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拝啓、愛しのペリカンウナギ殿。
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133 :
跡部景吾
2008/02/09 14:36
一、二丁目にも活気が戻って来てるみてェで微笑ましいな。
町長サン、何時も御疲れ。
「御疲れ」と言えば昨日の下校時、後輩に「ご苦労様です」と声を掛けられ少しばかり驚いちまった。
血液型占いなんて曖昧な物を信用してる訳じゃねぇが(中国ではO型が几帳面なんだとよ、人口の比率で言うなら向こうを信じるべきだろう)俺は大概の場面でA型だと言い当てられる。
個人的にはさして構う事も無ェから敢えて指摘はしなかったが、部の中において監督以外に掛けられるとは思っていなかったンでギクリとしたぜ。
他にも小説で新学期早々の場面描写に登場する「小春日和」やら、昨日受け取ったメールには「梅の花の綺麗な季節だが雪も降る、まさに花冷えだな」なんてのもあったな。
やはり多少は気になるっつうか、驚く。
勿論自分が細か過ぎると自覚済みなんで突っ込んだりはしねぇ、それ以前に言葉なんて生き物だ。
よく言われるところの「ら抜き」が一概に間違っている表現だとは決して思わねぇ。
これは今現在が言葉の過渡期にあたるから起こる必然的な現象で、将来的には確実に「ら抜き」こそあるべき表現として受け入れられると確信しているからだ。
それに古文を勉強していけば、当時から現在にかけて幾つも意味が派生していってンのは直ぐに分かる。
だからこそ現在でも充分に起こり得る訳だし、実際辞書が現状を認めて書き換える事もしばしばある。
原義や前提として「こっちが正しい」とばかり主張したところで、会話が滞っちまえば元も子も無ェ。
相手の意図するところを知ろうとすれば、極論、言葉が通じ合わずともコミュニケーションは成り立つんだからな。
氷帝は留学生や帰国子女の多い学校だ。
しかし、こと帰国子女に関してはなまじ日本語も他国語も、…仮に英語とするか。
日本語も英語も分かるモンだから、日本人教師の英語に対し「発音が悪すぎて聞き取れません」なんて笑顔で言ってのけるヤツも居た。
立場を同じくする俺はこの主張には甚だ疑問で、分かろうとする努力があればそれで成り立つ筈だと僅かながら不快感を覚えた事もある。
英語に関してはイギリスとアメリカどころかそれぞれの国内ですら随分と違う発音で話す訳で、自分の分かる発音しか聞き取れないなら随分と不自由な事だ、と。
聞き取ろうとする意志や努力如何で、どうとでもなるだろうに。
臨機応変に物事を受け入れていけたら、と。
何時も、切に願う。
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