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┗381.【小説】箱庭のLABYRINTH

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1 :樹暁
2024/04/27(土) 17:26:11

 ああ、アリス。どうか無事に出て来ておくれ。暗くて虚しい[箱庭]から。

 これは、好奇心旺盛な少女『アリス』の不思議な冒険のお話。冒険の果てに、アリスは何を手に入れるのでしょうか? 信頼できる仲間? 人としての成長? かけがえのない思い出? いえいえ全くその逆です。アリスは全てを失うのです。そして彼女は――。


【本作品について】
 不思議の国のアリスの二次創作です。
 グロはありませんが残酷描写がございます。
 嘔吐シーンがあります。
 バッドエンドではありませんが主人公は作中で可哀想な目に遭います。ハッピーエンドですが人によっては受け取り方が変わります。
 八章構成で、各章約九話ずつ入る予定です。長編です。
 不定期更新です。

 目次1 >>002
 目次2 >>003

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2 :樹暁
2024/04/27(土) 17:38:59

目次1(随時加筆)
プロローグ ウサギ穴に落ちて >>004-005

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3 :樹暁
2024/04/27(土) 17:39:44

目次2(随時加筆)

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4 :樹暁
2024/04/28(日) 10:45:29

【プロローグ ウサギ穴に落ちて】

 蜘蛛の巣みたいな霧が張られた灰色の世界。くすんだ黄緑の芝生が世界の果てまで続いているが、霧が地平線を隠していてその様子は見えない。光源らしき天体は存在しないものの、その世界は暖かな光で満ちていた。くすくすと、子供達の笑い声がする。希望と期待を孕んだ静かな笑い声。子供達は、複数名で話している者達も居れば、一人で原っぱを駆ける者も居る。行動は十人十色であっても、皆一様にくすくす笑うだけで、それだけで、静かであった。
 見上げる気すら失せてしまう大樹が、盛り上がった小丘の真ん中に佇んでいる。風もないのに、さぁさぁと葉擦れの音がする。枯れた木のような色彩を失った木肌。それにもたれる影が一つ。小さな女の子だ。頭頂部の左寄りに団子結びをした、腰まで届く長い金色の髪。同じく金色のまつげに縁どられた瞼は固く閉じられている。黄色を基調としたエプロンドレスは座った体勢に沿ってしわが寄っていた。足全体を覆うハイソックスと黒の靴を身に着けた足は八の字に開いて伸びている。微動だにせず、一見死んでいるようにも見えた。彼女はすうすうと寝息を立てている。寝ているだけのようだ。

「嗚呼、忙しい忙しい」
 
 彼女の眠りを妨げる者が居た。見えない地平線の向こうから、何かがやって来る。ソレは草原を大きく跳ねながら、ぐんぐん大樹に近付いてくる。子供達は大樹を中心に散らばっていて、大樹から遠く離れた場所に居る子は居ない。故に子供達がソレに気付くのは、ソレの出現からしばらく経った後だった。
「嗚呼、忙しい忙しい」
 ソレの姿が更に大樹に近付き、霧の中から露になった。
 灰色の世界に似つかわしくない、目が痛むほどの鮮やかなピンクのチョッキと、豊かな胸毛に埋もれた緑の蝶ネクタイを身に着けた、太った白ウサギだ。青いズボンから生えた足を動かして、白ウサギは眠る彼女の元へ来ると、急かすように早口で捲し立てた。
「アリス、アリス、起きてください。貴女の順番が回って来たのですよ」
 アリスの瞼が震え、ゆっくりと水晶のような真っ青な瞳が現れた。くりっとした可愛らしい目はしばらく虚ろに色を落としていたが、やがて光を宿し白ウサギを見た。白ウサギの橙色の目とアリスの青色の目とが視線を交わす。
「じゅんばん?」
 アリスは何のことかさっぱり分からなかった。だからアリスは白ウサギに聞き返した。
「嗚呼、忙しい忙しい」
 しかし白ウサギは応えなかった。左手――左前足――に着けた金時計をちらちらと見ながら、走ってきた方向とは違う方向へまた走っていく。
 服を着て直立するあの奇妙な白ウサギを、アリスは何度か見たことがあった。時々こうしてアリス達の居る灰色の世界にやって来ては、アリスに訳の分からないことを捲し立て、そしてどこかに消えていく。意味不明な言動の答えも残さず、走り去る。今のこれだって、いつものことだと言ってしまえばそれだけだ。アリスはいつも、白ウサギが去った後はまたうたたねを再開する。
 
「待って!!」

 しかし、今回アリスは白ウサギを追いかけた。アリスがその理由を理解することはなかった。ただ「ウサギさんをおいかけなくちゃ」という思考だけが、アリスの脳を支配していた。それは本能に似たものだった。理由の必要すらない欲求にも似た意志だった。
 小丘を転がる白いだるまを追いかけて、アリスは草のカーペットの上を駆けて行く。大樹から離れるにつれて、大地を覆う霧が濃くなる。静かな空間に、アリスの息遣いとアリスが野を踏む音だけが響く。
「はぁ、はぁ、はぁ」
 いつの間にか息も乱れ、アリスの足の動きが鈍くなる。それでもアリスは足を動かす。遠くに来てしまったのか、それだけ霧が濃いのか、アリスの背後にあった大樹は影も見えなくなっていた。大樹だけではない。白ウサギも濃霧に呑まれて消えていた。あの奇抜なピンクはどこにも見えない。アリスは無自覚に走るのを止め、徒歩に切り替えていた。アリスが鳴らしていたザクザクという草が踏まれる音は無くなり、徐々にアリスの荒い呼吸も治まってくる。すると、アリスを静寂が包んだ。アリスはどうしようもない不安感に襲われた。慌てて振り返るが、そこにあるのは灰色の霧だけで、一寸先の芝生すらアリスの視界に映らない。
 それでもアリスは歩を進める。前に向き直り、大声を張り上げる。
「ウサギさーーん!!!」
 その声は木霊すらせず霧に溶けていく。シィンと静まり返った空間に、アリスは取り残されたのだ。

 突如、アリスの足元から地面が消えた。

「えっ」

 アリスが声を上げる。次の瞬間、アリスの姿は灰色の世界から消えた。

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5 :樹暁
2024/04/28(日) 10:45:56

「きゃぁぁぁああああああああ!!!!!!!」

 アリスは虚空に向かって落ちていた。霧に隠されていた落とし穴に、アリスは落ちてしまったのだ。入口から漏れる灰色の光。アリスはそれに手を伸ばすが、何も掴むことは出来ずただただ落ちていく。その顔は恐怖に引き攣っていた。黄色のエプロンドレスが風に煽られ、バタバタと暴れる音が嫌に響く。空気に腹を突かれるような不快感に包まれながら、アリスは無情にも落下運動を続ける。
(このままおちたらわたしは――)
 この穴がとんでもなく深いことはアリスにも容易に想像出来た。最悪な妄想に囚われたアリスは、いつかに予想される痛みに備えて固く目を閉じた。
「……あれ?」
 アリスが呟く。違和感に気付く。目を閉じたことで、服が風になびく音すら消えたのだ。アリスには耳を塞いだ覚えはない。それに、体に空いていた穴も塞がった。これがおかしいことに気付いたアリスは、恐る恐る目を開けた。アリスは数回パチパチと目を開閉させた。そして、アリスの表情がパッと華やいだ。
 
 やはりアリスは落下していた。しかしその速度は先程のものとは全く違っていた。あくまでアリスはゆっくりと、白く温かな光で満たされた空間を降りていた。冷たく暗い穴の中であったことは忘れ、アリスはこの空間に魅せられる。ぷかぷかと本棚やら戸棚やら服やら写真やらが浮かんでいて、それらは十分に間隔をあけてぐるりとアリスを囲んでいた。アリスの目の前で、それらは上へ上へと去って行く。
 アリスはそれに近付き触れてみた。アリスは写真を手に取った。黒髪の女性が一人、写っている。アリスが見慣れない服を着た、ボサボサの短髪の女性だ。アリスが見慣れた服と言えばアリスが今着ているエプロンドレスと白ウサギの派手なチョッキくらいなので、アリスには見慣れない服の方が多い。しかもよく見れば写真の中の女性は肌のあちこちに傷がある。赤青黒の痣だったり、黄色く膿んだ肌の裂け目だったり。アリスはそれらが傷だとは分からなかった。自分の体にそれらが出来たことがないから。自分のものであろうが他人のものであろうが、アリスは『肉体的な傷』を見たのはこれが初めてだった。アリスはなんとなく、嫌な気分になった。
 女の後ろには、模様があった。いや、汚い文字だ。アリスには読めない。
「ね……るな……?」
 他にも文字らしき羅列はあるが、考えているとアリスは頭が痛くなった。そしてぷかぷかと浮いている戸棚の上に写真を置いた。元々写真は浮いていたのでそのまま手を離しても良いのでは、と思いもしたが、万一落ちて穴の下にいるかもしれない誰かにぶつかりでもしたら大変だと思ったのだ。

 他にもぬいぐるみやらティーセットやら、楽しい物が沢山あった。アリスは何故だか懐かしさを感じ、それもあってそれらを手に取ると楽しい気持ちになった。
「このこたちはどこからきたのかしら?」
 アリスは呟いてみるが、生憎その問いに答える者はいない。アリスはもやもやする気持ちを小物達で遊ぶことで何とか解消した。

 そんな一時的な遊びにも飽きてしばらく落下を続けていると、だんだん物が少なくなってきた。次第に辺りも暗くなり、漸くアリスは自分が穴に落ちてしまっていたことを思い出した。
 さらに落下が進むと、視界の下の方で再び白い光が見えてきた。しかし今度は先程のような空間を包む強い光ではなく、弱く点々とした光、それが複数ある。

 ザ、ザザッ……ザッ……

 不快な音が嫌に耳に響く。アリスはその光が何なのか見極めるべく、じっと光を見つめたが、光から距離が離れているのでよく見えない。それでも辛抱強く光を睨んでいたが諦めて、自分の体が光に近づくのを待った。目を凝らしたせいか、アリスの頭がズキズキと痛む。

 ザザザッ……ザ、ザザッザッ……

 光が大きくなるにつれ、音も大きくなり、アリスは耳を塞ぎたくなった。心做しか、キーンというか細い耳鳴りも感じる。
「これ、なに?」
 ハッキリと光の正体を確認できた。それは、映像だった。空間の黒とは対照的な無機質な四角形。小物たちと同じように自身を取り囲むそれらから、アリスは何となく閉塞感を感じた。アリスは無数の白い画面の一つを見た。何を映しているのか、誰を映しているのか、何処を映しているのかわからない。しかしアリスは見覚えがあった。何故かは分からない。ただ、『見たことがあった』。

 耳鳴りが強くなった。頭の痛みも増してきた。

「あ、れ? 私、どうして……」

 視界がゆっくり暗くなる。見えるたくさんの映像もぼやけていく。
 消える意識の片隅で、アリスはこんな声を聞いた気がした。

『……なに……な……でやる!!!』

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6 :樹暁
2024/05/04(土) 16:00:35

【第一章 強欲のLABYRINTH】

【第一話 目覚めて】

 彼女は目を開けた。ペンキを何重にも塗りたくったような重く濃い黒を見て、彼女は寝ぼけた頭で「まだあなのなかなのかしら」と考えるがそうではない。今は、いや、そこは夜だった。星の煌めきすらも練り込まれて練り潰された、遠くまで続く、黒、黒、黒。
 生暖かい風が優しく彼女の頬を撫でる。さぁさぁと水の流れる音がする。彼女の傍に立派な噴水がある。水が天を貫かんと噴き出し、そして儚く散っていく。彼女が寝転がる草の平面、それには点々と木が生えている。仰向けになりながらぼんやりと噴水を見上げている彼女に、彼女の視界外から声を掛ける者が居た。
「やあ! 君がアリスだね? 君のことはウサギから聞いているよ」
 アリスが声のした方に顔を向ける。アリスが足を向けている方に居たのは、アリスよりも背が高い少女であった。緑色のつり目とその中に見えるクラブのスートが特徴的な少女。彼女の黒髪からぴょこんと飛び出た小さなポニーテールが、アリスへ活発そうな印象を与えている。身に着けている服も機能重視の軽装だ。太ももと手首に同じ飾りをつけており、そこにもクラブのスートがくっついている。そしてそれは髪飾りやピアスにもあった。
「うしろのそれはなに?」
 名を聞くよりも先に、アリスは少女が背負っている木刀に興味を示した。ぴょんっと飛び起きて、少女の背に隠れて端だけが見える棒を指す。
「これ? これは木刀っていって、だれかを守るためにつかうものなんだよ」
「ちょうだい!」
 墨汁に浸された夜空の代わりに、大量の星を閉じ込めたアリスの瞳の中に少女が映る。少女は怒ることはせず、アリスを諫めた。
「だめだよアリス。これはおれの大切なものなんだ」
 少女の言葉を聞き、アリスはむっとする。そして「ん?」と首を傾げた。
「アリス?」
「ああ、アリス。おれはノナンだよ。よろしくね」
 ノナンはにこっと笑って見せた。アリスよりちょっと高いだけの見た目よりも、大人びた態度である。ノナンから差し出された手を取り、アリスもつられて笑った。ノナンの手は温かくも冷たくもない。ノナンと自分の手の温度が全く同じであることにアリスは気付かなかった。
「ねえ、ここはなんなの? とってもたのしそう!」

 そこは不思議なセカイであった。

 月も星も存在しない、ただ黒いだけの平面的な空。暗いはずなのに明確に輪郭を持つ空間。遠くに見える、空まで届くエメラルドの王城。そして、アリスを取り囲む鬱蒼とした森。どれもこれもアリスが見たことのないものだった。幼い好奇心を蓄えた彼女は満面の笑みを浮かべ、ノナンに尋ねる。
「ここは、君のために用意された場所だよ、アリス」
「わたし?」
「まあ、この意味は分からなくていいよ。それよりさ、おいで! みんなのところに案内してあげる!」
「あわわわわ!」
 ノナンはアリスの手を掴んだまま走り出す。アリスは突然のことに対応しきれずコケてしまうが、ノナンはアリスの手を放してそのまま走っていった。べしゃっと音がして、アリスの体が草の中に埋まる。幸いアリスは怪我をしなかった。鈍い痛みを痛みだと知らないまま、涙目で起き上がる。元々小さなノナンの背がさらに小さくなっているのを見て、アリスは慌てて追いかけた。
「まって!」
 その時、アリスの脳裏に電流が走った。バチッと、細く弱い電流が。アリスはこの光景に見覚えがあるような気がした。けれど今はそれよりもノナンを追いかけなくてはならない。表に出かけた記憶は、また奥の方に閉じ籠った。
 芝生ではない雑草の道、その上をアリスは走る。ノナンは時々立ち止まってアリスが追いつくのを待っているが、ある程度アリスが追いつくとまた走り出す。決して共に走ろうとはしないのだ。それを幾度と繰り返すうちに、アリスは自身も知らぬままに森の中に入った。多勢の木々に阻まれて、ノナンの姿は見えにくくなる。「まってよ!」とアリスが叫んでも、ノナンは何も言わずにアリスの先を走る。段々アリスは怒りを募らせた。それでも、次の瞬間にその怒りは忘れることになる。
 森の中に、少し開けた場所があった。そこにはノナンが立っていて、仁王立ちをしていた。しかしアリスが注目したのはそれではない。
「この子がアリス?」
「かわいーい」
「よろしくねー」
 灰色の毛で覆われた小動物たちが切り株の上に居た。鼠が多かったが、中には小鳥も居たしリスも居た。それらは一様にアリスと同じ青い目をしている。それらは興味深そうにアリスをじろじろと眺めて口々にアリスに話し掛けた。アリスはぱち、ぱち、とゆっくり瞬きをして、表情を明るくした。

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7 :樹暁
2024/05/04(土) 16:01:14

「わー、なにこれ! うごいてる!」
 アリスは小動物を知らなかった。自分と違う見た目をしているのに動いて話すそれらを不思議そうに眺め返す。
「こいつらはヘ……アリスの友だちになりたがっているやつらだ。危険はない。安心していいよ」
「へって言った? なに?」
「気にしないで。それよりこれを見てよ。君をかんげいするために用意したんだ」
 ノナンが指を伸ばした先の空間には、切り株の上に置かれたバスケットがあった。その中にはリンゴやブドウといった果物があった。それらにも見覚えがないアリスは目を輝かせて言う。
「なにあれ!」
「食べ物だよ」
「たべもの?」
「おいしいんだよ」
「おいしい?」
「あとでわかるよ。これはあとでみんなで食べよう。
 ここはみんなの広場でね。寝泊まりしているところはべつにあるんだ。まずはそこに連れて行く」
 ノナンは鼠たちにバスケットを運ぶように指示を出して歩き始めた。小動物はアリス以上にノナンの走りに追いつくことが出来ないので、ノナンは今度は歩いてアリスを導いた。それでもノナンは歩く速度が速く、アリスは短い足を懸命に動かしてノナンに着いて行った。
「どうぶつたちは木のうろ――木に空いている穴や、土の中にほった穴に住んでいるんだよ」
「あながすきなの?」
「そうなのかもしれないね」
 ノナンは小さく笑う。栄養を十分に取り込んで空に向かって伸びている雑草が、アリスやノナンに踏みつけられる。
「おれはほら穴に住んでいるんだ。ああ、でも穴が好きなわけじゃないよ? 動物たちとそこらへんでねることもある。一応拠点をほら穴にしてるだけ」
「きょて?」
「きょてん。おうちのこと」
「おうち……」
 アリスは頭痛に襲われた。何か、また。先程とは違う記憶が引き出しから顔を覗かせている。開いていないアリスの頭の中の引き出しを、何かがこじ開けようとする。強引なソレがアリスを苦しめる。アリスは表情を曇らせた。
「わたしにも……おうちが……」
「あ、心配するなよ。アリスはしばらくおれとくらそう。ほら穴生活もわるくないぜ?」
「ちがっ、そうじゃなくて」
 ズキン、ズキン、拍動する痛みに耐えかねて、アリスは頭を押さえた。立ち止まればノナンに置いて行かれることは分かっているので歩く、歩く、歩く。
 鈍い痛みによって、吐き気を催す。歩くことが作業と化していた頃、ノナンがアリスの足を止めた。
「ぷぎゃっ」
 また体勢を崩したアリスは草の中に突っ込む。ふわっとした感触がアリスを守る。アリスはむくりと起き上がり、はっきりとした意識でノナンを見た。そして、周囲を観察する。頭痛は何処かに溶けてなくなっていた。
 微かな冷気の漂う洞窟に、刈り取られた草が敷き詰められている。アリスはその上に座り込んでいた。いつこの洞窟に入ったのか。アリスには覚えがなかった。もしかしたら頭痛に気を取られている間に無意識に入っていたのかもしれないし、そうではないかもしれない。ただ、ノナンはアリスを見下ろして笑っていた。コケで埋め尽くされた岩肌がちらりと見える。緑色のそれはずっと奥まで続いていて、端が見えない。アリスは好奇心によってそわそわしだした。

「ねえ、ここはどこにつづいているの?」
「その先には行かないようにね」
 ノナンはアリスの問いに答えず言う。
「どうして?」
「あぶないから?」
 疑問に疑問で返すノナンに煮え切らない思いを抱き、アリスは頬袋に空気を入れた。むくれたアリスを無視し、ノナンはアリスに話し掛ける。
「寝るときはてきとーに草をよせて寝るといいよ。こう見えてけっこうあたたかいんだ。そもそもここは寒くないしね」
 洞窟の奥から、風が吹いてくる。アリスは変な気持ちになった。そわそわするような、ざわざわするような。ヒュウヒュウと聞こえてくる風音が妙に洞窟に響いている。
「アリス。さっきの食べ物食べよう」
 ノナンがアリスに呼び掛ける。アリスは洞窟から噴き出てくる風に押されるように外に出た。洞窟の中からだと余計に暗く見えていた世界が、少しはっきりと見えるようになる。
 一匹の鼠が、アリスの足の合間を抜けていく。鼠達はバスケットに集って口々に言う。
「たのしみだねー」
「おいしそうだねー」
「きみはなにがすきー?」
「あかいのがたべたいなー」
 語尾が伸びた、アリスよりも幼い口調。ふふふ、と小動物達が静かに笑い合う穏やかなその光景。
「ねえねえ、きみはなにがすきなの?」

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8 :樹暁
2024/05/04(土) 16:01:35

 リスがアリスに尋ねる。ターコイズみたいなおもちゃのガラス玉がアリスを見る。表情のないそれがどんな感情でアリスに声を掛けているのかを知る術は、アリスにはない。
「んー、わかんない」
 そう尋ねられても、アリスはあのバスケットの中身を見たことが無かったのだから答えようがない。アリスが首を振ると、リスはアリスの隣を通り過ぎていった。
「あはは、そんなに焦らなくても食べ物は逃げないよ」
 ノナンが笑いながら歩くが、動物達は行儀良くバスケットが乗った切り株の周りをうろついていて、誰も焦っていない。そのことにアリスは疑問を抱きもしたが、それよりもふと。

 甘い匂いがした。

 アリスが立ち止まる。ノナンはアリスを置いていく。アリスとノナンの間が開いていく。動物達も食べ物に夢中でアリスのことを見ていない。
 甘い匂いがする。あの果物とは違う匂い。鼻にまとわりつく、少し重たい甘い匂い。アリスはそれに引き寄せられて、ふらふらと歩いて行った。
「どこからこのにおいはくるのかな?」
 アリスはワクワクしていた。後先考えない危険な好奇心が自身の首を絞めることには気付かない。気付けない。
「こっちかな?」
 甘い匂いに誘われて木の合間を抜けていく。気付けばアリスは元居た場所も分からなくなっていた。それでもアリスは森の中を進む。右に曲がって左に曲がって、アリスよりも背が高い草を掻き分けて。
 アリスの目の前に、巨大な怪物が現れた。
「……へ?」
 それはとんでもなく大きいハエトリソウだった。横長に広い、饅頭みたいな顔がそのまま地面から生えている。二枚貝のような葉には大量の棘が付いていて、それが鋭い牙のように見える。アリスの三倍ほどの体躯のそれがアリスを見下ろしている。アリスには、ハエトリソウの口から洩れた樹液がよだれのように見えた。それがアリスに向かって大口を開けて首を伸ばす。口の奥の濃い灰色から、吐き気がするくらいに濃密な甘い匂いがした。その匂いがアリスの脳を震わせる。意識を朦朧とさせる。アリスは逃げられなかった。突然のことに脳の処理が追い付かずフリーズする。その青い目を見開いて、ふっくらとした頬から赤みが消える。ゆっくりと、焦らすように、それはアリスにかみつこうとして……。
「アリス!」
 間一髪。木刀を構えたノナンが走って、飛び上がる。ハエトリソウに思いきり木刀を叩きつける。
「ギャアッ」
 怯んだハエトリソウに、ノナンは再度突進する。
「ヤァッ!」
 ノナンは木刀を縦にしても入りそうな大きな口に渾身の突きを食らわせた。ハエトリソウはその巨体を大きく後ろに傾けて、地面に倒れ込む前に、塵となって霧散した。
 風に乗って、塵は何処かに消えていく。灰色の塵が。灰が。そこには何も残らなかった。
「ふう」
 ノナンが一息吐く。それから、体が震えているアリスを睨みつけた。
「なんでおれから離れたの?」
 呆れているような、軽蔑しているような。アリスはどうしてノナンがそんな顔をしているのか理解出来なかった。それでもノナンが怒っているから、自分が悪いことをしたのだという自覚は持った。アリスは呂律の回らない口でノナンに言う。
「え、と、あまいにおいがして」
「次はないように!」
「あばばばば」
 ノナンがアリスの鼻をつまんでアリスを持ち上げる。アリスはそれから逃れるように手足をバタバタと振るが、ノナンは涼しい顔をしている。ノナンは罰も兼ねてそのまま動物達が居る元の場所に連行した。

 
「ほら、アリスはこれ」
 ノナンから差し出されたのは、ガラスのコップに注がれた緑色の液体だった。透明感は皆無で、黒く濁っている。動物たちが食べている物とは明らかに違っているそれを、アリスは何の疑問も抱かずに受け取る。そしてそれを飲み干す。
 アリスが口に入れた時はただの水だった。アリスと同じ温度の水。しかしその硬質な味わいは次の瞬間猛烈な苦味に変わった。発達途中の未熟なアリスの舌には強過ぎる刺激に、アリスは思わず苦悶の表情を浮かべる。アリスは膝から崩れ落ち、体をガクガクと震わせた。ガラスも同時に落下したが、切り株に衝突しても割れることは無くガンッと無機質な音を響かせるばかりだった。アリスにはそんなことに目を向けられる程の余裕は無かった。

 ノナンはアリスが零した緑色の粘着質な物体を掴む。その時聞こえたネチャッという音がアリスの不快感を増幅させた。ノナンが再びアリスを見ることは無かった。何も表情を変えぬまま、ぬらぬらと光るスライムを手に乗せて、アリスを残してその場を去った。見てみれば、動物達も何処にも居なかった。

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9 :樹暁
2024/05/04(土) 16:01:52

「ガッ」
 飲み込んだ液体を吐き出そうとしてアリスは喉を鳴らす。渇きと痛みで悲鳴すら出てこない。吐瀉物はおろか胃酸さえ垂れて来ないがアリスの生存本能が防衛本能がアリスにそうさせるのだ。 苦みと痛みによる麻痺が舌から始まり、全身に回り、アリスは何も考えられなくなる。
「カ……ああ、ぅあ」
 ぽたり、ぽたりと雫が垂れた。口から滴る唾液だろうか、いやそれ以上のアリスの青眼を溶かして床に落ちる多量の涙だ。
「あ、あ、うわああぁぁ……」
 アリスは泣きじゃくる。永遠にアリスの口内に居候するかと思われた苦汁は案外直ぐに消え失せた。アリスの涙の訳は別に有る。アリスの意志など関係無いと言いたげに、涙は無許可にアリスの目頭を焼き、その熱と共にアリスから出て行く。そのせいでアリスの体温は急激に低下した。アリスは自身を抱いた。そうでもしなければ消え行く熱に耐えられないと思った。
  
 時間が経って、暫くして、アリスの嗚咽が消えた。アリスの瞼は閉じられている。時間の経過によって涙の跡が着いた乾いた頬が冷たい冷たい、苔の生えたような床にくっついている。
 細く短く頼りない呼吸音だけが響く洞窟で、アリスは呆然と横たわっていた。
 悲しいとか辛いとか、先程まで原因不明の負の感情に苛まれ蝕まれのたうち回っていたアリスは妙に静かであった。
 はあ、とか、ふう、とか。弱弱しいアリスの呼吸音がやけに洞窟に響く。響く程の大きな呼吸音なのに、アリスの体はアリスが息を吐いても吸ってもほとんど動かない。
「……あ」
 アリスから音がする。意味も持たずに出された声は、言葉ではなく音と定義付けられる。
「さむ、い」
 今度の声は言葉だった。ふるっと体を震わせて、アリスは体を起こそうした。アリスの体は震えることで懸命に体温を上げようとしたが、いつまで経ってもアリスが動く気配はない。
「ここ、どこ?」
 アリスはつぶやく。
「え、なにここ」
 青眼からは光が無くなり、不安気に辺りに視線を彷徨わせる。体が動かないことに驚き、体温の低さに戸惑う。先の見えない真っ暗な洞窟の中を見回して、恐怖の色に表情を染める。
「おか、さん、おかあ、さん……」
 渇いた喉に唾液を送り、必死に、存在しない『彼女』の母を呼ぶ。
「誰か、誰か助けッ……ゲホゲホッ」
 無理に大声を出そうとしたせいで声帯に負荷が掛かり、アリスは咳き込む。頭がぐらっと傾いてアリスは岩肌に頭を打ち付けた。じんわりと広がる痛みを押さえる。
「あたし、なんで、こんなところに」
 自分の存在に疑問を抱き、脳内に保管されているはずの記憶を漁る。
「え」
 しかし、いくら記憶の箱を探っても、ひっくり返しても、全て空、空、空。アリスの中に記憶なんてものはなく、アリスの頭には大きな穴が空いていた。
「いや、いやっ! おかあさん! おとうさん!」
 出ない声を必死に絞り出し、アリスは叫んだ。冷たい石と同化していく自身の足を見て、このままでは自分という存在が消えて無くなって仕舞うと考えたから。痛みなんてものを感じる余裕もなく叫ぶ。
「消えたくない! あたしは此処に居るの!」
 アリスから、何者かが意識を奪っていく。
「待って! あたしは! ……あたしは」
 アリスは強くそれを掴もうとしたが叶わずに、そのままされるがままに瞼を降ろす。アリスの世界は黒に沈んだ。
 
 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
 
 芝生の上ですやすやと寝息を立てるアリスの横に、ノナンが腰を下ろした。空間に薄く張られた闇の中、キラキラと光るアリスの金髪を撫でながら、ノナンは呟く。
「ようこそアリス。[箱庭]へ。
 罪深い、小さな命よ」

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2 :樹暁
2024/04/27(土) 17:38:59

目次1(随時加筆)
プロローグ ウサギ穴に落ちて >>004-005

3 :樹暁
2024/04/27(土) 17:39:44

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