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556.薔薇色ノスタルジア
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> シュレーディンガーの猫 量子学だか量子力学だか、よく知らないがこの話は好きだ。現実にもよくよく当て嵌められると思う――例えば人の心然り。 恋人の心変わりを疑っている時に、その証拠…例えば文等、見なければ恋人が心変わりしているか否かの事象は確定しない訳だ。心変わりをしている、若しくはしていない、それをややこしい条件を省いて等しく1とすると確率は単純に二分の一、二者択一。成る程50%ずつ各々の事象は存在する事になる。しかしそれは有り得ない。 つまりはパンドラの箱。開かずに一途に信じるとするならば災厄も散らずに100%希望が手元に残る、つまり恋人は心変わりをしていないと思い込める。シュレーディンガーの猫に成り得るのは疑っていながら、しかし開けるつもりが無い時か。パンドラの箱に残った災厄と希望は何時までも心を焦がし続けるのだろう。そして開けてしまった場合――災厄は飛び出し、箱の底に残った希望は何時までも手に入らない。まあこれは、恋人が心変わりをしていた前提の話だが。 しかしながら人は疑う際には何らかの疑念の元が在る筈だ。その疑念が浮かんだ時点で、猫はもう死んでいるんだよ。二度とは生き返らない。人と人の関係なんてそんなものだ。100%、『猫は死んでいる』という事象が確定してしまう。そういう意味では人の心をシュレーディンガーの猫に当て嵌めるのはナンセンスだったかな。まあ良い、どうせ暇潰しの思考だ。端から意味なんて無いさ。見なければ良かった事なんて、この世界には有り余る程存在するんだよ。それを考えれば、僕は箱は開かないのが正解かと思うんだ。そうすれば何時までも生きている猫を妄想出来る。 正しく好奇心は猫を殺すのだから。
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