暑すぎてしぬ
シンプルに終わり、頭の回ってなさが異常。ついでに一日が終わる速さも異常。多分俺の人生はターン消費制なんだけどガチ一日一ターンで生きてる。これ読みにくくね?終わりやね。寝るを選んだらそれで一日が終わるし収録に行ったらそれも一日が終わる。過去の俺はどうやってやる気と時間を捻り出してたのか知りたいレベルで文字に回す時間がない。なんで?びっくりなんですけど……。いやびっくりどころじゃないけど……。なんか気付いたら一日終わってるからガチびびる。寂しくなって色々見返していや~過去の俺はそんなこと考えてたわね今もわかるけど!みたいなことを繰り返し昔を思い出し今とのギャップに悲しくなりいやでもそれは俺が悪いやんはい乙~みたいな……段々どうしたらいいかわからなくなってきちゃってでも此処で自棄になんのは違うよな~。最近自分の日記の必要性がわからん、色々書いとかないと消しちゃいそうな気もする。でも日記だけじゃなくてさあ、昔もらった手紙とか、言葉とか、自分が残したのもそうだけどたいして見返しもしないくせにいざ消そうとすると寂しくなっちゃってできないのなんなんだろうね。消す予定はマジでないんだけど衝動的に消したくなることはある。んでもたいして見返してなかったくせにいざ消そうとすると尻込んじゃう現象イズ何。一年に一回あるかないかの機会のためだけに消せずにいるんだわ。前後の言葉と季節と、その日あったこと、天気、いろんなことが混ざってその瞬間だけの言葉になるのが好きで、結局その時感じた以上のことは何も得られないのにすがっちゃうよな。なんの話?これ。
他人に無関心でありたくてそういうフリをするのに結局「無関心でいようとしてる」時点で関心しかないんだよね。そもそも無関心でいれる人間は「無関心でいよう」とか考えない。「考えないようにしよう」とかも考えない。考えてる時点で負け。好きの反対は無関心て言うやん、それよそれ。嫌いの類語は好きだからね。知らんけど。別に嫌いだから無関心でありたいわけじゃないんだよな。むしろ好きだからこそ無関心でいたいというかいや恋人とかそういう括りでなく。それこそ偶像だったり、よくバイト先に来る客のことだったり大学の教授だったり、なんか謎に印象に残るリスナーだったり友達の友達、その友達くらいの遠めの名前だけ知ってるような、直接話したことはないけど存在は知ってるようなそんな感じの、そういうひとたちに向けてのがでかいかもしれないんだけどなんか自分でもよくわかんなくなってきたな。俺は俺の世界には数少ない友人(ここでは相手がどう思ってるかは不問とする)が居て、家族がいればそれでいいかな~ってね、思いたいんだけど。なんだかんだ自己肯定感が低いのに自己愛は強い俺は他人に必要ないってラベルを貼られるのが心底嫌らしい。勝手に俺を提供したのは俺なのに。そんなこと気にしなきゃいいのに。気にしたくないから無関心でいたいなんて浅いんだよなあ。いやマジでなんの話?他人に無関心な人間カッケーって話。鍵のひとつふたつで一喜一憂するようなそんな人間にはなりたくなかったなって、そういう話なんかもしれん。結局隣の芝生は青い。
俺は俺の思う好きを大切にして、大切なひとを大切にしたいって大切がゲシュタルトするくらいには思ってるんだけどそれが上手いこと伝わらないと歯がゆい気持ちでいっぱいになります。大切ってなんで大切なんだろうね。切っとるがな。しかも大きめに。大事の方がいいやつ?おおごとになっとるが。日本語って難しい。
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毛布がないと寒いけど毛布を着たらそれはそれでじわじわ暑い。あると思います。
えー5月の確保を2か月越しに更新したはいいものの内容がないようすぎる。最近は元気だと思ってたんだけど案外ひとりでゆっくり考える時間がなかっただけなのかもしれん。説ある。余裕がない時に無理して人と関わるべきじゃないのはわかってるんだけど考える時間はあんまり作りたくない。結局後から後悔するのは自分なのに?!はい。いまだに人に好かれるのが怖すぎる。多分俺じゃない方がいいよ、それ。
ていうかマジで昔の毎日更新してた俺どこ行ったの?!てくらいスローペースで吃驚した。え?本当に同じ俺?同じ俺ではないのかもしれない。もうわからん。日記、書きたい気持ちは山ほどあるんですけどね~。まずはポケモンスリープつけて眠れるくらいの余裕をもってほしい。7月28日の三枝でした!生きてるよ。