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381.【小説】箱庭のLABYRINTH
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8 :樹暁
2024/05/04(土) 16:01:35

 リスがアリスに尋ねる。ターコイズみたいなおもちゃのガラス玉がアリスを見る。表情のないそれがどんな感情でアリスに声を掛けているのかを知る術は、アリスにはない。
「んー、わかんない」
 そう尋ねられても、アリスはあのバスケットの中身を見たことが無かったのだから答えようがない。アリスが首を振ると、リスはアリスの隣を通り過ぎていった。
「あはは、そんなに焦らなくても食べ物は逃げないよ」
 ノナンが笑いながら歩くが、動物達は行儀良くバスケットが乗った切り株の周りをうろついていて、誰も焦っていない。そのことにアリスは疑問を抱きもしたが、それよりもふと。

 甘い匂いがした。

 アリスが立ち止まる。ノナンはアリスを置いていく。アリスとノナンの間が開いていく。動物達も食べ物に夢中でアリスのことを見ていない。
 甘い匂いがする。あの果物とは違う匂い。鼻にまとわりつく、少し重たい甘い匂い。アリスはそれに引き寄せられて、ふらふらと歩いて行った。
「どこからこのにおいはくるのかな?」
 アリスはワクワクしていた。後先考えない危険な好奇心が自身の首を絞めることには気付かない。気付けない。
「こっちかな?」
 甘い匂いに誘われて木の合間を抜けていく。気付けばアリスは元居た場所も分からなくなっていた。それでもアリスは森の中を進む。右に曲がって左に曲がって、アリスよりも背が高い草を掻き分けて。
 アリスの目の前に、巨大な怪物が現れた。
「……へ?」
 それはとんでもなく大きいハエトリソウだった。横長に広い、饅頭みたいな顔がそのまま地面から生えている。二枚貝のような葉には大量の棘が付いていて、それが鋭い牙のように見える。アリスの三倍ほどの体躯のそれがアリスを見下ろしている。アリスには、ハエトリソウの口から洩れた樹液がよだれのように見えた。それがアリスに向かって大口を開けて首を伸ばす。口の奥の濃い灰色から、吐き気がするくらいに濃密な甘い匂いがした。その匂いがアリスの脳を震わせる。意識を朦朧とさせる。アリスは逃げられなかった。突然のことに脳の処理が追い付かずフリーズする。その青い目を見開いて、ふっくらとした頬から赤みが消える。ゆっくりと、焦らすように、それはアリスにかみつこうとして……。
「アリス!」
 間一髪。木刀を構えたノナンが走って、飛び上がる。ハエトリソウに思いきり木刀を叩きつける。
「ギャアッ」
 怯んだハエトリソウに、ノナンは再度突進する。
「ヤァッ!」
 ノナンは木刀を縦にしても入りそうな大きな口に渾身の突きを食らわせた。ハエトリソウはその巨体を大きく後ろに傾けて、地面に倒れ込む前に、塵となって霧散した。
 風に乗って、塵は何処かに消えていく。灰色の塵が。灰が。そこには何も残らなかった。
「ふう」
 ノナンが一息吐く。それから、体が震えているアリスを睨みつけた。
「なんでおれから離れたの?」
 呆れているような、軽蔑しているような。アリスはどうしてノナンがそんな顔をしているのか理解出来なかった。それでもノナンが怒っているから、自分が悪いことをしたのだという自覚は持った。アリスは呂律の回らない口でノナンに言う。
「え、と、あまいにおいがして」
「次はないように!」
「あばばばば」
 ノナンがアリスの鼻をつまんでアリスを持ち上げる。アリスはそれから逃れるように手足をバタバタと振るが、ノナンは涼しい顔をしている。ノナンは罰も兼ねてそのまま動物達が居る元の場所に連行した。

 
「ほら、アリスはこれ」
 ノナンから差し出されたのは、ガラスのコップに注がれた緑色の液体だった。透明感は皆無で、黒く濁っている。動物たちが食べている物とは明らかに違っているそれを、アリスは何の疑問も抱かずに受け取る。そしてそれを飲み干す。
 アリスが口に入れた時はただの水だった。アリスと同じ温度の水。しかしその硬質な味わいは次の瞬間猛烈な苦味に変わった。発達途中の未熟なアリスの舌には強過ぎる刺激に、アリスは思わず苦悶の表情を浮かべる。アリスは膝から崩れ落ち、体をガクガクと震わせた。ガラスも同時に落下したが、切り株に衝突しても割れることは無くガンッと無機質な音を響かせるばかりだった。アリスにはそんなことに目を向けられる程の余裕は無かった。

 ノナンはアリスが零した緑色の粘着質な物体を掴む。その時聞こえたネチャッという音がアリスの不快感を増幅させた。ノナンが再びアリスを見ることは無かった。何も表情を変えぬまま、ぬらぬらと光るスライムを手に乗せて、アリスを残してその場を去った。見てみれば、動物達も何処にも居なかった。

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