佩刀
今日、突然マスターに「だから以蔵さんは目上の人や年上の人にも可愛がられるんだね。納得」ち言われた。
………??何の話しちゅうがよ…?
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よくよく話を聞いたらば、刀の差し方の事を言うちょったらしい。槍龍馬の一臨じゃとか、斎藤某の三臨じゃとかのストンと鐺が下を向きゆう様な差し方の方が省スペースに見えゆうせいか、周りに配慮したマナーのえい差し方じゃと思うちょったんじゃと。
こいたぁ傑作ちや!
あがに喧嘩っ早そうな野蛮な差し方、新兵衛でもしやぁせんろ!
めっそう面白かったきマシュらも近くに居る中で、わしの大刀を外して立花に持たせてみたがよ。
「大体わしが差しゆう角度がこの位ちや。これを「鶺鴒差し」ち呼びゆう。……抜いてみとうせ」
「柳生の爺さんじゃとこればぁじゃろか。ほぼ真横の筈ちや。これを「閂差し」ち言う。……抜いてみぃ」
「最後にこいたぁが龍馬らの差し方ちや。「落差し」ち言う。……抜いとうせ」
結果は鶺鴒抜けず。閂更に抜けず。落としは楽に抜けちょった。
こいたぁ思うちょった以上に面白い。
立花には剣術の心得なんぞひとっちゃあ無い。無いからこそ、こがな結果になりゆう。抜刀だけで言うなら一番臨戦態勢に近いがは閂差しちや。ありゃ一閃しゆうだけで胴を真っ二つに出来ゆう差し方じゃきの。……ほじゃけどそれも「二本差しやなかったら」の話でしかない。閂も鶺鴒も、脇差しがほぼほぼ胴の真ん前に張り付くき、抜刀にもその後にもどうにも邪魔でまともに動けん様になるがよ。やき、礼として必ず大小二本を携える武家の人間にとって、最も格式高い差し方が閂で、一般的な武士が鶺鴒。落とし差しは脇差しを持たん浪人や、二刀を佩いちょったとしても脇差しが邪魔にならいですぐに斬り合いに雪崩込めゆう、物騒な差し方じゃっちゅう評価に他ならんもんやったちや。
幕末、武士の身分らぁて至極曖昧なもんじゃった。壬生狼らや高杉の奇兵隊らがえい例ちや。剣の腕か志、もしくは算盤勘定みたいな剣術に代わる何某かのウリがありゃあ隊士に加われゆう……そがな連中には刀を抜くがも一苦労なズブの素人も混ざっちょった事じゃろう。
剣に慣れん人間は、右手で掴んだ刀の柄を鞘から遠ざける様にして腕を目一杯伸ばすみっともない抜き方をしゆう。
何も教えいで刀を抜かせた時のマスターと全く同じぜよ。
折り目正しく閂や鶺鴒差しで町を歩きゆう様なえい出処の人間が咄嗟の鉄火場に陥った時、我の胴前で真っ平らに邪魔しゆう脇差しを縦落としに変えつつ鞘払いの抜刀で応戦する……なんちゅう芸当が瞬時に出来ゆう真っ当な侍なんぞ、あの時代どればぁ居ったか知れんちや。
…やき、平時から脇差しの事らぁて考えいでも即時の抜刀に移れゆう物騒さ…或いは熟達しちょらん素人でも抜くには抜けゆう落とし差しの万能さが重宝されよったんじゃろう。
まぁ、その点わしは?天才ですき?きっちり礼を払いもってでもぶった斬れますけんどォ?
(……誰じゃ、江戸や京みたいな人で賑わう町中で、落差しにも変えん田舎侍らぁて笑いよるがは…っ!?)
つまる所、刀の差し方にも色々個性が出るっちゅう訳じゃな。平和主義者みたいな龍馬がわしより物騒な差し方しゆうんは大層面白かった事じゃろう。…あいたぁの場合、寺田屋で手をやられちゅうき面倒の少ない落差しの方がのうがえかったんかも知れん。
今日の話のなりゆきで、明日はどがな差し方しちょっても刀を抜けゆう鞘払いをマスターに教えちゃらんとならんきに、ちっくと柳生の爺さんでも訪ねてみゆうとするかのう。