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283.短編小説のコーナー
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176 :ベリー
2023/09/01(金) 00:55:14
【絞めて抱くのが快楽の骨頂であった】
潮風がねっとりと耳の付け根に絡みついた。嫌な顔するにも値しない不快感を、少女はわざわざかき上げる。真っ黒な髪がゆらゆらと、不格好に目の前の波を宙で真似た。
そんな些細な事にも怒り、癇癪を起こすぐらい少女の気は短い。しかし今回だけは大人しく、黙って遠くを見ていた。
夕暮れ時の浜辺。と聞くと、綺麗な黄金色の海と空を浮かべる。少女の頭上を覆う空は、想像通りの色をした空が囲っている。しかし海は思った以上に暗かった。黒か青か見分けがつかない海に、太陽から漏れ出た黄金色が微かに溶けている。それでも、十分綺麗だ。
ざぱん、ざぱんと音が鳴る。水が打ち上げられた音、水風船が割れたみたいな音、砂に擦られた海の悲鳴の残滓の音、豪華メンツが奏でる不揃いの波の音が、なんともまあ心地よい。
黄金色はあるくせに、黄金比を美しく思う心が無い自然が生み出した不揃いの景色は、なぜこうも美しいのだろうか。ノスタルジックな気分の少女は思うが、別に思う事があったから、風情な考えは波と一緒に消えてしまった。
「アキ」
たった二文字が少女の夢想を切り裂く。聞き覚えがある、なんて思考すらしないでもアキと呼ばれた少女は振り向いて言う。
「トミ。何でここにいんの」
トミと呼ばれた青年は、ばぁ、なんて両手を広げておどけてみせる。
徒桜 秋。それが少女の名で、青年は同じ苗字に富をつけて、徒桜 富だ。
ふさふさと、砂を押し潰してトミはアキの元へ歩いてきた。
「美人が黄昏てたから、なんぱ?」
「兄弟にそういうのキツイ。私、もう十七なんだけど」
「あは、僕も十七〜」
ウザイ。浸っていた所を邪魔されたこともあり、アキはチッと大袈裟な舌打ちを噛ます。
いつもの事だと、トミはそれを澄した顔でサラリと流した。
「そろそろ晩飯の時間だよ」
「お夕ご飯……。要らない」
「トミちゃんが腕を奮った料理は例え毒入りでもチョーウルトラスーパーハイパー美味しいよ? マジで要らんの?」
「だから嫌なの」
「そんなこと言わないで。ホラ、晟大も地獄で泣いてるよ?」
勝手に人の親を地獄送りにしないで。なんてツッコむ気力も失せた。アキははぁ、と大袈裟にため息をつく。
先日、アキは父親を失った。トラックに跳ねられそうになったアキを庇い、父親はその場で息を引き取った。
徒桜家は母親がおらず、父親とトミとアキの三人暮らしだった。それが急に、トミとアキの二人暮しに変わったのだ。様子を見にやってくる親戚の大人達は、誰が引き取るかとか家庭裁判所がどうかとか、息が詰まりそうな空気で話をするものだから、アキには窮屈だった。
それも、今日海に来た理由の一つかもしれないな、とアキはぼんやり考える。
「てか、なんで海に来たん? 海なんて通学路で毎日嫌ってぐらい見るのに、わざわざ砂浜まで降りてきちゃってさ」
アキにとってプチタイムリーな質問がトミの口から放たれた。
遠くの世界に、アキは思いを馳せる。そこは今と同じ浜辺で、でも今と同じとは思えない場所だった。砂の山を作る黒髪の少女と、呆れ笑いながら、その山を城に作り替える父親が居る。
遠い昔の記憶に思いを馳せるとき、自分の記憶の筈なのに、別世界を第三者として覗いているような、不思議で儚い感覚をいつも覚える。
「ここ。幼い頃、親父と遊んだ場所、だから」
アキの父親と母親はアキが幼い頃に離婚している。この記憶はきっと、二人が離婚する前の記憶だ。
お夕ご飯の準備をする母親に手を振り、海へ走る自分と父親の様子がアキの脳裏を過ぎる。
そこに、徒桜 富は居ない。
それもそうだろう。トミは二人の離婚後、アキが母方の元にいる間、父親が養子として迎えた子なのだから。
アキが小学生の頃。母親が病気で亡くなって、アキは父親に引き取られた。その時、アキとトミは初めて出会った。血の繋がらない兄弟なのだ。
ふぅん。と、トミは上の空で返事をする。
自分が入る隙もない思い出に潰されそうになるこの感覚には、もう慣れたつもりだから。
気まずくなった訳でもそういう決まりがあった訳でも無いのに、二人は黙って同じ場所を眺める。
太陽が海に溶け始めた。水平線は金色に縁取られ、遠くへ続く黄金色の橋が海にかけられる。波の音はもう、意識に入り込むことすらできないBGMと化す。
無音と表現してしまうぐらい静かな砂浜で、トミは潮風をたらふく肺に送り込んだ。
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