たびたび怪我をして帰るギャンブラーの、その傷が大して深いものでないことは処置の程度を見ても理解できる。ただそれでも、こちらに視線を向ける彼のその顔に痛々しさを覚えてしまうのは仕方が無いだろう。目の前のひとつひとつの傷口に、共感をしてはいられない。けれど恋人の笑顔が痛みに引き攣る瞬間を他人事に見ていられるほど、薄情な男でいられるはずもない。傷の慰めに、今は僕の腕に眠るただ一人に向けた個人的な、くだらない思いをここに残しておく。
※惚気
猫に似て甘える仕草に心揺らされるとき、ときどき彼を猫のようにする想像が頭によぎって居た堪れない心地になる。猫、とは、あの男が自宅に同居する三匹の天才による創造物のことだ。外見的特徴からお菓子と呼ばれることも多い創造物のうち、特にそれに近いフォルムをしたものが、僕よりも先にあの男と寝食を共にしていた猫たちだ。共に暮らす存在としては一般的とは言えない生命体だが、幸い僕にも多少の心得はあった。多数の創造物を抱える研究室では研究員のデスクから食事やお菓子の類を盗み出す個体も存在し、その体はジャンクフードやケーキも問題無く消化する。研究室を我が物顔で駆け回る「ヘルタ」管理創造物に比べれば彼の同居するお菓子たちは、家主の持ち帰ったフライドチキンを食卓に全員が揃うまで――出来立てのそれが冷えきって、人間が先にめそめそと拗ね始めるほどの時間――『待て』ができる程度には、躾が行き届いた利口な猫だ。
いつか家主が留守にしているうちに、猫たちにホットケーキを焼いてやったことがあった。そのときの三匹がいつになくはしゃいでいたものだから、ホットケーキを見ると跳ねるお菓子を思い出してしまう。だからあの男が孔雀の装いをやめて猫の振る舞いをするなら、僕は彼を膝に抱き上げてやりたくなる。ミルククリームでもバニラアイスでも、ストロベリーソースでも苺そのものでも、切り分けたホットケーキの一口に甘いトッピングをたっぷりと乗せて口元まで運んでやりたくなる。唇を汚すのなら、勿論僕が拭き取ろう。何枚だって重ねていいし、好きなだけのバリエーションを用意したい。あたたかなベッドで迎える休日の朝が恋しい。[23:43] 遅くなってしまった帰宅を眠気眼で出迎えた彼が「もう少し遅かったら猫たちの動画を送ってあげようと思ったのに」などと言うものだから、急ぐ帰路に募った愚かな杞憂は塵も残さずに消えた。抱擁の柔らかな拘束から逃れた創造物たちがやれやれとばかりの様子で各々身を落ち着けている姿を横目に、眠りに落ちた男をただ見守るだけの夜だ。軽く頁を捲りながらも、視線は揺れるお菓子の尾に引き寄せられる。傷の痛みだろうか、僅かな身動ぎと眉を顰める寝顔の観察に集中を向けてしまう。幾度か目を通した本の活字を追うよりも、それらの方がよっぽど僕の現状に必要なものだった。創造物たちの研究室で用いられる共感覚ビーコンを僕たちは接種していない。その黒い尾の先が眠る同居人の輪郭を撫でる意味を、頁を捲る手が止まるたび胸元に前足が押し付けられる意味を、推測することしかできはしない。けれどそれの全てが的外れでもないだろう。意思疎通可能な言葉を交わさずとも、天才の生み出したこの小さな命たちは、時折どうにも僕らのことをよく理解しているように振る舞うのだから。