日記一覧
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89.モトカレはせべ
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113 :
燭_台_切_光_忠
08/30(火) 15:25
深夜、珍しく長谷部くんが僕の部屋を訪ねてきた。彼は「今、いいか」と、障子越しに声を掛けてきた後、僕が「どうしたの?」と、戸を開けるまで、廊下に立ったままでいた。人はそう簡単には変わらないと言うけど、刀もやはりそうらしい。こういう律儀なところは、昔から変わっていない。
彼の部隊でちょっとしたいざこざがあったこと、最近食べて美味しかったもの、僕らがまだ付き合っていた時のこと、近頃あった腹立たしいこと、……結局、僕らはいろいろなことを話し過ぎて、気がついたらもう陽がのぼる時間になっていた。任務までは、あと二時間。徹夜するよりはマシだろうし、少しだけ寝ておくか……。
「今から部屋に戻って、寝支度をし直すのも面倒だろう。たまには一緒に寝る?あっ、やましいことはしないよ!何なら、この枕を!間に挟んでもいいし!」
僕の提案は意外なほどあっさりと受け入れられ、僕らは、団子三個分と同じ値段の枕を互いの間に挟み、布団に横たわった。「もう寝た?」「いや、まだだ」なんてありがちなやり取りを三度繰り返してから、彼のほうに寝返りを打つ。すぐ近くにある洗いざらしの髪から、知らない石鹸の匂いがした。
今、彼の隣にいる子の趣味なのだろうか。生々しい花びらの香りだった。僕と付き合っていた時は、僕がいくら勧めようとそんな匂いのものは使わなかったのになあ。芳香剤を食ってるようで落ち着かないから嫌だ、とか言ってたのに。だからって、何が言いたいわけでもないけれど。ただ、変わったんだな、と、あるがままの事実を受け止めるだけ。
変わらないものもあれば、こうやって変わるものもある。でも、変わってしまったとしても、長谷部くんは長谷部くんだ。時間の流れを改めて再確認して、僕は、久しぶりに彼と同じ布団で眠った。僕らを隔てる枕は、朝になっても、やはりそのままの位置で大人しくしていた。
長谷部くんは、いつだって僕が望むものをくれるわけじゃない。そもそも、僕は彼になにかを望んでいるのかな。良い意味で、なにも望むことがないんじゃないかと思う。
君は、君自身のことを「自分本位だ」と言っていたけど、果たしてそうだろうか。
一緒に眠った次の日。
僕らは、ふたりで畑当番を任された。
君は、万屋で一目惚れして買った、新しいジョウロを手にして、なにやらそわそわしている。物欲の薄い君が一目惚れするなんて、まったく、珍しいこともあるもんだ。そこまで惚れ込んだジョウロだ、早く使いたくて仕方なかったんだろうね。日照りが続いた畑は、ジョウロのデビュー戦にはお誂え向きの乾き具合で、長谷部くんは「待ってました」とばかりに、たっぷりと水を撒いていく。その横顔を、こっそり盗み見てみた。……うん。僕が一度好きになった、美しい顔のままだなあ。
長谷部くんは、土が本当に水を欲しがっている時に、ちゃんと水をあげられる子だ。間違っても、大雨の後に「新しく買ったジョウロを早く使いたいから」なんて理由で、水を撒いたりはしない。土の奥深くまで張った根のことまで、しっかり考えられる子だ。水がなければ野菜も花も育たないけど、水をあげすぎたら腐って枯れてしまう。そのことを、君は知っている。そんなものは当たり前の知識だ、と、恐らく君は言うんだろうが。当たり前だけど、当たり前じゃないんだって。……水をあげることだけが愛情じゃないんだと、近頃、漸く覚えたんだ。
僕は、見えない根の部分まで考えられる彼のそんなところが、人として、刀として、元彼として、友人として、いまでも好きだ。
君は、自分本位じゃないよ。
だって、距離感や関係の名前が変わっても、いまでも僕を大事にしてくれているじゃないか。
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