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376.【小説】愛と幻想のショートショート
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14 :零
2024/04/26(金) 14:49:53

【この木の名前は】

 ある晴れた春の日の出来事であった。長髪を結んだ一人の学者とその息子が森を歩いていた。

「ねぇお父さん、この辺には虫いるかな?」

「息子よ、お前の言うような虫が出てくるのは夏だ。今はまだ、奴らは土の中で眠っている」

 水溜まりは葉の緑を反射し、鳥たちは枝を咥え巣を作る。
 学者の息子は立ち止まり、空を見上げて言う。

「お母さん、見てるかな」

「あぁ。見ているさ。お父さんたちとお母さんが、どんなに遠くに離れていようと、心だけは、ずっとそばにいる」

 学者は息子の手をそっと、力強く、握った。
 十分ほど森の獣道を歩くと、二人は大きな木々に阻まれてしまった。

「どうやらここで行き止まりみたいだな。息子よ、引き換えそう」

「お父さん待って! 奥に何か、ピンク色が見えるよ」

 学者の息子が指をさした先に、何やら鮮やかな色が見える。

「ピンク色……何かの花か? でもここから先は危ないから、戻った方がいい」

 学者は先へ進もうとする息子の肩を掴んだ。それでも息子は言った。

「でも……お母さんが好きそうな、綺麗な色なんだ。僕のお願い。行かせて」

 息子は決意を表明するかの如く、父の顔を見た。

「うむ……よし、行くならお父さんも連れていってくれ。これはお父さんのお願いだ」

 学者は息子の表情を見て、同行することに決めた。学者の息子はいつも父の言うことを聞いてばかりで、自ら進んで意思を持ち行動するというのはあまり見たことがなかったからだ。
 二人は獣道ですらない生い茂る植物の中を掻き分け、石でできたナイフで草木を伐採し、進んでいった。鋭い枝の端に足を切りつけられながらも、二人は目の前のピンク色に向かって突き進んでいった。

「見えてきたぞ息子よ!」

「うん!」

 ようやくたどり着くと、二人は一本の木を目撃した。それは孤高に、超然と、まるで生まれてきてからずっと二人を待ち焦がれていたかのように華々しく、佇んでいた。

「木にたくさんの花が、良く咲いている……素晴らしい。こんなに素晴らしい木は見たことがない!」

「お母さんに良く似合う、綺麗な花だね」

 気付けば、二人はその木に見惚れていた。

「この木は新種だ。間違いない。だから……名前を付けよう。そうだ息子よ、この木に名前を付けてくれ」

「いいの? ありがとうお父さん! じゃあ……この木の名前は、良く咲くから……【サクラ】! お母さんにぴったりでしょ?」

「おぉ、いい名じゃないか。素敵だ」

 二人は静かに空を見上げた。
 紀元前500年、ある晴れた春の日の出来事であった。一人の学者とその息子は、一つの木を発見した。たった一人の母の為に【サクラ】と名付けられたその木は、やがて沢山の人々に愛されることになる。

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