思い出になった。そういえば、レイネの誕生日っていつなんだろう? そう思った僕は、彼女にそう問いかけた。分からないと答え寂しそうにする彼女の姿を見て、僕は残された時間で、ちょっと早かったり遅かったりしてもいいから、レイネの誕生日を祝ってやりたいと思った。
それから僕達は、春になったらやりたい事を考えた。またレイネと二人で散歩ができる最高の日々を想像して、紙と羽の筆で計画を練った。そこで一つ気づいた事があった。レイネは月の言語は読めるけど、地球の言語は読めない。レイネはもうすぐ月に帰っちゃうけど、僕はせっかくレイネがこの星に来たんだから、文字一つ一つくらいは学んでおいた方がいつもの散歩道もより楽しくなるだろうと思って、春になったらエリアスの図書館へ出かけようと考えた。計画を練っている間、僕は胸の高鳴りを抑えきれない程ワクワクしていた。でもそれと同時に、花瓶にさしておいた花が日を追うごとに萎れていく様な、そんな寂しさを覚えた。
二人の時間を過ごした僕たちを照らす月は、やがて欠けて見えなくなった。
「きょうはなんだかさみしい」
寝室の窓を開けて、レイネがボソッと呟いた。外は漆黒の闇。ランプを付けなければ、様子は何も分からない程に暗かった。
「どうした、レイネ。大丈夫。僕がいつも一緒にいるから、暗闇だって怖くはない。照らしてくれるものが無くても、僕が君の心を照らすよ」
ホー、ホーとどこかから鳴き声が聞こえる。
「このこえ、たしか、ふくろう」
「そ。フクロウは夜に起きる。僕らとは反対さ。こんな暗い世界を見て生きてるなんて、面白いよな」
「わたし、きょうはねたくない、きょうだけ、わたしはふくろうとおなじになりたい」
レイネが僕の方を振り返って言った。
「どうして?」
僕が訊くと、レイネはこう答えた。
「わたし、もっとずっとここにいたい。ねたら、すぐにじかんがながれちゃうから。すこしでもながく、ここにいたい」
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52 :零
2024/03/18(月) 16:23:36
僕は言葉を失った。
「だから、もうすこしだけ、おきててもいいよね」
「……あぁ、もう少しだけ、この空を見ていよう。あ、あそこに星が見えるよ、レイネ」
「……ちいさい」
「僕らから見たらそう見えるけど、本当は僕らが住んでいるこの星よりもよりも、ずっとずっと大きいんだって、昔、エリアスは僕にそう教えてくれた。そして、月が見えなくて星が輝く今日みたいな空を、星月夜って言うんだってさ」
あれから、更に時が流れた。月はその姿を見せたり見せなかったりしながら、まるでこの世の全てを知っているかの様に、優しく僕達を見守っていた。
雪は溶け、鳥がさえずり、空が青く澄んでいく。
「ほら、これ菜の花が咲いてる。もう春だね」
僕は、散歩がてらルミンのパン屋に向かう途中菜の花を見つけた。レイネは初めて見る様だ。
「なのはな?」
興味深く菜の花をしゃがんで見つめるレイネ。
「あぁ。綺麗だろ? もうすぐ桜も咲く頃だな」
「さくら?」
レイネがそのままの姿勢で僕の方を振り向いて言う。
「桃色の花だよ。菜の花とは違って木に咲くんだ。今度図書館に言って調べてみようか」
「でも……わたし、じ、よめない」
「それでいい。僕が教えるよ。人は誰しも、最初は知らない状態から始まる。だから学ぶんだ。少しでも新しい知識を得られたら、それは素晴らしい事だよ」
「そう……なら、やってみる」
僕らの散歩は寄り道の積み重ねだ。寄り道してまた寄り道して、いろんなものを発見して。それが楽しい。
かくして僕らはいつものルミンのパン屋へ着いた。
彼女を含め、街のみんなには「レイネはもうすぐ本当の家族の所へ引き取られる」と説明しておいてある。
「はーい。毎度ありー。相変わらずレイネちゃんの美貌が私の心を刺すわ……あぁ……笑顔が眩しい……ずっと見ていたい……」
いつものルミン。
「レイネ、いいか。くれぐれも怪しいお姉さんに捕まるんじゃないぞ」
「はーっ? だーれが怪しいお姉さんですって?」
そう言ってカウンターに身を乗り出す彼女。いつものルミンだ。
「はははっ。冗談ですよルミンさん」
「はぁ……馬鹿フィリオ」
彼女はため息をよく吐く。今もそうだ。
「なぁ……ルミン」
「ん?」
「僕、レイネと別れたら、旅をしようと思うんだ。広い広いこの世界を、もっと描きたいと思ったから」
「それって、ランテ国に行った時みたいな?」
「いや、もっと長い旅になると思う。何年もかけて、世界中を回るんだ」
そう。新しい僕の夢。レイネと触れ合い、色んな人に出会い、たどり着いた夢。
「それってなんか……フィリオのお父さんに似てるわね」
「確かにそうだな」
「結局、考える事は親子一緒かー。ま、フィリオの言う事なら私は止めないわよ。ちょっとだけ、寂しいけどね」
ルミンが言った。何処か侘しい目をして。
「それじゃ、今日はこれで帰るよ」
「うん。今日もありがとね」
「あぁ」
僕がそう言ってドアを開けた瞬間、ルミンが僕らを呼び止めた。
「あ! ちょっと待って。最後に一つだけ」
「何?」
「私の作ったパン……いっぱい食べてから旅に出なさいよ」
僕は微笑んでいった。
「分かってる」
そして僕らは店を出た。
ふと僕らを撫でる風が冷たい。
妙な胸騒ぎがする。
でも不思議と心地良い。
そんな昼下がり。
レイネが月へ帰るまで、あと五日。
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53 :零
2024/03/18(月) 21:54:22
【#25 Truth】
ガチャリ……と、相変わらず重いルーンプレナ図書館のドアを開ける。今日はレイネと二人で調べ物をしに来た。
「よ……い……しょ……」
ドアを閉めると、バタン……と、大きな音が立った。エリアスはこの建て付けの悪いドアの事を「歴史の重みの現れ」と表現している。どうやら彼女はこの建て付けを気に入っている様で、直す気は無いようだ。確かにこの図書室が見てきたもの、歩んできた時間をひしひしと感じる風情あるドアだが、僕は非力な腕の前にはそんなものはどうでもいいとさえ思えてくる。
「おーい! エリアスー! 今度はどこで寝てるんだー?」
僕は精一杯の大声を図書館に響かせた。僕は大きな声を出すのも苦手だ。小さい頃、ルミン、サニー、そして僕が、船に乗ってシャンクさんの釣りを手伝った時があったが、シャンクさんに「お前の声は波の音に負けてて聞こえない」と言われ小馬鹿にされた事をよく覚えている。
「おーい! はぁ……はぁ……もう疲れた」
何度も呼び続けたが一向に返事は無い。エリアスも大きな声を出せる人ではないが、静かな図書館では小さな音もよく響く。僕の声は届く筈だし、あちらの声も聞こえる筈だ。
どこを探しても見つからない。と思ったその時、二階にある、エリアスが「守るべき部屋」と呼んだあの部屋の扉の鍵が開いている事に気が付いた。おかしい。エリアスがこんな初歩的なミスを犯す筈がない。僕は思い切って扉を開けようと取っ手を掴んだ。するとレイネが言った。
「……わたし、ちょっとこわい」
僕の服の裾を掴むレイネ。ふと目線を移すと、僕の取っ手を掴んだ手が震えている事に気付いた。レイネがこの星の人間ではないと知った時、僕は怖かった。きっとレイネも同じ思いだったのだろう。僕らにとってはこれがトラウマ、と言うやつなのだろうか。でも、僕らなら絶対大丈夫。現実を受け入れた先に希望がある。そう思えたから。
「大丈夫。僕の心はもう前を向いているから。大丈夫」
「……うん。わかった。じゃあ、いっしょにあけよ」
「うん」
二人の手で扉を開けると、ギィ……と古めかしい音を立ててそれは開いた。すると、見覚えのある部屋と見覚えのある人物が僕の視界を埋めた。
「……」
「あ」
エリアスが床に横たわって寝ているのを見つけて、僕は思わず呟いた。
「おーい、エリアスー」
僕はエリアスをゆすって声をかけた。このくだりは僕が図書館に来たら必ずやる事の一つとなってしまっている。
「……ん……えーと……その本なら……あ! すみません……寝てしまっていました。あらフィリオさん。えっと、お元気ですか? わたくしはもう、あの時からずっと心配で……」
切なそうな口調で語る彼女。
「その事は、謝らせてくれ。すまなかった。僕はもう大丈夫だよ」
「そうですか。なら、良かったです。心の健康も大切ですから」
彼女はたまに医者みたいな事を言ってみたりする。昔彼女は法律にハマっていた時期があって、その時はえらく規律に厳しかった。彼女の知識欲は本当に底が知れない。
「あら、今回もレイネさんと一緒なのですね。あ! それならちょうど良かったです。今、レイネさんがおっしゃっていた月とこの星の歴史について調べていたんです」
「そうか。何か分かった事はあるのか?」
「えっとですね……」
そしてエリアスは独り言をぶつぶつ言いながら棚にある木板を手に取った。
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54 :零
2024/03/18(月) 21:54:33
「まず、どうやらこの国の言語と月の言語は、文字の形は全く違うものの、読みが完全に一致している事が分かりました。レイネさんがあの時仰っていた言語が、我々の普段喋る言葉と同じだったので、大体検討はついていたのですが」
「なるほどなぁ」
僕は顎に手を当てて言った。
「後、レイネさんが言った言葉を元に木板に書かれた言語の解読を試みた結果、そのほとんどの翻訳に成功しました」
「お前の頭の中はどうなってんだ」
エリアスはたまに信じがたい程の頭の良さを発揮する事がある。
「この二枚の木板に書かれているのは月人と地球人の関係とその歴史。『月光記』と言う題名です。全て読み終えましたが、レイネさんが仰っていた通り、この星に住む我々は、元々月で暮らしていた様です。そしてここからは憶測なのですが、レイネさんは月から来たと仰っていました。それが本当なら、この文字は月で使われていた文字である可能性が高いです」
淡々と木板に書かれた内容を報告するエリアス。
「うーん……やっぱり信じがたい話だな」
「わたくしも、初めは信じられませんでした。ですが、お父様含めたわたくしの先祖が代々守り抜いてきた真実ですし、レイネさんがこうして今ここにいる事が、何よりの裏付けなのだと思います」
「そうか……確かにな」
「今までの研究で分かった事は多くありましたが、それに伴って謎が多く残る結果となりました。追放された我々の先祖は、どのようにして翼を奪われ、記憶を消されたのか。なぜ記憶が消えた筈のこの星の人類は、これらの木板を残す事が出来たのか。歴史学は、こういう残された謎を追い求める過程が面白いんです」
「なるほどね……また分かった事があれば教えてくれ。今度暇があったら寄るからさ」
そう言った拍子に、僕は気付いた。
「そうだ、そういえば、僕とレイネがどうやって出会ったのかって話、言ってなかったよな。君の研究に少しでも役立てばいいんだけど……」
「言われてみればそうですね。真実ならどんな情報でも構いません。一体、どこでどのようにして出会ったのですか?」
エリアスは興味深くこちらを見て言った。
「それが不思議なんだけどさ、夜中に僕が絵を描こうと浜辺に行った時に突然海から光が放たれて、消えたと思ったらボロボロの服を着た少女が倒れていたんだ。それがレイネさ」
新たな情報を得たエリアスがどこか嬉しそうに天井を見上げながら言う。
「なるほど……それは確かに不思議な事象ですね。まだまだ研究の甲斐がありそうです。今度是非いらしてください。少しでもお役に立てれば嬉しい限りです」
エリアスは持っていた木板を棚に戻して、こちらに向かって微笑んだ。
「話は変わるんですが、先程からレイネさんの姿が見えませんが、どうしたのでしょう……?」
彼女の言葉にハッとする僕。ふと横を見るとレイネの姿は確かにない。エリアスとの会話に夢中になっている内に見失ってしまった。なんたる不覚だろうか。
「ほ、本当だ! どこ行ったんだろう……よし……」
焦った僕はこの部屋を飛び出し、ありったけの大声でレイネを呼んだ。
「レイネー! いるなら返事してくれー!」
「と、図書館ではお静かに!」
その声に反応して振り向くと、エリアスがむっと頬を膨らませていた。
「あ……ごめんなさい……」
さっきの大声が反射して、自分に返ってくる。辺りが無音になった時、図書館を小走りで走る足音がした。間違いないだろう。レイネだ。
その音はやがて大きくなり、やがて可愛らしい純白のワンピースをフワフワとなびかせながらこちらに近づいてくる少女の姿が見えた。何やら手には一冊の本を抱えている。そうだ。今日はレイネに文字を教えてあげようとしてここへ来た。彼女は本来の目的を忘れていなかった様だ。
「……」
レイネは僕の目の前まで来ると、何も言わずに抱えていた本を開いて、ある単語を指差した。レイネが持って来たのは分厚い植物図鑑だった。見慣れた草花の絵が描かれているのを見て興味を持ったのだろう。
「これ、なんてよむの?」
僕はすかさず答えた。
「これはね、『桜』って読むんだよ」
「さくら……さくら……」
「そう。これで一つ、読める言葉が増えたな」
「うん」
レイネの成長を噛み締めるように、僕は彼女の頭を撫でた。レイネが月へ帰るまで、後四日。
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55 :零
2024/03/18(月) 21:55:20
【#26 You】
「きょうはあったかいね」
レイネが空を見上げて呟く。僕は思わずその手を優しく握った。
「そうだな。春の陽気ってやつだ」
暖かい。そして、温かい。
今日は森へ来ている。一年近く前にここへはレイネと一緒に来た事があるけど、今日は前とは違う。
「ももいろ、たくさんあってとってもきれい」
レイネがが刺した指の先には、桜が咲き誇っていた。この森に生えている樹木のほとんどは桜だ。淡い桃色の花が頭上を埋め尽くす。
レイネと一緒に暮らして、いつもの様に散歩して、沢山の事を経験して。とっても刺激的で楽しい日々が一年続いたけど、彼女と出会ってから一度もやっていなかった事がいくつかある。今日はその内の一つをやってみようと思う。楽しい時間なんてあっという間なんだ。噛み締めて、充実させなきゃね。
「レイネ。今日は君に協力して欲しい事があるんだ」
僕は二人で歩きながらレイネに言った。
「なに?」
こちらへ振り向くレイネ。彼女の白いワンピースがふわりと踊る。
「今日は、君を絵に描いてみようと思うんだ。元々僕は普段風景画しか描かない。人間や羊、虫なんかもほとんど描いた事がない。動くものは描くのが難しくて、今まで敬遠してたんだ。だけど、そのままじゃもったいないって思ったんだ。動物だってこの世界の大事な一つの欠片なんだ。僕はあらゆる人々や動物達を含めたこの世界を描き続けて、絶え間なく動くこの世界に彼らが生きた証を残したい。そう思ったんだ」
「いきたあかし……」
「そう。君が確かにここにいたと言う歴史を残したい。そんな僕の夢に協力して欲しいんだ」
「わかった。わたしをかいてくれるの、とってもうれしい」
レイネは快く僕のお願いを聞き入れてくれた。彼女が「うれしい」と言うと、不思議と僕も嬉しくなる。反対に、彼女が「さみしい」「かなしい」と言うと、僕まで気分が落ちる。でも、家族とはそう言うものなのだと思う。自分が感じた事を一緒に共有して支え合っていく。レイネと居ると様々な当たり前に気付いて実感する。
あの時訪れた池までやってきた僕らは、目の前に広がったその景色の美しさに言葉が出なかった。
そこには澄んだ青い池周りをぐるりと囲む様に大きな木があった。ただあの時とは違い、木に生えた新緑の葉は桃色の花に変化していた。
なんて事ない日々の様に穏やかな風が花びらをちぎり、切り離されたそれは降下しながら舞い、池に落ちて水面に浮かぶ。
父さんが生きていた頃、僕と父さんは二人でよくここの池に来た。絵の最高のモチーフだったからだ。移り変わる季節の中で、父さんはいくつもこの池の絵を描いた。隣で父さんの手伝いをしていた僕は、父さんの筆先を眺めながら、この場所が歩んできた時間がはっきりと絵と言う形で残されていくのを感じた。
「相変わらず良い景色だろ。僕の父さんも好きだった景色さ」
「わたしもすきなけしき」
「うん。僕も好きだ」
それから僕らは絵を描く準備をした。キャンバスやらイーゼルやらは結構持って行くのが大変だ。でも、レイネと一緒なら大変さが半分になる。誰かがいるってありがたい事だと感じる瞬間だ。
「そういえば、わたしはいまからどうすればいいの?」
「それなんだが……レイネ。この辺で好きに遊んでてくれるか? 勝手気ままな君の姿をこのキャンバスに収めておきたい」
「あそんでて……? うごいてていいの?」
「あぁ。全体を目でしっかり見て、好きだと思った瞬間を描く。人間の体の構造は父さんに習ったから、我ながら自信はあるんだ」
ちょっと得意げに言ってしまったが、僕の自信は確かだ。
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56 :零
2024/03/18(月) 21:55:34
「わかった」
それからレイネは自由に遊んだ。鳥と戯れたり、桜の枝を持って近づいてみたり、切り株の上に座ったりした。でも僕はピンとくる様な良い情景がまだ見えずにいた。「うーん」と唸りながらひたすらこの世界とにらめっこをして、しばらく時間が過ぎた。
「だいじょうぶ? こわいかおしてるよ?」
ハッと気がつくと、レイネが僕の顔を覗き込んでいた。
「あ、あぁ。大丈夫だ。レイネ、疲れてない?」
「だいじょうぶ。たのしいからまだまだへいき」
彼女は僕の言葉に笑顔で返した。
「良かった。まだもうちょっと時間かかりそうだから、なんか変なお願いだけど、もうちょっとだけ遊んでてくれるかな? 飽きちゃったなら無理しなくていいんだけど」
「まだあそびたい。まだあそんでいたい。じぶんがこのもりにつつまれているかんじ、すきだから」
レイネはそう言うと、直ぐに駆けていった。僕は彼女の言葉を噛み締めた。僕は彼女の静かに輝く様な感性が好きだ。
緑色の美しい羽を持った小鳥が僕の背と同じくらいの高さで背後から飛んで来た。その鳥はレイネの側をくるりと一周して、とても高い所にある桜の木の枝に止まった。するとレイネがつま先で立って、その鳥をなんとか見ようとしたその時だった。
「うん。いい感じ」
ピンとくる、とはまさにこの事だった。まるで頭の中に太陽が昇って来た様な、そんな心地良さを覚えた。
「よし」
風が吹いて、小さな花びらがいくつも散る。広がる視界に桃色が輝く。
脳裏に焼き付くその景色に、心が動く確かなものを感じた。
僕は筆を手に取り、くるくると回してパシっと掴んだ。
そして僕は言った。
「レイネ、君のおかげでようやくいい絵が描けそうだよ」
僕の言葉に反応してレイネは振り向いて言う。
「それはよかった……けど、まだもうちょっとだけ、あそんでいたい」
レイネの無邪気な笑顔が見られるのも、後三日。
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57 :零
2024/03/18(月) 22:07:12
【#27 Growth】
サニーと出会ったのは、彼がちょうど釣りからこの街の小さな漁港へ戻ってきた時のことだった。
彼は散歩中の僕とレイネを見るやいなや「久しぶり」と言ってにこやかに挨拶をした。
僕と年が変わらないサニーに向かってこんな感想を抱くのはなんだけど、しばらく見ないうちに、彼は見違える程に大人らしくなっていた。心なしか背も伸びたような気がする。
今思えば、双子の弟として生まれたというだけで、僕達は彼を執拗に可愛がってきた。もし僕がサニーの立場だったら「子供扱いするな」とみんなに反発したかもしれない。
「今日は何が釣れたんだ?」
サニーに訊いた。
「色々沢山だよ」
「抽象的すぎるなぁ」
「さかな」
「あれ? そういやシャンクさんは今日いないのか?」
「家で寝てる」
「たべたい」
「寝てる? あー、本当にあの人は怠惰だね」
「そのお陰で、僕はようやく独り立ちできそうだよ。今まで泣きべそかいてばっかだったから、背筋伸ばさなくちゃ」
彼は言った。言った通り背筋を伸ばして凛と。
「お前、やっぱり変わったよ」
「さかなたべたい」
僕らの会話に混じってレイネがしきりにそう言うので、今日の晩ご飯は焼き魚に決めた。
サニーは午後からも仕事で忙しいので、彼とはその場で別れた。
「サニーの成長っぷりにはびっくりだよ」
「せいちょう」
「レイネ、僕は今まで、ルーンプレナが当たり前にあって、そこに住む人々が当たり前にいて、その中で暮らすのが当たり前だって、心のどっかでそう自分に言い聞かせて安心しようとしていたんだ。でもやっぱりそれは違っていて。人とはいずれ別れが来るし、別れなくても一人一人は変わり続けていく。サニーを見て、それが現実なんだって思った」
「せいちょうはつらいこと?」
「成長はとってもいいことさ。でも、少しだけ切ない。今の君を見てもそう」
「せつない」
歩きながらこうやって話すと、自分の気持ちを整理できる気がして好きだ。昔から僕は思い悩む性格だったから尚更だ。
「フィリオ! 会いたかった!」
大浴場の前辺りを通り過ぎた時、突然野太い声がどこからともなく聞こえた。
「ん?」
はっとなって後ろを振り返ると、タウルさんが驚いたような喜んだような絶妙な顔をして立っていた。
「タウルさん! お久しぶりです!」
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58 :零
2024/03/18(月) 22:07:23
タウルさんは、人を包み込むような包容力がある。物理的にもそうだけど、彼は人の心を癒してくれる、そんな気がする。
それにしても驚いた。大体一年くらいの期間が空いたから、まずはお互いの近況を報告しあった。流石にレイネが月の人間だったなんて言えないけど、レイネともうすぐ別れなくちゃいけないことを話した。
タウルさんも色々なことを話してくれた。自分の背丈よりも大きい動物に遭遇してなんとか仕留めた話なんかは、彼の話のうまさも相まって、思わず身震いするほどだった。
会話の熱気も冷めた頃、今日食べる晩ご飯の話題になった。
「晩ご飯は焼き魚にする予定です。レイネが食べたがってるので」
「焼き魚か……そりゃいい。俺はまだ決まってなくてな。そこで提案なんだが、今日お前の家で一緒に夕飯食べないか? 俺は料理が大得意だって何度も言っただろう。まだふるまったことがなかったから、いい機会だと思うんだが……」
それめっちゃいい提案! と思った。僕らは迷わず賛成した。そんな訳で、タウルさんを初めて家に入れることになった。
いつものお店で材料を買った。タウルさんはきっと沢山食べるだろうなとか、この魚はサニーが獲ってきたんだろうなとか思いながら、みんなで料理をするというごく小さなイベントにワクワクしていた。
まさに巨人と言った所だろう。タウルさんはドアを開け、かがんで中に入った。彼の握ったドアノブは小さく見えた。もし誰かが「ドアを開ける瞬間の絵を描こう」と思って、彼の手とドアノブのようなバランスで構図を決めたら、僕は「縮尺がおかしい」と文句をつけてしまうかもしれない。それくらい、この図には現実味が無い。
不思議な彼だが、料理の腕は一流だと自負している。階段を上がる彼の足元から響くギシギシという木の悲鳴を聞きながら二階に上がり、唸る腹の虫を抑えながら僕らはキッチンについた。
「んー。やっぱりこの包丁は俺には小さすぎるな。すまんが、この野菜は二人に任せる」
家で唯一の包丁は、彼には扱えなかったようだ。流石。
「レイネ、包丁で野菜を切る簡単な仕事なんだけど、やってみるか?」
「やってみたい」
思い切った提案だと感じてはいるけど、過保護すぎるのはよくない。どうせ別れるなら、少しでも成長したレイネと別れたいんだ。
「その様子だと、レイネは包丁使ったことないってことだな。それじゃ、基本のアドバイスなんだが、利き手で包丁を持って、逆の手は丸める」
タウルさんがやって見せながら説明を始めた。
「丸めた手で野菜を抑えながら、真っ直ぐ切る。切り方にもよるが、今日の所は、今言ったことをやれば問題ない」
「やってみる」
「レイネ、やる前に僕からもアドバイス。その野菜は柔らかいから、あんまり力を込めて押す必要はない。すっと刃を動かすんだ」
「わかった」
ストン、ストンと、丁寧に野菜を切っていくレイネ。成長、それはいいこと。だけど、どんどんやれる事が増えていくにつれて、見守る側はどことなく、切なさを覚える。
僕の肩くらいにあったレイネの頭は、今や僕の顎くらいにまで迫ってきている。
別れというのは、そういう事なのかもしれない。
レイネが月に帰るまで、後二日。
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59 :零
2024/03/18(月) 22:09:34
【#28 Rose】
そういえば、レイネが一年間僕と暮らす中で、レイネに絵を一度も描かせてこなかった事を思い出した。いずれやらせようかなと頭の中で考えた時はあったけど、考えたっきりそれを実行に移す事はなかった。ここで思い出しておいて本当に良かった。もう二度と会えなくなるから。
ということで、僕はレイネに尋ねた。「絵を描くことに興味はないか」と。するとレイネは「かきたいってずっとおもってたけど、わたしはかいちゃいけないようなきがしてた」なんてことを言った。絵は自由なもので、誰がどんな絵を描いてもいいんだと思っていたけど、どうやら話を聞く限り、彼女は僕の絵に対するこだわりを強く感じるあまりに、絵描くのは難易度が高いものだと思い込んでしまっていた様だ。これは今まで僕が犯してきたやらかしの中で一番大きいと言えるかもしれない。なにせ、一年間絵の素晴らしさを背中で教えてきたはずが、それが誤解を生んでしまう結果になったのだから。
アトリエに二人、僕はレイネに相棒とも言える筆を渡して言った。彼女は少し緊張している様子だった。
「レイネ、僕はどうやら誤解を生んでしまっていたみたいなんだけど、絵っていうのは難しく考えなくていい。ただ自分の描きたいものを意のままに描けば、それでいいんだ。結局それが一番楽しくて、一番人の心を動かす。芸術ってのはそんなもんさ」
「わたし、なにがかきたいのかわからない」
筆を見つめて固まるレイネ。
「そうだな、今まで自分が見てきたもの、感じてきたものを思い出してごらん。その中で印象に残った何かが、自分の心と共鳴する感じがするんだ」
「きょうめい」
今、彼女の頭の中はどうなっているのだろう。こうアドバイスしようかな。「心の中に夜空を浮かべてみろ。頭上を覆い尽くす夜空の中に、輝く星がいくつもある。その中で一際輝く一番星。それが描きたいものだ」なんて、父さんみたいだな。
「ばら」
レイネは呟いた。溢れた言葉が地面に落ちないようにそっと僕はそれを掬い上げる。
「薔薇か。なるほどな。確か出会って一か月くらいした時に、僕が君に赤い薔薇の絵をあげた事があったよな。ま、あげたと言っても、いつもペントの籠の傍に置いてあるんだけどね」
「ばらをかきたい」
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60 :零
2024/03/18(月) 22:09:47
彼女が薔薇を描きたいと言い出したのは実に素晴らしい事だ。だけど一つだけ問題がある。それは、今の時期は薔薇の季節ではないという事。僕はレイネにこの問題を伝え、どうしたものかと考えたが、答えは彼女が素早く出してくれた。
「むかしくれたばらのえ、まねしてみる」
僕は「その手があったか」と言いかけたが、自分の頭の固さを露呈してしまうので言うのはやめた。レイネは揚げ足を取るような人じゃないけど、妙に恥ずかしかったし。
「いいアイディアだ。取ってくるから、レイネはそのエプロン付けて待ってて」
僕がレイネくらいの身長の時に使っていたベージュ色のエプロンは、元がベージュ色だとは分からない程にボロボロになっていたが、まだ使えるだろうと踏んで、昨晩必死に手入れした。
薔薇の絵を持ってアトリエへ戻ると、彼女は思った以上にエプロンを着こなしていた。どうやら僕に似たらしい。
「このえ、すき」
「照れるな」
「ほんとだもん」
さて、何から教えたらいいかな。好きに描いたらいいんだとは言ったものの、いきなり薔薇を描こうなんて流石に無茶だったかもしれない。ひとまず、父さんに教わったのと同じ様にやってみるか。
「レイネ、まずはね……」
人に何かを教えるのってすごく難しいことなんだって実感した。気が付けば、「あの」とか「えっと」とか、そんな言葉を多用していた。
レイネが僕の絵を描いている姿を見て色々吸収していたのかもしれないが、彼女の成長速度は驚くほど速かった。
レイネは生まれて初めて絵を描くなんて言っていたけど、本当は記憶がないだけで、あっちでも絵を描いていたんじゃないか……なんて、それはないかな。
そういえば、恐らく……いや間違いなく、レイネは僕の夢の中に何度も出てきた子だろう。彼女がなぜ僕の夢の中に出てきたのか、改めて訊いてみようと思う。昔こそ彼女は何を言っても記憶がなくて答えられなかったけど、今だったら答えられるかもしれないから。
「レイネ」
「なに?」
「やっぱりこれだけは訊きたいと思ってたんだけど、レイネはなんで、僕の夢の中に出てきたの?」
レイネは黙り込んで薔薇の絵を描き進めた。そして、その茎に纏った棘を描き終えた後、レイネは言った。
「こたえたくない。はずかしい」
レイネがなぜ恥ずかしいなんて思ったのか、それは、彼女が絵を描き終えた後も、結局分からなかった。
描き終わったその赤い赤い薔薇は、レイネの純粋さが溢れ出している様だった。
「すごいや、レイネ。初めてとは思えないよ」
僕はレイネを抱きしめた。後何回、こうやって触れていられるだろう。
「ちょっとはずかしい」
「君は急に恥ずかしがりになったな」
今日のレイネを見ていると、昔の僕みたいで、自分まで恥ずかしい気持ちになってしまった。
レイネは、僕の思いを、優しく抱きしめ返した。
彼女が描いた薔薇の絵は、僕が彼女にあげた薔薇の絵と並べて、二階の壁に飾ることにした。レイネが「くれたえといっしょに、ずっとここにかざってほしい」と言ったからだ。僕は「手放してもいいの?」と僕は言った。すると彼女は「ずっといっしょに、ここにいたいから」と笑った。
沢山の思い出が詰まった日記みたいなこの家は、僕が旅に出た後は母さんが管理することになっている。いつかこの街に帰って来た時、この家に「ただいま」と言いたいから。
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61 :零
2024/03/19(火) 13:28:28
【#29 Rainbow】
「レイネ……なんだか目覚めが悪いよ……」
朝。珍しくレイネに起こされた僕は、ベッドで寝転んだまま言った。
「どうしたの?」
「んーとね……変な夢見た……」
「ゆめ?」
レイネがどさっ、と僕の体の上に乗って首を傾げる。
「うん。なんか……いや、何でもない」
レイネはきょとんとしている。
この夢のことは、言わない方がいい。そう思ったんだ。
朝食を済ませた僕らは、街外れの丘にやって来た。ここには父さんのお墓がある。隣にはリーフ爺さんもいる。
風が僕らを包み込む。父さんが抱きしめているみたいだ。
「わかれは、つらくない」
この丘は散歩の途中でよく来ていた場所だ。色んな人の温もりがあるから、僕はここが好きだ。
「そう。辛くないさ」
「でも、ちょっとさみしい」
「そう。ちょっと寂しい」
それから僕らは、父さんとリーフ爺さんに最近あった事を伝えた。タウルさんと一緒に料理をした事、レイネが初めて絵を描いた事。楽しかったって気持ち。気付いたらレイネの身長がすごく伸びてた事。いっぱい伝えた。そして、「また今度ね」と笑顔で告げて、僕らは次の目的地へ歩みを進めた。
「刹那に咲く花は」
「かぜのようにきよく」
僕らは手を繋いで、木漏れ日の街を歩いていった。
「記憶に降る雨は」
「キミのようにふかく」
森の奥の池にやって来た。
「さくら、いろがかわってる」
「花が散ったんだよ。桜ってのは儚いもんさ」
「もうさくらのはな、みられないの?」
「君は、そうだね」
池の水面は桃色に染まっていた。
「みんな、わたしのこと、わすれちゃうのかな」
「いつかはね。でも、僕は君の事、絶対に忘れない。忘れたくないから」
「やくそくして」
約束の時はお互いの薬指を合わせるって、小さい頃から相場が決まっている。
「約束しよう、レイネ」
「うん」
思えば、僕らは色んな景色を見てきた。そのどれもが輝いていた。レイネに会ってから、世界は虹色。
レイネと出会ってから一年が経つ。
僕は君を忘れない。
今日は、君との別れの日。
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62 :零
2024/03/19(火) 13:29:00
【#30 MOONLIT】
それは満月の夜の事だった。
街は暗く、月の光だけが僕らを照らす。
浜辺で僕らは手を繋いで、座って、寄り添って、時を待っていた。
波が街に近づいて、そうかと思うと遠のく。そしてまた、近づいてくる。それを延々と、誰に言われた訳でもなく、誰の為でもなく、ただ繰り返すだけ。僕らはそんな海が好きだ。
「て、あったかい」
レイネの桃色の唇は、かすかに震えていた。
「君の手も、あったかいよ」
レイネと二人きりで、昔話をしていた。
「一年前だね、君と出会ったのは」
「あのときは、こわかった。このまちも、すんでるひとも。でも、あなたといると、ふしぎとあんしんできた」
「僕も混乱してたさ。急に海がひかり出して、君が現れたんだから」
「おたがいさまだね」
レイネは今、どんな気持ちでここにいるのだろう。
「パン、とってもおいしかったって、つたえてね」
「あぁ。ルミンはレイネの事大好きだから、きっと喜ぶさ」
この街のみんなは、突然現れたレイネという存在を、優しい気持ちで受け入れてくれた。警吏の人はつんつんしてたけど。それでも、この街の人達には感謝してもしきれない。
「あれから、いろんなえをみた。どれもきれいで、やさしかった」
レイネと出会ってから、僕は絵描きである事に一層誇りを持つようになった。彼女は、僕の人生を変えた。
「わたしがあめのひにたおれたこと、おぼえてる?」
「もちろん覚えてるさ。あの時は心配して、自分を責めたりもした。けど、リーフ爺さんやクリスおばさんは僕らを助けてくれて、一緒に同じ時を過ごしてくれた。それだけじゃない。シャンクさんと一緒に釣りをした時や、スコルスさんと一緒にランテ国へ旅行に行った時だってそう。みんなに支えられたり、一緒に経験したりして、僕らはここまで生きてきたんだよ」
「そうだね」
波が段々と荒くなっていく。
「そろそろか、レイネ」
まるで海が怒っている様だ。
「うん」
突然、眩い光が海から溢れて、僕らを包んだ。僕は、反射的に目をつむって手で顔を覆った。
そして、光が弱まりまぶたを開けると、僕は目を疑った。
「レイネ。迎えだ。我々の元へ帰ろう」
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63 :零
2024/03/19(火) 13:49:43
野太い男の声だ。白く巨大な翼を生やした仏頂面の男がこちらを睨んでいる。
「掟を破った罪への罰は、今終わりを告げた。さぁ、この星から離れるのだ。まずは、記憶と翼をお前に還す」
僕は言葉が出なかった。この人は……あの時夢に出てきた……レイネの兄。
「わたし、もうかえらなくちゃ」
レイネとの別れ。最後の覚悟と精一杯の笑顔で、僕は答える。
「うん」
「さぁ、こちらへ来い」
レイネはゆっくりと立ち上がり、一歩一歩、記憶を噛み締める様に歩いていった。
レイネが男の側まで来ると、男は彼女の額に手を当てて、目をつぶって静かに息を吐いた。
すると、レイネの服の、大きく開いた背中から、左右に白い翼が、淡く神秘的な光を放って生えてきた。
「う……」
彼女は苦しそうだった。
翼が生え終わると、レイネは空中に浮いた。今にも消えてしまいそうな白い肌と亜麻色の長い髪が、ただ美しかった。
「レイネ、レイネ!」
僕は大急ぎで駆け寄った。レイネに最後に一言だけ、言いたかった。
「レイネ……」
彼女が僕の方に振り返った。サファイアの様な澄んだ瞳が僕の全てを包んだ。
「最後に、言いたかった。レイネ。愛してる」
これだけは言いたかった。やっと言えた。
「フィリオ、貴方は私にとって、太陽みたいな人だった。貴方は私の心に光を灯して、温かくしてくれた。私も、フィリオの事、愛してる。今まで、ありがとう」
震える彼女の声は、どこか大人びていた。
レイネの翼がはためき、風が吹く。
「愚かな地球人類よ。我々に触れるな」
男の声に、恐怖が背筋を伝う。
「貴様らが持つレイネの記憶も消す。地球への羨望と言う名の罪。その罰とはこの事だ」
男はそう言い残し、再び強い光が僕を襲った。
「レイネ……レイネ!」
叫んでも何も変わらなかった。
レイネは体を逸らし、まぶたを閉じ、飛翔した。
彼女は何も言わずに、母の様な月明かりに照らされていた。
気が付くと、そこにレイネの姿はなかった。
呆気ない最後だった。
これで良かったんだろうか。
胸の高鳴りがまだ収まらない。
僕はしばらく、月を眺めていた。今までと何ら変わりない、ただの満月だ。
どういうわけか、僕は何故ここにいるのか、よく分からなくなってきた。でも、今はもうちょっとだけ、このままでいたい気分だ。
あたたかな月の光が、この街と、海と、僕を照らした。
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64 :零
2024/03/19(火) 14:43:16
【Epilogue】
暖かい。と言うより、ちょっと暑い、かな。今日から僕は、日記をつけることにしたよ。と言うのも、明日は出発の日なんだ。長い長い、僕の旅。旅先で絵を描いて、人に売って、また別の場所に行く。最高の旅さ。
支度はもう終わっていて、後はもう寝るだけ。しっかり寝て、体力を付けなくちゃね。
そうそう。今日はみんなに出発前の挨拶をしに行ったんだ。最初はルミンのパン屋へ行ったんだけど、寂しさのあまりなのか「行かないでよ」とか言って、ルミンは泣き出してしまった。本当は、笑って見送って欲しかったんだけど。
次はシャンクさんとサニーのいる漁港。シャンクさんは「行け行け! それでこそ先輩の息子だ!」と言って背中を強く叩かれた。シャンクさんは常に酔っ払っているみたいな言動をする。いや、実際酔っ払ってる。サニーは自分の鼻をこすりながら「頑張ってね」と小さく言っていた。寂しいなら、寂しいって、言えばいいのにな。なんて。
その次は、クリスおばさんの家に行ってきた。クリスおばさんは笑顔で「行ってらっしゃい」とだけ言った。あの人の言葉って、やっぱり不思議な力があるように思える。あの一言だけで、何故か勇気が湧いてくるから。
その次はエリアスの図書館。何故かは知らないけど、エリアスに僕が今日出発することを伝えると「あらそうなんですね」と能天気に驚いていた。旅のこと、あらかじめ言っていたはずなのに。それからエリアスは「何故でしょう? わたくし達は、大切なものを忘れているように思えます」と言って首を傾げていた。忘れっぽいエリアスのことだから、また大したことじゃないんだろうな、とか思いながら、別れの挨拶を告げて図書館を出た。
次は、タウルさんの家。あそこって、ずっと獣の匂いがする。普段は狩りの仕事で大変らしいけど、今日は僕が挨拶周りをしていることを知ってて、待っていてくれたみたいだ。全く、タウルさんの噂を聞きつける能力は流石だ。タウルさんは僕に「成長したな」と言ってくれた。でも僕は、これからもっともっと絵の技術を磨いて、色んな人と会っていく。だから、まだ成長途中。
酒場に来ると母さんはすぐ、泣きながら「生まれてきてくれて、ありがとう」と言って、僕を優しく抱きしめてくれた。そして「行ってらっしゃい。私から言えることは、これだけよ」と言って、僕に別れを告げた。
最後に、父さんとリーフじいさんのいる所へ来た。ぼくは「行ってきます」と呟いた。涙が一粒、もう一粒と出てきた。ごめんね。笑顔じゃなくて。
そんなわけで、僕は明日旅に出る。どんな人に出会えるかな。どんな景色を見られるかな。スコルスさんにまた会えるといいな。なんて想像しながら、今はソワソワしている。
あ、そういえば、今いるこの僕の家に飾ってある二つの赤い薔薇の絵、一つは描いた記憶があるんだけど、もう一つは、いつ描いたのか思い出せない。と言うか、僕の画風じゃない。一体誰が描いたんだろう。そもそも、一年前くらい前の記憶から、なんか曖昧になっている気がする。よく分からないけど、何を忘れたんだか。大事なことだったような、気もする。
とりあえず、今日はもう寝る。大好きなこの街とも、しばらくお別れ。それじゃ、さようなら。ありがとう。おやすみなさい。
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64 :零
2024/03/19(火) 14:43:16
【Epilogue】
暖かい。と言うより、ちょっと暑い、かな。今日から僕は、日記をつけることにしたよ。と言うのも、明日は出発の日なんだ。長い長い、僕の旅。旅先で絵を描いて、人に売って、また別の場所に行く。最高の旅さ。
支度はもう終わっていて、後はもう寝るだけ。しっかり寝て、体力を付けなくちゃね。
そうそう。今日はみんなに出発前の挨拶をしに行ったんだ。最初はルミンのパン屋へ行ったんだけど、寂しさのあまりなのか「行かないでよ」とか言って、ルミンは泣き出してしまった。本当は、笑って見送って欲しかったんだけど。
次はシャンクさんとサニーのいる漁港。シャンクさんは「行け行け! それでこそ先輩の息子だ!」と言って背中を強く叩かれた。シャンクさんは常に酔っ払っているみたいな言動をする。いや、実際酔っ払ってる。サニーは自分の鼻をこすりながら「頑張ってね」と小さく言っていた。寂しいなら、寂しいって、言えばいいのにな。なんて。
その次は、クリスおばさんの家に行ってきた。クリスおばさんは笑顔で「行ってらっしゃい」とだけ言った。あの人の言葉って、やっぱり不思議な力があるように思える。あの一言だけで、何故か勇気が湧いてくるから。
その次はエリアスの図書館。何故かは知らないけど、エリアスに僕が今日出発することを伝えると「あらそうなんですね」と能天気に驚いていた。旅のこと、あらかじめ言っていたはずなのに。それからエリアスは「何故でしょう? わたくし達は、大切なものを忘れているように思えます」と言って首を傾げていた。忘れっぽいエリアスのことだから、また大したことじゃないんだろうな、とか思いながら、別れの挨拶を告げて図書館を出た。
次は、タウルさんの家。あそこって、ずっと獣の匂いがする。普段は狩りの仕事で大変らしいけど、今日は僕が挨拶周りをしていることを知ってて、待っていてくれたみたいだ。全く、タウルさんの噂を聞きつける能力は流石だ。タウルさんは僕に「成長したな」と言ってくれた。でも僕は、これからもっともっと絵の技術を磨いて、色んな人と会っていく。だから、まだ成長途中。
酒場に来ると母さんはすぐ、泣きながら「生まれてきてくれて、ありがとう」と言って、僕を優しく抱きしめてくれた。そして「行ってらっしゃい。私から言えることは、これだけよ」と言って、僕に別れを告げた。
最後に、父さんとリーフじいさんのいる所へ来た。ぼくは「行ってきます」と呟いた。涙が一粒、もう一粒と出てきた。ごめんね。笑顔じゃなくて。
そんなわけで、僕は明日旅に出る。どんな人に出会えるかな。どんな景色を見られるかな。スコルスさんにまた会えるといいな。なんて想像しながら、今はソワソワしている。
あ、そういえば、今いるこの僕の家に飾ってある二つの赤い薔薇の絵、一つは描いた記憶があるんだけど、もう一つは、いつ描いたのか思い出せない。と言うか、僕の画風じゃない。一体誰が描いたんだろう。そもそも、一年前くらい前の記憶から、なんか曖昧になっている気がする。よく分からないけど、何を忘れたんだか。大事なことだったような、気もする。
とりあえず、今日はもう寝る。大好きなこの街とも、しばらくお別れ。それじゃ、さようなら。ありがとう。おやすみなさい。