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┗321.【ギルトループ】(10-29/29)
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10 :てふてふ
2022/11/17(木) 23:30:10
俺は今、現実とは到底信じられない光景にポカンと口を開けている。開いた口が塞がらないとはこのことか。いや、今回のケースでこの表現は不適切だ。訂正しよう。
正しくは一度開けた口を閉じるまでに全てが始まり、全てが終わった、だ。
事が起きたのはわずか数秒前。ヒロトを視界にとらえ、彼の立つ場所まで移動しようとしたときだ。
ヒロトの背後でクールなエンジン音を立てていたバイクが、彼とともに画面から一瞬で消えた。
すると、ロータリーに空を切る黒い疾風が突然現れ、俺に飛び込んできたのだ。
疾風は目前で消え失せ、俺の前髪が空に向かって飛んでいくと言わんばかりにまっすぐになびく。
いつの間にか眼前には、ヒロトがさっきまで着けていなかったはずのヘルメットをはずし、後ろが肩まで伸びたグレーの髪を揺らしては、前髪を片手でかきあげ、その決め顔を最大限に晒していた。瞳の色は本日も快晴、透き通ったブルーだ。
そして出会い頭一発目のセリフは、
「おはよう太陽、今日も眩しいね。そんな君も美しいぜ」
である。なめてんのか。
俺は開いた口をとりあえずきつく結びつけ、ヒロトの頭部を軽く叩こうと腕をふった。
おっと、手が滑って思わず勢いが!
グボ。
およそ聞くことのない鈍重な音が辺りに響く。
同時に男の情けない鶏声が、空気を振動させた。
「いてえぇぇ……。いてぇ……」
何か言い返すこともなくシンプルに痛がっている。
さすがにやり過ぎたか。
俺は手を擦り合わせて真面目に謝った。
「ごめんヒロト。でもこんな公共の場でバイクぶっぱなすのはやめろ。警察いたらどうしてたんだよ」
「まじすんません。ちょうしのりました」
バイクを降りたヒロトの、頭の痛みがひくのを待ったら、俺たちは形式的に挨拶を交わす。
「おはようヒロト」
「おはようさんだ、トキトンくん」
妙ちくりんなあだ名で俺を呼んだと思えば、今度は急に歯を出してニヤリと笑い、バイクの席を素手で優しく叩いてみせた。どうやら俺を乗せたいようだ。
「悪いなトキト、このバイク二人乗りなんだ」
「え? なんて」
「な、なんでもねー」
なんだかよくわからないことを口走っているがスルーしておこう。なぜか若干拗ねながら、ヒロトは再びバイクにまたがり、「ん」とあごで俺に後ろに乗るよう促した。
「トキトさ、前にバイク乗ってみたいって言ってただろ。だからクリスマスイブの街並みを俺と今日感じない?」
と、イケメンが言っても許されなさそうなセリフを、イケメンが口にする。
というかさっきから話の脈絡がない。
いつの間にか雰囲気に流されている気がする。
それに、いつものコイツとは若干感じが違う。
そもそも、今日ヒロトと会う約束をしたのは確かだが、何をするか全く聞いていなかったのだ。
……何か、隠していそうだ。
まあ、ここはコイツの話に乗ってみるか。
俺は軽く返事をして、バイクにまたがり、ヒロトの後ろのわずかなスペースに身体を入れ込む。ヘルメットを借り、装着したら、両膝でヒロトの腰を挟み、準備オーケーだ。
早速、エンジン音が鳴り響き、ヒロトはバイクの持ち手を強く握りしめた。
「安全運転でな」
「努力はする」
互いに単文を口にすると、いよいよ身体に負荷がかかってきた。
「俺の『カザムキ』は誰にも止められねえぇ!!」
半ば恐ろしい言葉を皮切りに、バイクは空をも穿つ激しいうなり声を上げながら、ロータリーを後にした。
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11 :てふてふ
2022/11/18(金) 23:22:57
ロータリーを抜けると、ヒロトの愛用するバイク『カザムキ』はさらに加速し、冬の冷めた空気を貫きながら駆けてゆく。
あまりの速さに全身の毛が逆立ち、鳥肌が立て続けに増えている感覚もした。吹き抜ける風もどんどん強くなり、辺りの景色もぶれてくる。
突然、上下に小刻みに揺れたかと思うと、一瞬バイクが馬のように高く跳び跳ねた。
恐怖で視界が真っ暗になる。深く閉じられた瞳が、再び眼球をあらわにするのを拒む。ヘルメットを被っているのに、簡単に目を開けることができない。
バイクとはこんなにもおっかない乗り物だったのか。所詮二輪車なんて考えていたさっきまでの自分が恥ずかしい。
ヒロトは俺に追い討ちをかけるつもりなのか、目を閉じていても分かるほどに急な斜面を滑り始めた。
「おいおいおい!! 法定速度は大丈夫なのか!? うわっ」
トンでもなスピードに耐えきれず、俺は弱音を吐いては、車道の上で叫び続けてしまう。
そんな俺の声に面白そうに耳を傾け、ウケケと悪魔ボイスを放つヒロト。
「びびりすぎだぜトキト。バリバリ法定速度ギリギリだ。安心しろよ~」
果たしてそれは安心できるのか。バイクに乗るのは今日が人生初であり、かつ頭の中も真っ白なため、物事の良し悪しすら判断できない。
ヒロトの腰を挟む足の力もますます強まり、自分ではもうどうしようもない。
「いいから目、開けてみ? くくっ」
笑いをこらえようともしないヒロトにわずかな怒りを覚えたが、前から迫るクリスマスイブの風が、そんな感情を丸ごと吹き飛ばした。
いい加減覚悟を決めなければならないようだ。俺は恐る恐る片方のまぶたを広げ、外の光景を探った。すると、
「わっ」
瞬時に俺は瞳に映った見知らぬ並木道に、心臓の鼓動を吸い込まれた。
何本もの巨大な枯れ木たちがこの空気の澄んだ世界を支配していて、奥に向かう俺たちを飲み尽くそうとしている。そう思えてしまうほどに厳かで、神秘的な風景だった。
道横の透き通った小川には、鏡のように木々が映り、さらなる幻想を醸し出している。
極めつけは、車道に敷かれた、太陽の白光を受けキラキラと光るコンクリートの絨毯だ。
もしかしたら、この景色はどこでも見られるようなものなのかもしれない。
しかし、その並木道の中をバイクと供にしていたらどうだろう。
目まぐるしく突き進む視界には、見た目の変わらない木々が次々と消えては生まれ、途切れては繋がるのが見える。
次第に自分の身体が景色と一体化して、そのとき、世界が止まったように感じられるのだ。圧倒的速さで時を超越したという高揚感。確かにこれはクセになりそうだ。ヒロトがバイクを、そしてスピードを愛する気持ちが分かる気がする。
「すげえだろ?」
ヒロトが口にする。
「俺、大好きなんだ。この景色が」
俺に背を向け、後ろ髪をたなびかせるヒロト。その声色からはなんとも形容しがたい感情が含まれているようだった。
興奮していながらも落ち着きを保つ彼からは、一種の紳士らしき様が垣間見えたような気がする。
俺たちはしばらくこの雪無き冬の美しさに酔いしれ、その後ヒロトの家に向かった。
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12 :てふてふ
2022/11/20(日) 16:11:56
ついさっきまで、俺は確かに目標地点まで安全に走り抜けられると思っていた。悠悠とドライブを楽しみ、ヒロトに笑いかけるつもりだったのだ。
しかし今、俺の目の前には、そんな幻想をぶち壊すと言わんばかりのありえない光景が存在した。
「アハハハハハハハ!!! どうだトキト! こっからどんどんとばすぜぇえええ!!!」
「ちょ、まてまてまてまって! それはやばい! やばいって!」
速い! いくらなんでも速すぎる!!
ヒロトは俺の言葉なんぞ無視し、なおも狂気じみた叫び声を放っては、道をアクセル全開で駆け抜ける。
ヒロトのバイクは暴風に包まれ、後ろでは火のようなものまで吹き出ていた。
コイツありえんだろ!
俺はヒロトから離れまいと、必死にしがみつく。
刹那、ヒロトの前に曲がり角が!
いくらなんでもこの速さじゃ曲がりきれない。
コイツのバイクは既に法定速度どころか時速350kmを軽く越えている。
このままでは壁に激突。一体どうするつもりだ。
ヒロトは笑い声をいっそう高くし、もはや獣と化している。目の前の絶望に気をおかしくしたのだろう。
ここまでか……。俺は最期にヒロトへ最大限の冷笑を浴びせる。はずだった。
突如、ヒロトは蜘蛛のような巧みな手さばきで、ハンドルを切り始めた。
「おい、まさか!」
そんな! ありえない! そんなことができるはずが!
ヒロトはニヤリと口角を上げ、決め台詞のように口にした。
「そのまさかだ!」
バイクは急激な方向転換に火花を散らし、壁に当たるか当たらないかの瀬戸際で、ついにはカーブを成功させた。そして勢いを止めずに、そのまま直進。
「ウワぁあああアあアぁあ!!!」
俺は発狂とともに瞳孔を限りなく開き、急いで“バナナ”を放り投げた。
だが、コイツのバイクには当たらない!
──そのままヒロトが悠々とゴール!
《Winnerヒロト!》
テレビから俺に、残酷な通達が届く。
ラッパやらカスタネットやらがヒロトの勝利を祝っていた。
「あああぁ、負けた! くそっ」
「うっしゃうっしゃ。俺の勝ちだな。それでは心臓を戴こう」
「そんな大事なもの賭けてたのこのレース!?」
俺たちはバイクドライブを終え、マンションの5階にあるヒロトの家でゲームをしていた。やはり冬は寒い。結局は部屋でコタツにくるまるのが至高なのだ。
ヒロトはミカンを一つ頬張ると、意を決したかのようにコタツから抜け出し、キッチンに向かった。
「んじゃ、もう昼時だし、デジュネでも作るか」
「もうそんな時間なのか」とコタツの中から俺。
ヒロトは黒のエプロンを着て、服の袖をまくる。
「それじゃクッキングスターツっ」
まさかもう作るものが決まっているのか。段取りの良さは相変わらずらしい。俺は素直に感心し、後ろ髪をゴムで結んで準備万端のヒロトを見守る。
その時だった。
ピンポーン
家に軽快なチャイムが響く。
「はい。ちょっと待ってください」
ヒロトはウグイスのように澄んだ、よそ行き用のハキハキとした美声で玄関のドアを開けた。
一体何が来たのだろう?
テレビの中で、まだ観客に手を振っている、ヒロトの使う紫帽子のキャラクターを見ながら、俺はミカンを一口戴く。
その後、すぐに部屋から戻ってきたヒロトに視線を向ける。その手には平たい箱が。ゆっくり開けてみると、中にはピザが。
「それじゃ食うか~」
「まてまてまてまて。作るんじゃなかったのか?」
俺の質問にヒロトは親指を立て、歯をきらめかせて言った。
「イッツア、0秒クッキング!」
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13 :てふてふ
2022/11/22(火) 00:07:43
俺とヒロトは足をコタツに入れ、そのぬくもりにゆったりとしながら、ピザを食べ始めた。
三種類のピザがあるが、俺はとりあえず一番手前のものを手に取り、口に運ぶ。
ピザ特有の芳ばしい生地の焼けた匂いが鼻をつき抜け、一気に食欲がそそられる。
生地の上にはすりつぶされたトマトがその鮮やかな赤を惜しみなく主張していて、さらには一口の大きいざく切りベーコンと、まろやかなチーズが絡み合いながら、ホカホカの湯気を放っていた。
いざ口の中に入れると、ひそかに息を潜めていたガーリックのパンチの利いた味わいが口全体に広がり、身体中がその快楽にドーパミンを大量に分泌する。
食べるスピードは一向に止まらず、すぐに一枚目が姿を消した。最後の、サクサク食感が詰まったふちの部分を噛みしめたときの満足感も忘れられない。
俺は、口に軽く人差し指を当てながら言う。
「こりゃ極楽だ」
その言葉にヒロトも激しくうなずき、頬を緩ませていた。
俺たち二人はすぐさま、二枚目のピザに手を伸ばす。今度は、厚みと弾力を兼ね備えた照り焼きチキンの上に焦げ茶色のソースが満遍なくかけられていて、こちらもチキンと生地のダブルモチモチが合わさり、極上の噛みごたえが最高だ。
「もちもちすぎてあたまももちになる~」
ヒロトは口いっぱいにピザを頬張り、何度も咀嚼を繰り返していた。
俺はひとまずお茶を飲み、小休止をはさむ。
少し落ち着いてきたところで、幸福に浸っているヒロトを見つめた。
ヒロトは俺の大学友達であり、その容姿から、学内ではかなりの人気を誇る。
ハッキリとした線のある凛々しい眉毛に、筋の通った真っ直ぐで滑らかな鼻。一見もの柔らかそうに見えるが、情熱の込められた青く光る瞳。これらでヒロトの男らしさを見せつけ、男女問わず視線を向けさせる。
そこに、色白でキメの細かい肌や、艶やかに膨らんだ唇の中で小さく尖った八重歯、さらには一本一本が真っ直ぐに伸び、光沢のあるグレーの長髪といった色気のある容貌が加わり、皆を虜にしてしまう。
まさにイケメンの中のイケメン。
しかも、コイツの凄さは容姿だけではない。
バイクの運転に関しても、かなりの腕前を持ち、まだ高校生だった頃に、とあるバイクレースの世界大会でメダルを保持しているそうだ。日本だけでいえば、ヒロトの右に出るものなどいない。
つまり、約束されしスピード狂、といった唯一無二の称号も持ち合わせているわけだ。
言うなれば、この世界の『主人公』。
容姿もパッとせず、人より特出しているものはこれといってない、平凡な俺とは大違いだ。本来だったら生きてる世界が違う人物。むしろどうして俺がこうしてコイツと二人きりでいられるのか、不思議でしょうがない。
「さっきからジロジロ熱い視線を向けてきてどうした? ピザを虎視眈々たんたたんと狙っているのか。はたまた、俺の美貌に見とれているのか。うぬぬ、これは難問」
ヒロトはピザを飲み込むと、俺にニヤニヤ笑いかけてきた。わざとらしく、あごを手のひらに乗せ、悩むそぶりも見せている。
「別になんでもない。ちょっと考え事してただけだ」
「……ふーん、図星か」
ヒロトは口角を上げては、俺を煽りに来る。
めんどくさいやつだ。
「夢だよ。夢のこと考えてたの」
「夢? 一体どんな? ヒロトさんに教えてごらんなさい」
カモンカモンと俺に右手を振りながら、左手で三枚目のフルーツたっぷりのピザを口にして、ヒロトは俺を熱心に見つめた。
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14 :てふてふ
2022/11/23(水) 22:20:25
適当に話をそらすつもりだったが、どうやら墓穴を掘ったようだ。ヒロトは好奇心旺盛な少年のように、生気が宿った眼差しを向けてくる。
俺は夢の話をするのを少しためらう。わずかな沈黙が生まれ、だんだんと心の中に黒いもやが立ち込めてきた。もし、それに触れてしまったら、俺は……。
ダメだ。
俺は静寂を破るように、フルーツピザにかじりついた。
まろやかなリンゴの風味をはじめ、果汁溢れるパイナップルや、ジューシーな果肉を誇るミカンがそれぞれの美味しさを存分に際立たせながらも、互いの味を絶妙なバランスで高めあっていた。
とても甘く、口が喜ばしい。間違いなく絶品だ。
ヒロトは突然ピザを食べだした俺を不思議そうな顔で見つめている。
「夢って言うのは……」
俺は覚悟を決め、話を始めた。大丈夫、これは夢。
「ある人の葬式に俺が出てたんだ」
「おっとまさかのシリアス展開。こいつはトンズラがよさげかな?」
ヒロトはお茶を一杯飲んで続ける。
「んで、それは誰の葬式なんだ?」
口にするのが怖い。だけど、いっそこういう話は誰かに打ち明けた方がいいのかもしれない。
「知らない人のだ。……ただ。俺がその人を……殺したんだと思う」
その言葉にヒロトは目を丸くして、ピザを口にいれながら戦慄する。
「トキト容疑者、人を殺したことが!?」
「夢の中の話だ! 夢!」
既にやっているとでも言いたげな表情に体内の心臓が一瞬固まる。
次第に、夢の記憶が頭に流れ込み、渦を巻き始める感覚がした。
気持ち悪い。
「まあそういうことなら無理に話さなくていいさ。それで結末は?」
気を使っているのかいないのか、ヒロトはすぐに夢の終わりを聞こうとする。大学で映画サークルに入っているやつの発言とは思えないが。
俺はため息を吐くと、この話のオチを告げた。
「爆発した」
「まさかの爆破オチ!?」
ヒロトは体をわなわなと震わせ、若干笑いかけていた。そして、結局吹き出した。
「ハハハハッ! なんだよそれ、ありえねー。映画の参考にすらならんぞ」
俺の夢が貶されているようで、少し腹が立ったが、同時にどこかで安心している自分がいる。
ヒロトは咳き込みながら、自身の黒シャツについた、お茶の水滴をティッシュで拭く。
「あ、そうだ。映画と言えば」
何か言いかけたかと思うと、いきなりヒロトの笑いは止み、徐々に歯切れを悪くしていた。目をあちらこちらに泳がせて、たまに片目で俺の顔をちらっと見てくる。
「もじもじしてどうしたヒロト?」
「あ、えっと。実はお願いがあるんだ」
口をまごつかせて、腰を曲げると、上目遣いで俺に視線を向けた。そのまま、思いきり前のめりに身を乗り出したかと思うと、途端に両手を合わせる。
「トキトの車、明日のクリスマスに使わせてほしいんだ! 神の施しをどうか」
これはまた意外なお願いだ。そしてこれでもかと言うほどに映画との脈絡が一切ない。
ああ、もしかして。
「今日俺をバイクに乗せてくれたの、車貸してほしかったからだろ」
「なっ、そそそそそらしどそんなわけ!」
分かりやすいやつ。いつもと様子が違ったのはこういうわけだ。
確かに俺は一台車を持っている。だいぶボロボロではあるが、運転性能はまったく衰えない外車である。
一体あの車を何に使うつもりだろう。彼女とドライブデートをするつもりだろうか。いや、ヒロトにはご自慢のバイクがある。それに、こいつは彼女を作らない主義だ。大学生活で一度もその手の話は聞かない。
それなら遠出でもするつもりだろうか。いや、ヒロトにはご自慢のバイクが……。
まあ、どのみち。
「何に使うつもりかは知らないけど、明日は俺も車を使うつもりだ。だからごめんな」
「そうかー。ま、しょうがないか」
ヒロトは分かりやすくうなだれながらも、自分に言い聞かせるようにして、すぐにいつものひょうきんな様子に戻る。
「神は死んだ」
いや、結構落ち込んでいた。
──────
と、そんなこんなで俺とヒロトは、このクリスマスイブを半分有意義、半分無意義に過ごした。その後、ヒロトのバイクで西笹浦駅のロータリーへ戻り、別れの挨拶を交わす。
「それじゃまたなヒロト」
「また来世でトキト」
ヒロトの雑な冗談はさておき、次ヒロトと会えるのはいつになるだろうか。早ければ明日、ばったり出くわすかもしれないし、冬休みが終わり、大学の授業が再開するまで会えないかもしれない。
結局は運命のみぞ知る、ということだ。
淡い紫色のハンカチをヒラヒラと振るヒロトを最後に見て、俺はそのまま家路についた。
どうせならと腕時計で時刻を確認。
──現在時刻、15時15分
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15 :てふてふ
2022/11/25(金) 23:33:41
──15時30分。
俺が家に帰ると、中から慌ただしい足音が聞こえてきた。足音は徐々に大きくなっていき、うさ耳パーカーを着たうさぎが早歩きで玄関に近づいているのが見えた。
「おかえりあにぃ!」
フードの隙間から垂れる、ウェーブのかかった黒髪を小さく揺らしながら、うさぎは口を大きく開いて、そのハムスターのように丸っこい顔面いっぱいの笑顔をこちらに見せる。
「ただいま」
俺は脱いだ靴を簡単に揃えると、洗面所に手を洗いに行く。
その後、リビングに置かれた人間一人分のソファに横たわり、全身の力を抜いた。
柔らかい感触に包まれ、気分が安らぐ。
「もう、あにぃ。昼間からそんなにグータラしてないでよ」
「そんなこと言われてもさあ。うさぎ、俺はもう疲れたよ。なんだか、とても眠たいんだ」
ヒロトとバイクに乗ったり、ゲームしたり、ピザを食べたり……俺は既に今日という日を満喫したはずなのに、まだ夜までは長いらしい。時間の流れがとても遅い。
うさぎはほのかにピンク色に染まった頬を膨らませては、ソファ横に垂れている俺の両腕を引っ張り、起き上がらせようとしてくる。
俺も負けじと背中に体重をかけた。ソファに深く沈む感覚が心地よく、口元が緩む。
そのままの崩れ顔で斜め上を見上げると、そこには二重のつり目を鋭くして、こちらを睨む怪物が存在した。
「起きろ。あにぃ」
「ひぇ」
さっきまでは暖かかったはずの背中に、得たいの知れない寒気が通り過ぎる。
うさぎはレッサーパンダのようなこじんまりとした鼻から、獲物を狙うチーターの如く荒い息を放ち、力いっぱいに腕を引きちぎり……いや、引っ張った。
急激な勢いで、腰から上が直立状態に早変わりする。薄情なソファめ。なんの抵抗もなしに、むしろ進んで俺を妹に手渡しやがった。
「することないならあにぃ、一緒にクリスマスツリー飾ろうよ!」
幼げのある顔を近づけ、うさぎはその眼力で圧をかけてきた。
嫌な顔はさせないとばかりに、真っ直ぐ細い眉毛をつり上げる。
俺は喜んで首を縦に振る。断じて嫌々ではない。
「じゃあ、早速始めるぞーー」
待ってましたと言うような所作とともに、うさ耳と腕を天井に伸ばし、妹はライトグレーの瞳を光らせた。
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16 :てふてふ
2022/11/26(土) 23:23:56
「最後に、てっぺんにお星さまを乗せてっと……。やったー! クリスマスツリー完成っ」
俺とうさぎは、1時間半ほどかけて、高さ170cmのクリスマスツリーの装飾を終えた。何かと大変だったが、苦労した分達成感が増すというものだ。
枝から、光沢のある鮮やかな緑の葉を互い違いに生やす欧米風のもみの木。その周りをLEDライトのツタが絡みつき、さらに上から赤いリボンの帯が巻き付く。
もちろん、小物だって充実している。
透き通るように輝く赤や金のオーナメントボールに、ベルを鳴らしながらふよふよと空で揺れる天使。人参にかじりつくクッキー型の茶色のうさぎなんてのもいる。
他にも、紅白の杖やひいらぎ、サンタにトナカイと盛りだくさんだ。
食卓の横に置かれたツリーは、部屋をよりいっそう賑やかにして、いよいよクリスマスが近づいていることを実感させた。
ピカピカ光る頂上の星を見上げるうさぎの瞳には、かすかな煌めきが混じっている。
「明日が待ちきれないね、あにぃ」
喉を元気に鳴らして、うさぎは俺を見た。
「ああ。そうだな」
首元の汗を服の袖で拭い、ゆったりと微笑んでみせる。
すると、我が妹も呼応するように白い歯を出して笑い返した。
「手伝ってくれてありがとう。あにぃ!」
うさぎの無邪気な笑顔は、いつだって俺を安心させてくれる。嫌なことも忘れて、頭を空っぽにできる。
その後も時間はゆったりと進み、俺は今年最後のはずのクリスマスイブの残りをいつものようにダラダラと過ごす。
夕食をうさぎとともに食べて、テレビの特番を見て、温かいお風呂に入って、歯磨きして……。
そうして俺は変わらない平凡に身を浸した。
──0時00分。
羽毛布団の中で、軽く思考する。
俺は柔らかなものに包まれていると、頭が冴えやすいのだ。寝るにはとても不便だが。
明日は今日よりも忙しくなるだろう。なんせ我が妹、うさぎに一日中付き合わなければならない。東笹浦駅でクリスマスイベントが開催されるため、一緒に行きたいということらしい。
夜には幸恵おばさんとパーティだし、今夜はしっかり休もう。
考えるのをやめ、まぶたをそっと閉じる。
その時だった。
「あ」
赤い。視界が赤い。
眼をつむれば真っ暗な世界が広がるはずなのに。
どうして。どうしてこんなに、端から端まで真っ赤に彩られているのか。
ダメだ。
俺は一度瞳を大きく開く。
部屋の電気は消え、窓からの月明かりもカーテンが遮っている。暗くてなにも見えない。
次に軽く深呼吸。釘を打つような胸の鼓動を静める。
そうして、俺は再びまぶたを閉ざした。
……今度は大丈夫なようだ。
ひとまず安心と言えよう。
そのまま呼吸のスピードをゆっくりにして、眠気が襲うのを待つ。
心のざわめきに蓋をして、俺は次第に意識を朦朧とさせた。
[
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17 :てふてふ
2022/11/28(月) 07:42:22
──12月25日7時35分
部屋の窓のカーテンを思いきり開き、外の様子を伺う。空は灰色の雲で埋め尽くされ、街を薄暗くしている。枯れ木がだらんと枝を垂らし、風にされるがままに揺れた。
視線を部屋の扉に合わせると、俺は重たいまぶたを擦ってパジャマのまま洗面所へ向かった。
鏡に写る間抜けな面と向かい合って、寝癖を整え、顔を洗う。
あくびをしながら、食卓に姿を現すと、うさぎが鼻唄混じりにフライパンを動かしていた。
個性の象徴であるうさ耳パーカーの上にオレンジのエプロン。片方のうさ耳には白いふわふわがついたサンタ帽子もある。
「おはよう、うさぎ」
「わっ! あにぃおはよう。今日はちゃんと起きたね」
俺の声に一瞬驚きつつも、すぐに緩く開いた口をこちらに向けた。
フライパンの中身を覗くと、雪だるま型のパンケーキがふっくらと焼けていた。
甘そうな匂いに腹の虫が騒ぎ始める。
「もう少し待っててあにぃ。……そうだ。飲み物用意してよ。私コーヒー」
「あいよ」
右手で小さな丸を作ったら、ポットに水を入れてお湯を沸かす。流し横の戸棚からコーヒー粉の入った小包みを取り出し、中を見た。
ちょうど二回分残っている。俺もコーヒーを飲もう。
「もうコーヒーの粉無くなるぞ」
「うそっ! じゃあ東笹浦行くついでに買っちゃお」
そうだ。今日はうさぎと東笹浦駅に行く。
東笹浦は西笹浦に向かう方面とは真逆のほうに位置し、徒歩で向かうには少し遠い。
だから今日は家の外にある黒の車を使う必要があるのだ。それをヒロトに貸すわけにはいかない。
沸騰したお湯を、ドリッパーに入るコーヒー粉に注ぎ、液体を抽出する。
そして、二つのカップを用意し、コーヒーを入れた。
白い湯気が温かい。
「できた!」
同時にうさぎもパンケーキを完成させ、すぐに平たい皿に盛り終えた。上ではトロトロのメープルシロップが細い川を作っている。
それらを食卓に置き、俺とうさぎは手を合わせる。
「いただきます」
食事を始めると、早速うさぎが両手を絡めて、幸せそうな顔をした。
「今日はクリスマスだよあにぃ。やることいっぱいでもう待ちきれん~」
うさぎは、フォークを空中でおどらせながら、やることリストとかなんとかを語っている。
俺はコーヒーを飲んでは、パンケーキをフォークで刺して口に運び、うさぎに相槌を打った。
「今日はあにぃと一日中デートだからね。ふふん」
「え、そうなの?」
「えーー! 知らなかったの? まったくあにぃは」
さも当然であるかのような物言いだ。
もしかしたら俺が聞きそびれていたのかもしれない。よく分からない気まずさにパンケーキをもくもくと口にいれる。
《本日は午後から、近年稀に見る大雪だそうですね。それでは詳しい天気を見ていきましょう》
テレビでは、天気予報士のお姉さんが今日の天気を解説していた。
「今日はホワイトクリスマスか」
本当は今日より前には知っていたが、初めて聞いたような口調で話す。
うさぎはまた表情を恍惚とさせて、小声でごちゃごちゃ言っていた。怖い。
──7時53分
「ごちそうさま」
朝食を終え、皿洗いをしたら、リビングで何気なくテレビを見る。
戦隊もののアニメ、『ヨソジ戦隊ワカインジャー』がクライマックスに突入していた。
《く、くそ! このままじゃ》
《ぐへへへここまでのようだなワカインジャー達よ。更年期の呪いには勝てまい》
《テレッテレッテレー♪ かーたこーりー、みーみなーりー、なーんのそーのー》
《こ、これは……オープニングだと!?》
《ワカインジャー、オープニングよ! オープニングが流れたわ。これで勝てるわ、頑張ってー》
《むむ、こしゃくなー。ならば》
《あ~あ~♪ 明日は月曜日~。なんか~、けだるいな~》
《え、エンディング、だと》
《しかも味方が死んで、仲間に意思を託すときに流れる系のメロディよ! 気をつけて!》
《ぐはっ》
《ワカインイエロォオオオ!》
《後は……頼んだ》
──9時25分
俺は緑のモッズコート、うさぎはうさ耳パーカーを身に纏い、家の玄関へ。
鍵置きにぶら下がる玄関の鍵、それと車の鍵を手に取り、外に出た。
「さぶっ」
俺は体を震わせ、白い息を吐く。コートのポケットに手を突っ込みながら、車に乗り込み、エンジンをかける。
途端に、黒の車は、馬のようにその鳴き声を轟かせた。
「それじゃ、しゅ」
と、言いかけると。
「しゅっぱーーつ!」
うさぎが腕を上げて、興奮ぎみに言い放った。
車はゆっくりと加速をしていく。
さあ、クリスマスの始まりだ。
[
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18 :てふてふ
2022/11/29(火) 17:00:17
車は我が家を後にし、西笹浦駅とは真逆の方面へと続く一筋の道を進む。途中までは、等間隔に並ぶ曲がった街灯がひたすら見え、通る車や人影はあまり多くない。
もう少し進むと、次第に賑やかな通りが姿を現した。車を左折して、その通りを走るあまたの車の流れに沿うようにする。すると、右手前方に一本の高い塔のようなものが見えてきた。時計塔だ。
そして時計塔は東笹浦駅に立つ。つまり、あの塔に向かって走れば、自ずと目的地に着くというわけだ。
──9時48分
「着いたぞ」
「お疲れあにぃ」
車は東笹浦駅近くの駐車場に停め、俺とうさぎは車を降りる。車内とは段違いの空気の冷たさに、歯が震え始めた。心なしか、出発前よりも気温が下がっている気がする。
両腕で自分の身体を抱き、少しでも寒さを緩和しようと試みる。
「はい、あにぃ」
見ると、うさぎはいつの間にか首に巻いていたマフラーの半分を俺に寄越してきた。ダークブラウンの生地に赤と青のチェック模様が入っている。
うさぎは得意げにこちらを見つめる。「寒そうにしている人に気が使える私、すごいでしょ」とでも言いたげな目だ。つまり……。
「一つのマフラーを一緒に巻けと?」
「その通り、ありがたく頂戴するんだ」
「……」
──9時54分
駐車場から歩いてきて、駅がとうとう目の前に見えた。
東笹浦駅やその周辺ははとにかく広い。
駅舎は、白のレンガで覆われていて、横に長い。その中央には三本の塔が伸びていて、中世の城を彷彿とさせるデザインだ。
さらにその後ろに、一本の巨大な塔が高く敢然と立ち、存在を誇らしげに知らしめていた。道中に見えた、時計塔である。ローマ数字が時計の円上に書かれ、二本の黒い針が時刻を指し示す。
そして、時計の上には黄金の鐘が。この鐘は一年に二度鳴る。しかもその音が響くとき、同時にとあることが起きるのだ。
また、駅前の広大な広場では、年中様々なイベントが催される。今回開催されるのはもちろんのことクリスマスイベントである。
広場を囲む木々には、たくさんのイルミネーションのライトが巻き付いて、世界が暗くなるのを静かに待っていた。
広場の中には、多種多様な屋台が集まり、真っ赤なリボンやもみ枝のガーランドなどで飾りつけされている。夏祭りの屋台とはほど遠い、西欧風のクリスマスチックな雰囲気だ。
他にも、中央にはどでかい12mのクリスマスツリー。そこから少し離れた位置に場外のライブ兼コンサート会場。
何度見ても、この光景を前に心臓のドキドキは止められない。
この街のクリスマスイベントは本当に盛大で、毎年たくさんの観光客もやってくる。いつか無形文化遺産に登録されるのも夢ではない。
そして俺とうさぎは互いに頷くと、ついに広場に足を踏み入れた。
「な、なんだあれ」
「お笑い芸人?」
「近づかない方がいいかも」
……さっきから妙な視線を感じる。いや、事実見られている。俺たちが歩く姿を見て、近くの人々が目を丸くしているのだ。
そしてその理由は自明だった。
吹き荒れる北風に、二人の男女。一人は緑のモッズコートを、一人はピンクのうさ耳パーカーをはためかせ、純然とした瞳で、前一点を見つめる。
二人の首もとを繋ぐのは一本の茶色のマフラー。
絶望的な色の組み合わせ、絶望的なファッションセンス。うさぎパーカー女は歯をむき出しにして笑い、凡顔モッズ男はマフラーに首を絞められて白い息を頻繁に吐く。
傍から見れば、俺たちの存在は不気味なことこの上ない。
「あにぃ! もう少しでイベントスタートだよ」
「……ひぃ、ひぃ、ふぅ」
「どうしたのあにぃ? 顔青いよ?」
「鎖に首を絞められている。助けて……」
──9時59分
なんとかマフラーを外すことに成功した後は、広場のライブ会場に急いで向かう。
人がごった返しているが、なんとかコンサートの様子は見れそうだ。
舞台の上には端正な佇まいをした大勢の男女が椅子に座っている。その手には、バイオリンやトランペット。
観客の前で、一人の男が丁寧にお辞儀をした。
「聖なる一時にこの場にお越しくださったこと、誠に感謝申し上げます。さて、時刻は間もなく10時を迎え、時計塔の上の鐘がクリスマスイベントの開始を告げます。皆さまには、是非私とともにカウントダウンをしていただきたく存じます」
男は、時計に目を向け、一息つく。
──9時59分48秒
「それでは参りましょう」
一瞬、周囲が静まり、世界が止まる。
そして、まばらに聞こえる息を吸う音。
現在時刻──12月25日9時59分50秒
カウントダウン、スタート。
「10! 9! 8! 7! 6! 5!──」
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19 :てふてふ
2022/12/02(金) 01:09:44
「4!」
「3!」
「2!」
「1!」
「0!」
観衆の声が見事に調和し、聴き心地のいい残響が辺りを支配した。
時計塔の短針がⅩを指す。
同時に、遥か上方にある黄金色の鐘がゆっくりとその巨体を揺り動かし、荘厳たる和音を轟かせた。
皆が耳をすまし、鐘の音を吸い込んでは目を閉じる。
直後、地面がわずかに震動し始める。
広場中央にそびえ立つクリスマスツリーに視線を移すと、もみの木の底部分が、地面ごと上昇していた。
土の中からはねずみ色の太い円柱型の石が姿を現す。
直径が木の幹よりも二回り以上大きく、ツリーの鉢のようにも見える外観だ。
石の周りには、ぎっしりと文字が書き連ねられていて、その中でも特に深く彫られた言葉が目立つ。
「with happiness Xmas」
こうして毎年鐘が鳴ると、クリスマスツリーの真下で眠る慰霊碑が目を覚まし、頭を覗かせるのだ。
しばらく静寂の時が過ぎると、舞台上の男が再びお辞儀をして、指揮棒を取り出した。
そのまま縦に一振り。
刹那、シャンシャンとベルの軽快な音とともに、チェロやバイオリンが美しくも愉快な音色を響かせた。
クリスマスの代表曲、ルロイ・アンダーソンの『そりすべり』だ。
こうして、冬の灰色の寒空の下で、クリスマスイベントが華やかな幕開けを迎えた。
──12時37分
「アメリカンドッグ二つ下さい!」
「はいよ」
「ありがとうございます! あにぃーー!」
うさぎは、屋台で買ったアメリカンドッグを両手に、うさ耳をぴょんぴょんさせて駆けてきた。
一つを俺に手渡すと、早速一口食べ始める。
「美味しい! やっぱ外で食べるアメリカンドッグは格別だぁ」
頬に手を当て、幸福そうな顔をする。
どれ、俺も頂くとしよう。
アメリカンドッグの串を横向きにして、そのまま勢いよくかぶりつくと、中のソーセージの肉汁が口中に溢れだした。口の隙間からハフハフと息を吐いて、その熱さに耐える。
「美味しいな」
「ほら! あにぃ」
うさぎは柔らかな笑顔で俺に串を向け、アメリカンドッグの一部を差し出した。
俺は口を開け、うさぎは「あーん」と言いながらそっとそれを中に入れる。
口を閉じると、皮のもちもちの食感が感じられた。
もちろん味はまったく同じだが、なんだか心が暖かくなった気がした。
俺も自分のアメリカンドッグをうさぎに食べさせる。兄妹ならよくやる交換こってやつだ。
「えへへ」
うさぎは口元をマフラーで隠し、目を優しく細めていた。相変わらずお母さんに似た目つきだ。
俺たちはアメリカンドッグを食べ終えて、また広場を歩き回る。
「あにぃ! シューティングゲームで勝負しよ!」
「お、いいな」
「負けねっぞー」
うさぎに手を引かれながら、俺は次なる戦場に連れてかれた。
ああ、なんて幸せな一日だろう。
街の人々が互いに笑いあって、支えあって、このイベントを一生懸命に楽しんでいる。
うさぎもいつも以上に心を昂らせていて、兄として不甲斐ない自分もその笑顔に安心させられる。
こんな日がずっと続いていれば、いいのにな。
──16時26分
「今日はもっともっと盛り上がってこうぜぇえ!」
ライブ会場では有名なギターバンドが、激しい演奏で観客を熱狂させていた。
白い弦が弾かれるときに見える一瞬の煌めきが、この荒れた音の吹雪が流れるような空間に、冬の儚さを織り混ぜていて、なぜだか幻想的に思えてしまう。
そして、俺が彼らの世界観に目を奪われていたその時だった。
「あ……。あにぃ!」
うさぎが驚きと嬉しさを1:1で混ぜ合わせたような表情を見せた。
ポツリ。
頭に湿っぽい何かが当たる。
上を見上げてみると、──それは雪だった。
灰空からゆらりゆらりと舞い降りる、小粒の透き通った結晶。地面につくと、たちまち土に溶け込んで、世界を見上げ始める。後に続く仲間たちが無事にやってくるのを見守るために。
「綺麗……」
うさぎはパーカーのうさ耳フードを下ろし、頭部のアホ毛をあらわにした。
これは妹なりの、今は亡き親への愛情表現。
そのライトグレーの瞳はどこまでも輝いていて、きっと雲の上の二人にも、うさぎが見えているはずだ。
「うさぎ」
俺はうさぎに近づき、その髪を波に沿って優しく右手でなぞってみせた。
うさぎはこちらを向かないが、小さなさえずりがかすかに聞こえてきた。
お母さん、お父さん。
俺とうさぎは、幸せに暮らせてるよ。
だから。
……。
……いや、なんでもない。
俺はうさぎと一緒に上を見上げた。
雪はギターの音色とともに、次第に強さを増していく。
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20 :てふてふ
2022/12/05(月) 23:42:18
──19時22分
「ふひゃあ! 寒いねあにぃ」
「まさかこんなに雪が降るなんてな」
今朝の天気予報通り、空に浮かぶ雲はますます暗い炭色に染まり、白い雪の粉が斜線方向一直線に振り続けていた。うさぎは俺の腰にしがみついて、寒さになんとか耐えようとしている。うさ耳が首もとをかすめて、少しくすぐったい。
イベント開始から時刻は進み、すっかり日の光も消えて、駅舎や広場にはイルミネーションが灯っていた。
赤白緑と多彩なきらめきが、湿っぽい空気を吸いながらゆらゆらと揺らめいているのを見ると、どこか夢見心地に思えてくる。
俺とうさぎは、地面に敷かれたホワイトカーペットを踏みしめながら、広場を一周して様々なイルミネーションを見て回った。
どれも綺麗だが、その中でも特出して美しかったのは、やはり中央のクリスマスツリー。
頂上でまばゆい光を放つその星くずのライトは、広場のどこからでも見え、この白闇の世界での道しるべとなっていた。
この巨大な木があると、なんだか心が安らぐ。
──19時32分
「うんっ。今日は楽しかった! ね、あにぃ」
クリスマスイベントを思う存分楽しみきって、もう帰ろうと駐車場に向かう最中だった。駅舎前でうさぎは俺の横で、両腕を広げて上を見上げ、雪を浴び始める。
「はぁ~、気持ちいぃ」
「寒いだろ」
「うん、寒い。それに冷たい」
うさぎは俺を見て、かすかに頬笑む。
そして、頬をほんのり赤く染めた。
「今日はありがと、あにぃ」
「ああ、俺も楽しかったよ」
「……夜明け祭にも来ようね」
「そうだな」
俺たちは指切りげんまんを交わして、約束を守ることを誓う。
その時だった。
「……え」
うさぎがつり目を大きく開いて、俺の背中側にある駅舎の方をまじまじと見つめた。
どうしたのだろう。
「なんかあるのか?」
俺は後ろを振り返り、うさぎの視線の先にあるものを探ってみる。カップルや家族が仲睦まじく話しているのが見えた。クリスマスだからか、昼ほどではないものの、まだ多くの人がこの場に残っているようだ。
「あにぃ」
どことなく平坦な声がうさぎの口から発せられる。
俺はまた前に向き直した。
そこには、やけにニコニコとした妹の笑顔が。
「あっちに高校の友達がいるの! 会いに行ってきていい?」
そういうことだったか。
高校は冬休みで、しばらく友達に会えていないからか。うさぎはなんだか身体をそわそわさせている。
「もちろん」
俺は右手をヒラヒラと空中で泳がせて、うさぎに駅舎の方に向かうよう促してみせた。
「じゃ、行ってくるね!」
俺の返事と同時に足とうさ耳をばたつかせ、うさぎは手を振りながら駆けていった。
──19時47分
携帯から、場違いなポップなメールの着信音が鳴った。妹からだ。
すかさず、文面に目を通す。
『ごめんあにぃ! 友達ともう少し話すかもだから、先に家に帰っててくれない?
私はタクシーで帰るから!』
『OK。9時には家に着くようにな。おばさんが来るんだから。あと、雪もっとひどくなるから気を付けろよ』
俺は簡単な返事をして、携帯をコートのポケットにしまう。
友達との会話はどれほどかかるのだろうか。なんたって今日はクリスマス。きっと華咲く話題も多いはずだ。
まあ、気長に待ってやろう。
──19時51分
俺は小さな鼻唄でリズムを刻みながら、駐車場へと歩を進める。
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21 :てふてふ
2022/12/18(日) 00:23:13
──19時57分
東笹浦駅を抜け、駐車場に着いた。
赤黒灰緑、どの色の車も雪をかぶり、真っ白な塊と成り果てている。
俺は記憶を頼りに自分の車を見つけては、雪を払い落とし、すかさず中に乗り込む。そしてすぐに暖房をつけ、温風に手を当てた。かすかな冷気が体外に飛び出していくのを感じた。
「それじゃ帰るか」
エンジンをかけると、車体が小刻みに揺れ始める。そのまま右足でアクセルを踏むと、ジャリジャリという雪の音とともに、車は発進した。
──20時05分
少しの待ち時間の後に駐車場を出て、賑わう車道に入る。
大雪のためか、やはりいつもの何倍、いや、何十倍も混雑していた。
あまたの車がワイパーを立てて、ちぐはぐな間隔でフロントガラスの雪を除ける。
どれもがぜんまいの錆びたメトロノームのように、ぎこちなくその身を揺らしていた。
「はぁ……はぁ…はぁ、はあっ」
……どうして。どうして、まばらに震える振り子たちを見るだけで、こんなにも息をするのが苦しくなるんだ。
──20時10分
カチ、カチ、カチ。
次第にワイパーから発せられるのは、時計の針のような音。
いや、ワイパーからそんな音がするはずない。
俺の、幻聴なんだ。
だから、落ち着いてくれ、俺。なんでますます息を荒くする。これは幻聴だ。
そうだ。この先起こることも全部幻なんだ。
「違う、違う。違う」
鼻からも、口からも、生暖かい乾いた空気がひっきりなしに飛び出す。
喉は酸素を求め、一心不乱に全てを飲み込んでいく。
わずかな酸素に、大量の唾液が喉をこじ開け、咳が止まらない。
必死に肺から空気を送り返す。
海に溺れてしまったかのように、次第に息が絶え絶えになっていく。
ダメだ。
俺はカーラジオをつける。
ちょうど、クラシック音楽の放送が流れていた。
ピアノの滑らかな音色の繋がり。全身を吹き抜ける爽やかな旋律の風。とても聴き心地がいい、が。
それでも過呼吸は、止まらない。
──20時15分。
《……さんは、最近どんな夢を見ますか?》
《そうですね。昨日は、舞台の上でピアノを弾く夢を見ていました》
雪がさらに強くなっていく。
フロントガラス先の景色は、舞い散る白粒に覆い隠され、常に先の見えない不安に駆られる。
周りの車が雪の中に消えていく。
前も後ろも、右も左も。全部、全方位が真っ白だった。
似ている。あの情景に。夢で見た、あの白だけの世界に。
《それじゃ、夢と現実でなにも変わりませんね》
《あはは》
「は?」
違う。あれは夢だ。あんなの、現実なほうがおかしいんだ。お前らは何も分かってない。
「夢、なんだよ……」
──20時20分
カチカチカチカチカチカチカチカチ。
おかしい、おかしい。
なんで時間がこんな早く進むんだよ。
世界が、一刻一刻と、歩み続けていく。
足を掴んでも、ただ引きずられるだけ。
やめてくれ。
いいじゃないか、もう。俺は。
「なあ、いつまでこんなことしてんだよ」
え……。
なぜか、俺の耳にはラジオとは別の人の声が聞こえていた。
車内には俺しかいないはずなのに。
俺は、右左を見る。だがそこには、白く凍りついたガラスがあるのみで、人の姿は見えない。
じゃあ誰だ。誰なんだよ!
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22 :てふてふ
2022/12/19(月) 15:18:52
「いい加減さ、目ぇ覚ませよ」
なにを言ってるんだ。ここは現実だ。
ハンドルを握る手の感触、足裏に伝わるアクセルとブレーキの重み。
確かに俺は、今この時を生きてるんだ。
「そうだ。ここは現実だ。だが、他人とは決定的に違う感覚で今を生きている」
やめろ。やめてくれよ。
俺は他人と同じ感覚で生きている。至って平凡な人間だ。
「なあ、この景色に覚えがあるだろ。この白で覆われた世界に。そして、あのオルゴールの音色に」
俺の心を見透かし、追い詰めるように語りかけてくる口調が俺の鼓動、そして吐息を荒くさせる。
苦しい。呼吸が上手くできない。
《続いての曲はこちら、ロベルト・シューマンの『トロイメライ』です。どうぞ》
カーラジオから、ゆったりとした出だしのピアノの一音が響いた。その後には、上がり下がりを繰り返す美しい音階変化。
たしかに、覚えている。
白の虚無に鳴るオルゴールの音。
でも、夢だ。
「現実だ」
夢だ!
「時計を見てみろ」
え……?
俺は言われるがままに、腕時計に一瞬目を向ける。
──20時30分
あ、あぁ……。
「分かるだろ?」
頭が真っ白になって、鼻息ばかりが荒くなって。そうして心臓が絞めつけられ、喉元を無がひたすらに通り抜けていく。
どうしても、それが残酷な数字に見えてしまう。
「いいか、あと5分だ。分かるな?」
黙れよ。
「おい、しっかりしろよ」
黙れ。黙れ。黙れ黙れ黙れ黙れ。
「おい」
「──黙れっ!」
あれ……?
辺りが静まった。
その言葉を皮切りに、声は聞こえなくなったのだ。
たぶん、幻聴だったんだ。
そうだ。俺はこのまま家に帰って、幸恵おばさんとうさぎ、三人で、クリスマスパーティーをするんだ。
この先にあるのは幸せだ。
なのに、それなのにどうして。
こんなにも涙が溢れてくるんだ。
《続いての曲はこちら、フレデリック・ショパンの『夜想曲第9番』です》
いつの間にか、カーラジオからは次の曲が流れていた。
全体的に優しいメロディだが、安定しない旋律、時折訪れる音の途切れが不安を煽ってくる。
音と音の間が短いときもあれば伸びるときもある。それが、まるで時間の流れを表しているようで、俺自身を表しているようで。どうしようもなく切ない。
フロントガラスのメトロノームは相変わらず右へ左へ揺れ、かすかな視界を俺に与えていた。
でも、見えない。
涙で視界があやふやで。
じゃあ俺はどうして今車を走らせることができている?
それは──記憶を頼りにしている?
違う。そんなことはない。
ダメだ。
別のことを考えろ。考えろ。
……。どうして、周りには白しかないんだ。
それじゃなにも考えられない。頭の中まで真っ白になりそうだ。
──20時34分
俺は大通りを脱して、我が家に向かう一筋の道に入った。
依然として雪の強さは増し続け、右側にあるはずの街灯の光も視界に映らない。
だが、あと少しで家に着く。
数分車を走らせれば、その先に幸せがある。
車内を流れる曲も終盤に差し掛かり、紡いできた音の層も次第に薄くなる。
大丈夫だ。大丈夫だ俺。
大丈夫、心配することはない。
あれは夢だ。
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23 :てふてふ
2022/12/23(金) 22:02:45
──20時35分
心臓が波打っている。胸を触らなくても分かるほどに激しく鋭い。
瞳孔が最大限に開き、涙が顔中を伝っていく。
一瞬、雪が弱まったようだった。
ワイパーの一振りと同時に、周りの景色が少しだけ鮮明に見えるようになった。
前方には雪の道、左には凍りついたコンクリートの壁、右には街灯の列。右斜め前には狭い路地裏が見えた。
そこには人も、車の姿も無い。
「ほっ」
これで一安心だ。
やっぱりあれは夢だった。
俺は心配し過ぎていたようだ。
そう思っていた時。
ラジオから突如不協和音が鳴り響いた。
今までの夢見心地なメロディを全てせき止める晴天の霹靂。
その後の激しい音の高揚に肩が震え上がる。
同時に、空から雪がなだれ落ちてきた。
フロントガラスに雪波が押し寄せ、一切の視界が閉ざされた。
ワイパーの金切声とともに、波が徐々にひいていく。
あまりの衝撃に俺の思考は停止したままだ。
だからすぐに気づけなかった。
──ガラスの奥で立ち尽くす、一人の女性に。
車の先端から鈍い音が響く。
ラジオの音楽が途絶えた。
急ブレーキとともに、身体に深刻な負荷がかかる。
さっきまで時間は俺を待ってくれなかったのに。
その一瞬だけが、何百倍にも遅く感じられた。
フロントガラスが映画のスクリーンのように、様々な光景を映し出す。
曇天から降り注ぐ雪の流星群。その中を漂う紅白の濃霧。
車輪の起こす地吹雪とともに弾け飛ぶ肉塊。
雪の粉の隙間から飛び出す真っ白な腕。
赤みがかった細い太もも。風にあおられ逆立つ亜麻色のポニーテール。ほつれかけた麦色のニット。俺をまっすぐに見つめる虚ろな翠眼。天に向かってたなびく純白のダッフルコート。所々破けた黒タイツ。銀世界に輝く乾いた涙。切なげに開かれた小さな口。衝撃で歪む顔の輪郭。両手から抜けた手編みの赤い手袋。首もとで緩む真っ赤なマフラー。腰辺りで捻れた胴体。
ガラスに叩きつけられた、イチゴ柄のリボンヘアゴム。
女性はそのまま地に落ちて、両手両足をだらしなく垂らした。
車も彼女の直前で止まる。
今すぐ彼女に駆け寄って、大丈夫ですか、と言わなければいけない。
それなのに俺は、すぐにその場から動かなかった。動けなかった。
「あぁ……。あああ……」
人を轢いたやつが、どうしようもなく、情けなく泣いていた。
鼻水を垂らして、服をよだれでよごして、涙を大量に溢れさせて。
そんな権利、あるわけないのに。
喉の奥から、気持ちの悪い駄声が自然と漏れる。
目の前の惨状を見なければいけない。でも、見たくない。
彼女がまだ生きている可能性があるのに。
「いや、生きてるわけない」
喉が絞めつけられる感覚とともに、また、誰かの声が聞こえた。
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24 :てふてふ
2022/12/25(日) 00:36:36
「もう、分かってるじゃないか。最初から分かってたじゃないか」
すると、今度は俺の手足が引っ張られる感覚がした。すかさず潤んだ視界で真横を見る。誰もいない。
つまり、俺の身体は、何者かに支配されていた。
俺の手で、力一杯に車のドアが開かれる。
「もう、終わりだ。早く救急車に連絡しないと。何の意味も無いのに」
嫌だ、見たくない。車から出たくない。お願いだ。俺を引きずり出さないてくれ。
「俺は罪人だ。俺は最低最悪な人間だ」
俺? なんでコイツは自分を責めているんだ。
彼女を轢いたのは俺なのに。
ああ、そうか。コイツは……。
車を出ると身体が暴風を受け、勢いよく崩れ落ちた。
下を見ると、水滴がボタボタと、薄い雪の層を何度も打ち続けていた。
見た目だけは透き通った水晶のようだが、その実、俺の汚く醜いだけの瞳の泥だった。
前を向けば、彼女がいる。
向き合わなければいけない。現実に。
もう、ダメだ。
「いいか、俺のせいでこうなった。手の打ちようはたくさんあった」
前髪を鷲掴みにされる感覚。抗おうとしても、無理矢理と視線を前に移させられる。
残酷な現実が、そこにはあった。
街灯がスポットライトのように、女性を照らす。
瞳を閉じた彼女は、全身を雪の粒に容赦なく殴られていた。頭からは、絵の具のように濃いドロリとした赤が止めどなく流れては、白を蝕んでいく。
「俺のせいだ。俺が、“現実逃避”なんて、馬鹿なことをしていたからだ」
心臓が揺れ、吐く息が不規則に荒れていく。
やっと、気づいた。
車の中で話しかけてきたのも、車から俺を引きずり降ろしたのも、今前髪を掴んでいるのも。
その正体は全て、紛うことなく俺自身だった。
同じ時を一度繰り返した俺が、現実から逃げる今の俺を責め続けていたんだ。
俺は既に一度、この時間を生きていた。
そして、もう一度この銀世界をやり直していた。
それなのに、そのはずなのに!
俺は、何もしなかった。
全て夢だと自分に言い聞かせて、何も知らないふりをした。時計を何度も見ては秒針に震え、その度に恐怖を押さえ込んでいた。
一度目の今、俺は彼女を轢いた。
その現実から、逃げ続けていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。俺が愚かだった。俺のせいだ。俺が殺した。俺の罪だ」
俺は携帯を取りだすと、身につけていたコートで彼女を覆った。
せめてもの罪滅ぼしのつもりだろうか。
自分の全ての行動が、俺をイラつかせる。
すぐに携帯の画面上で、119の数字を打ち、耳元に寄せた。
雪の粉が目に入り、涙に溶けて流れていく。
「はい、はい……そうです」
電話先から来る、通話相手の重々しい真面目な口調。
重圧が頭からのしかかってくる。
「……分かりました。はい、お願いします」
俺の返事と同時に電話が切れた。
俺は空を見上げた。
どんなに目を細めても、月も星も見えない。クリスマスツリーのような煌めきは、灰色の雲に侵されている。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
膝から力が抜ける。手足が白に埋もれていく。
嗚咽が一向に止まらない。
こんな俺を、誰も許しはしないだろう。
「ごめんなさい。うさぎ。お父さん。お母さん」
降る雪はますます鋭く吹き荒れる。俺の罪を咎めるように。
12月25日20時35分2周目。
俺はまた人を殺した。
[
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25 :てふてふ
2022/12/29(木) 23:50:54
凄惨な現実を目の当たりにして、俺はもう何も考えられなくなった。
胸にぽっかりと穴が空き、中を冷たい風が吹き抜ける感覚。俺は、神様がくれたやり直しのチャンスを無駄にしてしまった。
俺の全てが終わりを迎えたんだ。
視界いっぱいの白が次第に真っ暗になっていく。どうやら俺は、瞳を閉じたらしい。この先で起こる、地獄を見ないようにするために。
──時間の流れが加速する。
暗闇に響くたくさんの音が、次々に耳に入っては出ていった。
救急車の不気味なサイレン。バックドアの開く音、女性を乗せた担架がわずかに揺れる音。その直後にパトカーが近づいてくる。
「とりあえず、車の中で話しましょうか」
寒さで乾いた警察の声。
俺の背中を手で押される感覚と、パトカーのドアが開く音。
──時間の流れが加速する。
「トキトくん、人を轢いたって……」
真夜中の静寂な警察署の壁を反射する、語尾がかすれたおばさんの震え声。小刻みに鳴る、慌ただしい靴底の音色。
「ごめん……。ごめんなさい」
──時間の流れが加速する。
俺の部屋を支配する目覚ましの雷鳴。窓の外で荒れ狂う風のざわめき。
部屋のドアの軋みとともに聞こえてきた、うさぎのささやき。
「あにぃ……大丈夫?」
「ごめんうさぎ、一人にさせてくれ」
「……。ごめんあにぃ」
──時間の流れが加速する。
「それじゃトキトくん、行こうか。うさぎちゃんはお留守番よろしくね」
「うん」
──時間の流れが加速する。
積もった雪を踏みしめる音。
おばさんのいつものはきはきとした口調。
「しっかりしてね。ご遺族様に失礼の無いように」
「……ごめんなさい」
「トキトくん……」
そして世界は──12月26日18時15分を迎えた。
辺りを占めるのはポクポクと、小気味よく、軽快に鳴る木魚のリズム。そして、お坊さんの発する厳かで力のあるお経。
その泰然に伸びる旋律に合わせて、時の流れが次第に遅くなっていった。
「トキトくん。ほら、しっかり!」
幸恵おばさんが背中を強く叩いて、活を入れてくれた。
ああ、そうか。俺は地獄を受け入れなきゃいけない。逃げることは許されていない。
俺は肩の震えをなんとか抑えて、恐る恐るまぶたを開く。突然、瞳に眩しい光が入り込み、同時に黒の喪服を着た人々の姿が見えた。皆静かに椅子に腰かけたり、焼香の列を作ったりしていた。時折、鼻水をすすり上げる音が聞こえる。
鼻に染み付く抹香や焦げた炭の香り。
さらには、屋内に漂う鬱屈とした雰囲気。俺は改めて、ここが葬儀の場であることを理解した。
それも、俺が昨日車で轢いた女性、廻音イチゴさんのための催しだ。
本当に、俺はここにいていいのか。俺にそんな権利があるのか。
この場を覆う悲しみ全てが、俺のせいなのに。
周りからの冷たい目線をずっと感じる。
早く出ていけ。消え失せろ。この罪人。人殺し。きっと皆そう思っている。
だからもう逃げたい。帰りたい。一人になりたい。
それでも我慢しなくちゃいけない。罰を受けなくちゃいけない。
おばさんと共に祭壇に向かう焼香の列に並ぶ。その間にも、椅子に座る女性が耳打ちするのが見えた。
「あの子よ」
「よくもまあ来れたわね」
「あいつがイチゴを殺した」
「イチゴに近づくな、人殺し」
「帰れ」「帰れ」「帰れ」
次第に耳に入る声の数が増えてくる。
男性女性、子供老人。お坊さんも。みんな俺を責めている。
「かーえーれ!」「かーえーれ!」「かーえーれ!」
「かーえーれ!」「かーえーれ!」「かーえーれ!」
ごめんなさい。ごめんなさい。
俺みたいなやつが、のうのうとやって来てごめんなさい。
帰りたい。早く消えてしまいたい。
「かーえーれ!」「かーえーれ!」「かーえーれ!」
もう嫌だ。
俺は耳を塞ぎ、腰を後ろに曲げる。
連動して、つま先が出口方面に向き始めた。
その時だ。
「──トキトくん、ほら」
「あ……」
おばさんの強く暖かみのある声が、耳を貫いた。
すると、さっきまでの帰れコールは途絶え、また辺りはお坊さんの読経だけに支配された。
どうやら幻聴、だったらしい……。
いつの間にか焼香の順番が回ってきていたため、すかさずイチゴさんの遺族と思われる三人にお辞儀をする。
俺の礼に深々と頭を下げてくれた二人は、彼女の両親。残り一人の俺と同年代に見える男は眉をひそめ、俺を睨み返してきた。彼女の兄か弟だとは思うが、正確な関係性は分からない。
正面に向き直り、白百合の咲き誇る祭壇を見つめる。真ん中には、優しく微笑むイチゴさんの写真。
そしてその手前には、イチゴ柄のリボンヘアゴム。
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26 :てふてふ
2023/01/05(木) 23:47:58
イチゴ柄のリボンヘアゴム。それを見るだけで、事故当時の映像が鮮明に頭をよぎる。
写真の中のイチゴさんに黙礼をしたら、すぐにヘアゴムから目を逸らし、俺はその下の純白の棺に視線をずらした。
ベージュの壁に包まれた空間の端で、妙な存在感を示すそれは、満ちた悲哀を溢れさせて横たわっていた。中ではイチゴさんが、覚めない夢にさいなまれているのだろうか。
焼香台上にある抹香を指でつまみ、額まで上げたら、香炉にそっとくべる。ちりちりと、か細い煙が揺れては消えていく。
瞳を閉じて、イチゴさんに合掌。数秒後に再び瞳を開くと、目の前に俺に笑顔を向ける彼女がいた。
そんな目で俺を見ないでくれ。
俺はあなたを殺した張本人だぞ。
慈愛に満ちた翠眼が、俺の心をきつく縛りつける。
屈託のない聖母のような微笑みが、目に焼きついた。
最後に遺族にもう一度礼をしなければならない。そう頭で考えたときには、既に足が動き出していた。向かった先には、イチゴさんの遺族達。
「あ……」
幸恵おばさんのかすれ声が鼓膜を小さく震わせる。視界に映る三人も、目を丸くして固まっていた。
そのまま俺は三人の真ん前で腰を深く曲げた。こうでもしないと、罪悪感に押し潰されそうで、怖かったのだ。
「本当に、ごめんなさい!!」
自然と口から溢れたのは、敬語の一つもない、子供じみた謝罪だった。
顔を下に向けると、両目に溜まっていた涙がどんどんと垂れてくる。
その一瞬で会場もざわめき始める。
「全部俺のせいです。俺が悪いんです」
激しい鼓動と荒い呼吸の音が耳にずっと流れ続け、頭がガンガンと絞めつけられる。後ろからはおばさんの慌てふためく靴音が聞こえてきた。お坊さんのお経も少しだけ間が空き、動揺を感じ取れる。
そして、必然的に生まれる静寂。
「……顔を上げて」
沈黙を破ったのはイチゴさんのお母さんだった。俺はその言葉に従う。
前を見ると、彼女の顔にはどこか陰りがあって、それを笑顔で無理矢理に隠しているようだった。
「今回のことは、『事故』だったんでしょう? あなたのせいじゃないわ」
優しい口調を保って、彼女は言う。子供を失って一番悲しいはずなのに、涙一つ流さず、俺をまっすぐに見つめた。
「違う。違います! 俺は分かってたんです! 彼女を轢いてしまうことを。でもなにもしなかった。だから俺のせいなんです!」
そうだ。俺は罪人なんだ。それなのに……。
「そんな無理に自分を責めなくていいのよ。警察もあなたを解放したわ。それが全てじゃないかしら」
確かに、俺はほぼ無実となり、雪道での不注意を軽く咎められただけだった。現場近くの監視カメラが、路地裏から突然飛び出すイチゴさんの姿をとらえていたと言うのだ。
お母さんの今の発言もここから来ているのだろう。
でも違う。俺はこうなることをもう知っていたんだ。世界をやり直しているという非現実的な現実から逃げていただけだ。
だけど、そのことを話しても誰もが不思議そうな顔をしてから、憐れむように俺を見る。
「俺の、せいで……。だから……」
「そうだ、あんたのせいだ」
突然、怒気を混ぜた声が新たに加わった。イチゴさんのお母さんの隣で、俺を睨んでいる男だ。
「イチゴはあんたが殺したんだ! あんただ! 他の誰でもないあんただ」
男は勢いよく立ち上がり、俺の胸ぐらを掴む。その手はかすかに震えていて、潤んだ桜色の瞳からはずっと泣くのを堪えているのが伝わってくる。歯をきつく食いしばり、憎悪を向けてきた。
そうだ。これが当然の反応なんだ。俺の受けるべき憎しみだ。
「ごめんなさい……」
「ふざけるな! ごめんでイチゴは帰ってこない!」
大事な人を殺された恨みつらみといった感情が、胸に刻み込まれる。
とてつもなく苦しい。でも、耐えろ。
「その辺にしろ」
また、違う声が辺りを支配した。
今度は、イチゴさんのお父さんだった。
「でも!」
「落ち着け」
「……くそっ」
お父さんの低く威圧感のある声色が放たれると、男は乱雑に、俺から手を離した。
お父さんはその様子を見ると、また口を閉じた。そしてまた生まれた音の空白を、さっきのようにお母さんの和やかな口調が埋めていく。
「これはね、仕方のないことなの。どうしようもないことなの」
俺の顔を見ているようで、どこか遠くのほうを見つめる彼女。
考えが読めない、不思議な人だ。
「どうして、そんなに平然としてられるんですか……」
一周目の時からどうしても彼女やお父さんに聞きたかったことだ。
なんで、娘の命を奪ったやつにこんな風に接するのか。
彼女は淡々と言い放った。
「これが、イチゴの『運命』だからよ」
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27 :てふてふ
2023/01/09(月) 00:04:45
「運命……?」
「そうよ。きっとそうだったのよ」
お母さんは、俺に、そして己に言い聞かせるようにそう言った。
イチゴさんの死は神様のいたずらだと言いたいのだろうか。でもそれは……違う。
「そんな訳がない。だって、俺が行動を少しでも変えていたら彼女は助かったんだ!」
「……」
そうだ。彼女の死が運命なんかに絡めとられているなら、どうして神様は俺に世界をやり直すチャンスを与えたんだ。それはきっと、彼女を救う道があったからだ。だから、与えられたものを無下にした俺が、イチゴさんの死の責任を取らないとダメなんだ。
「運命なんて」
「もういいのよ!!」
「……え」
今まで温厚に接してくれていた彼女から、初めて飛びだした悲鳴に似た叫び声。
そして、その後に見せた表情が、俺の瞳孔を離さなかった。
口元をわなわなと震わせて、中で食いしばっている歯を必死に隠し、優しく細めた目を俺に向ける。その瞳からも今にも涙が溢れだしそうなのに、眉間に力を入れ、一滴も流すまいと己と戦っていた。
どうして、そこまでするのか分からない。分からないが、今俺にできるのは謝ることだけなんだ。
「それでもっ」言いかけたときだ。
「もうやめて……お願いだから、ね?」
彼女はとうとう涙を流して、そう言った。ずっと耐えていた分、顔の輪郭を伝う涙の勢いはとどまることを知らない。
「イチゴの死を全部あなたのせいにできたらそれは幸せでしょうね。……でも、私にはそんなことできないの」
「なん、で。なんでなんですか!」
なんで、誰も俺の犯した罪を認めようとしないんだ。おかしいじゃないか。
さらに、俺がもう一度口を開けると、彼女は突然両手で髪を鷲づかみにして、発狂した。
「お願い、お願いします! もう、やめてください。お願いします……」
横にいた男が、彼女の背中をさすって俺を睨む。
「もうやめてくれ! あんたが謝るほど、母さんは苦しむ。分かるだろ?」
「そ、そんな」
今度は、後ろから肩を手の平で撫でられる感覚。おばさんだ。
「トキトくん。もう、帰ろう」
優しく俺に耳打ちして、おばさんは三人に小さくお辞儀をする。そのまま俺の右手を引っ張り始めた。無意識に、左手で払いのける。
「トキトくん」
「おかしい。おかしいぞ。なんで、謝るほど状況が悪くなってる? これじゃ一周目よりひどいじゃないか」
「トキトくん!!」
「そんなつもりじゃないのに。どうしてだよ。どうして、どうして」
「トキト!!!」
おばさんが声を荒げた。そのとき既に、俺の頬には強烈な痛覚が走っていた。
パチン。
蚊を叩くような、そんな音。
「しっかりしなさい。一度落ち着くの」
言われるがままに深呼吸をしながら、辺りを見渡す。
席に座る人々は、俺に冷ややかな目線を向けていた。
お坊さんは、読経を止め、わざとらしく咳をしていた。
おばさんは、肩を掴み、じっと俺を見つめていた。
イチゴのお母さんは、涙を流して嗚咽していた。
俺を睨む男は、お母さんに優しい言葉をかけて落ち着かせていた。
イチゴのお父さんは、口を閉じて、二人の様子を見守っていた。
何度も何度も首を回して、みんなを見る。
その度にどんどん呼吸が荒くなる。
呼吸が止まらない。止められない。
嫌だ、こんなの違う。違う!
「あ、あぁ、あああ、あ」
膝の力が抜け、重力によって身体が自然と崩れ落ちた。
「あんた、いい加減にしろよ!」
男が近づいてくる。
嫌だ、来るな。
涙で揺れる視界を、男の姿が支配する。
いつの間にか手を握られていた。
男が何かを言うと、急に俺を引っ張りあげた。
その時だった。刹那、そう、俺の望まない刹那が訪れた。
遠くから聞こえてきたのだ、あの鐘の音が。
東笹浦駅の時計塔で、12月26日18時30分00秒を針が指したということだ。
みんな、鐘の残り香に耳を傾け始めた。
ああ、──終わりだ。
一周目の記憶が脳内を駆け巡る。走馬灯に見るには、ずいぶんと酷いものばかりだ。
あ……頭が真っ白になっていく。
「あアァアアあア!!!!!」
「ひっ。お、おいどうした」
「もう、もう遅いんだ!!!」
「あんた、大丈夫か?」
「俺のせいでみんな死ぬ俺のせいだ俺のせいだ」
「さっきからなに言って」
俺が現実逃避をしたから、イチゴさんを殺した。
イチゴさんを殺したから、葬式が開かれた。
葬式が開かれたから、みんな死ぬ。
全部、俺の罪だ。
全身を寒気が襲い、鳥肌が止まらない。
男の声が聞こえてきた。何を言っているかは分からない。分からないが、俺から言うべきことはたった一つ。
「この葬儀場は今から、『爆発』する!」
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28 :てふてふ
2023/01/12(木) 23:59:06
「爆発? どうしてここでそんなことが」
男が口を動かした時だった。
屋外から激しい演奏が聞こえてきた。それは紛れもないギターの音色。葬儀場の中にいても、その騒ぎっぷりが伝わる。
その騒音に、嫌でも思い出させられる地獄。
だめだだめだだめだだめだ。
「ギターの音? 夜明け祭はもう……」
男は入り口側に視線を向ける。そして終わりが、待たずに訪れた。
突如轟く、花火が夜空で口笛を吹くような音。音は重なり、どんどんボリュームを増していく。
……だめだ。
「おい! なんか近づいて」
もう遅い、か。
──ダン。気づけば、入り口付近の天井が破れていて、まばゆい光の玉の雨が降り注いだ。
終わりを自覚し、額や目や耳元からしずくが流れ、顎の先で混ざると、一滴の大粒となる。そのまま、自身の重みに耐えきれず、顎からちぎれ落ちた。
ポツン。
汗と涙の結晶は、地に堕ち、光の玉とともに切なく散る。
刹那、目の前は紅の火花に覆われた。
咲き誇る赤の薔薇とコンマ一秒の静寂。
破裂音。そして、爆風。
すかさず、辺りは赤い濃霧に包まれた。
身体が浮き、祭壇の白百合へと投げ飛ばされる。
「がっ……!!」
背中からの激痛が全身を駆け巡り、喉元に集中する。胃が喉から飛び出るのを感じた時には、白い棺が顔面を殴りつけていた。
そのまま棺の下敷きとなった直後に、爆発の熱が葬儀場全体を呑み込み始める。
閉ざされた視界で、爆音と悲鳴が混ざりあって聞こえる。
「いゃああああ!」「うわぁああ!!」爆音。
「どうしてよ!」爆音。「トキ……く! ああっ!!」
「ツナグ!!」「なんで今に」爆音。「あ」「助け」
爆音。「ガァアアアア!!」「ハッ?」
恐怖に唖然、痛みと苦しみ。たくさんの絶望の込もった不協和音が両耳の鼓膜の中へと潜り込み、脳内をぐちゃぐちゃに掻き乱した。
なぜ爆発のことを言わなかった?
なぜ平気な素振りを見せていた?
今でも分からない。いや、分かりたくない。こんな愚かな自分を。
この結末は俺がもたらしたものだ。俺のせいだ。俺が、この場にいる全員を殺すんだ。
俺ができることは死んで償うだけ。
──いや、それだけじゃない。
せめて、イチゴさんの亡き骸を守らないと。
お腹にのし掛かる棺をどかし、俺が上に覆い被さるのだ。
決心して、急いで棺の顔近くの部分を持ち上げ、視界を開いた時だった。
瞳の隙間を光が反射した。思わず一瞬まばたきをする。そして、その一瞬で全てが終わった。決心があまりにも遅いと嘲笑うみたいに。
光の玉がもうすぐそこまで来ていた。
無慈悲にやって来る、破裂音と爆風。
全身の毛一本一本が威嚇する猫のように逆立つ。
後方に重力が働き、俺の身体は崩れた壁を越して、木の破片とともに、外に放り出される。エレキギターの狂いに狂った旋律がさらに強く鼓膜を突き破る。辺り一面には、狂騒に合わせて薔薇色の爆発が咲き狂っていた。
そしてその時、俺は見てしまった。
イチゴさんを入れた棺が、俺をかばうように、光の玉とともに爆ぜていくのを。
「イチゴさん!」
手を伸ばしてみたが、届くはずもなかった。
直後、身体が地面に埋もれる。昨日の豪雪で積もった雪が、クッション代わりになったらしい。
しかし、今はそれどころではない。
無理矢理腰から上を起こして、葬儀場を覗く。
建物を包むのは赤い煙。
煙は徐々に上へと昇り、中の様子をあらわにした。
だが、あるのはただただむごい景色だった。
「そんな……」
あちこちに喪服を身に纏った黒焦げの人間が横たわり、血しぶきをまいている。祭壇いっぱいの白百合は黒く染まり、花びらがゆらゆらと飛び回っていた。
その中に、白装束の女性が一人。
「イチゴさん!」
さっきの爆発で棺から飛び出たんだ。
俺はよつん這いで、震える手足を前に動かす。
その時だった。
ギターの雷鳴がさらに激しく鳴り響き、呼応して光の玉が増える。
そして、葬儀場の中央で眠るイチゴさんに向かう。
「やだ、やだ。やめてくれ。待って」
全身の激痛に耐え、無我夢中で前進する。
間に合え。間に合え。間に合え!
「あと、少し!」
もう目の前だ。手を伸ばせば、届く。
「イチゴさん! イチゴさん! イチゴさん!」
涙で歪む赤の世界。その中心で、彼女の名を叫ぶ。
がむしゃらに両手を突き出し、そしてついに。
「届いた!」
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29 :てふてふ
2023/01/12(木) 23:59:20
白装束を力一杯に掴み、ひたすらに彼女を引っ張る。
イチゴさんの亡き骸を俺は救える。
世界をやり直しても、何も変えられなかった俺の、最期の償いだ。
そう、信じていた。俺は罪を滅ぼせるのだと。
でも俺が信じていたのは、信じても無意味な、ただの妄言に過ぎなかった。
涙なんかを流して視界を震わせていたからすぐに気づけなかったのだ。
俺が引っ張っていたのは、布切れだけだったことに。
「は?」
恐る恐る前に視線を移すと、肌を剥き出しにした、彼女がいた。
すぐ上に、光の玉。
「あ」
破裂音。爆風。
俺の身体はまた彼女から引き離されていった。
イチゴさんの剥き出しになった裸体が一瞬にして、バラバラにされ吹っ飛んでいく様子だけが、瞳に刻み込まれていく。
また、飽きもせずに雪が俺を包み込む。
その時ようやく、俺の心を縛っていた鎖がほどけたような気がした。
俺は両手両足をいっぱいに広げて、大の字になった。
なぜだろう。頬が勝手に緩み始める。
「あは……。あはははは、はは」
「はは」「あはは」「……はぁ」
「あはははははははははは」
喉から溢れたのは、叫び声などではなく、極めて軽快な笑い声だった。
俺は、笑い死ぬんだろうか。そんな冗談までもが頭に浮かぶ。
そして、ついに、光の玉が俺の真上にやってきた。
脳裏によぎったのは、形容しがたい喜び。
ああ、やっと死ねる。
俺、樵木トキトは、神様からお仕置きを受けられるのだ。
乱れるギターの音色が、俺をさらに高揚させる。
「ははっ!! みんなごめんな! ウサギ、ごめんな!! 俺、死ぬわ! あはははは!」
光の玉を抱きしめようと、手を伸ばす。
届け、俺は死ぬんだ。俺は死ぬんだ!!
──刹那。
ギターが止んだ。いや、俺の耳に届かなくなった。
代わりに、優しいメロディーが俺の脳内で響き始める。
どこか懐かしい、心安らぐゆったりとした旋律。
徐々に上がり始める、音の羅列。
なんで、どうしてだ。どうしてまた、『トロイメライ』のオルゴールが聞こえてくるんだ。
一周目と同じだ。俺が後少しで死ねる、ギリギリの瞬間にそれは鳴った。
俺は、また死ねないのか?
妙な実感が沸き、冷や汗が全身を流れる。
そんなのいやだ。
「俺を殺してくれ! 俺は死ぬんだ!」
トロイメライはゆっくりと小節の終わりへと向かう。
「待て! いやだ、いやだ!」
一段、また一段、音が音階を低くしていく。
俺は腰を起こしながらやみくもに手を伸ばした。
「届いてくれ!」
3。光の玉まで数十センチ。
「いやだ。俺はもう……」
2。光の玉まで数センチ。
「とど、け」
1。指先が玉に触れた、が、かすめる。
「ああ!」
0……。オルゴールが止んだ。
「なんで、だよ」
まばゆい光を前にしてなお、視界がボヤけ、強い倦怠感と眠気に襲われる。
そのまま、まぶたは閉じていった。
…………。
…………。
……何か聞こえる。
無駄に甲高く、無機質で絶え間ない。心をざわつかせる音。
ピピピ ピピピ ピピピ ………
もう見慣れた薄汚れた天井。暖かい羽毛布団。
俺は、家のベッドで横たわっていた。
「はは……。あ、そうか。俺は気絶しただけなんだな。今日は12月27日の朝。なあ、そうだよな」
アラームがガンガンと頭を揺さぶってきて、思考がうまくまとまらない。
心臓も膨張と収縮を幾度となく繰り返す。
「いやだ……。いやだ。いやだ」
頭の中がぐちゃぐちゃで、両手で頭部を支えずにはいられない。
部屋がぐにゃぐにゃで、目頭も不思議と熱い。
「違うんだ。俺は……」
俺が布団を身体に限りなく密着させ、中に潜り込んだ直後、力強く慌ただしい足音が近づいてきた。
「やめろ……くるな……」
部屋のドアが力いっぱいに開かれる音。
俺が耳を塞ぐ間も無く、高らかな怒声が耳をつんざいた。
「いい加減に目ぇ覚ませえええぇえ!!」
「ぁあああアアアあアアアああ!!! うっ」
妹のボディプレスで、俺は嫌でも現実へと引きずり下ろされる。もう逃げるのは許さないと、悪魔が微笑んだ。
──12月24日8時00分3周目
ここまでくれば認めざるを得ない。
俺は26日の葬儀場の爆発を境に24日に戻り、何度も同じ時を繰り返している。
罪を重ねて時の監獄に囚われる。
この事象に名前をつけるとしたら、そう。
罪の循環──ギルトループだ。
──第一幕【ギルトループ】──完。
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