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Aについて。
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131 :
跡部景吾
2010/02/27 00:56
平和ボケした頭だと我ながら思うが、時々日吉が死んじまった時の事を考える。
他人の死を経験して生を実感するように、他人の生を強く実感すると死を感じるのかもしれねえ。
時事ネタなら、フィギ.ュアスケ.ート。
トップアスリートに生を感じる事は少なくないが、エフ.ゲニー・プ.ルシェ.ンコの『ニジ.ンスキーに捧.ぐ(2004ロシア.杯)』は、見る度に死にそうだな、と思う。
勿論、俺がじゃねえ。氷の上で踊るその男がだ。
悲壮感を感じさせる楽曲も相俟って、そのまま壊れてしまいそうな儚さを感じる。燃え尽きる前の蝋燭のようなイメージだ。
恐らく、これ以上はないだろうと思わせる、いっそ危ういほどの完璧さをそこに見ているからだろう。
それは生の限界と似ている。
日吉。お前に触れる時、抱き締める時、時々ゾッとするほど存在を儚く感じる。
俺は中二感覚でお前との関係に酔っているだろうが、それを抜きにしてもやはり思っちまうんだよ。
それは多分、限界に近いほどお前が俺の傍にいるからで、同時に俺の限界でお前を愛しているからだと思う。
大袈裟な話だと思うか?まあ、お前がどう思おうが、構いやしねえが。
お前がいるだけで風景が鮮やかになる。蝉も花も悲しいと思える。
こんな風に、ポエムなんだか何なんだか分かりゃしねえ寒い日記も書ける。
錆び付いていた感受性が外側に開いていく。
お前がただ傍にいるだけで、俺は生きた時間を、生きていける。
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