日記一覧
89.モトカレはせべ
 ┗102

102 :燭_台_切_光_忠
02/10(水) 04:02

水曜日の午後。乱くんが細い両腕に収まりきらないほど抱えてきた手紙は、すべて僕宛てだったらしい。

僕が遠征に行っているうちに、
僕が刀を振るっている最中に、
僕が布団に包まっている時に、
いつの間にか届いていた手紙たちを畳へと雑にばら撒いて「暇だったら、ボクの髪をくるくるして?」と、乱くんは言った。
時々強請られる「くるくる」は、彼の髪を、彼の持ち物であるカールアイロンで挟んで、彼の髪を、彼の持ち物であるカールアイロンで挟んで、彼の髪を、彼の持ち物であるのに僕の部屋に年中置き去りにされているカールアイロンで挟んで、できあがる。

いつもと同じように、彼の髪を、彼の持ち物であるカールアイロンで挟んで「くるくる」を作ってあげている途中、すごい量だね、と、手持ち無沙汰なので言ってみましたという調子で乱くんが手紙を指差す。
僕は、彼の指が手紙の束を向いているにも関わらず「なんのこと?」とできるだけ自然に首を傾ぐ。よし、うまくできた。「もーっ、手紙のこと!」と望んでいた通りの言葉が返ってきたことに安心して、ようやく「ああ」と白々しく明るく頷いた。


この手紙を出した子たちは、僕のどこがよくて、どこに惹かれて、どこに価値を見出して、筆を執ってくれたんだろう。見覚えのある名前もあれば、まったく覚えのない筆跡もある。流行りの色の便箋は、束のなかに五つもあった。
手紙の束は、別に僕に安心感を連れてきやしない。だからといって、不安も運んでこない。返事を出せば、またいつの間にか返事がくる。届かない手紙に息苦しくなることもあれば、こうして束と化したそれを見ると今すぐ破り捨てたくもなる。


時折、平衡感覚がおかしくなる。
僕は真っ平らな地面に立っていて、そこには石ひとつすら落ちていないのに、あ、と声に出す間もなく逆さまの視界が現れる。それはすぐに反転して、僕は転げ落ちているのだと知る。いつも、後から知る。

今日の平らな下り坂は、そう距離はなかったらしく、乱くんのちいさな悲鳴で僕は無事帰還した。
見ると、肉付きの薄い彼の首にカールアイロンが当たった痕がある。あついよお、もお、と不満と怯え混じりの声に興奮しないだけ、まだ僕にも分別はあるみたいだ。いや、逆にないのかもしれない。興奮するべきところか、ここは。
ごめんね、気をつけるよ、と謝ってから、後で氷で冷やさないとね、とも付け足す。自分でも驚くほど慈愛に満ちた声だった。
さて。「くるくる」ができあがるまで、僕の恋人の話でもしようか。




僕の恋人はさ、とても理不尽で、恐ろしいんだ。
ある時は「なんとなく腹が立つんだよね」なんて馬鹿げた理由で、お腹いっぱいの僕のうえに跨って、腹を、胸を、腕を。僕を構成する部品が飛んでいって、そのまま、永遠に見つからなくなっちゃうんじゃないかというぐらい、殴り続ける。
またある時は「今日は君の顔を見たくなかった」という大義名分にもならない大義名分のもとに、旋毛から襟足まで加減もなしに掴まれる。たらいに貯めた水のなかに顔を押しつけられて、僕は静かに溺死寸前までの時間を数えだす。がぼがぼもがきながら、冷静に、確実に。いち、に。いつも記憶はひゃくよんびょうでとぎれて、

すべての理不尽が終わった後に見る、鏡に映る僕の恋人は、自分が大好きで、大好きで、仕方がないと言いたげな顔をしている。僕はどうしてこんな子が好きなんだろう、と、あれ、これは何百年前から思っていたんだっけ。


平衡感覚を失いかけている時、僕は、もうずっと見てきた鏡のなかの恋人に会いたくて、会って、妄想のなかでみたいにボロ雑巾のように扱われたくて、僕は君がきらいだよと告げたくて告げられたくて、けれど、それは叶わないから、もう煮立ってしまった味噌汁の鍋の前で、そっと息を止めるしかできない。視界がぼやけて、

ちいさな悲鳴が、また聞こえた。

[削除][編集]



[戻る][設定][Admin]
WHOCARES.JP