星のよく見える夜だった。その日はカーテンを閉めてしまうのがもったいなくなるくらいきれいな夜空でね。旅先の宿で寝台に寝転びながら天体観測をしたんだよ。……まあ天体観測なんていっても、実際のところは星を見ながら眠るってだけなんだけど。滞在させてもらった部屋はベッドのすぐ側に大きな窓があってね。星見をしながら微睡むなんて贅沢が叶う場所はそうない。おまけにちょうどよく晴れた夜だった。
それでエメトセルクにわがままを言ってみたんだよ。フフフ、彼も渋ることなく承諾してくれたから、悪くない提案だと思ってくれたのかもしれないね。
小さな星々が連なって星座を描いていた。天脈のエーテルのゆらぎかな、ちらちらとかすかに煌めいて見える。……高い塔が並ぶアーモロートの夜の明かりも好きだけれど、こうして何にも遮られない夜空を見上げるのも同じくらい好きだなって思うよ。ワタシは早々に空を見るのをやめて、隣で同じように窓の外の星空を眺めているエメトセルクに視線を移した。彼は何を思ってあの星たちを眺めているんだろう。
ワタシと違って飽きることなくいつまでも夜空を眺めているエメトセルクの横顔が愛しいなあと思う。抱きしめてキスしたいところだけれど、彼とアーテリスの対話とも呼べる時間に水をさしたくはなかったからね。
……以前からふとした時に思うのだけれど、まるで絵画や彫刻作品を鑑賞しているかのような気分になることがある。寝台に横たわって微かな夜の星々に照らされる彼をとても美しいと思うんだ。ワタシにとっては、夜景や星空よりもむしろ彼の方が…………なんて言ったら盛大にため息をつかれて呆れられちゃうだろうけどさ!フフ、適当に言ってるんじゃなくて、これは本心だよ。
彼と過ごしていると忘れたくない時間がいくつもあって困ってしまう。ワタシたちは全てを記憶できるようにはなっていないからね。ここに書いたことだって、ありふれた夜の一場面だ、だけど同じ夜はもう二度とこない。……ワタシはあまりこういう考え方をするタイプじゃないんだけどね。彼と過ごす新しい時間を楽しみにしよう。
隣に座って本を読んでいたら、エメトセルクがこちらを見ている気配がしてね。真剣な表情で見つめてくるのがかわいくて思わず口付けてしまった。
エメトセルクには文句を言われたけれど、よくよく話を聞くと、実は彼の方からも頬にキスするのを狙っていたらしい。ワタシが気づいて先に、しかも狙っていた頬じゃなくて唇にキスしたものだから恥ずかしくなって動揺しちゃったんだろうね。フフ、可愛い。
最近はちょっとだけ愛情表現が多めで嬉しいな。どうやらくっつきたくなる時期らしい。ときどきあるんだよね、いわゆるデレ期ってやつがさ。こんな時期はあっという間に過ぎ去って「離れろ、触るな、鬱陶しい」になっちゃうから今のうちにたくさん可愛がっておかないと。
こういうときのエメトセルクは、無言で視線をくれることが多くなるからよくよく注意しなくちゃいけない。照れ屋な彼のことだからね、面と向かって甘えるのはハードルが高いのさ。ワタシが彼の視線に気づいて「おいで」って呼ぶと、満更でもなさそうに傍に来てくれる。
お気に入りは、ワタシの膝を枕にして寝転ぶことみたいだ。存分に気を許してくれているようですごく可愛いんだよね。普段なら鬱陶しがられてしまうところだけど、髪を撫でるのも許してくれてね。むしろしばらくのあいだ気持ちよさそうに撫でられてくれる。白くてふわふわで少し癖のある彼の髪を堪能できる時間がワタシにはなによりの癒しなんだよね。
……こうやってスキンシップが取れるようになったなんて、出会った当初のエメトセルクには考えられないことだったんだろうなぁ。フフフ、懐いてくれて嬉しい限りだ。
「おい……もういい」
エメトセルクが体を起こす。どうやら撫でまわしすぎちゃったみたい。……だけど彼も心なしか満足そうにしているからよかったのかな?
傍から見ると気まぐれにも見えるかもしれない。……フフフ、だけどワタシにはお見通しなんだよね。エメトセルクって、愛情は常にあるんだけど、なかなか表現できないだけなんだって。普段は照れやらプライドやらが邪魔をしてうまく甘えられないのを、こうして伝えてくれるのだからすごいことさ。たとえ短時間ですぐに我に返って恥ずかしくなったとしてもね!……って指摘すると、照れが増してやらなくなっちゃうかもしれない。ということで、今回はほどほどにしておこう。
さすがに10連勝とまではいかなかったね、フフフ。
エメトセルクの綴った言葉をたくさん読むことができて嬉しかったよ。
……ほら、彼ってば、自分の思いは自分の内に留めておくタイプじゃない?留めているだけで、日々多くのことを深くまで考えているんだけど。それを垣間見れるのだから、この手記を書いていてよかったなと思うよ。
彼は昔から考えることが得意でね。そこまで真面目に考えなくてもいいんじゃないかな……なんてことまで突き詰めて思考していく。それを周囲に話してくれるのは稀だけど、ふとした弾みで零れた言葉から感じ取ることができるんだ。
……対してワタシは、ひとりで考えるのと同じくらい、会話をして他者の意見も取り入れたいってタイプだからね。エメトセルクの考えを聞くのが昔から好きだった。あまり多くを語ってはくれないんだけど、それでもさ。ワタシがせがむと「厭だ」って言いながら最終的には話してくれる。
付き合いが長くなってからは、フフフ……さすがの彼も諦めてきたんだろう。幼い頃よりもずっと気持ちを打ち明けてくれるようになった。ワタシのほうでも、彼がどんなことを考えているのか、言わずともなんとなくわかっちゃうことも増えたしね。よく見てると結構わかりやすいんだよ、エメトセルクって!
いくら考えていることがわかるようになったとしても、やっぱり彼の語る言葉に勝るものはない。エメトセルクの目で見た世界、感じとった心、そこから紡がれる言葉。……彼はたぶん、自分の考えていることなんて大したことはないなんて思っているんじゃないかな。
少し前、砂漠地帯のエーテル調査をすることになった彼に同行したことがあったんだ。まあ、その地域の情報を提供したのがワタシだったからね。砂と空だけが彼方まで広がる。その景色の中にいても、ワタシは特に何かを考えるということはなかった。いつものアーモロートやよく行く山や海辺とは圧倒的に違う景色だとしても、ひと続きの世界の、ごくありふれた日常がここにはある。けれど、彼は違う。何か感じ入るものがあったらしい。
自分が知る青と異なる色をしていると遙か空を見上げ、吹き抜ける風の音さえ違っていると耳を傾ける。エメトセルクにとって、アーテリスという星はどこまでも広大で、驚きと感動に満ちている。……ワタシはそんな捉え方にこそ驚きと感動を覚えたものだ。
彼の視る繊細で綺麗な世界。どんなに目がよくても、こればかりはその隣に立たなければ識ることはできない。……結局ワタシの望みは、とこしえに栄えていくこの星を視ること、……と同じくらい、いや……それ以上に、そんな星を誰よりも愛し慈しむただひとりをずっと視護ること、なんだよね。
ヒュトロダエウスはときどき、行為の最中……いや、事後だな。事後に、「逃したくないな」「離れたくない」と呟くことがある。言われたときの私は気怠さと眠気で頭が回っていないことが多いからな……せっかくなので、その言葉について今考えてみることにする。
逃したくない、か……。状況から考えるに私を快楽から逃したくないというわけではなく、"ヒュトロダエウスから離れていきそうな私を逃したくない"とストレートに捉えていいだろう。私が逃げるとでも思っているのかあいつは?
思えば、私がどこかへ行ってしまうかもしれないという気持ちは昔からヒュトロダエウスの方が強かった。それは今でも続いていて、なにかの拍子に私がヒュトロダエウスに対して嫌気が差していなくなってしまうのではないかと……要は喧嘩することを恐れている。
私とヒュトロダエウスは幼年期からの付き合いで、喧嘩もしたことがないわけではない。といっても幼いころに何度か、それもそのほとんどが私が一方的に憤慨していただけだ。ヒュトロダエウスはああいう奴だからな、基本的に怒ったりしないしずっと優しい。いつも謝ってくれるのはヒュトロダエウスの方からだった。今では私が文句を言いそうな気配を察知すると、先回りして謝るようにまでなった。これがよくなかったよね、と言葉を添えて。
……そんな奴から、私が逃げる……?どう考えても離れていかれるのは私の方じゃないのか。私はヒュトロダエウスと違ってすぐに怒るし、物腰も柔らかくはない。挙げ句可愛げも言葉も足りないときた。
だがそれでも私が"ヒュトロダエウスが私から離れていくことはありえない"と言い切れるのは、そう思えるほどの愛されているという自信をヒュトロダエウスがくれたからだろう。逆に私はヒュトロダエウスに、与えられていないのだろうか……。
いや、そんなはずはないな。ヒュトロダエウスはいつも「キミの想いはちゃんと伝わっているよ」と言ってくれる。これは嘘や世辞などではなく、本心だ。これだけの付き合いだ、私もあいつのことなら多少はわかる。
いろいろ難しく考えてみたが、つまるところヒュトロダエウスが言いたいのは「ずっと一緒にいたい」とそれだけのことなのかもしれない。
……幼いころ、大人の真似事をして、ふたりで弁論という名の言い合いになったことを覚えているか。あのとき、「話にならないな」と去る私を追いかけてきてくれただろう。当時は驚いたのもあるが、……嬉しかった。
だからきっと、逃げるなどできやしないのだろうよ。そもそも、逃げるつもりもない。お前は何も心配せず、私の隣にいればいいんだ。
ずっと不思議に思っていることがある。ヒュトロダエウスはよく私を寝かしつけようとしてくる……ような気がする。とくにそれが顕著なのが朝、ヒュトロダエウスだけ家を出ていくときだ。仕事の都合上ヒュトロダエウスの方が先に家を出ることがときどきあるのだが、支度をしているあいつを横目に寝台から身を起こすと、大抵そのまま布団に戻される。
眠そうにしている私に対して、まだ寝てていいという気持ちからくる優しさなのだろうか。ヒュトロダエウスは寝ている時間に幸せを感じる奴だからな。だが、私は寝ることより起きている方が好きだ。もちろん眠ければどこでだって寝るし、一度眠ってしまえば長時間寝ていることもよくあるのだが。
これは私の勝手な思い込みかもしれないが、ヒュトロダエウスは私が眠っていると安心するのではないかと少し思っている。上に一度眠ってしまえば、と書いたが眠れないときは本当に眠れないからな……。それを知っているからこその「まだ寝てていいよ」なのかもしれない。
だが、私はできることなら起きていたい。厳密に言うとヒュトロダエウスを見送りたい、と思っている。創造物管理局まで何事もなく辿り着いたな、というのを見届けてから眠りたい。その方が安心して寝ることができる。
最近、ときどきではあるが……眠さに負けて見送れない日が出てくるようになった。これは私の怠惰だ。何事もないのが、当たり前になりつつあるからではないか……そう気づいたときぞっとした。ヒュトロダエウスが傍にいてくれることを当たり前にしたくはない。私が眠っている間にも進む時間が恐ろしい。そういう気持ちでいる。
それは帰ってくるときもそうだ。今日も私はここにいる。だから早くその声で名前を呼んではくれないか。