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253.バカセカ番外編スレ
 ┗90

90 :やっきー
2022/11/13(日) 03:28:44

「あー」
 意味もなくうめいて頭を掻いた。
 こういうときはなんと言うべきなのかをおれは知らない。無い経験を思い出そうとしても無いものは無い。
 別れの挨拶なんていままでほとんどして来なかった。それだって「じゃあな」くらいだ。あれ、「じゃあな」で済ませていいんじゃないか?
 そんなふうに悩んでいると、ルルがおれに手を差し出した。
「握手ですぅ!」
 なるほどこの場の最適解は握手なのか。おれは素直に応じた。
 ルルの手を小さな力で握る。硬い手だ。歳を重ねるごとに皮膚は固くなる。そういえばルルは見た目だけは年上だったか。見下してばかりいたから忘れていたな。
 思えば自分から他者に触れることなんていつぶりだろう。肩を叩くくらいなら掴むくらいなら記憶にあるが。『触れる』と表現するに相応しい触れ方をすることはあまりないかもしれないな。

 人を愛することはやめた。そのはずだ。現にいまもルルを愛しているとは言えない。気を許しているということもない。人間としても、神としても。いや、いまのおれは神ではないんだが。
 その反面ルルを少しばかりは気に入った……たぶん。らしくないと言えばそうだ。そしてこれはきっと一時の感情だ。もしも今後もう一度ルルと会うことがあったとしても、少なくともいまと同じ感情でルルに笑みを向けることはないだろう。
 嗚呼、だけど。
「会えてよかった」
 それは起こるかどうかわからない未来の話であって、あくまでもしもの話であって、現在の話ではない。おれはルルに笑みを向けた。ルルは意外そうに笑った。
「カラスが鳴いたら帰りましょ!」
 突然なにを言い出すんだこいつは。おれは表情筋が動いて自分の顔から笑みが消えていくのを自覚した。でもルルは笑っていた。
 人を愛することはやめたはずだ。ルルを愛しているわけではない。これは愛情ではない。
 ただ、笑うルルを美しいと思った。人間としてではなく神として。東蘭ではなくヘリアンダーとして。人を愛する気にはならない。『あんな思い』はもうこりごりだ。それでもなにかを美しいと思う感性までなくした記憶はない。それだけだ。

 気づいたらおれは、無意識に、無自覚に、霊道を歩いていた。ラプラスがいた霊道に続く小道。真っ白で真っ黒な細道。歩いていることに気づいてもなおおれの足は歩みを止めなかった。おれはそれをぼうっと眺めている。
 うっすらと青が見えてきた。ぼんやりと緑が浮かんできた。草の上に寝転がる少年少女。幼児幼女と言った方が適切かもしれない。とにかく小さな子供が寝ていた。おれはそのうちの一人に近づいた。水彩画の中に進んでいく。

 おれはパチリと目を開けた。さあっと吹いていく涼しい風、さわさわと鳴く山の木々、橙色に焼かれた夕空。当たり前の風景がやけに新鮮に感じる。さっきまでの身体に違和感があったわけではないが、身体と魂が驚くほどに馴染んでいる気がする。言葉にしにくいこの感覚に、世界に帰ってきたのだと実感できた。ルルの姿はどこにもない。
 横を見ると、日向が横たわっていた。長いまつ毛に縁取られた目はかたく閉じられている。まだ目覚めそうにないな。
「夢だったのか?」
 まだ覚醒し切っていない意識の中、呟く。ふと視線を落とし、破れた服の袖を見た。
「違うのか」
 そう思った途端、手にルルの手の感触が戻ってきた。
「本当に起こったことなのか」
 起き上がろうかとも思ったがだるくて体を起こせない。まだいいか。せめて日向が起きるまでは、寝ていよう。
「……う」
 そう思った直後日向が唸った。顔を向けて日向を見る。日向の目はまだ閉じられているが表情が変わっている。いつもの無表情が崩れて苦しげに歪み、汗を流している。
 異常事態だ。すぐに理解した。
「日向!?」
 体がだるいとかそんなことを言っている場合じゃない。おれは慌てて飛び起きた。
「どうした? 日向!」
「蘭……」
 日向は唐突に覚醒した。むくりと体を起こし、おれに向かって手を伸ばす。
「朝日」
 日向にしては大きな声で、日向は弟の名を呼んだ。
「朝日が」
 服を掴まれた。強い力で引き寄せられる。おれは逆らうことなく体を委ねた。
「まただ」
「うん」
「また私のせいで」
「うん」
「朝日は」
「……わかってる」
 なにがどうなってどういう理由で成長した朝日くんがあそこにいたのかはわからない。
「出来る限りのことをしよう。日向が望むならさ」
 おれは日向の望む未来のためだけにここにいるから。
「おれは日向の味方だから」

 日向からはとっくにセカイでの記憶は頭の奥底にある箱に片付けられているように思う。
 そしてきっと、おれもそうだ。

 変な夢でも見た気分だ。

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