日記一覧
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262.備忘録
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140 :
髭-切
05/16(月) 22:04
高度に最適化された広告は、消費者にとって有益としかならない。らしい。
それはつまり、中途半端な広告はユーザーに疎んじられるのが常だ、という事の裏返しでもある。
人工の脳味噌は、僕らの行動を記憶し、分析して、より相応しい広告を示してくれる訳だけど…。
一昔……いや、もうちょっと前かな? その頃は、広告の精度が相当低かったらしい。
例えば、そうだなあ……急須を買ったとしようか。
そうしたらその後は、急須によく似合う湯飲み、美味しい茶葉、お茶請け、なんてものが広告に載るわけだけど、精度の低い頃には、ずらーっと急須が並んだんだそうだ。
買ったばかりのものを並べるなんて何の嫌がらせだーって、使っている人は嫌がってしまうよねえ。
機械としては、「この人は急須を検索しているな。急須が欲しいなら、こんな物が有りますよ」って具合に、よかれと思って案内してくれていたんだろうけど、結果が伴わなければ意味が無い。
勿論、欲しいと思えるような、ぴったりの品が広告されるかされないかは、単純にアルゴリズムの問題であったり、あるいはデータ数の問題であるわけで、広告自体は決して悪意ではない。一部を除けばね。
だけど、昔の人々は最適化されゆく広告を疎んじた。それはひとえに、科学の力が及ばなかったからだ。
中途半端な精度で、中途半端に自分の行動を分析されて、中途半端な結果を見せられれば……まあ、不愉快だろうね。
高度に発達した科学を従える社会の元、極限まで精度を高めた広告は、今や生活に必要不可欠な物にまでなっている。
助かるんだよ、本当に。月に一度丁子油の広告が出てくるから、ああ買い足さなくちゃって思い出せる。
あれが無かったら、色んな日用品を切らしてしまっていただろうね。あ、弟が買っておいてくれるかも知れない。
さて、電子の広告はここ200年……300年……? うーん……、まあ、どっちでも変わらないか。
そんな年月を経て、見事に疎んじられる存在から人の片腕たり得る所まで来た訳だけど、では、僕らはどうだろう。
僕らは、よかれと思って先回りをする。主の為にお茶を入れたり、誰かの掃除を手伝ったり、色々ね。
それは果たして、最適化された広告同様、相手にきちんと利益をもたらしているだろうか。
こうした方が良いだろう、こういう事を求められているのだろうと考えて、先回りして、色々に手を尽くした結果、旧い時代の広告よろしく、相手に疎んじられるような行動を起こしてしまっているかも知れない。
過ぎたるは何とやら。気遣い屋さんも結構だけど、やり過ぎは良くないね。
旧時代の広告には負けたくない、と思わなくもないけど……ちょーっと、難題に過ぎるかな。
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