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565.POISSON D'AVRIL
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10 :静寂ノ帳(sijima/創作)
2012/09/14(金)09:56


玄関の扉をかりかりと黒猫が引っ掻いていた。我が家に居座る野良猫、

短い艶やかな毛並みは黒光りし、その尾は中間から直角に折れていて、見知った者なら彼方からでも梅を見分けることができた。

 そ、と扉を押す。
 外へするりと猫は出て行った。


屋敷内の空気は冷えた深海のようだ。

光りさえ届かぬほどに澄んでいて、私はその底に沈殿し、ゆらゆらと揺らめいて、漂って…。

ざばりざばりざざざざざざざぁ。

屋内はたちまち
波の打ち寄せる怒濤の如き音で満ちる

天井まで続く書籍棚も、枝垂れ桜の絵画を淡く染め灯を湛える間接照明も、蜘蛛の糸のように細い私の黒髪も水を被った。

 何もかもが濡れ、
 一瞬で空間が呑み込まれる。

ざばりざばりざざざざざざざぁ。
こぷりと空気の玉が視界の端を泳いだ

身体の沈む水は生臭く、私には到底想像し得ないような大きな意思と強い拍動を感じた。


 母親の胎内を思う。
 こんな心地なのかと。

 でも、私に母などはいない。

指の間にできた水掻きを利用して私はすいすいと玄関口まで泳ぎ、錠前を外して容易に扉を押し開いた。


履物を履かずに裸足で地面に立つと、
ざらざらと乾いた土の感触が心地良い

ぐるぐると喉を鳴らす温かな身体が、足元へと纏わりついてきた。裸の足には既に水掻きは無く、雲英の如く塩が名残、こびりついている。

傷口を宥める様に梅は私の足の指の先とその狭間をざらざらとした凹凸のある柔らかな朱い舌で舐め、

「なーご」と一言、産声を上げた。



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