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┗373.【小説】MOONLiT(21-40/64)

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21 :零
2024/03/16(土) 00:41:41

【#10 Verbena】

「なぁレイネ、ちょっといいか?」

 よく晴れた朝、フィリオがいつもの様に朝ご飯のパンを食べているレイネに話しかけた。

「……なに?」

「ちょっとだけ、君に頼みたいことがあって」

 フィリオは今までレイネに頼み事をしたことがなかった。コップをとって欲しい、ペンタにエサをやって欲しいなどといったごく小さな事でさえ、彼は一切要求することがなかった。それは彼なりの不器用な優しさであったが、彼は自分のその優しさがかえって彼女を縛り付け、支配しているのではないかと思ったのだ。

「あのさ……ちょっと、おつかいに、行ってきてくれないか?」

「おつかい……?」

「ま、可愛い子には旅をさせよってやつだ」

「……?」

レイネはパンを咥えたまま首を傾げた。彼女の長い亜麻色の髪は、地面と垂直の関係性を保っている。

「おつかいってのは、具体的に言うと……ルミンの店でパン買ってきてって話。いきなり、無茶言ったかな……」

「……いっしょ?」

「いや、君一人で行くんだ」

「ひとり……」

 レイネは不思議そうな顔でこちらを見つめていた。
フィリオはやっぱり自分は無茶なことを言ったのか
もしれない、と少し反省して彼女の方をじっと見ていた。
 しばらくの間、この広いとは言えない空間に沈黙が流れた後、レイネが口を開いた。

「……わたし……いきたい」

「行ってくれるのか?無理しなくても良いんだぞ」

「むりしてない」

「本当か……? 強がってないか?」

「つよがって……?」

「出来ない事を出来るって言ったり、自分をことさらに強そうに見せるって事だよ」

「つよがってない……よ」

彼女はそう言うと頬をほのかに膨らませてムッとした。彼女の瞳がまるで「私を舐めるな」と訴えるかの様に輝く。そのあまりに純情で凛然とした瞳を見たフィリオの心中に、彼女を心配する思いはもう無かった。

「よし、君のやる気はよーく伝わった。じゃあ、準備開始!」

 かくして、レイネはその身一つでおつかいに行くことが決まった。
 レイネは早速出発への準備を始めた。パンを買って来れるだけのお金を、革で作られた小さなバッグに入れて、彼女の白く細長い首から下げ、つい数日前に帽子屋で買った赤いリボンが巻かれた麦わら帽子を深く被った。

「これ……にあってる?」

 レイネは頭に被った麦わら帽子に手を当てて言った。

「あぁ、似合ってるさ」

 フィリオは微笑んだ。

「それじゃ、いってらっしゃい」

「……いってらっしゃい?」

「人を見送る時の言葉だよ。そう言われたら、『いってきます』って言うんだ」

「いって、きます」

 レイネはそう言ってフィリオに背中を向けた。彼女のワンピースは背中が大きくあいている。
 彼女はドアをゆっくりと開ける。二人が出会ってから、ドアというドアは全てフィリオが開けていた。しかし今、レイネはドアを自分で開けた。彼女のそんな姿に、フィリオは小さな成長を感じるのだった。
 それが閉まる音がアトリエに響く。

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22 :零
2024/03/16(土) 00:53:31

「行っちゃったな……レイネ」

 フィリオはゆっくりと歩いて、アトリエの椅子に座った。

「待ってる間は……作業作業。この絵、もうちょっと何とかならないかな……」

 フィリオはポケットから筆を取り出し、絵の制作に取り掛かった。

「……」

 フィリオはパレットに絵の具を出して、溶き油で混ぜ合わせていった。
 いつもならレイネがすぐ横で彼の作業風景を眺めているのだが、今回は違った。

「レイネがいないとこんなに淋しいものなのか……なんか、調子狂うな……」

 フィリオは、自分にとってレイネがいかに大切な存在になっていたかに気付かされた。

「一人って、こんなに淋しいものだったっけ……」
 
 フィリオは独り言を呟く。

「迷わずに帰って来られるといいけど……ま、ルミンのパン屋へは二人で何回も行ってるし、ここからそう遠くないから、ま、大丈夫でしょ」

 フィリオはそう言って絵の作業を再開した。
 キャンバスには桃色のバーベナの花が描かれていた。
 しばらくして街が丁度昼になった頃、フィリオは窓の外を見て言った。

「あれ、雲だ……しかも黒い雲……これは雨が降るかもしれないな。しょうがない、レイネを迎えに行くか」

 フィリオは心配して、まだ帰って来ないレイネを見つけに急いで外に出た。
 フィリオはいつものルミンのパン屋へ向かう道を辿っていった。
 しかし、レイネらしき人影は見えなかった。

「もう帰り道を歩いてると思ったんだけどな……レイネ、どこ行ったんだろう? ルミンとずっと話してるとか?」

 それから彼は、そのままルミンのパン屋へ走って向かった。青い空が、黒い雲に包まれていく。

「なぁルミン! レイネいるか?」
 
 彼は勢いよく店のドアを開けて言った。彼の息は荒かった。彼は子供の頃から運動は苦手としている。

「お、フィリオ! おっすー! レイネちゃんなら結構前にここを出てったよ」

「あ……ありがとう」

「レイネちゃん、おつかいだって言って張り切ってたわよ! 健気よねー! 可愛いよねレイネちゃん! 私もあんな風に色白で清楚な女に生まれたかったわ……」

 ルミンがカウンターに頬杖をついて言った。

「あぁ、そういう話いいから! 実はレイネがまだ帰って来てないんだよ!」

「どえ! なんですと!? それは大変! 私も探すの手伝うわ……と言いたい所だけど、店を空ける訳にはいかないから……とにかく! レイネちゃんの捜索、頑張って! 確か、空がこんな雲に覆われる前には店を出てたはずよ」

「あ……情報ありがとう!じゃ、また」

 絵の作業に没頭して天気の変化に気が付かなかったフィリオにとって、ルミンの情報は当てにならなかったが、それでも彼は彼女に一応お礼を言って、店を去った。すると空が一瞬、白く光った。

「レイネ……どこ行ったんだよ……!」

 彼がそう言った刹那、雷が怒る様に轟音を出す。大雨が降って来た。それでも彼は街を走り続けた。ただ彼女に会いたいというその一心で。
 彼はさまざまな場所を探し歩き、やがて人気のない街角にやって来た。すると、彼の瞳にレイネらしき少女の姿が映る。

「……レイネ!」

「……ん」

 少女は確かにレイネだった。フィリオの全身は雨に打たれて濡れていたが、彼にとってそんな事はどうでも良かった。
 彼は真っ先にレイネに駆け寄った。彼女は何故か道端でぐったりとしていた。

「レイネ! 大丈夫か? 何があったんだ?」

 フィリオは彼女の手に花が握られているのに気が付いた。

「レイネ、これはもしかして……」

「はな……きれいだったから、かったの……よろこぶ……と……おもって……」

 震える口でレイネは言った。

「レイネ……それで?」

「それで……みち……わからなくなった……」

「そうか……ありがとうレイネ。その花を買ってくれて。全身雨に濡れて、それでも家に帰ろうとしてくれて」

 フィリオは彼女をおつかいに行かせた事を後悔した。水晶の様に純粋な彼女の優しさが痛かったのだ。
 彼女が手にしていた桃色のバーベナの花から、一粒の水滴が落ちた。

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23 :零
2024/03/16(土) 01:27:50

【#11 Rain】

 夕方になった。空は雲に覆われていて、夕日は見えなかった。
 大雨に打たれる中、レイネは小さなくしゃみをした。しかしその声は、すぐに雨音にかき消されてしまった。

「……さむ……い」

「大丈夫か?」

 フィリオはもしやと思い、レイネの額に濡れた手を当てた。その瞬間、彼女はまたくしゃみをした。

「やっぱり熱が出てるな……大変だ、すぐにリーフ爺さんの所へ行かないと!」
 
 彼の悪い予感は当たった。

「大丈夫、大丈夫だ。僕が始めた事だ、僕がなんとかする……きっとなんとかなる……」

 フィリオのその言葉は、彼自身を安心させる為のものだった。彼は唾を飲んでレイネをおんぶする。

「よいしょっ……と。レイネ……大丈夫だぞ」

 今度の「大丈夫」は、レイネへの言葉だった。

「……」

 レイネは彼の背中の温もりを感じて、少し安心した様な表情を浮かべた。
 フィリオはレイネをおんぶして街の南西部にある街病院へ向かって走った。雨は絶え間なく降り続け、二人の全身を濡らす。それはさながら二人への罰の様だった。
 フィリオは雨に負けずに走り続けた。

「ん……」

 レイネが何かを言いかけた。
 
「レイネ! 大丈夫か?」

「……だい……じょうぶ」

 レイネはそう言っているが、フィリオは彼女の事が心配でしょうがなかった。
 そして二人はようやく街病院へたどり着いた。
 フィリオが雨に濡れて冷たくなったドアを開ける。

「……ハァ……ハァ」

 フィリオはここまで長い距離を走ったことがなかった。ましてやレイネをおんぶしながらだった故、彼はすっかり疲労困憊していたのだ。

「おや、これはどうしたんだい」

 どこか懐かしい匂いがする部屋の奥から、掠れた老婆の声が聞こえた。

「この子を……よろしく……お願い……します」

 フィリオは最後の力を振り絞って言った後、その場にバタリと倒れ込んだ。

「おやまぁ、これはフィリオじゃないの。またおっきくなって……」

 老婆はゆっくりとした口調で言った。老婆は短身で、ベージュの服を着ている。

「早く……クリスおば……さん」

 老婆は街の皆んなからクリスと呼ばれてるが、本名はクリスティーンと言う。フィリオと家族と言う訳ではないが、彼は彼女を家族の様に愛し、慕っていた。
 
「あらいけない。はやく手当をしなくちゃ。でも、まずは体を拭かないとね」

 クリスティーンは部屋の奥の棚からおもむろに布を二枚取り出し、「どうぞ」と言ってそれを二人に差し出した。

「ありがとうございます」

 フィリオはようやく息の弾みが収まり、レイネの体を拭いた。レイネの顔色は悪く、生気を失っているかの様に見えた。

「レイネ! 大丈夫か!」

 レイネに視線を移したフィリオが、慌てて彼女を持って揺する。

「クリスおばさん! リーフ爺さんは居ないんですか?」

「まぁまぁフィリオ、落ち着きなさい。慌てても良いことなんか一つもないわ。爺さんは二階で本でも読んでるんじゃないかしらね。呼んでくるからちょっとだけ待っててちょうだい」

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24 :零
2024/03/16(土) 01:29:50

 クリスティーンは二階へ、のそのそと階段を上がっていく。フィリオはその間に、部屋の右側にあるベッドにレイネを寝かせた。

「はぁ……」

 フィリオは心配そうに彼女の頭を撫でる。

「よぉ、フィリオ。随分と久々じゃあないか。どれ、この子を診りゃいいんだな」

 部屋の奥から今度は掠れた老爺の声がした。

「リーフ爺さん、お久しぶりです……この子を、お願いします」

「安心しろ。私に任せてくれ」

 リーフは仏頂面の割に優しい言葉を吐く男だった。

「どれ、ちょっと失礼」

 彼がレイネの額にシワだらけの手をそっと当てると、レイネのくしゃみが部屋に響いた。

「……うむ。これは……」

「……こ、これは?」

 フィリオが固唾を飲んで聞き返した。

「心配ない。ただの風邪だ」

 リーフはそう言って静かに笑った。

「なんだよ……心配した……」

 フィリオは彼の言葉を聞いてそっと胸を撫で下ろした。

「クリスティーン、風邪薬を頼む」

「はい、分かりましたよ」

 リーフの頼みを聞いたクリスティーンは調合室へ行った。

「それにしてもお前さん達、何があった?」

 リーフがフィリオに問う。

「えと、僕がレイネを一人でおつかいに行かせて……あ、レイネの事知らないですよね」

「話はタウルから聞いている。この街は人の話が広まりやすいからな」

「そっか。そうでしたね。これも人の縁、か」

 この街の人々は皆が家族の様で、人と人との繋がりが深い。彼は今その温かさを実感した。

「あ、そうそう、それで……レイネにパンを買ってくれってお願いしたんです」

「ルミンのパン屋か。それだったらお前さんの家からは近いんじゃないか?」

「そうなんです。そうなんですけど、レイネがパンを買った後、余ったお金で商店街に行って花を買いに行ってたみたいで……」

「なるほどな。それがあの花という訳か」

 リーフはレイネが持っていたバーベナの花を見て言った。それはまだ彼女の手に、強く握られていた。

「レイネは花が好きで、僕のために買って来てくれたんです。でも帰る時に道に迷っちゃって、それで、雨も降ってきて……」

「そうか。それは災難だったな。分かった。フィリオ、一つだけ言っておきたい事がある」

「なんです?」

 リーフはベッドへ歩いた。そしてバーベナを彼女の手から離し、それを眺めながらこう言った。

「レイネと言ったな……その子を褒めてやってくれ」

「褒める……」

「レイネはお前さんのためを思ってやったんだ。それは紛れもない愛だ。彼女なりの優しさだよ。その愛を受け取ってやるのが、親の義務だろう」

「親、か」

 フィリオはジタンを思い描いた。もし彼が自分なら彼はレイネにどうしていただろうか。
  
「親と言うのは子から無償で愛を受け取っている。だからこそ、その愛を無下にしてはいけない」

「無償の愛……」

 フィリオは考えたことがなかった。自分がジタンへ無意識のうちにどれだけ大きな愛を与えていたかを。

「そうだフィリオ、もう一つ話したい事がある。レイネは記憶を失っていると言ったな」

「はい。何か分かった事があるんですか?」

「いや、何も分からないどころか、謎が増えた。レイネの症状は記憶喪失と言って、主に頭を強く打ったり等の物理的な衝撃によって引き起こされるのだが、レイネには目立った外傷が無い。その為、何故レイネは記憶を失ったのかは定かではない。この病気は現在治療法が確立されていない故、今の私にはどうしようもできん。すまない」

 悲壮な口調でリーフは語った。

「そうですか……リーフ爺さんが謝る事ないですよ。大丈夫です。たとえ失った記憶が戻らなくても、これからレイネは僕と一緒に色々な事を経験して、沢山の事を覚えていきますから」

「そうか……フィリオ。遅くなったが、これを受け取ってくれ。レイネからお前への気持ちだ」
 
窓から打ち付ける雨の音が聞こえる。
 リーフはレイネのバーベナの花をフィリオに渡した。彼はそれを何も言わずにそっと受け取った。

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25 :零
2024/03/16(土) 01:57:22

【#12 Phantasm】

 フィリオはあれからしばらくの間レイネを見守っていた。

「……ん……」

「大丈夫か? レイネ!」

 レイネは夢を見ている様だった。彼女は辛く苦しそうな顔をしてうなされていた。

「……おと……うさま」

「『おとうさま』? まさか、家族が夢に出て来てるのか? おい! レイネ!」

 フィリオはレイネの記憶を取り戻したい気持ちが先走り、レイネに訴えかける。

「フィリオ。無理に起こそうとするのはレイネの体に良くない」

 リーフが指摘する。

「……すみません……レイネもごめんな」

 フィリオは焦りを抑えきれなくなっていた

「で、でも、レイネは確かに今『おとうさま』って……」

「あぁ。熱のお陰と言ってはなんだが、レイネの頭の奥底に眠る過去の記憶が、少なからず取り戻されているのかも知れない。無論、これは憶測に過ぎんがな」

「それってつまり、レイネの記憶を取り戻せるかも知れないって事……ですか?」

 フィリオがリーフの方を見て問いかける。

「ま、そういうことになるな」
 
「良かった……!」

 フィリオはそう言ってまたレイネを見守る。

「おにい……さま」

「レイネにはお兄さんもいるのか……」

 フィリオは一驚した。するとリーフが話し始めた。

「なぁフィリオ」

「なんです? リーフ爺さん」

「レイネが今見ているのは紛れもない悪夢だ。悪夢の中に家族が出てくることがあると思うか?」

「そ、それは……」

「つまりだ。お前さんはレイネを本当の家族の元へ返してやりたいと思っているみたいだが、果たしてそれは本当に正しい事なのか? 本当の家族との再会が、レイネを幸せにするとは私は思えない。夢は人の心を投影する。悪夢の中に家族が出てきたという事は、それは彼女にとって家族が恐怖の対象だという事を示していると思うがな」

「リーフ爺さん……じゃあ、レイネの本当の家族は、レイネを愛していないんですか? それって変じゃないですか? おかしいじゃないですか!」

 フィリオつい声を荒らげる。

「フィリオ、お前は家族に恵まれているんだ。親に愛情を沢山与えられて育った子もいれば、親に捨てられた子もいる。お前はもう少し視野を広げろ」

 リーフの静かな怒りをフィリオは確かに感じ取った。

「そんな……」

 フィリオは自分の幸せに気付かなかった。いや、気付けなかったと言った方が正しいのかも知れない。彼には「家族はお互いを愛するもの」という揺るがない認識があった。それはとても幸福な事であるが、同時に狭い世界に生きているとも言える。

「……ごめんなさい……僕、何にも分からずに……」

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26 :零
2024/03/16(土) 01:57:34

「まぁ、お前さんにとっては当たり前の事でも、他人にとったら当たり前でない場合もあるという事だ。覚えておけ」

 リーフは心の中で強烈に怒っていたのかも知れない。しかし、彼は怒鳴ったりする事なく、いつもと同じ様な口調で静かにフィリオに諭した。

「……はぁ、はぁ」

 レイネが顔を振りながら激しく息をする。

「レイネ!」

 フィリオは咄嗟に彼女の方へ目を向ける。

「熱がだいぶ酷くなってきているみたいだな……」

 リーフが手をポケットに入れて言った。

「レイネは……レイネは大丈夫なんですか!?」

「そうだな……少し様子見だな。すまんが、少しの間ここにレイネを預けてくれ」

「わ、分かりました……」

 フィリオは切ない口調でそう言った。彼はレイネがおつかいに行った時のあの何とも言いがたい淋しさが忘れられなかったのだ。

「フィリオ、今お薬用意したからね。これを飲めば安心よ」

 クリスティーンが二階から降りてきて言った。

「フィリオ、この子の風邪はすぐに治るわ。私が保証するから」

「クリスおばさん……ありがとうございます」

 彼女の言葉には妙な説得力があった。

「……ん……」

 レイネは汗だくだった。

「レイネ? 苦しいのか? 大丈夫だぞ。リーフ爺さんとクリスおばさんがついてるから」

「レイネちゃん。ちょっと体起こせるかい? お薬飲んだらすぐに元気になれるからね」

 クリスティーンはこれ以上は無い程の優しい口調でそう言った。

「……ん……はぁ……」

 彼女の言葉に応じて、レイネはゆっくりと起き上がる。

「レイネ、無理しなくていいんだぞ」

 フィリオは彼女のことが心配でしょうがなかった。

「……うん」

「さ、レイネちゃん、お薬飲めるかしら? お口あけてごらん」

「あ……」

 クリスティーンはレイネの口にそっと粉状の薬を流し込んだ。

「いあ……い」

 彼女は恐らく「苦い」と言っているのだろう。

「ほら、早くお水を飲みなさい」

 レイネはクリスティーンに言われるがままコップの水を飲んだ。

「フィリオ、これで安心よ。一晩経てば、レイネは今よりも元気になってると思うわ」

「クリスおばさん、リーフ爺さん、ありがとうございます……レイネをよろしくお願いします」

「そんなにかしこまらなくていい。お前さんのせいじゃないしな」

「僕のせいじゃ……ない……か」
 
 リーフは言った。フィリオはずっとレイネが風邪をひいたのは自分のせいだと思って、自分自身を責めていた。その為に、彼は余計にリーフの言葉に救われた様な気持ちになった。

「それじゃ、今日はもう外が暗いから帰りなさい。あなたも相当疲れているみたいだしね」

 クリスティーンがフィリオを心配して言った。

「今日はありがとうございました。それじゃ、おやすみなさい」

 フィリオは深々と頭を下げ、レイネが彼の為に買ってくれたバーベナの花をしっかりと握りしめて家に帰った。
 怒りの様な雷雨は、いつの間にか消え去っていたが、まだ空は分厚い雲に覆われていて、ルーンプレナの街は薄暗くなっていた。

「……やっぱりレイネがいないこの家は、何だか広く感じるな……」

 フィリオが物静かなアトリエを見て言った。

「レイネ……ずっとうなされてたな。家族の悪夢か……リーフ爺さんに言われた通りだな。僕は視野が狭かった。家族が恐怖の対象になる事もあるなんて、考えた事もなかった」

 雨の粒が窓を激しく打ちつける。今のフィリオには、レイネを想う事しか出来なかった。

「それにしても、淋しい」

 フィリオはそれから二階に上がり、ペントと共に静かに食事をとる。
 彼がパンを皿に置いてペントに話しかける。

「ねぇ……ペント。僕は全部分かった気でいた。でも、全然分かってなかった。自分の中の世界が全てだと勘違いしたたんだ。それって凄く……よくない事だと思う。だから、僕はこれからも絵を描き続けるよ。自分の世界を、もっと広げたいんだ」

 ペントは舌を出してシャーとだけ答えた。

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27 :零
2024/03/16(土) 02:15:50

【#13 Indigo】

 さんさんと照りつける太陽が眩しい日のことだった。レイネの風邪が治ったと聞いたフィリオは、まるで突風の様にリーフ達の街病院へ駆けつけた。

「わたし、なおったよ……かぜ」

 フィリオがドアを開けると、すっかり元気になったレイネがにこやかに彼を出迎えてくれた。

「レイネ……! 良かった!」

 そう言って彼は思わずレイネを抱きしめた。

「しんぱいかけた……ごめん」

「良いんだよ。レイネ。あのバーベナの花、僕のために買ってきてくれたんだろ。ありがとうな。それと……ちゃんとパン、買えて偉かったぞ」

 フィリオはリーフに言われた通りにレイネを褒めた。

「……」

 彼女は少しはにかんで下を向いた。

「生憎、パンは雨に濡れて食べれなくなっちゃったけどな」

 フィリオはこう言いながら笑った。
 レイネも思わず笑みが溢れる。
 フィリオは、二人の絆がより深まった様な、そんな気がした。
 そして、レイネの風邪が治って一週間が経った日の朝、フィリオはいつもの様に散歩に出かけようとしていた。

「レイネ、今から散歩しに行くけど、一緒に……」

 フィリオは言いかけて口をつぐんだ。

「あ、やっぱり今日はやめとくか? 雨降ってるからさ」

 彼は、レイネがあの件の事から雨を嫌いになったのではないかと思い、そう提案した。

「あめ……きらいだった……あのときから」

「やっぱり……そうだと思ったよ。今日は無理しなくていいぞ」

「でも……」

「でも?」

 フィリオが聞き返した。

「あめは……きれいだって、おばあちゃんが……おしえてくれた」

「クリスおばさんか……」

「あめはね……よごれたこころを、あらってくれるんだって……そういってた」

 クリスティーンは雨が好きな人物だった。フィリオは幼き日に料理の練習をしている最中で切り傷を負い、街病院へ行った事をふと思い出した。
 その日は雨だった。泣きべそをかくフィリオにクリスティーンはこう言った。「雨はね、涙の代わりなのよ。人の悲しい気持ちや、苦しい気持ちを、神様は雨に変えて降らせているの。だから、あなたも泣く事ないわ。痛みは雨に変わるからね」幼き日のフィリオは泣きながらクリスティーンに言った。「そんなこと……言われたって……」するとクリスティーンはなだめる様に歌を歌った。「刹那に咲く花は 風の様に清く 記憶に降る雨は キミの様に深く」
 歌を聴いた幼き日のフィリオは、不思議と痛みが和らぐ様な感覚を覚えたのだった。
 
「でも……ぬれるのはいや」

 レイネはむすっとして言った。

「……だろうな」

「かさ、さす」

 レイネはどこか自慢げに言う。

「傘? あ、あぁ。そうだな……傘さして出かけよう」

 フィリオは驚いて言った。レイネが傘と言う物を知っているとは思わなかったからだ。クリスティーンに教わったのか、それとも別の誰かから教わったのか……フィリオは、子供はいつの間にか知識を増やすものなのだなとしみじみ思った。
 こうして二人は散歩に出かけた。フィリオの持つ傘が二人を覆う。雨が傘を打つ音が心地良い。
 
「せつなにさくはなは かぜのようにきよく」

 レイネが歌い始めた。

「その歌……クリスおばさんに教えてもらったんだな」

「うん。うたって……ふしぎ」

「あぁ。歌は人の心を現す。そう言う所は絵と似てるのかもしれないな」

「……そうかも」

「記憶に降る雨は キミの様に深く」

 フィリオは続きを歌った。
 しばらく歩いていると、レイネが街角にひっそりと佇んでいる紺色の紫陽花を見つけた。

「これ、なに?」

「これは紫陽花って言う花だ」

「これも、はな?」

 レイネは紫陽花をじっと見つめながらフィリオに問う。

「ほら、よく見てごらん。小さい花がたくさんあるだろ?」

「……ほんとだ」

 そう言ってレイネはまたあの歌を口ずさんだ。

「せつなにさくはなは」

「風の様に清く」

 フィリオがレイネの後に続けて歌った。
 そして二人は顔を見合わせて優しく微笑んだ。
 時が過ぎるにつれて、雨はいっそうと激しさを増していった。

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28 :零
2024/03/16(土) 02:18:40

「雨が強くなってきたな……よし、一旦雨宿りも兼ねて母さんの所へ行くか」

 二人はレオナの酒場へやってきた。
 
「あらフィリオ! おかえりなさい! 雨の中よく来たわね! レイネちゃんも、おかえりなさい」

「ただいま、母さん」

 雨の日なのにも関わらず、酒場の客は沢山いた。フィリオは入って間もなく、酒を飲む一人の男が目についた。

「あれ、シャンクさん? どうして今ここに?」

「その声は! フィリオじゃないか! いやーなんだか久々だなぁ……! 最近調子どうよ……俺はぜっこーちょーだ! へへっ」

 陽気に話すこの中年の男はシャンクと言う。漁師を生業としている。

「お、そいつが例の娘ってのか! えーと名前は確か……」

「レイネって言います」

「……そうか! 俺はシャンクってんだ。レイネ、よろしくな」

 シャンクはビールが入ったコップを持ったままレイネにそう言った。
 
「俺は今せがれに漁を頼んでんだよ。そろそろ親離れして独り立ちしねぇとだし、何より俺はさっさと仕事辞めて、未亡人眺めながら酒を飲みてぇんだよ」

 そして彼はレオナの方を向いてにやりと笑った。

「な、なんて事言うのシャンク! 私はね、今でもジタンを愛して……」

 シャンクとレオナは幼馴染で、かれこれ三十数年の仲になる。

「はいはい……じょーだんだよじょーだん。先輩とあんたは街一番のおしどり夫婦だからな」

 ジタンはシャンクより少しだけ歳上である。それ故彼はジタンの事を昔から「先輩」と呼んでいるのだ。

「フィリオ、お前も一杯飲むか?」

「いや……僕お酒弱いし……」

 フィリオはやんわり断った。

「遠慮はいいんだよ……この国じゃ十八にもなれば酒が飲めんだ。飲まないと損だぞ?」

「そうかな……まぁ、ちょっとだけなら……」

「よーしその意気だ! 飲め飲め!」

 フィリオはシャンクの隣のカウンターに座った。

「レイネ、隣おいでよ。お酒は飲ませられないけど、ジュースとかあるし」

 「ジュースって?」

「果物を絞って作る飲み物だよ。オレンジで作ったジュースなんかもあるぞ」

「……のみたい」

 そう言ってレイネはフィリオの隣に座った。

「レイネちゃんにはオレンジジュースね? フィリオは何にする?」

 レオナがフィリオに言う。

「僕はりんご酒でいいや」

「何? りんご酒だとぉ? そんな物はガキの飲みもんだ! おいレオナ! エールビールをフィリオに持ってこい」

 シャンクはすっかり酔っ払っている様だった。

「シャンクさん……それはちょっと……」

「ちょっとシャンク……! まったく……酒癖の悪さは相変わらずよね……」

 レオナは額に手を当てため息を吐いた。
 レオナはフィリオにりんご酒を、レイネにオレンジジュースを出した。
 レイネは細い両手でそっとグラスを掴んでゆっくりオレンジジュースを口に運んだ。

「どう?」

 フィリオがレイネに言う。

「うん。おいしい」

 シャンクはジョッキいっぱいに入ったエールビールを豪快に飲んでいる。

「くーっ! 美味い! 最高だ!」

「シャンク、今日はこのくらいにしたら? 雨の中サニーに漁に行かせて……自分は昼間から酒飲んで……ほんと情けない男……」

 レオナが失望した様な顔で頬杖をついて言った。
 サニーとはシャンクの息子である。

「うっ……分かったよ、じゃあ……せがれの所に行って様子を見てくるよ……だから、その『情けない男』ってのは撤回してくれ、な?」

 シャンクは人に貶されるのが大嫌いな男だった。
 
「あー……なんでこんな奴が結婚出来たんだろ……」

 レオナはボソッと呟いた。

「あ! そうだ! お二人さん、釣りにでもどうだ? せがれの様子を見に行くついでだ。海、そして風を直に感じるってのはいいもんだぞ」

 シャンクが突然そう言った。

「僕達を釣りに……? そんなこと言ったって、今日は雨ですよ?」

 フィリオが言ったその時、窓から太陽の光が差した。彼の言葉は嘘になった。

「あら? 雨止んだみたいね。うん、せっかくだし行ってみたら?」
 
「……やってみたい」

 レオナの言葉の後に、レイネが小さくうなづく。

「よーし! そうと決まれば早速出発だ!」

 シャンクが元気良く叫ぶ。
 それじゃあ三人とも、いってらっしゃい!」

 レオナは三人を笑顔で見送った。

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29 :零
2024/03/16(土) 02:42:55

【#14 Violet】

「あめ、やんだね」

「そうだね」
 
 フィリオが上を見上げると、さっきまでの雨が嘘かのような雲混じりの青空が広がっていた。
 レイネとフィリオ、そしてシャンクの三人は、街の西に位置する漁港へとやってきた。

「おーい! サニー!」

 シャンクが波止場から手を大きく振ってサニーに呼びかける。すると、遠くで手を振り返す青年の姿が見えた。サニーだ。レイネもシャンクの真似をする様に手を小さく振る。

「レイネ、もっと思いっきり手振ってさ、『おーい』って大声で言ってごらん」

「おーい……!」

 帆船はどんどんこちらに近づいてくる。

「丁度良い。漁が終わったみたいだから、釣りはあの船を借りてしよう。ちょっとだけ待っててくれ」

 シャンクがそう言うと、砂浜にある薄汚い小屋から釣具を取り出してきた。

「……お待たせ! こいつらがありゃあ釣りができる。ま、こちとら最近網漁ばかりで、釣竿の手入れなんてしてないけどな! でも心配するな。ま、なんとかなるさ!」

 シャンクは口を大きく開けて笑った。

「いや、ほんとに大丈夫なんですか? それ……」

 フィリオはシャンクが手に持っている釣竿を見て不安げに言った。竿が三人分きちんと用意されているのは良いが、いかんせんボロ過ぎるのだ。

「なぁに、心配するこたぁねぇよ! あ、よく見たらこれ糸切れてやがる……」

「はぁ……」

 フィリオは思わずため息を吐く。

「ま、まぁ、今気付けて良かったってことで! 小屋にまだ予備の糸があった筈だから……ちょっと待っててな!」
 
「全く……このそそっかしさは親子揃ってだな」
 
 実はシャンクには娘もいる。その娘というのがルミンである。ルミンとサニーは双子で、ルミンが姉、サニーが弟と言った関係だ。シャンクは妻を亡くしてから二人を男手一つで育てて来た。その為彼の大雑把でそそっかしい性格は、ルミンに色濃く受け継がれている。
 ではサニーはと言うと……

「おーい! サニー! よく戻って来たな! また泣きべそかいて船の上で意気消沈したんじゃないかと思ってたよ!」

 小屋から戻って来たシャンクがサニーに言った。

「と、父ちゃん……あんまりからかわないでよ」

 波止場に戻って来たサニーがむすっとした顔で言って、シャンクから目を逸らした。サニーは姉のルミンや父のシャンクとはまるで逆。生真面目で引っ込み思案である。
 
「サニー、いい加減自分に自信持てよな」

 そう言ったフィリオがサニーの額を人差し指でつんと優しく突く。

「もう、フィリオまで……ひどいや」

 二人は同い年だが、フィリオは完全にサニーを歳下扱いしている。

「ははっ、でも沢山獲れてるじゃない! ようやくサニーも一人前ってとこだな」

 フィリオが網にはち切れんばかりに入った魚達を見て言った。

「ま、まぁね」
 
 サニーは指で鼻を擦って、嬉しそうな表情を浮かべた。
 するとシャンクが大声で言う。

「なーにが一人前だっこの野郎! お前は半人前の更に半分の半分だ……まだ海の男の顔になっちゃいねぇからな」
 
「そうやって父ちゃんは、海の男の顔じゃないっていっつも言うけどさ、海の男の顔って一体なんなのさ!」

「海の男の顔ってのは……ほら、俺だよ俺」

 それを聞いたフィリオとサニーは同時に「はぁ……」とため息を吐くのだった。

「……それでサニー、ちょっとこの船貸してくれるか? こいつらと釣りして遊ぼうと思ってな」

「まぁ、この船は父ちゃんのだし、いいよ。けど、ここんところ父ちゃんずっと遊んでばっかりで……」

 サニーが言いかけると、シャンクはサニーの口元に人差し指を添えた。「黙れっておくれ」とでも言いたいのだろう。

「よし! フィリオ、レイネ、早く乗りな!」

 シャンクが帆船に飛び乗って二人を急かす。

「レイネ、ゆっくりで良いから気を付けてな」

 シャンクに続いて二人も船に乗った。

「これが……ふね?」

 レイネが不思議そうに船を見つめた。

「そう、水に浮かぶ乗り物だ」

 フィリオがいつもの様に優しく彼女に教える。

「あん? 船も知らねぇのかレイネは? 不思議なヤツだな……」

 船の上でシャンクが言った。

「そりゃあもう、海の中から突然出て来たくらいには……」

 フィリオはそう言って「しまった」と思い口をつぐんだ。

「え?海の中から?」

「あぁ、いやえっと……うん、まぁ、とにかく変で不思議な子なんですよレイネは」

 誤魔化すフィリオ。

「お、おう」

 シャンクはいまいち納得していない表情を浮かべて言った。

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30 :零
2024/03/16(土) 02:43:11

「いいか! 出発するぞ! 船酔いして吐くなよ!」

 シャンクが帆を張ると、帆船がゆっくりと動き出す。それと同時に波止場に佇んでいる海鳥達が一斉に飛び立った。

「とり……うみ」

 レイネが空を見つめる。

「夏って感じだな、レイネ」

 フィリオが彼女を見て言う。

「レイネ! フィリオ! これ持っとけ。ほら!」

 シャンクは乱暴に二人に釣竿を投げ渡した。

「おわっ! 全く乱暴だな……」

 フィリオは呆れつつもそれを受け取る。

「レイネ、これは釣竿って言って、魚を釣る道具だ。こうやって糸を……」

 フィリオはそう説明しながら釣糸を投げた。

「フィリオも昔は船に乗る事すら怖がってたもんな! はっはっはっ!」

 シャンクが大きく笑う。

「やめてくださいよ、恥ずかしい」

 フィリオは顔を赤らめた。そんな会話を交わす間に、レイネは釣糸を海にそっと投げた。

「レイネ、なかなか上手いじゃん。そんじゃ僕も」

 フィリオも続けて釣糸をそっと投げる。シャンクもいつの間にか黙り込んで海に垂れる細い糸をじっと見ていた。
 海鳥の鳴き声が聞こえる。
 波の音が聞こえる。
 沈黙が続く。

「なぁフィリオ……」

 シャンクが口を開いた。

「なんです?」

「何度も言うが、俺は先輩の背中を見て育った。お前と一緒だ」

「……何度も聞きました。それ」

「先輩はいつも笑顔で、落ち込んだ時に励ましてくれて、博識で、常に夢を追い続けている、カッコいい人だった。そして俺は、そんな先輩を心から尊敬していた」

「……それも何度も聞きました」

「話はこっからだ。先輩が死んだ時、俺は正直絶望した。先輩のいない未来をどう生きれば良いか、分からなかった」

「それは僕も、そうでしたよ……」

「そうだろう……俺は、俺と同じ思いを持つお前に妙に親近感が沸いた。だからよく釣りに連れて行ったりしてたんだよ。お前と同じ時を過ごしたかったからだ。今思えば、先輩の意志を継ぐお前に、俺は生きる希望を見出したのかもしれないな」

「希望……ですか」

「俺はお前を心から信用してた。血は繋がっていなくても、お前は先輩の息子だからな」
 
「……」

「これからいくつもの困難がお前を襲う。と、思う。だけどこれだけは忘れちゃあいけねぇ。お前は先輩、ジタンの息子だ。胸を張って生きろ。そして、絵を描くんだ」

「……なんですか急に。らしくないですね、シャンクさん」

 フィリオは笑いながら言った。

「おいおい、俺はやる時はやる男なんだよ。それに、この話はいつかお前が大きくなったら伝えなきゃって、ずっと思ってたんだ」

「にしても、シャンクさんがそんないい事言う人だったなんて、ちょっとびっくりです」

「なんだとぉ……言ってくれるじゃねえか!」

 そう言って二人は笑い合った。

「なんか……ひっぱられてる」

 レイネが突然言う。

「おい、魚影が見えるぞ! こりゃ大物だ! よしフィリオ! 一緒に引き上げるぞ!」

 シャンクとフィリオはすかさずレイネの手を掴む。

「いいかレイネ、力をグッと込めて、ゆっくり引き上げるんだ」

「グッと……」

「そうだ! 魚がこっちに近づいてきただろう。上手いぞレイネ!」

 シャンクが嬉しそうに言った。
 魚影がみるみる大きく、はっきりと見えてくる。
 夕日が彼らを優しく照らす。

「よい……しょ!」

 フィリオがそう言った途端、水面から勢いよく大きな魚が顔を出した。
 魚は必死に海へと戻ろうともがいている。

「よし、あとは船に引き上げるだけだ! レイネ、フィリオ! もう少し……だ!」

 シャンクの言葉に二人はうなづいて、思い切り力を込めて竿を引っ張った。

「つ、釣れた!」

 フィリオが思わず叫ぶと、魚は釣針を咥えたまま空中を泳ぎ、船に大きな音を立て着地した。
 釣れた魚はレイネの胴体程の大きさで、表面は銀色に光っている。

「お前ら、よくやったな! まっさかこんなおっきい魚が釣れるなんてな!」

 シャンクは優しく微笑んだ。
 三人は釣り上げた魚を見て笑い合った。

「そら……きれい」

 レイネがふと空を見上げて言う。

「空?あぁ、もうすっかり夕方だね」

「空か……先輩が好きだったっけな……」
 
 三人が仰いだ雨上がりの空は、すみれ色に染まっていた。

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31 :零
2024/03/17(日) 15:25:13

【#15 Strange】

 レイネとフィリオの邂逅から早半年、世界を暑く照らす太陽は日に日にその力を緩め、木の葉は照れたように赤く染まり始めていた。
 ある曇りの日の事、フィリオは商店街の一角で絵を売っていた。
 街行く人は皆彼の絵を見向きもせず素通りしていく。
 こんなものは彼からしてみれば見慣れたいつもの光景である。しかし彼の心は決して折れない。「絵は決して安い買い物じゃあない。だからこそ、大衆に好かれるよりも、一人の心を強く打つ絵を描く事が大切なんだ。でも、何よりも自分の納得いく絵を描けることが一番なんだけどな」ジタンの言葉がずっと、彼を支えているのだ。

「お? アンタ絵描きか! こりゃいいモンだ、うんうん、あの人と同じ匂いがするよ……流石ルーンプレナと言ったところナリね」

 大荷物を持った長身で華奢な女がフィリオの絵を凝視する。彼女が首を傾げると、乱れた茶色い髪がほんの少し揺れた。

「ありがとうございます。ゆっくり見ていって下さい」

「見ていく見ていく……! こりゃアンタ、将来名の知れた絵描きになるよ……うんうん! この絵ちゃん達、全部買っていこうかしら」

 舌を小さく出して女が言った。彼女の眼鏡が絵を反射する。

「え! 全部……ですか?」

「そそ! 全部でいくらかッスか?」

 女が突然身を乗り出して言った。女とフィリオの鼻先が触れる。

「ほ、本気なんですか?」

 フィリオが顔を引っ込めて言う。

 「アタシの目を見な」

 フィリオが女の目を見る。

「……あ、えと」

 彼は、女の大きな目に吸い込まれてしまうかの様な、奇妙な感覚を覚えた。

「アタシはスコルスってんだ。よろしくだっちゃ」

「よ、よろしく、お願いします」

 フィリオは困惑のあまり、ついたどたどしくなってしまう。

「あれ? キミもしかして、女子が怖いのぉ? てことは……」

 そう言ってフィリオの頭をポンと優しく叩くスコルス。

「あぁ……そう言うことじゃないんですが……」

「じゃ何なのさ」

「いきなり『全部買っていこうかしら』なんて言って、急に頭触ってきて、やたら変な喋り方で、顔近くて……そんな人に出会したら誰でも困りますよ」

 フィリオは怒りを交えながら言った。

「あら? ちょっと年頃の男の子には刺激が強すぎたかしら?」
 
「だからそう言うことじゃなくて……」

 フィリオは頭を抱える。

「アタシみたいな人、嫌い?」

 スコルスが直球に訊いた。

「嫌いって言うか、苦手って言うか……とにかく、もうちょっと人との距離を考えてください」

「距離? 人の心の世界ほど興味深いものは無いね。アタシはどんな所でも歩いてどんな物でも売る超一流の行商人だけど、人の心だけはお金に変えられなかったよ。それだけ価値があるってことさ」

「今度は何が言いたいんですか?」

 フィリオはもうスコルスと関わりたくなかった。

「アンタの心が欲しい」

「は……?」

「絵は人の心を表すんだろ? アタシはアンタの絵を通して、アンタの心に惚れたのさ」
 
「それは嬉しいですけど、その言葉ってまさか……」

「絵は人の心を表す」ジタンの言葉だ。

「まさかってまさか、知ってるのかい? ジタンの事?」

「えぇ。知ってるも何も、僕の育ての親ですよ」

「そうかい! どうりで同じ匂いがした訳だよ……うんうん……アタシね、昔ここから遠く離れた街で、旅の途中だったジタンに会ったんだ。アタシは彼の描く世界に一目惚れして、そしていつの間にかジタンという存在さえも好きになっていった。でも彼にはもう、愛する女性がいた……」

「……」

 フィリオは何も言うことが出来なかった。かけてあげる言葉が思いつかなかったのだ。

「アタシはずっと絵描きを探してたのさ。ジタンみたいな人をね。それではるばる彼の故郷であるルーンプレナにやってきたってワケ。いやーまさかジタンのご子息にお会いできるとは……光栄なことよん」

「……スコルスさんの気持ちはよく分かりました。お金があるなら売りますよ」

「んー……」

 スコルスが自分の唇を優しく噛む。

「どうしたんですか?」

「やっぱり気が変わった。もっと面白いこと思いついたんでね」

「と言うと?」

 フィリオが首を傾げる。

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32 :零
2024/03/17(日) 15:25:26

「アタシとアンタで旅に行かない? 隣の街にでっかい港があるだろ? あそこで乗船券買ってさ、ランテって国まで! 一緒に行こ!」

 スコルスは目を輝かせ言った。

「え! そんな急に言われても……」

「遠慮は要らないって! ほら! 早く荷物畳んで、荷造りするよ!」

 スコルスはそう言ってフィリオの手を握る。

「早くって言ったって、まだ決まった訳じゃ無いでしょ? 大体スコルスさん、距離の詰め方変ですよ?」

 するとスコルスは動きを止めて、二人の間に少し沈黙が流れた後、口を開いた。

「あー……そうね。よく言われるよ。うん。お母さんはわからないし、お父さんもいない。この世に生まれてから、ずっとひとりぼっちでいたからかな……」

「ひとりぼっち、か」

 フィリオはリーフの言葉を思い出した。「フィリオ、お前は家族に恵まれているんだ。親に愛情を沢山与えられて育った子もいれば、親に捨てられた子もいる」彼女は孤独に耐え、強く今を生きている。世界は広いのだ。

「分かりました。一緒にその旅、付き合いますよ」

「え? いいの?」

「ただし……」

「ただし?」

「家族がいるんで、一緒に連れて行きたいんです。それでも良いなら」

 レイネは今家で留守番をしている。

「家族と? 留守番させればいいのに……」

「それが、えっと、なんていうか……とにかく僕の家にきてもらったら分かると思います。荷物畳むので、ちょっと待っててください」

 それからしばらくして、二人はフィリオの家に着いた。

「へぇ……十八歳にして自宅を持つとは……立派なもんだよ、うんうん」

 スコルスがアトリエの空気を目一杯吸って感嘆する。

「空き家を改造したんです。二年くらいかかりましたけど」

「絵に対する情熱は親譲り……って事ッスかねー……」

「どうしても、夢だけは諦めたくなかった。それだけです」

 二人は階段を登りながら言葉を交わす。

「レイネ、留守番してすまなかった……」

 フィリオが二階に上がると、ベットで静かに寝ているレイネの姿が目に入った。

「って、寝ちゃってたか……」

「その子がアンタの家族か。妹かい?」

「いえ。浜辺で……倒れていたのを、僕が保護しているんです」

 誰も「レイネは海から光を放って出てきた」と言っても信じてもらえないだろう。

「それで、家族の事とか、生まれ育った場所とか、記憶が無いみたいで……」

「身元が分からないから、アンタが家族として受け入れてやってるって訳ね」

 スコルスは勝手に椅子に背もたれを抱える様にして逆向きで座っていた。彼女はとことん行儀がなっていない。

「ま、そういう事です」

 フィリオはレイネの小さな頭をそっと撫でた。

「……ん」

 レイネがゆっくりと目を開けた。

「おっと、起こしちゃった……ごめんなレイネ……」

「あのひと……だれ?」

 レイネが警戒してフィリオの服を掴む。

「あぁ、あの人はスコルスって言うんだ。今日知り合ったばっかりなんだけど、悪い人じゃないから。ちょっと変な人だけどね」

「変? よく言われる……ッス……」

 スコルスはそう言って突然いびきをかいて眠り始めた。

「な?」

「……うん」

 レイネは納得した様子でフィリオと顔を見合わせた。

「それでなんだけどさ、レイネ、旅って知ってるか?」

「たび?」

「どこか遠い所へ出かけるってことさ。おっきな散歩みたいなもんだよ」

「……おもしろそう」

 笑みが溢れるレイネ。

「よし! そうと決まれば早速出発! 『思い立ったらすぐ行動』!」

 フィリオがそう言った途端、スコルスがむくりと起き上がり言った。

「そのレイネって子、面白そうじゃん……よし……一緒に連れて……行こう……」

 そしてスコルスはまた眠りについた。

「やっぱり変だ。この人」
 
 こうして三人はランテという国へ旅に出る事になった。

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33 :零
2024/03/17(日) 15:28:40

【#16 Trip】

「やっぱり画材も……持って行くんだ」

 スコルスがあくびをしながら言った。
 今日はフィリオ、レイネ、スコルスの三人で旅に出る日である。
 スコルスとフィリオが出会った日の晩、彼女はフィリオの家にしばらく泊まることになった。そもそも彼女は行商人である故、家は無い。

「レイネ、一階の棚にある絵の具持ってきてくれ」

「わかった」
 
 フィリオとレイネがせっせと荷造りをしながら忙しなく動く。

「スコルスさんは荷造りしなくていいんですか?」

「アタシはいいのよん。普段の荷物は全部ここにあるし、家とか無いから」

 スコルスが背負っている自分のリュックを叩いて言った。

「僕はこれでよし。みんなは支度できたか?」

 フィリオが問いかける。

「うん」

 レイネが小さくうなづく。

「ウッス!」

 スコルスが真っ直ぐ手を挙げて言う。ペントは前の晩にレオナの酒場へ預けておいた。

「そしたらいよいよ出発だ。まずは隣町の港まで行って、ランテ国行きの乗船券を買う。その後は……」

 意気揚々と話すフィリオ。

「やれやれ、旅なんかした事ない癖に張り切っちゃって……仕切るべきはアタシなのにねー」

 スコルスが囁く声がフィリオの耳に入った。

「ん? 何か言いました?」

「いや、何も」

 スコルスはどこか済ました顔をしていた。

「レイネ、そのリュックは君が背負ってくれ。こっちのは僕が持つ」

 フィリオが小さなリュックをレイネに背負わせ、彼も続けてリュックを背負う。

「よいしょ……あ、これ重っ、うぐ……レイネ、ちょっとすまないが、これ持ってくれないか?」

 フィリオは画材が入ったかばんをレイネに渡した。

「重くない?」

「うん、だいじょうぶ」

 フィリオはかばんを持っていたその手でレイネの頭を優しく撫でた。

「絆って良いものねー」

 スコルスがしみじみ言う。

「絆、か」

 フィリオが家族の事を思いながら言った。

「そう。前にも言ったように、アタシはずっと一人で生きてきた。この家に来てから、アンタ達が築き上げてきた絆をひしひしと感じたんだ。そして、その固い絆で結ばれた家族ってやつを身近に触れて、思ったんだよ。この家で過ごした数日間が、孤独から解放されるきっかけになるんじゃないかってね。ありがとう、フィリオ」

 スコルスは笑顔だった。

「スコルスさん、この世の中に孤独な人なんていませんよ」

「え……?」

「スコルスさんが僕の父さんに出会えたように、この世の中はいくつもの出会い、そして別れでできてるんです。だから、出会いがない人生なんてないんですよ」

「フィリオ……」

「幸せは意外と、側にあるもんですよ」

 スコルスの頬を涙が伝う。

「そうかもね……アタシはジタンに会えた。それだけで、もう孤独なんかじゃないのかもね」

 彼女は無邪気に笑った。

「……さ、行きましょうか」

「うん!」

 スコルスは目一杯返事をした。

「いく……っす……」

「レイネ、語尾は真似なくていいぞ」

 フィリオはそう言ってクスッと笑う。
 かくして三人の旅は幕を開けた。
 しばらくして一行は隣町の港に到着した。

「つかれた」

「レイネ、着いてしまえばこっちのもんだ。ここからは船で移動するから」

 フィリオは機嫌が悪い様子だったレイネをそう言ってなだめた。
 そしてフィリオは券を買いに乗船券売り場へ一人で向かった。

「えっと……ランテ行きの券を、三枚」

 フィリオはぎこちなく乗船券売り場で言う。そして受付の「あいよ」という無愛想な言葉に、フィリオはますます萎縮してしまうのだった。

「はぁ……券買うのも一苦労だよ」

 戻ってきたフィリオがため息をつきながら待っていた二人に言う。

「慣れない場所での慣れない行動、それもいい経験だっちゃ」

 スコルスが呟く。

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34 :零
2024/03/17(日) 15:30:40

「あれ、みて」

 レイネが突然フィリオの手を引いて言う。彼女が指差す先には、大きな帆船の姿があった。賑やかな人だかりに凛然と佇むそれは、思わず見入ってしまうような不思議な魅力があった。

「レイネ、今からあれに乗るんだぞ」

「うん。たのしみ」

「今から乗船される方は、こちらからお乗りくださーい!」

 船上から男の声が聞こえる。

「ごめん、荷物持ち直すから先乗っていいッスよー!」

 大きな波の音に負けない様に、スコルスは大声で言った。

「分かりました。レイネ、手出して」

 フィリオとレイネはシャンクと釣りをした時の様に、手を繋いでゆっくりと船に乗った。スコルスが後に続く。

「これよりこの船は出航いたします!」

「出航だ! 帆を上げろ!」

 船員達の大声が飛ぶ。
 一斉に帆が上がり、やがて船は進み出した。
 ひたすらに船が波を切り裂く。
 カモメの鳴き声と波の音がひたすらに聞こえる。
 
「スコルスさん、この船はいつランテ国に到着するんですか?」

 一行は船端付近から海を眺めていた。

「そうね……日没までには着くんじゃないかしら」

 スコルスが空をぼーっと見つめながら言った。

「えぇ! まだ昼間ですよ? あぁ、何も食べるもの持ってきてなかったな……持って来ればよかった」

 仰天、そして後悔がフィリオを襲う。

「これならある」

 レイネがそう言って一つの小さな林檎を差し出す。

「レイネ……それ、ペントのご飯……台所から持ち出して来たのね……それ食べちゃってもいいよ」

 フィリオが言うと、レイネはその林檎にかぶりついた。

「アタシらの食料だったらここにあるよ」

 スコルスがおもむろにパンを取り出して言う。

「わ! パンだ!」

 フィリオは歓喜した。

「あのね、アタシは超一流の行商人なの。もしもの時の為に、用意は周到でなくちゃね。ほら、ここに三人分あるよ」

「ありがとうございます!」

 フィリオはスコルスから一切れのパンを貰った。
 
「……ありがとう」

 レイネも嬉しそうにパンを受け取る。

「そもそもさ、渡航にかかる時間を考えてなかった訳? アンタ、意外とドジね」

「はぁ……」

 後悔、そして今度は自責の念が彼を襲う。

「ま、いいんだっちゃ。これも経験。人は失敗を重ねて生きていくんだから」

「ははっ……ありがとうございます、スコルスさん」

 船の出発からしばらく経ち、日が落ちかけてきた頃、フィリオがレイネに話し始めた。

「レイネ、この海は『静かの海』って呼ばれてるんだ。流れが穏やかで綺麗な海だから、その名がついたと言われている。いい名前だろ?」

「しずかの……うみ」

「僕はこの海が大好きでね、海ばっかり描いてた時期もあったんだぞ。変だよな」

 フィリオはそう言って笑う。

「僕はもっとこの世界の事が知りたい。父さんが愛した、この世界の事を。だから僕は絵を描き続ける」

 フィリオが海を眺めながら言った。
 レイネは何も言わず、ただそっと、彼の側にいた。

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35 :零
2024/03/17(日) 15:32:09

【#17 Yellow】

「おいおい、起きなさーい」

「ん……」

 フィリオがゆっくり目を開けると、スコルスに指で鼻の先を優しく突かれた。

「えーっと……」
 
 彼女に顔を覗かれて赤面するフィリオ。

 心地のいい秋の夕暮れに包まれる中、フィリオは船端ですっかり眠りについてしまったのだ。

「フィリオ、もうすぐ船はランテ国に到着するよん」

「いつの間に寝ちゃったんだろ。まぁいいや、レイネ……って、君も寝てるのか……」

「……」

 すやすやと心地よさそうにレイネは眠っている。

「おーい、レイネ」

「……?」

 ゆっくりと開いたレイネの瞳は、フィリオの姿を優しく映した。

「もうすぐ到着するぞ」

「とうちゃく?」

「そう。ランテの国はもうすぐそこにあるって訳だ」

 ランテ国は王政の島国で、長い歴史が存在する。スコルスはこの国に行ったことがなく、昔からこの国へ行くのが憧れだったらしい。

「ひぃやっほーい! 夢にまで見たランテ国は! もう目と鼻の先ぃ!」

 スコルスが目の前に見える大きな島を指差して声高に言う。

「スコルスさん、はしゃぎ過ぎですよ」

 フィリオの言葉を聞いたスコルスは、周りの人々の視線が自分に集まっているのに気が付いた。

「ありゃ……ちょっとご迷惑をおかけしたッスかね……」

 そう言ってスコルスは苦笑いをするのだった。
 空から太陽の光が消える。
 暗闇が彼らを包み込む。
 太陽に代わって、月が世界をほのかに照らしてゆく。
 船はやがて動きを止めて、船員が碇を下ろす。
 フィリオが呟く。

「ここがランテ国、か」

 一行はようやくランテ国に上陸した。

「まずは宿探しだよん。用意した地図を見てみると、ここから東の……この道を進んだ所にある宿屋が一番安いらしいッスから、ここに行きましょ」

 スコルスが港で地図を広げながら話す。

「んー、でもこっちの……西に進んだ所にある宿の方が近いんじゃないですか?」

 フィリオが意見すると、スコルスが言った。

「いやいや、近さより安さっしょ!」

「僕……眠たいから早く寝れる場所が欲しいんですけど」

「はー? なーに言ってんのさ! さっきも寝てたでしょうが! ちょっとは寝るの我慢してよ!」

「眠たいのは僕だけじゃないんですよ! レイネだって、ほら!」

「……ねむい」

「レイネちゃんだって寝るのくらいは我慢できるさ! フィリオ……アンタ我慢くらい出来ないのかい?」

 二人の間に居心地の悪い沈黙が襲う。

「……けんかは……やめて」

 レイネがフィリオとスコルスの間に入って言った。

「……レイネ」

「……レイネちゃん」

 二人はレイネの怒った顔を見るのは初めての事だった。

「分かった……ごめんな、レイネ」

「ん、お金の事にはうるさいってアタシの悪い癖が出ちゃったにゃ……反省するよ」

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36 :零
2024/03/17(日) 15:32:20

 レイネが放ったその言葉は、不思議と人を惹きつける力がある様に思えた。
 結局、一行は話し合って料金が安い方の宿に泊まる事にした。今後の旅の資金を考えての事である。

「随分ボロボロですね、この部屋」

 宿の部屋でフィリオが言った。

「安い宿だもの、しょうがないにゃ。ま、アタシはこういうの慣れてるから苦じゃないんだけどね」

「ねむたい」

 レイネがうつろな目をして言った。

「僕ももう限界です……寝ましょ……」

「なんだかんだで、アタシも今日は疲れたにゃ……明日の為に、元気を蓄えておかないとね」

 そう言葉を交わしてベッドに入る三人。

「……レイネ……」

「……にゃ……」

「……」

 フィリオとレイネはいつもの様に一つのベッドで寝た。スコルスはもう一つのベッドでいびきをかきながら寝ている。
 レイネの本当の家族は、今頃何をしているのだろうか。
 レイネの本当の家族は、彼女を捨てたのだろうか。
 フィリオはそんな事を考えながら、彼女をただ抱きしめていた。
 フィリオは願っていた。「レイネが幸せに生きてくれれば、それでいい」と。
 もし彼女が家族に恵まれなかった人間なのだとしたら、かつてレオナとジタンが自分の親になってくれた様に、自分が彼女の親になってレイネを幸せにする。
 満月の夜に、フィリオはそう誓った。
 やがて太陽が再び顔を出すと、フィリオは一番に目を覚ました。
 
「みんな! 朝だよ」

 彼はレイネとスコルスを起こそうと声をかけた。

「んにゃ……もう少し……寝かせ……」

 スコルスが半目の状態で言う。
 
「何言ってるんですか、今日から観光ですよ」
 
「あー! そうじゃん! ここランテ国じゃん!」

「わ、びっくりした」

 飛び起きるスコルスにフィリオは驚いて言った。

「……ん……」

「レイネ! おはよう! よく眠れたか?」

 フィリオがくるりとレイネの方を向く。

「……ん」

「そうか、それなら良かった」

 そして彼は彼女の頭を優しく撫でる。

「ただ起きただけなのに……アンタってやっぱり親バカだにゃ」

「いいじゃないですか、親バカでも。それで幸せだし」
 
「まぁそんなんだけど……ちょっとレイネちゃんが羨ましいなーって。アタシはさ、子供の頃に周りと自分を比較して、なんで自分だけ家族がいないんだろうって思って、ずっと辛かったんだ。今はもう一人じゃないと分かってはいるけど、心に開いた穴はもう埋まらない。過去は変えられないからね」

 スコルスはずっと一人で生きてきた。彼女はそんな自分の人生を、まだ受け入れられないでいるのだろう。フィリオは彼女の、家族がいる事への嫉妬を確かに感じた。
 フィリオはスコルスの方を向いて言う。
 
「スコルスさんはスコルスさんです。家族がいるとかいないとか、関係ない。ただ自分の人生として、ゆっくりでも受け入れる事が出来れば、それで良いと思うんです」

「そうか、それも一理あるかもね」

 窓から暖かい秋の日が彼女達を照らす。
 一行は朝食を済ませ、いよいよ観光が始まった。

「フィリオ、本気でこんな所まで来て絵を描くつもり?」

 賑やかな街並みを歩きながら、イーゼルを持ったスコルスが言った。フィリオに持たされたのである。

「だって見てくださいよ! この長く大きな水路を! そしてこの水路沿いに植えられたイチョウの木が鮮やかな黄色に色付いているのを!」

 熱く語るフィリオ。

「はっぱ、きれい」

 踊る様に舞い散るイチョウの葉を眺めながら、小さく呟くレイネ。

「そうだろう! ほら、レイネもそう言ってる事ですし! ここで描きます!」

 街を彩る自然を前に、フィリオは心が躍った。

「ほんと、親バカの次は油絵バカかにゃ」

 スコルスはやれやれと手を腰に当て言った。

「スコルスさん、ちょっとだけ時間を僕にください」

 彼はそう言うと、スコルスが持っていたイーゼルを道端に設置し、その上に小さなキャンバスを置いた。

「よし……」

 彼が左手に筆を持って、イチョウに目線を合わせる。それから筆を目線の前に持って来て、静かに片目を閉じた。
 そして、深呼吸を一つ。
 ゆっくり、ゆっくりとキャンバスに輪郭が現れていく。

「……」

 彼の真剣な姿を見て、思わずスコルスは黙りこんで見入ってしまう。彼の背中に、ジタンと同じものを感じたのだろう。
 イチョウの世界がキャンバスに切り取られていく。

「うんうん……やっぱ、フィリオはジタンの息子だにゃ」

 フィリオの姿を見て、スコルスは優しく笑った。

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37 :零
2024/03/17(日) 15:45:55

【#18 Lightning】

 一行が降り立ったこの街は、ランテ国で最も有名な観光地である。この国はレンガ造りの長い水路と、その両脇に沿って植えられたイチョウの木々が織りなす風景が特徴的である事から、「水の都」と呼ばれるようになった。流れの緩やかな水路を優しく進む渡し舟を見ていると、まるで時間までもがゆっくりと流れている様だった。
 フィリオの絵の制作がひと段落した後、一行は道端から水路をただ眺めていた。この街には、なんて事ない景色を何故かずっと見ていたくなる様な、そんな魅力があった。

「あれもふね……」

 レイネが渡し舟をじっと目で追いながら言った。

「世の中にはいろんな舟があるんだな。舟一つ取っても、世界は広いってこった」

「うんうん……でも、これはまだ序の口。世界はまだまだ広いッスよ」

 スコルスがどこか遠くを見つめて言う。

「アタシはね、世界中旅して、制覇することが夢なんだ」

「素敵な夢ですね」

「フィリオ、アンタには夢あるのかい?」

「夢か……僕は、今まで通り絵を描いて、世界を見つめていたい。それだけで十分です」

「へぇ……フィリオらしくていいと思うにゃ。『夢は大きくなくてもいい』って、ジタンも言ってたから」

 するとフィリオがレイネに言う。

「レイネ、いきなりだけど、夢ってあるか?」

「ゆめ?」

「やってみたい事とか、将来こうなりたいとか。些細な事でもいい。聞かせてくれ」

「ん……と……フィリオと、ずっといっしょに……いたい」

 レイネが恥ずかしそうに小さくそう言った。
 
「ほほーう? 良かったね、フィリオ」

 スコルスがからかう。

「レイネ……そう言って貰えて光栄だよ」

 フィリオは頭を掻く。

「うんうん……ほのぼのしてて良い家族だっちゃ」

 スコルスは優しい表情を浮かべて言った。

「それじゃ、ずっとここにいてもしょうがないし、そろそろ移動しますか」

 フィリオが二人に言う。

「オッケーよん」

「わかった」

 それから一行は、ランテ国の観光名所を巡って行った。
 人の背丈を優に超える巨大な噴水がある広場、ピンクや紫のコスモスが咲き誇る花畑、精巧に作られた時計台、滔々と流れる川の上に架かったお洒落な吊り橋……そして楽しい時は直ぐに流れていく。あっという間に日が暮れてしまった。

「あーらら、太陽隠れちゃった」

 街を歩きながらスコルスが言った。

「でも、今日はこの街で年に一度行われる催しがあるんでしたっけ?」

 フィリオが頭の後ろで手を組んで言った。

「そうそう! レイネちゃん、これからすっごいのが待ってるから、楽しみにしててね」

「……うん」

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38 :零
2024/03/17(日) 15:46:05

 レイネはスコルスを見上げて微笑んだ。
 こうして彼らは再び噴水広場へ向かった。今日はこの街で一番大きな行事「ランタン祭り」が行われる日なのだ。街の人々や旅人達が、願いを込めたランタンを夜空へと飛ばす。フィリオとスコルスは、レイネに内緒でこの行事に参加しようと計画していたのだ。
 一行が噴水広場まで来ると、辺りはすっかり真っ暗闇。噴水は水の流れを止めて、静かに眠っている。静かなそれとは対照的に、人々が石レンガの道を覆い隠す様に集まっている。
 一行は、ランタンを受付の人から三人分受け取った。

「ひかってる……」

「これは火だよ。家にあるろうそくが光ってるのと同じ原理さ」

「……」

「レイネちゃんって不思議な子だよね……火とか船とか、当たり前のものを珍しげに見つめてさ」

「その事なんですけど、えっと……スコルスさん、記憶喪失って知ってます?」

「聞いた事はあるにゃ」

「で、まぁ……レイネもそういう事みたいで……ありきたりな言葉や物も忘れちゃってるみたいなんですよね……」

 フィリオはなんとかそれらしく説明した。

「そういう現象が本当にあるんかねぇ……不思議よのぉー。ま、アタシは医者じゃないから何とも言えないけどさ、こうやっていろんなものに触れて興味持ってく内に、いつかパッと思い出すんじゃないかい?」

「思い出してくれたら良いんですけどね」

 フィリオはそう言ってランタンを見つめるレイネを見た。そして彼は思ってしまった。「このままレイネとずっと一緒にいたい。本当の家族にレイネを渡したくない。レイネと離れ離れになったら、僕は一体どうなってしまうんだろうか……」と。そして彼は不思議と恐怖心に苛まれるのだった。

「そろそろランタンを打ち上げる時間だよ。みんな、願いは決まったかにゃ?」

「……うん」

 レイネは微笑んで言った。

「僕は……」

「どうしたのフィリオ? 浮かない顔してさ」

「あ、いや、なんでもないです」

 フィリオは澄ました顔で返事をした。

「なんかいやーな考え事でもしてたんでしょ? アタシの勘に間違いは無いわ」

「いや、本当になんでもないです」

「そか。まぁなんでも良いけどさ、こういう時くらい楽しみましょ?」

 スコルスはフィリオにそう言って、小さく舌を出した。

「そうですよね……さ、スコルスさんは願い事決まったんですか?」

「うん!」

「じゃ、僕の願い事も決まった事だし、打ち上げを待ちますか」

 あんなに賑やかだった人々の笑い声が、いつの間にか静寂へと変わった。ランタンの光だけが彼らをほのかに照らす。
 遠くの時計台から鈍い音がした。その音が街中に響き渡ると、ランタンが一斉に空へと旅立った。漆黒の夜空を照らす星々の様なランタン達が舞い上がる。それぞれの願いを乗せて、彼らは音もなく飛ぶ。ただ高く、高く。

「きれい……」

 レイネが思わず呟く。一行は願いが叶いますようにと、祈る様にランタンを見上げていた。

「ねぇみんな、何願ったの? アタシはね、『世界中を旅して、伝説の行商人になりたい』って願ったよん」

「スコルスさんらしいですね」

 フィリオはそう言って笑った。

「レイネは何をお願いした?」

「『ずっとかぞくとくらせますように』って……」

「奇遇だね、僕も『レイネとずっと一緒に暮らせますように』って願ったんだ」

 そう言って二人は笑い合う。拍手や歓声、笑い声なんかがそこかしこで聞こえる。ランタンを打ち上げ終わって、人々の賑やかさが戻ってきたのだ。
 フィリオは願った。レイネと共に生きる道を。
 レイネは願った。フィリオと共に歩む道を。

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39 :零
2024/03/17(日) 17:17:43

【#19 Letter】

 時間がゆっくりと流れていく様だった。体がふわふわと飛んでいってしまうのではないかと思う程、それは幸せな一時だった。
 祭りは終わった。フィリオはレイネを思いながら、空をただ、眺めていた。

「そろそろ帰るよ、フィリオ」

 スコルスが優しくフィリオにそう言った。レイネは彼の手を握って離れなかった。

「うんうん。ただじっと空を見上げるのも悪くないッスね」

 三人は消えたランタンに別れを告げる様に、静かに夜空を見上げていた。
 その日の宿での事だった。レイネが隣で寝静まる中、フィリオはどうも寝付けなかった。

「……スコルスさん……起きてますか?」

 彼は小声で隣のベッドにいるスコルスに話しかけた。

「……なんだい? 起きてるよ」

「僕……なんか寝付けなくて……」

「そか。寝れない時ってのは悩みがあるって証拠だよ……アンタ、ランタン祭りの時、本当は何考えてたのか、話せる範囲で構わないから、教えてよ」

「スコルスさんは何でもお見通しですね……僕、実はレイネに依存してるんじゃないかって、思うんです。もしレイネと別れる事になってしまったら、僕は一体どうなってしまうんだろうって、怖くて」

「んー……フィリオ、アンタはレイネがずっと側にいないと不安になる?」

 フィリオはレイネがおつかいに行った時の事を思い出した。あの時感じたレイネへの気持ち。彼はあの雨の日の事を考えるだけで、胸が苦しくなった。

「不安もそうですけど……とにかく心配になります。ずっと側にいてあげないとって、僕にはレイネを守る責任があるので」

「やっぱりフィリオは、レイネに依存してるよ。ま、何かに依存して生きるのは悪い事じゃない。元々フィリオは絵に依存して生きてる訳だし」

「……」

「アタシ、アンタと暮らす中で思った事があってね、人は頼ったり頼られたりしながら生きてるって事はアンタの方がよく知ってると思うけど、それってつまり、人はお互い依存しあって生きてるって事だと思うんだ」

「……なるほど」

「依存すること自体は悪くない。けどね、何か一つの事だけに依存するのは良くない。だから、世の人はより大勢の人と関わって生きていこうとする……これはアタシの持論だけどね」

「……」

「アンタがレイネの事をどう思っているのか。どう関わっていきたいか。結局はフィリオ次第だけどね。でも安心して。どうであれ、アンタは沢山の人と支え合って生きてる。一人じゃないよ」

 スコルスは優しくそう言った直後、いびきをかいて眠りについてしまった。

「一人じゃない……そうだよな……自分の言ったこと、そのまま帰ってきちゃったか」

 フィリオは一人そう呟いて、静かに眠りについた。
 そして、漆黒の空にやがて光が灯る。夜が明けたのだ。
 
「……おはよ、フィリオ。ほんと早起きだよね、アンタ」 

 ベッドから起きたスコルスが、既に朝食の準備をしているフィリオに言った。

「おはようございます、スコルスさん。今日の分のパンと、バターミルクです」

 朧げな目をして椅子に座っているレイネが言う。

「……おはよう……スコルス……さん」

「あら、おはよう。レイネちゃん」
 
 スコルスがレイネに微笑みかける。
 今日で一行の旅は終わる。ルーンプレナに帰る日なのだ。
 朝食を食べながら、三人は会話を交わす。

「確か、スコルスさんはこのままここに残るんでしたよね?」

「そうさ、アンタ達とはこれでお別れ。寂しいけど、辛くはないよ。出会いがあれば、いつかは別れが来るって、誰かさんが言ってたから」

 スコルスは窓の外を見つめ言った。窓から差し込む光が彼女の瞳を輝かせる。
 秋の太陽に包まれながら、宿を出た三人は、スコルスが左側、レイネが真ん中、フィリオが右側になって、ランテ国の街を歩いていた。

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40 :零
2024/03/17(日) 17:18:04

「て、つなご」

 突然レイネがスコルスに言った。

「え、アタシも?」

 スコルスは目を丸くして顔を赤くする。

「レイネ、良い提案だ。スコルスさん、繋ぎましょうよ、手」

「ま、まぁ、良いけどさ……」

 スコルスはドギマギした様子で、手を差し伸べるレイネの手をそっと掴んだ。

「レイネちゃんの手、あったかいね」

 スコルスがそう言うと、レイネはとびきりの笑顔で返事をする。続けてフィリオもレイネと手を繋いだ。

「なんか、私もアンタ達家族の一員みたいになってる……こういうの、初めてだな……」

 スコルスが左手で頭を掻く。

「手を繋ぐって良いものですよ。一人じゃないって、実感できるんです」

 フィリオが微笑んで言う。

「そうか……そうね。良い事だよね」

 三人があの賑やかな噴水広場まで歩くと、スコルスが突然足を止めて言った。
 
「じゃ、アタシはそろそろこの辺で」

「……もう、行っちゃうんですね」

 フィリオは寂しい気持ちを抑える事ができず、思わずそう言った。

「うん……アタシね、フィリオとレイネちゃんに出会えて本当に良かったと思ってる。ありがとう」

 スコルスが指で鼻を擦りながら笑顔で言う。

「ありがとう……」

 レイネは彼女に言った。

「それじゃ、商いの準備するの手伝ってー」

「えっ……えぇ……」

 意地悪に笑うスコルス。彼女の言葉に驚き呆れるフィリオ。

「わかった」

「ほら! レイネちゃんは素直よん? フィリオもほら、この布とか持って! アタシは敷物敷くから、その上に並べて!」

「えー」

「えーじゃない。アタシはね、もうどうしようもないくらい面倒臭い女なのよん」

「はぁ……やっぱりこの人変だ……」

 ため息を吐きながらも、フィリオはレイネに続く様にスコルスの商いの準備に協力する事にした。彼女のバッグから、価値の分からない指輪やボロボロの服が次々に取り出されていく。
 
「スコルスさん、ほんとにこれって売れるんですか?」

 フィリオがスコルスに訊く。

「売ってみなきゃ分かんないのが商売ってもんだよ。そこが面白いんじゃないか」

 彼女はどこか得意げに話す。

「これ、なに?」

今度はレイネがスコルスに訊いた。レイネが手に取ったのは、良く言えば味のある、悪く言えば汚らしい分厚い木板だった。

「良い質問だねぇ……それは恐らく異国の文字で書かれた木板だよ。まだ本が発明されてなかった時代の物かも知れない……うんうん、渋くてカッコいいよねぇ……」

 スコルスはしみじみ頷く。
 フィリオは言う。
 
「本か……そうだ! 今度、本を読む練習でもしようか」

 レイネはフィリオと出会ってから、文字を読む事が出来ず、勿論書く事も出来なかった。
 レイネは好奇心からか、ゆっくりとその本を開いた。
 そして、レイネは桃色の唇をゆっくりと開いた。
 
「我々は決して忘れてはいけない」

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