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Aについて。
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70 :
跡部景吾
2008/06/16 13:15
ギリギリのところで世界に生かされている、と感じている。
これを言うと本人がブチ切れそうだが、明日Aは誰かに一目惚れするかも知れないし、俺はトラックの下敷きになるかも知れない。
理論立てる事は小学生ですら容易いが、自分だけは全ての終焉と無縁だと、どこかでそう思って生きてきた。
それを具体的なイメージとして脳にインプットするまで随分と掛かっちまった気がするな。
だが、明日か、或いは50年後か、俺達の知らないどこかに確かな終わりがある。
当たり前の日常は、偶然の連続で繋がり、ある日気紛れにプツンと切れちまうような脆いものだ。
終わりを知らないなら最初から永遠なんて言葉はなかった筈で、だとするなら、永遠を口にする人間の多くは経験の中で終わりを知っているんじゃないか、と思う。
ネガティブな意味合いじゃない。
運命論者に成り下がらず、世界や関係を努力で繋げられるなら、それは運命じみた奇跡よりもずっと価値がある。
10年後の自分が現在の意志を継いでいるだろうか?
迷わず即答出来るほど、人生が確かなものだとは俺には到底思えない。
だが、努力で繋ぐ覚悟と、守り続ける意志だけは常にある。
神の掌の上で踊る怠惰な人生なんざ、たとえ幸福だとしてもクソ食らえだ。
明日、Aが死んだら。それを思えば思うほど今日のAが愛しい。
杞憂にさえならない妄想だが、馬鹿馬鹿しくもその可能性はゼロではない。
勿論、普段からそんな事を考えてるわけじゃないが、それをどこかで知っているからこそ、アイツを全力で幸せにしてやりたいと思う。
明日じゃなく今日がいい。それを毎日続けたい。
A、今日も生きていてくれて有難う。
俺の方を向いている時も向いていない時も、そこにいるだけでお前は俺の価値であり、誇りだ。
『今日のお前』が、『今日の俺』の隣を選んでくれた事を嬉しく思う。
未来がどうなるかなんざさっぱり解らねえし知りたくもねえが、日々が繋がる限り全力で幸せにするから、明日も安心して俺の傍にいろ。
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