ある日突然使ってたおもちゃが壊れた。何年まえからか忘れたけど定期的につけて遊んでたおもちゃだった。ついさっきまで音出して楽しくしてくれてたのに、ある瞬間なんの前触れもなくいきなりフ…って動かんなってそこからは電池変えても叩いてもゆすっても何も反応してくれなくて、俺を大きな音で笑わせてくれることはなくなった。天罰だ、と思った。本当に大事なものならもっと中身あけてメンテナンスする知識とかを生きてるうちにつけておくべきだったんだよな。壊れてからでも遅くはないのかもしれないけど、もういろんなものが駄目になってるし、一回開けちゃうともう戻せなくて、ただただ手遅れだった。元の姿を見る事もできなくなって、だんだん音も形も思い出せなくなる。ほんまに大事なら壊れる前にちょっとずつなおさんと手遅れになってからじゃさ、遅いんだよ。元に戻ってくれることなんてもうない。後悔ばっかしてる途中にかぎって、今まであけたこともなかった背中の蓋をあけたときに機能とかボタンが見つかって初めて“ああこんな事もできたんだなお前”“本当はこんな使い方もできたんだな”って知って、そんな感情はもう壊れた後だとどうすることもできないんだよ。それなら最初からわかりたくなかった。蓋なんてあけへんほうがよかった。俺はそんなふうに思う人間だよ。日が経って気持ちが落ち着いたら新しいおもちゃを買う。壊れた家電を買いなおすみたいに、次の映画を見始める時みたいに、おっしゃやるか、感がかなりいることやけど、いつかは俺もそれをする。
こういうのを日記にかくのは今日で最後にできたらええな。それでもね、頭の中にはずっと残ってるから。ガチガチにくっついちゃってるからどうすることもできないよ。