意外に思われるかもしれないけど、おれはクリスマスが結構好き。寝て起きたら枕元にはプレゼントが置いてあるし、夜ご飯にはケーキが出るし、なにより街中が浮き足立つようなあの空気感はやっぱり特別だと思う。今年は新しいオーナメントも買って、例のベーカリーで注文したシュトーレンも無事に届いて、クリスマス支度はもう完璧。いつでもおいで、PSファ……、…クリスマス。
P.S.(掛けたわけじゃないよ) 本棚に入れてくれた人、入れ返してくれた人はありがとう。お互い顔も声も知らないのに、その人の一番パーソナルな部分を覗けるのってなんか不思議だよね。君たちの日常をつまみ食いできるのをこれからも勝手に楽しみにさせて。(返信等の気づかい不要。)
最近、街中で出会ったなんとなく響きが好きな単語をかき集めて、福笑いの要領で文章を作るのにハマってる。ロートレアモンに影響されすぎって思った?おれも思ったよ。適当に切り貼りしてるだけだからもちろんアステリスクは欠かせないんだけど、これが思いのほか楽しくてさ。ヒマを持て余してる人がいたらぜひやってみて欲しい。ちなみに、おれが直近で作った怪文は「幻と思った秋、それはもっともやさしく不審な英雄の理論領域、もしくは汚れた天使が食べ残した命のしずくである」。……どう?ポエジーを感じるかどうかはともかく、意外性のあるいい文章だと思わない?
読み手に伝わるような文章を書かなくちゃ、書き手の文意を読み取らなくちゃ。おれはいつの間にか、文章と対峙する時にこういう姿勢が身についてた気がする。でも、言葉ってもっと自由に、おもちゃで遊ぶみたいに扱ってみてもいいものなのかも。子どもの頃、辞書を手繰るたびに感じたわくわくが久々に蘇ったよ。気が向いたら君の作品も聞かせてね。
曰く、ポエジーの基本は意外な語の組み合わせにあるらしい。『星とたんぽぽ』『月夜の浜辺』『わたしを束ねないで』────なるほど、こうして並べてみると確かにそんな気がしないでもない。とはいえ、もちろん周囲にアンテナを張り巡らせておくことが大前提ではあるんだろうけど。
人も同じなのかなって、最近思ったりする。考え方が近い人間と一緒にいるのって楽だよね。一から十までをいちいち詳らかにしなくても全部わかってくれるし、わかってあげられる。そういうスムーズなコミュニケーションってストレスがないし、なによりそういう、なにも言わなくてもわかってくれる人間がそばにいてくれる安心感といったらないよ。それでもおれは、どうしたってわからないもの、新しいものにこそ惹かれてやまない。口うるさい幼なじみも、根性論を懇々と説くチームメイトも、いつも新しいともだちも、みんなおれにはないなにかを持っていて、そういうおれとは違う価値観に触れる毎日は結構楽しいから。……まあ、やっぱりめんどくさいかもって思う局面も多々あるんだけど。本当、人生ってままならないよね。
おれは人生にあんまり後悔を残さないタイプだと思う。後悔ってつまり、その時々を一生懸命に生きた人だけが手にすることの出来る勲章みたいなものだ。対して歯ブラシの色を選ぶくらいの熱量で都度の選択をしてきたおれにとって〝後悔〟は〝根性〟と同じくらい縁遠い言葉で、大抵のことは「まあいっか」で納得出来る。それでも「あの時どうすればよかったんだろう」とか「なにが正しかったんだろう」とか、そういう終わりの見えない思考に取り込まれる夜はあって、今夜がまさにそうだった。
そういうわけで、今日は朝っぱらから(おれの体感としては真夜中だったけど)散歩に行ってきた。いっぱいに吸い込んだ冷気が肺を刺す感覚、灰色の住宅街、遠くで響く信号機の点滅音。秋と冬の狭間にあるこの時期の早朝って、おれだけがこの世界に取り残されたみたいな錯覚を連れて来てくれるからつい出歩きたくなる。視界を覆う前髪の内側、ゲームの液晶だけが浮かび上がる布団の中、夏合宿の宿舎で見つけたおれだけの避暑地。結局のところ、おれは外界からどこか隔絶されたように感じる場所が好きみたいだ。
そうしてしばらくアテもなく歩き続けて十数分、そろそろ帰ろうかなと思って後ろを振り返ってみたら、まるで洋画の中からそのまま出てきたみたいな外観のベーカリーを見つけて、途端得体の知れない不安感は全部吹っ飛んだ。こういう思いがけない出会いがあるなら寝つけない夜も悪くないよね。今年のシュトーレンは絶対あそこのを予約しよう。
11. 1追記。本当はハロウィンの装飾を片づけながらちょっとした感傷に浸った話を書きたかったんだけど、一晩寝たら肝心要のその感傷が綺麗さっぱりなくなってたから、このページには今日観に行ったオーケストラの感想を書くことにしようかな。鉄は熱いうちに打てって本当だよね。先人は偉大。
数年前から年に二、三回くらいの頻度でオーケストラコンサートに通い始めたんだけど、今日のコンサートは過去イチ楽しかった。オーケストラなのに指揮者不在のまま管楽器奏者のみで演奏が始まったり、かと思えばそれまでクラリネットを吹いてたおじさんが急にクラリネットを吹きながら指揮を取り出したり、あのおじさんは何者なの?と思ってプログラムを見てみたら本業はオーボエ奏者だったり。とにかく型破りなアイディアが多くて終始驚かされっぱなしだったし、なんだか音楽の根源を思い出させてくれるような演奏で、本当にあっという間の一時間半だったな。今度はオーボエの演奏も聴きに行くから、面白いままでいてね、おじさん。