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天然色。
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芥川慈郎
2008/10/15 23:15
どうにも書きなぐりたくなって確保という手段に出たけどいざ書こうとするとどっからどう書いて良いのかわかんねえけど書かないとメールも出来ないほど悶々してっからやっぱり書いちまうんだぜ!慈郎です(長い)
学校で道を踏み外す人の心理云々を自分の見解推測憶測並べて曖昧ながらも岳人と語り合ってたらお前カウンセラーになれとか言われた。冗談じゃない。話を聞くのは確かに好きだし第三者的意見を求められりゃそれなりに応じるけどカウンセリングするつもりはねえの。無理だし。フォローとか無理無理。地雷地帯をジーンズで闊歩するような人間だからねえ。その点は自分が一番わかってんだ、よ。
そもそも精神的な意味で人は人を救えねえ。例えばある人が落ち込んでて「A」という言葉を求めていて、誰かが「A」を言ってくれたとしても、立ち直るきっかけをくれたのは誰かだとしても、その言葉を求めて動いたのはその人だし、「A」を貰って立ち直るのだってその人自身なんだ。求めていた言葉を貰ったってうじうじして「どうせ」を並べる奴なんざ腐ったまんまだし、その時一瞬上昇しても根っから立ち直れなけりゃまたネガティブの海にどっぷり。本人の気の持ちようなんだよねえ。フォローったって所詮奇麗事ばかりだし、そんなんで人が救えてりゃ皆もっと幸せそうに笑ってるっつうの。自分の痛みや悩みなんてもんをハッキリわかってやれるのは自分だけだ。誰かにどんなに詳細に話したって、そいつがわかってくれるのはその現状とただ「辛い」という感情が自分にはあるってことだけ。どうして、どんな風に、何が、どの程度辛いのかは自分にしかわかんねえ。
金銭的な意味では人によっちゃ人を救えるけどね(笑)
結局自分は自分で救うっきゃねえの。自分を守るのも攻撃すんのも傷つけんのも癒すのも、結果誰かのおかげで助かったと思ってもそれはSOS信号を他ならない自分が出したからって原因があるからだと思う。だから弱音を吐くって大事なんだなあ。それが「原因」となって誰かが「結果」として助けてくれるかもでしょ。誰も助けてくれないのは自分がまだ努力できる部分があるからか、差し伸べられた手に気付いてないだけだと思うんだよね。誰かの手助けによって立ち上がったとしても、その手助けを頼んだのは他でもない自分。ま、何事も自分から動かなきゃ始まらないって事だな。本当に切羽詰った時は口を少し動かすだけで良いんだから言葉って便利だ(笑)
>で、俺は一体何を語りたかったのかな?
なんか途中から論点ずれまくり。いつものことだけど悔しいです!
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