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283.短編小説のコーナー
 ┗175

175 :げらっち
2023/08/27(日) 00:02:59

こんなことは、誰に言っても信じてもらえまい。
それでもそのことを彼女に話していたのは、彼女ならわかってくれる、そんな気がしたからだ。
「ふうん、カンタ君。令君に会ったんだ」
イトウさんは、さも当然の事のように言った。
「信じなくても良いよ。写真も無いし」
「写真なんて撮っても、映らなかったと思うよ」
イトウさんは席に座ったまま、俺の顔を見上げた。
「臨死体験って知ってる?」
「あ? 知ってるよ、仮死状態になった人が生き返るって体験だろ? その間、魂は肉体を抜け出して、周りで起こってることとかを、知ることができるって。夢みたいなもんだろうが」
「魂なんて、古風な言い方。私は意識って言ってるよ。その方が適切だからね。死んだ瞬間、意識は体を脱出する。それは夢なんかじゃない。先天盲の臨死体験者は、その瞬間にのみ、視力という物を獲得し、世界を見ることができた。これは夢や空想では説明が付かないよね?」
別に臨死体験の説明など聞きたくもない。
「知るか。臨死体験した人は居ても、完全に死んだ人に、死後の世界を聞く事はできないだろ」
「臨死体験も、本当の死も、本質は同じだよ。死ぬ期間が短いか、永遠かの違いだけだ」
小柄なイトウさんは、すっと立ち上がった。
「彷徨っていた意識が、生前仲の良かった人や、関係の深かった人の、意識に引っ掛かり、対話をするってことは、珍しい事じゃない。カンタ君は令君と一番仲が良かったから、令君の意識がそこに居る事に気付いた。意識でキャッチしたものを、脳が、目が、補足したから、身体もそこに居るように見えたんだ。本当はもう存在しない身体を、或いはその服装も、見ることができたんだ」
イトウさんは、熱っぽく語っていた。こんな彼女の姿は見たことが無い。ある種、楽しそうに、彼女は語るのだ。
俺は少し戸惑ったが、冷静に彼女の言葉を飲み込んだ。
「俺が見たのは令の意識だった、と言いたいのか?」
「物分かりが良いね。消えることができて良かったよ。淡々と対応したのが良かったんだね。もし中途半端に同情なんかしてたら、ずっと付きまとわれることになったかもね」
ずっと付きまとわれる。それを考えると、少し嫌な気持ちになる。
「そんなことになったらカンタ君も嫌だろうけど、令君はもっと、気の毒だからね?」
「どういう事だ?」
イトウさんは眉間にしわを寄せてニヤリと笑うと、「物分かりが悪いね」と言った。

「命が死んだとき、意識も消えられるように、未練の無い生き方をしないとね。それでも、もしも、意識が残ってしまったら、誰かに見つけて貰って、消える手助けをして貰えるように、しないとね。だから令君にはカンタ君が居て本当に良かった」

その時の俺には、まだ、彼女の言葉の意味がわからなかった。
今考えれば、簡単なことだ。彼女は忠告してくれていたんだ。



あの夏から何年が経ったろうか。

何十年、いや、何百年という単位かも知れないが、あの夏の記憶だけは鮮明に残っている。
彼女がにっこり笑って、言ったことは、ずっと俺の中にある。

俺は今も消えずに残って居る。

「命を無くして、身体を無くして、でも、意識だけは消えないで、残ってしまったら。誰にも見つけられないで、ずっとずっと、彷徨うことになってしまったら。それはすごく、寂しくて、悲しい事じゃない?」

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