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283.短編小説のコーナー
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10 :げらっち
2022/06/29(水) 02:11:48
俺は居住スペースを見て回った。
入居者さんに挨拶巡りをすると見せかけ、目指す場所は決まっていた。
殺風景な廊下を歩き、居室の1つに入ってゆく。「あますが」という表札は剥げかけている。
「失礼します。」
俺はサッと身なりを整えた後、そろりとドアを開けた。
部屋は仄暗かった。壁際を探り、パチンと電気をつける。
限りなく質素な部屋だ。扉の外れた箪笥が1つ、ベッドが1つ。そのベッドの上に、男性がひとり、仰臥していた。
俺にはそれが、赤ん坊のように見えた。
明らかに、通常の赤ん坊より大きい。明らかに、大人の体格と顔つきをしている。
それなのに、その光景は赤ん坊が寝ている様を思い起こさせた。というより、それ以外のことは想起できなかった。
それはつまり、ベッドで仰向けになっているこの男が、赤ん坊以上の知識を、経験値を、存在感を秘めていないということだ。
眼を見開いて、両手を虚空に突き出し、ひらひらと動かしている。まるで空気をこねているみたいに。
俺はすり足でベッドの傍に寄り、片膝をついてかがみ込んだ。
「王城四郎今直様、忠臣の吉良で御座います。お迎えに参りました。」
ときに、俺は現代を生きる忍者だ。
そう聞くと大方のアホは、俺が手裏剣や刀で戦うヒーローじゃないかと勘違いする。
でもそんなんじゃない。
忍者は戦士ではない。分身したり、水の上を走ったり、壁をすり抜けたりするのは架空の忍者だ。
忍者ってのは、スパイだ。何処かに潜入し、情報を収集するのが主な役目だ。潜伏期間は何十年にも上ることがある。まあ俺は、大学生活中にいくつか仕事を請け負っただけだから、最大でも6か月の潜伏経験しか無いんだけどな。あの時は、引っ越し業者のアルバイトとして潜伏して、目当ての家の間取りを調べるのに半年掛かった。地味で、静的で、報われない稼業だ。最も必要な資質は我慢強いことだ。特定の記事が切り抜かれた新聞のように、情報の一部を隠し、小出しにし、駆け引きする。体術はその補佐をするために研鑽すべきものにすぎない。
新社会人となった俺に、華々しく会社に勤める朝など来るわけがない。そんなものは俺の人生にはなから存在しない。
俺には使命がある。俺のタマシイが雨になって、偶然吉良家の遺伝子の大河に降り注ぎ、合流した時から、逃れることのできなくなった使命が。
王城四郎今直は、500年前に自害した。転生すべく。
もう一度天下を取るつもりだったのだろう。だが誤算があった。この世は合戦が消え、暴力よりもインテリジェンスの支配する、ガチガチの資本主義世界となっている。
そして第二の誤算。
転生先は選べなかった。
彼は「最重度認定」の知的障害者として生まれ変わった。
それでも俺の使命が消えるわけではない。
俺は吉良家の伝承に従い、忍者として育てられ、転生先を示す痕跡を辿り、遠い先祖がしたように、主の元に馳せ参じた。
そんな説明をしようが、レスポンスは得られない。
俺はベッドにそっと手を置いた。
これまでに見て回った入居者さんたちも、知能が低く、言葉を喋れないケースが多かった。俺が挨拶をしても、アーとかウーとか、そういう声しか返さない人も大勢いた。
それでも、何らかの反応は示してくれたものだ。
「あますがさぁ~ん」
俺は、ドキリとして振り向いた。
軽いノックがあり、ドアが開かれた。川口職員がそこに居た。
「あれま、吉良さん。勉強熱心ですね!でも最初からあますがさんの対応をするのはちょっと大変ですヨ!もっと手頃な方から接してみるべきです!あますがさん、服薬のお時間ですよ。」
川口職員は、ベッドに近付きかがみ込むと、「ヨイショ」と言ってあますがさんの体を起こした。
このあますがさんからは、生命の痕跡は見えても、意識の吐息は感じられなかった。果たしてその肉体の中にかつての大名のタマシイが息づいているのか、俺にはわからない。だがそれが再び目を覚ますことを信じ、仕えるしかない。何年の辛抱になろうか。1年か、5年か、10年か、20年か、いつまで尽くしても、その成果は得られないかもしれない。
忍者とは報われない、因果な商売だ。それでも任務を、ひたすら忠実に繰ってゆく。
それが忍者としての俺の使命だ。
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