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283.短編小説のコーナー
 ┗195

195 :ベリー
2023/12/05(火) 22:56:00

 ストレーリチアはルレザンの元へ歩む。床に広がった唾液がストレーリチアの靴下にじわりと染みた。

「あなたが食人病にかかっていたことは、知っていましたの。私も食人病にかかっていますから、わかって、しまいましたの──」

 ルレザンの瞳が見開かられる。彼の赤瞳に映るストレーリチアは、口を結んで罰の悪い顔をしていた。

「私も貴方と同じ。この日常を壊したくなくて黙っていましたわ。ごめん、なさい」

「いいんだ。もういいんだチア。ありがとう。お陰で、僕は今日まで君との時間に浸れた。幸せだった。だから、逃げてくれ。もう限界なんだ……」

 ルレザンはやにわにストレーリチアを突き飛ばす。きゃ、と軽い悲鳴がしてルレザンに罪悪感がへばりついた。

「君を食べたくて、仕方がない。逃げて、くれ」

 食べる。それは殺すと同義。殺害予告をされたストレーリチアだったが、彼女の表情はこの部屋に来た時から変わっていなかった。ルレザンという、自身の英雄の弱みを見据える澄ました顔だ。そこに恐怖も緊張も介在しない。ストレーリチアは立ち上がり、軽く寝巻きを払う。

「私が逃げて、その後貴方はどうするのです?」

 ルレザンは何も言わない。ストレーリチアの質問に頭を回すほどの余裕もないのだから。だから、懇願する。切なに声を絞り出す。

「逃げて、くれ──」

 ストレーリチアは滑るように膝をついてルレザンの肩を掴む。怒りが入り込んでいるのだろうか。ストレーリチアの力は強かった。

「私が逃げたその後、貴方はどうするのです! ゾンビとなって人を食べるのですか!」

「あ、ぅ──」

 ルレザンは俯く。図星だったのだ。無性に乾く喉を満たし人の肉を食いちぎりたい、空腹の欲。それは津波のようにルレザンの理性を流してしまう。
 彼にとって今一番重要なのはストレーリチアを食べてしまわないことで、それ以外はどうでもいいのだ。言い換えるなら、二番に重要なのはこの空腹を満たすこと。ルレザンは、それをストレーリチアに見透かされた。

「でもチア、お腹が、すいて。僕は満たされたいんだ。けどチアは食べたくない。殺したくない、失いたくないっ! だからチア、逃げ──」

「──私の英雄様は、間違ったことをしませんの」

 ピシャリと言い放ったストレーリチアにルレザンの言葉はかき消される。この状況で何を言うのだとルレザンは目を見開く。

「私の英雄様は、ヒーローは! 誰彼構わず人を助けてしまうお人好しで、情に弱くて、食人病にかかってしまったこんな私を養ってくれる心優しい人なんですの!」

 ルレザンの赤瞳にうつるストレーリチアは、ぽろぽろと涙を流す。顎を伝って落ちていくそれに、更にルレザンは唾液を落としてしまう。その気持ちのすれ違いを空目するようにストレーリチアは大声を上げた。

「人を食べるなんて私が、私の英雄様が、貴方自身が、許さないでしょう!!」

「はは、チア。なら、僕に死ねというのか? 僕は、嫌だよ」

 実際のところルレザンは、ストレーリチアが思うほど完璧な人間ではない。人相応に汚い欲も考えもあった。英雄などとは程遠い。彼は一般民衆である。死にたくないのは当たり前だ。しかしそれはストレーリチアが認めない。

「私の英雄様はそんな事言わない。真っ先に自分を殺せと、そういうのです」

「英雄様、ね。そうか、君の中で僕は、まだ英雄でいられるのか」

 ルレザンは瞑目し、また開いてストレーリチアを見上げる。
 ストレーリチアが思い描く英雄とルレザンは程遠いものだ。しかし、ルレザンが思い描く“救い”であるストレーリチアは偶像などではない。純粋で、自分をヒーローと慕う愛らしい娘。
(僕は、永遠にチアの英雄でいたい)
 親にも愛されなかったルレザンは、ストレーリチアの愛だけは、失いたくなかった。

「チア、僕を殺せ」

 38口径の拳銃を床にストレーリチアへ向けてスライドさせる。

「あなたなら、そう言う、はずですわ」

 ストレーリチアは拳銃を手に持つ。その腕は震えている。自身の英雄を永遠のものとするために、英雄という偶像を壊さないために、ストレーリチアはルレザンを殺さなければならない。
 自身のエゴのために、大切な人を殺さなければならない。
 しかしそれでいいのだ。ルレザンがストレーリチアのヒーローであり続けるには、彼を殺す他に方法はない。

「さようなら、私の、英雄様」

 パァン。
 月の雫が、落ちる音がした。





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