セブンネットショッピング

スレ一覧
┗376.【小説】愛と幻想のショートショート

|前|次|最初のレス|最近のレス|検索|書き込み|更新
1 :零
2024/03/20(水) 20:36:22

零の短編集。

目次
【告白】>>2
【忘れられない物語、そして】>>3
【にぼし】>>4
【あの嵐を駆け抜けて】>>5
【メッセンジャーガール】>>6
【ダイエットとはなんですか?】>>7
【お月見の季節】>>8
【その手を離して】>>9
【笑顔の写真】>>10
【完璧人間】>>11
【僕の城】>>12
【青髪と大学生】>>13
【この木の名前は】>>14

[返信][編集]

2 :零
2024/03/20(水) 20:38:30

【告白】

 花は人の心を表す。喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも。そして花は、人の想いをドラマチックに描いてくれる。私はこの小さな町外れの花屋をかれこれ十年、此処で切り盛りしている。
 午前九時三十分。天気、晴れ。窓の外に咲いている桜を眺めて、思わず仕事のことを忘れていたその時だった。

「すいません、今日、開いてます?」

 尋ねてきたのが若い男だったのに気がついた刹那、私は店のドアプレートが「close」のままになっているのに気が付いた。

「あ…! すいません、もう開いてますので。いらっしゃいませ」

 男は店に入るとすぐ、少しドギマギした様子で私にこう話した。

「あの……実は、今日で丁度、付き合って三年になる人がいるんです。今日その人に、プロポーズ……したくて、何かいい花があればと思って来てみたんですが……」

 プロポーズに花を渡す。実にベタだが、愛を伝えるためには花は最も適していると言える。想いのこもった花は、何よりも魅力的に見える。

「そうだなぁ……どういうのが良いかな……」

 男は暫く悩んでいると、店の端の方にひっそりと佇んでいる一輪の薔薇に目がついた。

「なんでだろう、この花だけは、他のどの花よりも魅力的に、輝いて見える…なんというか、今の僕の気持ちを表しているみたいで……」

 男はその薔薇に一目惚れをした。

「よし、これ、下さい」

「お買い上げ、ありがとうございます」

 私は男が選んだそれを丁寧にラッピングした。男の想いがこもったそれは、どこかいよいよ想いを伝える覚悟を決めたようで、より美しく見えた。

「これで、ようやく彼女に想いを、伝えられる気がします。それじゃ、ありがとうございました」

 男が手にしたのは、情熱的で、純粋な赤い薔薇だった。花言葉は、

【あなたを愛しています】

 午後ニ時四十分。天気、曇り。春の涼しい風に吹かれて宙を舞う桜の花びらは、儚くも美しい。

「いらっしゃいませ」

 今度のお客は朝来た男と同じくらいの歳の若い女だった。

「私、今、彼氏がいるんです。かれこれ三年くらい、ずっと付き合ってるんです。それで、彼にどうしても伝えなくちゃいけないことがあって、探してる花があるんですけど……」

 付き合って三年。さっきの男の彼女だろう。お互い、偶然同じタイミングで花を贈って想いを伝えたい、なんて、これほどロマンチックな事はない。
 女は、既にどの花を贈るか、きっぱり決めているようで、店を見回して、御目当ての物を探していた。しかし、その女の目は、何処か切ない目をしていた。

「あ、あった。これ、下さい」

 女が手に取ったのは、男と同じ、一輪の薔薇だった。しかし、それは赤くはなかった。

「あの、ラッピングなんですけど、この手紙、つけてください。口では、言いにくい事があって。お願いします」 

 口では言いにくい事。私は一瞬疑問を抱いたが、その疑問は、女が選んだ花をみればすぐに解決した。
これは、ロマンチックというには余りにも残酷すぎたのだ。

「お買い上げ、ありがとうございました」

 花は人の心を表す。喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも。そして花は、人の想いをドラマチックに描いてくれる。たとえそれが、どんな想いでも。女が手にしたのは、太陽のような黄色い薔薇だった。花言葉は、

【別れよう】

[返信][編集]

3 :零
2024/03/20(水) 20:39:33

【忘れられない物語、そして】

そして、人類はこのせかいにさよならを告げた。

「今日の絵本はこれで終わりよ。さぁ、おやすみなさい」

 私の母はある夜、優しい声でそう言ってそっと本を閉じた。

「うん、今日のえほんもおもしろかった。おやすみなさい、ママ」

 私は大人になっても、あの夜読み聞かせてくれたあの本が忘れられない。それは、懐かしい思い出としての記憶でもあるが、心にずっと潜むしこりのような物でもある。あの時の物語の内容が、思い出せないのだ。思い出せるのは、最後の一文だけ。その本を含めた大量の絵本はいつかの日に全て捨ててしまった上、タイトルすら忘れてしまっている。図書館や本屋で探し出して、読み直すことも難しい。
 最後の一文だけが、唯一の手がかりとなっている。

「この本も、この本も、これもそれもあれもどれも、全部違う……」

 私は町外れの小さな古本屋で働いている。あの思い出の本を探す為に。

「臨時ニュースをお伝えします。 G国当局は、本日未明に『我が国は我々自身の国としての誇りと正義、そして平和の為には、核の使用も厭わない』と核爆弾の使用の検討を発表し、各国での反対デモやその他抗議活動等が続いており、混乱を招いています……」

 店の古ぼけたラジオから臨時ニュースが流れる。
今、国際社会は混乱を極めていて、いつ核兵器によって世界が滅んでもおかしく無い状況らしい。
 私もこんなことやってる暇は無いのかも知れないけれど、生憎、私は忘れられないあの本を見つけたいってこと以外は、何も生きていたい理由はない。だからこそ、私はここであの本をただひたすらに探す。

「あの、本、売りに来たんですけど……」

 店のドアがギィと音を立てて開き、一人の優しそうなおばあさんが訪れた。

「いらっしゃいませ。早速ですが、本をお見せいただけないでしょうか?」

「はい、これ。私の思い出の本達だけど、私はもうひとりぼっちだし、もう長くないから。誰も読まないなら、誰かいい人に渡ってくれればと思ってね……」

 そう言っておばあさんは、私に数冊の本を渡した。

「はい、こちらで承らせていただきます。少々お待ち下さい」

 私は本を受け取るやいなや、すぐにそれぞれの本の最後のページをめくった。この中に、私の思い出の、忘れられないあの本があるかもしれない。

 「そして、人類はこのせかいにさよならを告げた」

 私は思わず呟いた。
 ついに見つけた。
 数冊の本の中の一つに、探し求めていた一文があった。
 すると、私の思い出が、忘れていた記憶が、一気に戻ってきた。

「臨時ニュースをお伝えします。本日午後二時頃、G国から、三発の核ミサイルが発射された模様です。国民の皆さん、速やかな避難をお願いします。繰り返します、本日……」

 私は、母との思い出が一気に蘇り、自然と涙が溢れた。私の唯一の願いが、叶ったのだから。
もう、生き延びたい、生き残りたいなんて思わない。  
 私の唯一の生きる意味が、無くなったのだから。
 その昔、人類という生き物がいた。
 人類はわたしたちのように、かしこく、頭を使って生きるようしんかして、地球をしはいした。
 しかし、人類は、なかま同士であらそいをくりかえし、おたがいをにくしみあった。
 人類はやがて、自分たちの平和のために、すべてのヒトを眠らせることにした。
 かれらには、それしか方法がなかった。
 ついに人類は、かくごをきめ、すべてをなかったことにした。
 そして、人類はこのせかいにさよならを告げた。

[返信][編集]

4 :零
2024/03/20(水) 22:18:19

【にぼし】

「【にぼし】が無いっ!」

「ん……なんですかー……いきなり……」

 僕はとある研究所で急に叫び出したこの博士の助手をしている。今はあるウイルスの研究中をしていて、ちょっと仮眠していたのだが、博士の声で目覚めてしまった。

「なんですか急に。今休憩中だったんですけど。それに、僕達もう二徹ですよ? それなのによくそんな大声出せますね……で、なんなんですか。その【にぼし】って。博士、味噌汁でも作る気ですか?」

 そんな事を言っていたらグゥと腹の虫が嘆く。そう、僕達はろくにご飯も食べていない。この2日間、ひたすら研究に没頭していたのだ。

「助手君。これはおやつなどではない。この『にぼし』が、この世界を終わらせてしまうかもしれないんじゃぞ!」

「は?」

 いやいや。にぼしって、あの煮干しでしょ?カタクチイワシ等から作られる小魚を名の通り煮て干した水産加工品でしょ? とかそんなこと言っていたらお腹が空いてしょうがない。あるなら早く食べたいものだ。煮干しを。

「博士ー。あるならさっさと煮干し、出して下さいよ。そのままでいいんで」

「なんじゃと! 助手君! 【にぼし】がどれほど恐ろししいものか、分かっておるじゃろ! とにかく、助手君も紛失した【にぼし】を探せ!」

 え? 恐ろしいの? いや、意味分かんないんですけど。それに、探せって……さっきから博士の言動の意味が分からない。まさか、ウイルスの研究に使う重要なサンプルだったり……いや、実験に調理済みのイワシなんて使う訳がない。ここは料理研究所では無い。
 ただの、しがない理化学研究所だ。

「この部屋も探した……あの部屋にあるかな……いや、ここに置き忘れるなんてことはあるはずないが……」

 いつも忘れっぽい博士がこんなに真剣な目をしているのは見た事が無い。研究に打ち込んでいる時はどこか、嫌々している様な、疲れている様な、そんな目をしているのに……
 すると博士がまた叫んだ。

「あ! そうだ助手君。君に『にぼし』の話、そういえば一度もした事なかったな? いや、すっかり話した気になってしまっていたよ。すまなかった」

 そんなことを言うと、博士の目がいつもの少し頼りない印象に戻った。

「あー、さっきから煮干し煮干しって、一体なんなんですか?」

 博士は大きく咳払いをすると、まぶたをスッと閉じて、ゆっくりと開けた。博士の目が、再び真剣なものになった。

「助手君。これから話すことをよく聞け。」

 僕は唾を飲んで、博士の目を真似る様に真剣な表情で話を聞いた。

「元々我々のいるこの研究所は、一つの『ある目的』の為に作られた。そのことはこの研究所の中では、私だけが知っている。そしてそのある目的というのが、スイッチ一つで世界を滅ぼしかねない究極の化学兵器、【新型極秘爆弾 New Bomb Secret】コードネーム【にぼし】の開発だったという訳だ。そして今私が探しているのは……【にぼし】とその起動スイッチだ」

[返信][編集]

5 :零
2024/03/20(水) 22:20:34

【あの嵐を駆け抜けて】

 そう。あの時から、私は人ではなくなっていた。

「ここは……どこ……」

 私はただの十七歳、普通の女子高生だ。確かあの時下校中で街を歩いていたら、誰かが突然私に拳銃みたいな物を向けてきて……それに撃たれて意識が……記憶はそこまでだった。
 目が覚めても何も見えない。私に視覚は有るのか、失ってしまったのか、分からない。
 手を動かそうとしたが、思う様には動かない。
何故かは分からない。触覚も今は感じられない様だ。
体に力が入らないので、味覚が有るかどうか確認出来ず、声も出せない。
 何も聴こえない。聴覚も無い。
 何も嗅げない。嗅覚も無い。
 今の私は何も出来ない。麻酔か何かを打たれて、一時的に五感を失っているのかもしれない。ただおぞましい恐怖と不安が、心身全てを支配した。
 怖い、
 恐い、
 こわい、
 コワイ、
 ……
 あれ……?
 ……
 また……だ……また……意識が……遠のいて……いく……

「気が付きましたか?」

 誰かの声がした。気がつくと私は古びた薄暗い水路の様な所にいた。そして、もう一つ重要な事に気付いた。

「あれ……私……聴こえてる……目も……ぼやけてるけど見える……しかも話せる!」

 私は安堵して声が聞こえた方を振り向くと、信じられない光景が広がっていた。

「ん……って……! キャー! バケモノ! こっち来ないで! 近づかないで!」

 声の主は、漆黒の真球状の頭、人間というにしては長すぎる胴、三つの関節があり二本の指がついた昆虫を思わせる六本の腕、蜘蛛の様に細く放射状に広がった八本の脚を持った、人間とは似ても似つかない、正に異形と言える存在だった。

「驚かせてしまいすみません。実は、私達は裏社会で暗躍している【財団】の研究所に捕らえられ、人体実験を受けたのです。それは貴女も同じ。あれを見てください」

 異形の男が左の一番上の腕で、コンクリートの床にある水溜りを指した。

「え……これが……私……?」

 私は水溜りに映った、変わり果てた自分の姿を見てしまった。全身の毛は抜け落ち、三つの目を持ち、水掻きを持った手足は河童さながらである。

「……うそ……ぅ……うあぁん……」

 私はただ泣く事しか出来なかった。この恐ろしい現実を受け入れられなかった。

「……とにかく、ここから脱出しましょう。直ぐに【財団】の追手が来ます、泣いてる暇はありません。さぁ!」

 遠くで警告ランプがウーと唸る。
 私の手を男が強引に腕を二本使って引いた。彼の三本の指は鉤爪になっていて、皮膚に食い込んで正直とっても痛かった。
 現実をまだ受け入れられない私は、恐怖で足が動かなかった。

「しっかりして下さい! 仕方ない……おんぶしましょう」

 私は見ず知らずの怪物と化した男におんぶされて、研究所を出た。外は嵐だった。彼は大雨に打たれながら八本の足でひたすら走った。

「しっかり掴まっててください!」

 私達はあの時から人では無くなっていた。それでも、あの時感じた彼の鼓動は、確かに人間の温もりだった。

[返信][編集]

6 :零
2024/03/20(水) 22:21:19

【メッセンジャーガール】

 それが発見されたのは、二十年余り続いた世界大戦が終わり、人々が復興に尽力していた頃のある昼下がりのことだった。
 海辺で発見されたそれは、一メートルくらいの大きさで、白い卵のようであった。
 やがて大勢の大人がそれを調べて研究するようになった。研究の結果、それは一万年ほど前に作られたとても古い機械である事が分かった。
 研究者達はその機械を動かすべく、叩いたり、撫でたり、殴ったり、放置したりした。試行錯誤の末、ついにその時が訪れた。「音声入力によって起動するのではないか」という若い研究者の意見が的中したのである。
 その機械に向かって、一万年ほど前の時代に使われていた言語で、挨拶を意味する言葉を試しに言い放ってみたところ、それは大きな音を立てて変形し、機械は一つの瓶を彼らに差し出した。
 瓶を開けると、中には一枚の手紙のようなものが入っていた。書かれている言語は機械の起動の際に使ったものと同じだった。
 研究者は、翻訳した手紙の内容を世界中に公開した。そうすべき理由がそこにはあったのだ。
 手紙にはこうあった。「一万年後のあなたへ まずはこれを読んでいるあなた、ご挨拶ありがとう。挨拶されたら、返すのが礼儀ですよね。こんにちは。私は今十四歳の女です。この手紙を入れた機械はパパの会社が作ってくれたもので、どんな水圧にも耐えられるんです。そして、海へ投下された後、一万年経ったら自動で陸へ上がってくるそうです。なんだかびっくりですね。話は変わりますが、今、私達の国では戦争が起こっています。それも世界中を巻き込んでの戦争です。戦争はとても怖いもので慣れないものです。兄も友達もみんな死んでしまいました。これを読んでいるあなた。どうか、平和な世界を目指して、強く、そして優しく生きてください。とにかくそれだけが言いたくて、私は一万年後のあなたにこの手紙を送ったのです。変でしょう? でも、それだけ大切な事だから。それでは、最後に別れの挨拶を。もう誰も争わなくていい世界を願って。さようなら。一万年前の私より」
 西暦一二〇五〇年。二十年余り続いた世界大戦が終わり、人々が復興に尽力していた頃のある夜の事だった。少女が一人、自室でペンを手に取り手紙を書いていた。もう人々が二度と過ちを繰り返さないために。手紙の書き出しはこうだ。「一万年後のあなたへ」

[返信][編集]

7 :零
2024/03/20(水) 22:48:13

【ダイエットとはなんですか?】

 とある町外れの研究所。中年の博士が独り言を呟く。

「ダイエットを始めてみたはいいものの、全然痩せんなぁ」

 博士はズボンを腰まで上げようとするも、入らない。
 それをみた人工知能搭載人型ロボ『エル』が博士に言った。

「ダイエットとはなんですか?」

「人間が意図的に痩せようとすることだよ、エル」

 エルは更に訊く。

「何故、痩せようとするのですか?」

「健康の為だったり、見た目の改善の為だったり。理由は人それぞれだ。もっとも私の場合は、健康診断に引っかかってしまった故だがな」

「私は、痩せる必要があるでしょうか?」

 エルはまだ「自分の体は人間の肉体とは違う」ことを理解していないようだ。

「んー、痩せる必要はないよ。なにせ……機械の身体だからな」

「必要がなくても、ダイエットをすることはできますか?」

「自分が機械だろうがお構いなしか……うむ。分かった。一緒にダイエットをしよう」

「了解しました、博士」

 こうして、博士とエルのダイエットが始まったのだった。
 二人はまずジムに向かった。

「ここなら、豊富な設備で効率的に痩せることができる、と、思う」

「なるほど。それでは博士、どの器具を使いましょうか?」

「そうだな……手始めにあのランニングマシンからやるか」

 二人はマシンのスイッチを入れ、走り始めた。速度は時速七キロから八キロ、八キロから九キロと、どんどん加速していく。開始十分程経った頃、博士はすっかり息を切らし、マシンの速度についていくのがやっとになってきた。

「エル……ちょっと……休憩、しないか?」

 エルは腿をしっかりと上げ、ウイン、ウインと、一定のリズムでペースを乱さず走っている。

「博士は開始十分二十秒でリタイアですね。記録します」

 博士はマシンの端に足を置いて息を混じらせながら話す。

「リタイアって……そんな……言い方……ないよね……」

 顔色ひとつ変えずに走るエル。彼女はロボットだから、表情が一定なのは当たり前のことなのに、何故かその体力が羨ましく見える。

「おい、あの女すげえぞ」

「一定のペースだ……!」

 周りの人達が段々とエルに注目の視線を向ける。

「ねぇ……別のやつ……やらない……?」

「了解しました」

 次なる目標はベンチプレス。
 ここでもエルは軽々とダンベルを上げ、余裕そうだった。

「あ、私もう無理」

「博士、三分四秒でリタイアですね。記録します」

「あの……そのリタイアっての、やめてくれるかな?」

 そう言ってる間でも、エルはダンベルを上げ下げし続ける。

「五十、五十一、五十二」

「エル、そろそろバッテリーが……」

 休憩しながら横で見ていた博士がエルに呼びかける。

「五十三、五十四」

 そして彼女が「五十五」を言いかけたとき、ピタッと彼女の動きが止まった。

「あ」

 博士はその後、一時間半かけて、体重が七十キロあるエルをおんぶして研究所へと帰ってきた。

「はぁ……これが一番疲れたかもしれん」

 博士はそっとエルを充電器にセットし、すぐに就寝した。

「痩せんなぁ」

 次の日、博士は体重計の上でそう呟いた。

「朝の牛丼が原因と思われます」

 エルは冷たく言い放つ。

「あぁ、ばっさりと……」

「私の体重も気になります。計らせてください、博士」

「え、あぁ……良いけど」

 博士は落ちを分かっていた。エルが体重計にゆっくりと乗ると、液晶には「70kg」の文字。
 エルはその結果をまじまじと凝視したあと、言った。

「痩せませんね」

[返信][編集]

8 :零
2024/03/20(水) 23:00:37

【お月見の季節】

「今日は中秋の名月だったわよね」

 彼女が僕に話しかけてきた。四角いメガネが特徴的で、とっても華奢な彼女は、さっき大きな荷物を持って、急に僕の家に上がり込んできた。

「確か、そうだったはずだよ」

「日本では月のクレーターを餅をつく兎に見立てた……全く、人類の想像力には頭が下がるわ」

「キミの歴史学への熱意にもね」

 彼女とは大学で知り合った。彼女は歴史学科の後輩だけど、彼女の歴史に対する熱意は僕を遥かに凌駕する凄まじいもので、よく紙粘土を買ってきては縄文土器を作っているくらいだ。

「それじゃ、月見団子作るわよ」

「あ、その荷物ってもしかして」

「材料よ」

 彼女の思いつきはいつも唐突に発生し、僕を困らせる。
 あの一言から一時間半くらいしてやっと、二十個程の白い団子ができた。食べたことないくらいシンプルな団子だ。

「あのさ、キミいちいち本格的すぎるよ……もう肩痛い」

「ごちゃごちゃ言わない。さ、ベランダで食べるわよ」

「はーい」

 キビキビとベランダへ団子を運ぶ彼女。

「世界中でまだこんなことやってるの、僕らくらいじゃないかな」

 一つ目の団子を手にしたまま僕は言った。

「なら尚更私たちはこの行為をする必要があるわ。伝統は守るものだもの」

 二つ目の団子をもぐもぐさせながら、彼女は答えた。

「真面目だな……」

「真面目は嫌い?」

「いや、そういうキミが好き」

「物好きもいたものね」

 彼女の硬い表情が少し緩んだ。

「ねぇ……一つ疑問に思ったんだけど」

「なに」

「僕らって……キス、とか、したことあったかな」

 まずい。こんなんじゃ「キスしたいです」って言ってるようなもんだ。急に大胆過ぎたかもしれない。

「ないわ」

「そ、そうだよね、いやその」

「してみましょうか」

 その言葉は淡白で、自信に満ちていた。

「え、ちょ」

 戸惑っている暇もなかった。一瞬だった。白くて細い彼女の手が僕の顔を無理やりこちらへ向けさせ、真紅の唇が僕を奪った。
 一分……いや、三十秒にも満たなかったかもしれない。でも、とても長く感じた。風の音も、息の音も、心音さえも、聞こえなかった。

「ん、はぁ」

 彼女の妖艶な吐息と共に、それは終わった。ただそれだけの事実しか理解できなかった。

「あ……」

 唖然とする僕の前には、いつもの彼女がいた。いや、いつもより綺麗に見える。

「あ、ご、ごめん。なんていうか、気の利いたことできなくて」

「いいわ。困惑してるあなたを見るのが好きだから」

 物好きなやつめ。

「そ、それは結構……てか、実は僕、こういうことするの、ほんと初めてで……」

 僕にとってはちょっと恥ずかしい告白だった。それも相手が相手だ。こんなに経験豊富そうな彼女に、どう思われてしまうのだろうかと、流石に少し不安になった。

「あらそう。奇遇ね。私の二十年間続く人生の歴史の中でも、こんなこと初めてよ」

「えっ」

 そう言ってメガネの小悪魔は微笑みながら「ふふっ」と僕を見つめた。

[返信][編集]

9 :零
2024/03/25(月) 17:56:34

【その手を離して】

 今から丁度五年前くらいのことだった。当時三年ほど付き合っていた彼女が、僕に「別れよう」と言ってきた。原因は多分、連絡の頻度が段々と減ってきたこととか、僕の部活が忙しくて全然会えてなかったこととかで、色んな要因が重なった結果、彼女は僕にそんなことを言ったんだと思う。
 それから、僕らは別れることにした。彼女はもう、僕のことなんか好きじゃなかったみたい。長いようで短かった冬が終わって、太陽が日に日にその存在感を増していた、三月のことだった。
 僕は彼女のことが大好きだった。ずっと一緒に居たかったし、将来的には結婚もしたいと思っていた。でも、彼女にその気持ちが上手く伝わっていなかったみたいで。
 別れた直後は後悔の連続だった。もっと好きって言えば良かった。部活を休んででも会えば良かった。もう一度やり直せるか、言ってみれば良かった。梅が咲く公園を歩きながら二人で別れ話をしてた時、彼女の手を離さなきゃ良かった。
 彼女と別れた帰り道、右から強い風が吹いた。台風程ではないけど、強く冷たい風だった。まるで、手を離した彼女が風に流されて、どこかへ消え去ってしまったような、そんな気分になって、涙が溢れた。でもその涙も、風は何も言わずに吹き飛ばした。
 それから二年が経った頃、闘病していた祖父が亡くなった。祖父が最後の面会の時、僕に一つ、言葉をくれた。「失うということは悪いことではない」と。
 冷たい祖父の手を離して病室を出ると、外は風が強く、少し肌寒かった。もう会えないかもしれないと思うと、怖くて辛かった。その不安が現実となったことを知ったのは、その二週間後だった。
 祖父は、何故失うことが悪いことではないのか、その理由までは教えてくれなかった。これ以来、僕は何かを失うということの本当の意味を探していた。
 かくして、祖父も恋人も僕の手を離れて、風に流されどこかへ行ってしまった。
 今、僕は仕事をしながら一人暮らしをしている。最近になって、失うということはどういうことなのか、少しずつ分かってきたような気がする。
 毎年この時期になると吹く風のことを「春一番」と呼ぶのだと、祖父は教えてくれた。
 今、あの時の彼女がどこにいるのかは分からない。誰かと結婚して、幸せな家庭を築いているのかもしれない。
 今、祖父がどうしているのかも分からない。案外、見えないだけで僕の隣を歩いているのかもしれないし。
 僕が誰かの手を離して泣き崩れた時、春一番は現れて、僕の大切な人も、僕の涙も全てを奪っていってしまう。でもその度に大事なことに気づいて、また歩き始められた。
 もし、僕が何も失わなかったら、どうだっただろう。手を離すことで分かったことが、分からないままだったかもしれない。
 今、一言で失うことの意味を答えるとしたら、僕はこう答えるだろう。「失うことは悪いことではない。失うことは気づくことだから」
 今年も春一番が吹いている。僕はその度に、失った大切な人のことを思い出して、前に進むんだと思う。
 手を離して、風が吹き去って、僕は生きてくんだろうと思う。
 天気予報で言っていた。もうすぐ風は止む、と。

[返信][編集]

10 :零
2024/04/01(月) 22:46:44

【笑顔の写真】

 ある時代、人々は戦争をしていた。それは世界規模の大きな戦いで、星全体を火が覆い、悲鳴が聞こえない地は無かった程。

「マリア。心配しなくて大丈夫よ。きっといつか、全ては終わるわ」

 とある国の若い女とその娘のマリアは、地下のシェルターに避難していた。絶え間なく響く大きな爆発音に震えるマリアを、女はそっと抱いていた。

「お母さん、いつかって、いつ?」

「そうね……お父さんは、半年くらい経てば終わると言っていたわ」

「本当に?」

 今にも消え入りそうな声で、マリアは言った。

「お父さんの言うことが間違っていたこと、あったかしら?」

 女はそっと頭を撫でるような優しさで、マリアに問いかけた。

「ううん」

 地下シェルターには色んなものがある。ただ、減っていく一方なだけで。
 女は一つの機械を取り出して、マリアに言った。

「写真、撮りましょうか。思いきり笑顔で」

「笑顔、笑顔なんて……できない」

 母の提案にマリアは俯く。

「お父さんは、マリアの笑顔が見たいはずよ」

「そっか……そうだよね」

「マリア、私の真似をして。ほら」

 女はそう言うと、マリアにとびきりの変顔を見せた。

「んふふ」
 
 マリアの表情がだんだん明るくなっていく。
 そして女は、チェキカメラのレンズを自分達の方に向けて、シャッターを切った。
 出てきた写真には、二人の笑顔が確かに写っていた。

「お父さんが帰ってきたら、見せてあげましょうね」

「うん」
 
 ヒュウ……と音がする。爆弾の落下音だ。しかも、今まで落ちてきた爆弾よりもずっと大きい、突風のような落下音。
 間もなく、その落下音が途絶えると、それは全てを消していった。人も、街も、自然も。
 結局戦争は四年間続き、人類はその人口の四分の一を失うこととなった。
 そして、戦争から千年の時が経った。

「おい! この下、なんかあるぞ!」

 少年と少女が野原で遊んでいると、少年が何かを見つけた。

「本当だ! 階段がある。地下に続いてるみたい……」

「ちょっと探検してみようよ!」

「え、ちょっと!」

 一人の少年が発見した階段を勢いよく駆け降りる。少女は不安そうになりながらも、それに着いていった。

「ん? なんか踏んだぞ」

 少年が闇の中に一歩を踏み出したその時、彼は足元の薄い何かに気付く。
 彼は足を離しそれを手に取る。

「写真……?」

「何か落ちてたの? ちょっと見せてよ!」

 少女は一気に階段を降り、少年と共に写真を見る。

「笑ってる。親子の写真だ。幸せそうだね」

「そうね。幸せそう」

 そう言って二人は顔を見合わせ微笑んだ。

[返信][編集]

11 :零
2024/04/07(日) 17:58:42

【完璧人間】

「ついに……ついに完璧な人間を作り上げたぞ……!」

 とある研究所で老いぼれた博士が少年の様に目を輝かせて言った。その瞳には培養ポッドの中で眠る赤子の姿が映っていた。
 
「これは……世紀の大発明じゃ!」

 博士は暗く広い研究所の中で、狂った様に笑った。
 21XX年、人類は人工的に人間を作り出すことに成功した。赤子は「完璧」と言う意味の「perfect」から頭文字のPを取って【P-01】と呼称された。赤子は遺伝子工学の粋を集め作られ、筋肉や皮膚、脳に至るまで事細かくデザインされたそれは、まさに完璧な人間だった。
 そして赤子は世を忍ぶため【チャーリー】と言う仮の名前を与えられ、人工的に作られた存在である事が世間にバレない様生きる事となった。
 赤子はすくすくと成長し、十歳の頃にはアメリカの有名大学を主席で卒業、十五歳の頃にはオリンピック選手として活躍し、男子100mで見事金メダルを獲得した。十八歳の頃からは経営者となり、一躍大企業の社長となった。二十歳の頃には俳優デビューし、人気スターの仲間入りを果たした。さらにオンラインゲームのトップランカーでもあり、人々を爆笑の渦に巻き込むコメディアンでもあり、世界を魅力する歌手でもあった。
 才色兼備、非の打ち所がない彼は、世界中から好かれ、【完璧人間】と呼ばれるようになった。
 しかし彼にはたった一つだけ悩みがあった。それは、「普通になりたい」と言うものだった。産まれた時から神童と呼ばれ、もてはやされ続けてきた彼は、周囲の人々からのプレッシャーが何よりも苦しかったのだ。
 ある日チャーリーは全国ツアーの途中(歌手活動の一環)で、ステージの上で突然歌うのをやめて、泣き出してしまった。
 それから彼は歌手活動を始めとしたありとあらゆる活動を休止し、自分自身のメンタルを回復するため、精神科に行くことになった。
 精神科医はチャーリーの容態を診てこう言った。

「なーんだ。【完璧人間】なんかじゃないじゃん」

 チャーリーの容態をインターネット上の人々は強く非難した。「【完璧人間】失格だな」「政治家にでもなれば世界は平和になるのかなーなんて思ってたけど、これじゃ期待して損した」「完璧野郎が鬱だなんて滑稽」「調子に乗るからこうなるんだ」「完璧野郎!死ね!」
 彼らの投稿を不意に目にしたチャーリーは、全てを捨てて「ただの一般人」として生きる事を決意した。
 サラリーマンとして働き、たまにゲームを嗜み、たまに同僚とカラオケに行く。ごく普通の生活。
 彼の決断に世界は混乱したが、彼にとってはこれが「完璧」な人生だったのだ。

「実験は失敗じゃったか……いや、むしろ成功と言うべきか……」

 暗く広い研究所の中、そんなチャーリーの姿をモニター越しに見た博士は優しくそう言った。

[返信][編集]

12 :零
2024/04/10(水) 23:53:26

【僕の城】

 今日から僕と彼女は、晴れて同棲することになった。

「やったーっ! 夢にまで見た、私だけの城! 城ってことは……私が女王様?」

 彼女は高校の先輩だった。中々珍しいことなんだけど、お互い一目惚れだったらしい。
 荷解きに手を付けずに、仁王立ちで呑気にそんなことを言っている彼女からは、いつも溢れ出るエネルギーを感じる。月並みな言葉で表現するなら、元気っ子と言ったところだろうか。

「ははっ。ま、そうとも言えるね」

「ねーねー君、そういえば料理得意だよね? だからさ、ご飯係は君で決定ってことで! ほら、私めっちゃ料理下手なの知ってるでしょ? このとーり、お願い!」

「えぇ……まぁ、いいけど」

「え! まじ? 冗談のつもりで言ったんだけど……ありがてー! 言ったよね、今いいけどって確かに言ったね?」

 彼女は、段ボールに貼られたガムテープを剥がすのに手こずっている僕に急に顔を近づけて笑った。
 いつもこうだ。彼女には振り回されてばかり。

「うん。作るよ」

「よーし! はははっ! 流石我が側近!」

 側近、か。

「ね、そんなこと言ってないで、早く手伝ってよ」

「んもー、いけすかないやつめ。はいはい。たまには王族も手伝ってやりますわよ。感謝しなさい。おほほほほっ」

 一通りの荷解きや家具の組み立てが終わると、もう日はすっかり置いていた。初夜、と言うやつだ。

「簡素だけど、どうぞ」

 丸く小さいテーブルに、チンしただけのカレーを二人分、置いた。

「あぁ、ますます私の城って感じがする……いただきまーす」

 私の城、か。
 彼女は僕の分のカレーにまで手を付けて、結局僕のカレーはほとんど食べられてしまった。まぁ、いいんだけど。
 あっという間に、夜が更けてきた。
 僕らは寝る準備をして、二人で使う一つのベッドで夜を過ごす。

「今日も楽しかったね」

 ベッドの中。彼女が囁く。

「うん」

「これからずっと、私の城で暮らそうね」

「うん。でも君は、女王様なんかじゃないよ」

「え」

 暗闇の中で、バサリ、と、布団の摩擦音が聞こえる。まぁ、僕が立てた音なんだけど。
 僕は彼女の上に体全体で乗っかった。

「な……に?」

「ん、どうしたの?」

 僕は耳元でそう言った。
 彼女の鼓動、生きている音がする。
 僕は次に、その耳を弱く弱く、僕の歯で噛んだ。

「えっ」

 彼女は混乱しているみたいだった。

「びっくりした?」

「いや……うん」

「初めてだもんね? こういうの」

 吐息が一つ。そしてもう一つ。

「えっと……うん」

「人生で一回もないもんね」

「うん」

「じゃあ初めてすることしよっか」
 
 その次に僕は言った。

「言っておくけど、ここは僕の城だからね」

 そう。僕はこの城の王様。そして君は、僕のお姫様。

[返信][編集]

13 :零
2024/04/23(火) 19:14:19

【青髪と大学生】

 僕はこの春から大学生。まさか第一志望校に受かるなんて思いもしなかったから、今は喜びと期待で胸がいっぱいになっている。
 実は昨日、髪を青のメッシュにしてきた。美容の知識がほとんどない僕は、何故か髪を染めたいと突然思い立ち美容院へ行ったものの、美容師さんにおすすめされるまで、僕は青が似合うらしいということも、メッシュという髪の染め方も知らなかった。
 ともあれ、僕はこれで、憧れの大学生に一歩近づいた、ように思える。今日はサークルの見学に行く予定。目星は付いている。
 
「あっ……た。ここが【文芸サークル】の部室で、合ってるのかな」

 文芸サークルに入ることにしたのは、僕が無類の本好きだから。合格が決まってから、ホームページで見て速攻で決めた。

「えっと……」
 
 僕は気がつくと扉の前で立ち尽くしていた。幼い頃から小心者だったから、声をかける勇気が出ない。
 すると、シャーッと、扉が開いた。

「んぁ? おぉ! こりゃーこりゃー、我が校の新入り、つまるところは一年生、かな?」

 部屋の中からメガネをかけた細身な女の人が出てきた。僕は平均的な男性の身長なはずなのに、この人は僕より少し高い。

「え、えっと……」

 なんだ? 理由はよくわからないけど、この人のメガネ越しの目に、僕は引き込まれてしまいそうだ。

「おー、よく見たらキミも青髪じゃないかー。気が合うねぇ」

 本当だ。呆気に取られて全然気が付かなかった。

「あ、あの、サークルの見学に来たんですけど」

「あぁ、そうなのかい! こりゃー嬉しいよぉ。なんてったって、今日はアタシしかいないからねぇ」

「えっ」
 
 マジ? 今日、この人しかいないの? ということはもしかして……この人と二人きり!?

「あ、今『マジ? 今日、この人しかいないの? ということはもしかして……この人と二人きり!?』って顔してるねぇ……いいよその顔、好きだ」

 ば、ばれてる!?
 僕と同じ青髪のその先輩は、僕に顔を目一杯近づけると、こう言った。

「ま、入ってよ。少ーし、お話ししようか」

 先輩に言われるがまま中に入ると、部屋の中は本で埋め尽くされていた。すごい。図書館みたいだ。

「お、驚いた顔してんね。まるで『すごい。図書館みたいだ』とでも思ってるみたいに」

「えっ」

 また当てられた。なんなんだこの人は……超能力でも持ってるのか?

「んー、きょとーんとしたキミの顔、大好きだよ。同じ青髪ってのも、どっかシンパシー感じるし。んー、アタシの下僕にするのもありだねぇ」

「げ、下僕!?」

 この人、後輩のことなんだと思ってるんだ。

「ウソウソ。アタシ、キミに一目惚れしたよ……この髪、大学デビューってやつだろう? だったらさぁ、今日からアタシと付き合うってのは、どう? キミの風貌を見る限り、色んな意味でデビューしてなさそうだし……初彼女デビュー、ってとこだねぇ」

「え、ええ、えぁ?」

 慌てて変な声を出してしまった。いきなり何を言い出すんだこの人は。

「じゃ、次は、ドキドキ接吻デビューといきましょう……」

 窓の外を見ると、桜の花びらが吹雪いている。

「わぁっ!」

 先輩は僕を押し倒し、笑った。
 先輩は、とってもとっても不思議な人。そして、僕と同じ綺麗な青髪の人。そして、僕が人生で初めてキスをする人。そして、僕の人生で初めての恋人になる人。

[返信][編集]

14 :零
2024/04/26(金) 14:49:53

【この木の名前は】

 ある晴れた春の日の出来事であった。長髪を結んだ一人の学者とその息子が森を歩いていた。

「ねぇお父さん、この辺には虫いるかな?」

「息子よ、お前の言うような虫が出てくるのは夏だ。今はまだ、奴らは土の中で眠っている」

 水溜まりは葉の緑を反射し、鳥たちは枝を咥え巣を作る。
 学者の息子は立ち止まり、空を見上げて言う。

「お母さん、見てるかな」

「あぁ。見ているさ。お父さんたちとお母さんが、どんなに遠くに離れていようと、心だけは、ずっとそばにいる」

 学者は息子の手をそっと、力強く、握った。
 十分ほど森の獣道を歩くと、二人は大きな木々に阻まれてしまった。

「どうやらここで行き止まりみたいだな。息子よ、引き換えそう」

「お父さん待って! 奥に何か、ピンク色が見えるよ」

 学者の息子が指をさした先に、何やら鮮やかな色が見える。

「ピンク色……何かの花か? でもここから先は危ないから、戻った方がいい」

 学者は先へ進もうとする息子の肩を掴んだ。それでも息子は言った。

「でも……お母さんが好きそうな、綺麗な色なんだ。僕のお願い。行かせて」

 息子は決意を表明するかの如く、父の顔を見た。

「うむ……よし、行くならお父さんも連れていってくれ。これはお父さんのお願いだ」

 学者は息子の表情を見て、同行することに決めた。学者の息子はいつも父の言うことを聞いてばかりで、自ら進んで意思を持ち行動するというのはあまり見たことがなかったからだ。
 二人は獣道ですらない生い茂る植物の中を掻き分け、石でできたナイフで草木を伐採し、進んでいった。鋭い枝の端に足を切りつけられながらも、二人は目の前のピンク色に向かって突き進んでいった。

「見えてきたぞ息子よ!」

「うん!」

 ようやくたどり着くと、二人は一本の木を目撃した。それは孤高に、超然と、まるで生まれてきてからずっと二人を待ち焦がれていたかのように華々しく、佇んでいた。

「木にたくさんの花が、良く咲いている……素晴らしい。こんなに素晴らしい木は見たことがない!」

「お母さんに良く似合う、綺麗な花だね」

 気付けば、二人はその木に見惚れていた。

「この木は新種だ。間違いない。だから……名前を付けよう。そうだ息子よ、この木に名前を付けてくれ」

「いいの? ありがとうお父さん! じゃあ……この木の名前は、良く咲くから……【サクラ】! お母さんにぴったりでしょ?」

「おぉ、いい名じゃないか。素敵だ」

 二人は静かに空を見上げた。
 紀元前500年、ある晴れた春の日の出来事であった。一人の学者とその息子は、一つの木を発見した。たった一人の母の為に【サクラ】と名付けられたその木は、やがて沢山の人々に愛されることになる。

[返信][編集]

|前|次|最初のレス|最近のレス|検索|書き込み|更新
[管理事務所]
WHOCARES.JP
2 :零
2024/03/20(水) 20:38:30

【告白】

 花は人の心を表す。喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも。そして花は、人の想いをドラマチックに描いてくれる。私はこの小さな町外れの花屋をかれこれ十年、此処で切り盛りしている。
 午前九時三十分。天気、晴れ。窓の外に咲いている桜を眺めて、思わず仕事のことを忘れていたその時だった。

「すいません、今日、開いてます?」

 尋ねてきたのが若い男だったのに気がついた刹那、私は店のドアプレートが「close」のままになっているのに気が付いた。

「あ…! すいません、もう開いてますので。いらっしゃいませ」

 男は店に入るとすぐ、少しドギマギした様子で私にこう話した。

「あの……実は、今日で丁度、付き合って三年になる人がいるんです。今日その人に、プロポーズ……したくて、何かいい花があればと思って来てみたんですが……」

 プロポーズに花を渡す。実にベタだが、愛を伝えるためには花は最も適していると言える。想いのこもった花は、何よりも魅力的に見える。

「そうだなぁ……どういうのが良いかな……」

 男は暫く悩んでいると、店の端の方にひっそりと佇んでいる一輪の薔薇に目がついた。

「なんでだろう、この花だけは、他のどの花よりも魅力的に、輝いて見える…なんというか、今の僕の気持ちを表しているみたいで……」

 男はその薔薇に一目惚れをした。

「よし、これ、下さい」

「お買い上げ、ありがとうございます」

 私は男が選んだそれを丁寧にラッピングした。男の想いがこもったそれは、どこかいよいよ想いを伝える覚悟を決めたようで、より美しく見えた。

「これで、ようやく彼女に想いを、伝えられる気がします。それじゃ、ありがとうございました」

 男が手にしたのは、情熱的で、純粋な赤い薔薇だった。花言葉は、

【あなたを愛しています】

 午後ニ時四十分。天気、曇り。春の涼しい風に吹かれて宙を舞う桜の花びらは、儚くも美しい。

「いらっしゃいませ」

 今度のお客は朝来た男と同じくらいの歳の若い女だった。

「私、今、彼氏がいるんです。かれこれ三年くらい、ずっと付き合ってるんです。それで、彼にどうしても伝えなくちゃいけないことがあって、探してる花があるんですけど……」

 付き合って三年。さっきの男の彼女だろう。お互い、偶然同じタイミングで花を贈って想いを伝えたい、なんて、これほどロマンチックな事はない。
 女は、既にどの花を贈るか、きっぱり決めているようで、店を見回して、御目当ての物を探していた。しかし、その女の目は、何処か切ない目をしていた。

「あ、あった。これ、下さい」

 女が手に取ったのは、男と同じ、一輪の薔薇だった。しかし、それは赤くはなかった。

「あの、ラッピングなんですけど、この手紙、つけてください。口では、言いにくい事があって。お願いします」 

 口では言いにくい事。私は一瞬疑問を抱いたが、その疑問は、女が選んだ花をみればすぐに解決した。
これは、ロマンチックというには余りにも残酷すぎたのだ。

「お買い上げ、ありがとうございました」

 花は人の心を表す。喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも。そして花は、人の想いをドラマチックに描いてくれる。たとえそれが、どんな想いでも。女が手にしたのは、太陽のような黄色い薔薇だった。花言葉は、

【別れよう】

3 :零
2024/03/20(水) 20:39:33

【忘れられない物語、そして】

そして、人類はこのせかいにさよならを告げた。

「今日の絵本はこれで終わりよ。さぁ、おやすみなさい」

 私の母はある夜、優しい声でそう言ってそっと本を閉じた。

「うん、今日のえほんもおもしろかった。おやすみなさい、ママ」

 私は大人になっても、あの夜読み聞かせてくれたあの本が忘れられない。それは、懐かしい思い出としての記憶でもあるが、心にずっと潜むしこりのような物でもある。あの時の物語の内容が、思い出せないのだ。思い出せるのは、最後の一文だけ。その本を含めた大量の絵本はいつかの日に全て捨ててしまった上、タイトルすら忘れてしまっている。図書館や本屋で探し出して、読み直すことも難しい。
 最後の一文だけが、唯一の手がかりとなっている。

「この本も、この本も、これもそれもあれもどれも、全部違う……」

 私は町外れの小さな古本屋で働いている。あの思い出の本を探す為に。

「臨時ニュースをお伝えします。 G国当局は、本日未明に『我が国は我々自身の国としての誇りと正義、そして平和の為には、核の使用も厭わない』と核爆弾の使用の検討を発表し、各国での反対デモやその他抗議活動等が続いており、混乱を招いています……」

 店の古ぼけたラジオから臨時ニュースが流れる。
今、国際社会は混乱を極めていて、いつ核兵器によって世界が滅んでもおかしく無い状況らしい。
 私もこんなことやってる暇は無いのかも知れないけれど、生憎、私は忘れられないあの本を見つけたいってこと以外は、何も生きていたい理由はない。だからこそ、私はここであの本をただひたすらに探す。

「あの、本、売りに来たんですけど……」

 店のドアがギィと音を立てて開き、一人の優しそうなおばあさんが訪れた。

「いらっしゃいませ。早速ですが、本をお見せいただけないでしょうか?」

「はい、これ。私の思い出の本達だけど、私はもうひとりぼっちだし、もう長くないから。誰も読まないなら、誰かいい人に渡ってくれればと思ってね……」

 そう言っておばあさんは、私に数冊の本を渡した。

「はい、こちらで承らせていただきます。少々お待ち下さい」

 私は本を受け取るやいなや、すぐにそれぞれの本の最後のページをめくった。この中に、私の思い出の、忘れられないあの本があるかもしれない。

 「そして、人類はこのせかいにさよならを告げた」

 私は思わず呟いた。
 ついに見つけた。
 数冊の本の中の一つに、探し求めていた一文があった。
 すると、私の思い出が、忘れていた記憶が、一気に戻ってきた。

「臨時ニュースをお伝えします。本日午後二時頃、G国から、三発の核ミサイルが発射された模様です。国民の皆さん、速やかな避難をお願いします。繰り返します、本日……」

 私は、母との思い出が一気に蘇り、自然と涙が溢れた。私の唯一の願いが、叶ったのだから。
もう、生き延びたい、生き残りたいなんて思わない。  
 私の唯一の生きる意味が、無くなったのだから。
 その昔、人類という生き物がいた。
 人類はわたしたちのように、かしこく、頭を使って生きるようしんかして、地球をしはいした。
 しかし、人類は、なかま同士であらそいをくりかえし、おたがいをにくしみあった。
 人類はやがて、自分たちの平和のために、すべてのヒトを眠らせることにした。
 かれらには、それしか方法がなかった。
 ついに人類は、かくごをきめ、すべてをなかったことにした。
 そして、人類はこのせかいにさよならを告げた。

4 :零
2024/03/20(水) 22:18:19

【にぼし】

「【にぼし】が無いっ!」

「ん……なんですかー……いきなり……」

 僕はとある研究所で急に叫び出したこの博士の助手をしている。今はあるウイルスの研究中をしていて、ちょっと仮眠していたのだが、博士の声で目覚めてしまった。

「なんですか急に。今休憩中だったんですけど。それに、僕達もう二徹ですよ? それなのによくそんな大声出せますね……で、なんなんですか。その【にぼし】って。博士、味噌汁でも作る気ですか?」

 そんな事を言っていたらグゥと腹の虫が嘆く。そう、僕達はろくにご飯も食べていない。この2日間、ひたすら研究に没頭していたのだ。

「助手君。これはおやつなどではない。この『にぼし』が、この世界を終わらせてしまうかもしれないんじゃぞ!」

「は?」

 いやいや。にぼしって、あの煮干しでしょ?カタクチイワシ等から作られる小魚を名の通り煮て干した水産加工品でしょ? とかそんなこと言っていたらお腹が空いてしょうがない。あるなら早く食べたいものだ。煮干しを。

「博士ー。あるならさっさと煮干し、出して下さいよ。そのままでいいんで」

「なんじゃと! 助手君! 【にぼし】がどれほど恐ろししいものか、分かっておるじゃろ! とにかく、助手君も紛失した【にぼし】を探せ!」

 え? 恐ろしいの? いや、意味分かんないんですけど。それに、探せって……さっきから博士の言動の意味が分からない。まさか、ウイルスの研究に使う重要なサンプルだったり……いや、実験に調理済みのイワシなんて使う訳がない。ここは料理研究所では無い。
 ただの、しがない理化学研究所だ。

「この部屋も探した……あの部屋にあるかな……いや、ここに置き忘れるなんてことはあるはずないが……」

 いつも忘れっぽい博士がこんなに真剣な目をしているのは見た事が無い。研究に打ち込んでいる時はどこか、嫌々している様な、疲れている様な、そんな目をしているのに……
 すると博士がまた叫んだ。

「あ! そうだ助手君。君に『にぼし』の話、そういえば一度もした事なかったな? いや、すっかり話した気になってしまっていたよ。すまなかった」

 そんなことを言うと、博士の目がいつもの少し頼りない印象に戻った。

「あー、さっきから煮干し煮干しって、一体なんなんですか?」

 博士は大きく咳払いをすると、まぶたをスッと閉じて、ゆっくりと開けた。博士の目が、再び真剣なものになった。

「助手君。これから話すことをよく聞け。」

 僕は唾を飲んで、博士の目を真似る様に真剣な表情で話を聞いた。

「元々我々のいるこの研究所は、一つの『ある目的』の為に作られた。そのことはこの研究所の中では、私だけが知っている。そしてそのある目的というのが、スイッチ一つで世界を滅ぼしかねない究極の化学兵器、【新型極秘爆弾 New Bomb Secret】コードネーム【にぼし】の開発だったという訳だ。そして今私が探しているのは……【にぼし】とその起動スイッチだ」

5 :零
2024/03/20(水) 22:20:34

【あの嵐を駆け抜けて】

 そう。あの時から、私は人ではなくなっていた。

「ここは……どこ……」

 私はただの十七歳、普通の女子高生だ。確かあの時下校中で街を歩いていたら、誰かが突然私に拳銃みたいな物を向けてきて……それに撃たれて意識が……記憶はそこまでだった。
 目が覚めても何も見えない。私に視覚は有るのか、失ってしまったのか、分からない。
 手を動かそうとしたが、思う様には動かない。
何故かは分からない。触覚も今は感じられない様だ。
体に力が入らないので、味覚が有るかどうか確認出来ず、声も出せない。
 何も聴こえない。聴覚も無い。
 何も嗅げない。嗅覚も無い。
 今の私は何も出来ない。麻酔か何かを打たれて、一時的に五感を失っているのかもしれない。ただおぞましい恐怖と不安が、心身全てを支配した。
 怖い、
 恐い、
 こわい、
 コワイ、
 ……
 あれ……?
 ……
 また……だ……また……意識が……遠のいて……いく……

「気が付きましたか?」

 誰かの声がした。気がつくと私は古びた薄暗い水路の様な所にいた。そして、もう一つ重要な事に気付いた。

「あれ……私……聴こえてる……目も……ぼやけてるけど見える……しかも話せる!」

 私は安堵して声が聞こえた方を振り向くと、信じられない光景が広がっていた。

「ん……って……! キャー! バケモノ! こっち来ないで! 近づかないで!」

 声の主は、漆黒の真球状の頭、人間というにしては長すぎる胴、三つの関節があり二本の指がついた昆虫を思わせる六本の腕、蜘蛛の様に細く放射状に広がった八本の脚を持った、人間とは似ても似つかない、正に異形と言える存在だった。

「驚かせてしまいすみません。実は、私達は裏社会で暗躍している【財団】の研究所に捕らえられ、人体実験を受けたのです。それは貴女も同じ。あれを見てください」

 異形の男が左の一番上の腕で、コンクリートの床にある水溜りを指した。

「え……これが……私……?」

 私は水溜りに映った、変わり果てた自分の姿を見てしまった。全身の毛は抜け落ち、三つの目を持ち、水掻きを持った手足は河童さながらである。

「……うそ……ぅ……うあぁん……」

 私はただ泣く事しか出来なかった。この恐ろしい現実を受け入れられなかった。

「……とにかく、ここから脱出しましょう。直ぐに【財団】の追手が来ます、泣いてる暇はありません。さぁ!」

 遠くで警告ランプがウーと唸る。
 私の手を男が強引に腕を二本使って引いた。彼の三本の指は鉤爪になっていて、皮膚に食い込んで正直とっても痛かった。
 現実をまだ受け入れられない私は、恐怖で足が動かなかった。

「しっかりして下さい! 仕方ない……おんぶしましょう」

 私は見ず知らずの怪物と化した男におんぶされて、研究所を出た。外は嵐だった。彼は大雨に打たれながら八本の足でひたすら走った。

「しっかり掴まっててください!」

 私達はあの時から人では無くなっていた。それでも、あの時感じた彼の鼓動は、確かに人間の温もりだった。

6 :零
2024/03/20(水) 22:21:19

【メッセンジャーガール】

 それが発見されたのは、二十年余り続いた世界大戦が終わり、人々が復興に尽力していた頃のある昼下がりのことだった。
 海辺で発見されたそれは、一メートルくらいの大きさで、白い卵のようであった。
 やがて大勢の大人がそれを調べて研究するようになった。研究の結果、それは一万年ほど前に作られたとても古い機械である事が分かった。
 研究者達はその機械を動かすべく、叩いたり、撫でたり、殴ったり、放置したりした。試行錯誤の末、ついにその時が訪れた。「音声入力によって起動するのではないか」という若い研究者の意見が的中したのである。
 その機械に向かって、一万年ほど前の時代に使われていた言語で、挨拶を意味する言葉を試しに言い放ってみたところ、それは大きな音を立てて変形し、機械は一つの瓶を彼らに差し出した。
 瓶を開けると、中には一枚の手紙のようなものが入っていた。書かれている言語は機械の起動の際に使ったものと同じだった。
 研究者は、翻訳した手紙の内容を世界中に公開した。そうすべき理由がそこにはあったのだ。
 手紙にはこうあった。「一万年後のあなたへ まずはこれを読んでいるあなた、ご挨拶ありがとう。挨拶されたら、返すのが礼儀ですよね。こんにちは。私は今十四歳の女です。この手紙を入れた機械はパパの会社が作ってくれたもので、どんな水圧にも耐えられるんです。そして、海へ投下された後、一万年経ったら自動で陸へ上がってくるそうです。なんだかびっくりですね。話は変わりますが、今、私達の国では戦争が起こっています。それも世界中を巻き込んでの戦争です。戦争はとても怖いもので慣れないものです。兄も友達もみんな死んでしまいました。これを読んでいるあなた。どうか、平和な世界を目指して、強く、そして優しく生きてください。とにかくそれだけが言いたくて、私は一万年後のあなたにこの手紙を送ったのです。変でしょう? でも、それだけ大切な事だから。それでは、最後に別れの挨拶を。もう誰も争わなくていい世界を願って。さようなら。一万年前の私より」
 西暦一二〇五〇年。二十年余り続いた世界大戦が終わり、人々が復興に尽力していた頃のある夜の事だった。少女が一人、自室でペンを手に取り手紙を書いていた。もう人々が二度と過ちを繰り返さないために。手紙の書き出しはこうだ。「一万年後のあなたへ」

7 :零
2024/03/20(水) 22:48:13

【ダイエットとはなんですか?】

 とある町外れの研究所。中年の博士が独り言を呟く。

「ダイエットを始めてみたはいいものの、全然痩せんなぁ」

 博士はズボンを腰まで上げようとするも、入らない。
 それをみた人工知能搭載人型ロボ『エル』が博士に言った。

「ダイエットとはなんですか?」

「人間が意図的に痩せようとすることだよ、エル」

 エルは更に訊く。

「何故、痩せようとするのですか?」

「健康の為だったり、見た目の改善の為だったり。理由は人それぞれだ。もっとも私の場合は、健康診断に引っかかってしまった故だがな」

「私は、痩せる必要があるでしょうか?」

 エルはまだ「自分の体は人間の肉体とは違う」ことを理解していないようだ。

「んー、痩せる必要はないよ。なにせ……機械の身体だからな」

「必要がなくても、ダイエットをすることはできますか?」

「自分が機械だろうがお構いなしか……うむ。分かった。一緒にダイエットをしよう」

「了解しました、博士」

 こうして、博士とエルのダイエットが始まったのだった。
 二人はまずジムに向かった。

「ここなら、豊富な設備で効率的に痩せることができる、と、思う」

「なるほど。それでは博士、どの器具を使いましょうか?」

「そうだな……手始めにあのランニングマシンからやるか」

 二人はマシンのスイッチを入れ、走り始めた。速度は時速七キロから八キロ、八キロから九キロと、どんどん加速していく。開始十分程経った頃、博士はすっかり息を切らし、マシンの速度についていくのがやっとになってきた。

「エル……ちょっと……休憩、しないか?」

 エルは腿をしっかりと上げ、ウイン、ウインと、一定のリズムでペースを乱さず走っている。

「博士は開始十分二十秒でリタイアですね。記録します」

 博士はマシンの端に足を置いて息を混じらせながら話す。

「リタイアって……そんな……言い方……ないよね……」

 顔色ひとつ変えずに走るエル。彼女はロボットだから、表情が一定なのは当たり前のことなのに、何故かその体力が羨ましく見える。

「おい、あの女すげえぞ」

「一定のペースだ……!」

 周りの人達が段々とエルに注目の視線を向ける。

「ねぇ……別のやつ……やらない……?」

「了解しました」

 次なる目標はベンチプレス。
 ここでもエルは軽々とダンベルを上げ、余裕そうだった。

「あ、私もう無理」

「博士、三分四秒でリタイアですね。記録します」

「あの……そのリタイアっての、やめてくれるかな?」

 そう言ってる間でも、エルはダンベルを上げ下げし続ける。

「五十、五十一、五十二」

「エル、そろそろバッテリーが……」

 休憩しながら横で見ていた博士がエルに呼びかける。

「五十三、五十四」

 そして彼女が「五十五」を言いかけたとき、ピタッと彼女の動きが止まった。

「あ」

 博士はその後、一時間半かけて、体重が七十キロあるエルをおんぶして研究所へと帰ってきた。

「はぁ……これが一番疲れたかもしれん」

 博士はそっとエルを充電器にセットし、すぐに就寝した。

「痩せんなぁ」

 次の日、博士は体重計の上でそう呟いた。

「朝の牛丼が原因と思われます」

 エルは冷たく言い放つ。

「あぁ、ばっさりと……」

「私の体重も気になります。計らせてください、博士」

「え、あぁ……良いけど」

 博士は落ちを分かっていた。エルが体重計にゆっくりと乗ると、液晶には「70kg」の文字。
 エルはその結果をまじまじと凝視したあと、言った。

「痩せませんね」

8 :零
2024/03/20(水) 23:00:37

【お月見の季節】

「今日は中秋の名月だったわよね」

 彼女が僕に話しかけてきた。四角いメガネが特徴的で、とっても華奢な彼女は、さっき大きな荷物を持って、急に僕の家に上がり込んできた。

「確か、そうだったはずだよ」

「日本では月のクレーターを餅をつく兎に見立てた……全く、人類の想像力には頭が下がるわ」

「キミの歴史学への熱意にもね」

 彼女とは大学で知り合った。彼女は歴史学科の後輩だけど、彼女の歴史に対する熱意は僕を遥かに凌駕する凄まじいもので、よく紙粘土を買ってきては縄文土器を作っているくらいだ。

「それじゃ、月見団子作るわよ」

「あ、その荷物ってもしかして」

「材料よ」

 彼女の思いつきはいつも唐突に発生し、僕を困らせる。
 あの一言から一時間半くらいしてやっと、二十個程の白い団子ができた。食べたことないくらいシンプルな団子だ。

「あのさ、キミいちいち本格的すぎるよ……もう肩痛い」

「ごちゃごちゃ言わない。さ、ベランダで食べるわよ」

「はーい」

 キビキビとベランダへ団子を運ぶ彼女。

「世界中でまだこんなことやってるの、僕らくらいじゃないかな」

 一つ目の団子を手にしたまま僕は言った。

「なら尚更私たちはこの行為をする必要があるわ。伝統は守るものだもの」

 二つ目の団子をもぐもぐさせながら、彼女は答えた。

「真面目だな……」

「真面目は嫌い?」

「いや、そういうキミが好き」

「物好きもいたものね」

 彼女の硬い表情が少し緩んだ。

「ねぇ……一つ疑問に思ったんだけど」

「なに」

「僕らって……キス、とか、したことあったかな」

 まずい。こんなんじゃ「キスしたいです」って言ってるようなもんだ。急に大胆過ぎたかもしれない。

「ないわ」

「そ、そうだよね、いやその」

「してみましょうか」

 その言葉は淡白で、自信に満ちていた。

「え、ちょ」

 戸惑っている暇もなかった。一瞬だった。白くて細い彼女の手が僕の顔を無理やりこちらへ向けさせ、真紅の唇が僕を奪った。
 一分……いや、三十秒にも満たなかったかもしれない。でも、とても長く感じた。風の音も、息の音も、心音さえも、聞こえなかった。

「ん、はぁ」

 彼女の妖艶な吐息と共に、それは終わった。ただそれだけの事実しか理解できなかった。

「あ……」

 唖然とする僕の前には、いつもの彼女がいた。いや、いつもより綺麗に見える。

「あ、ご、ごめん。なんていうか、気の利いたことできなくて」

「いいわ。困惑してるあなたを見るのが好きだから」

 物好きなやつめ。

「そ、それは結構……てか、実は僕、こういうことするの、ほんと初めてで……」

 僕にとってはちょっと恥ずかしい告白だった。それも相手が相手だ。こんなに経験豊富そうな彼女に、どう思われてしまうのだろうかと、流石に少し不安になった。

「あらそう。奇遇ね。私の二十年間続く人生の歴史の中でも、こんなこと初めてよ」

「えっ」

 そう言ってメガネの小悪魔は微笑みながら「ふふっ」と僕を見つめた。

9 :零
2024/03/25(月) 17:56:34

【その手を離して】

 今から丁度五年前くらいのことだった。当時三年ほど付き合っていた彼女が、僕に「別れよう」と言ってきた。原因は多分、連絡の頻度が段々と減ってきたこととか、僕の部活が忙しくて全然会えてなかったこととかで、色んな要因が重なった結果、彼女は僕にそんなことを言ったんだと思う。
 それから、僕らは別れることにした。彼女はもう、僕のことなんか好きじゃなかったみたい。長いようで短かった冬が終わって、太陽が日に日にその存在感を増していた、三月のことだった。
 僕は彼女のことが大好きだった。ずっと一緒に居たかったし、将来的には結婚もしたいと思っていた。でも、彼女にその気持ちが上手く伝わっていなかったみたいで。
 別れた直後は後悔の連続だった。もっと好きって言えば良かった。部活を休んででも会えば良かった。もう一度やり直せるか、言ってみれば良かった。梅が咲く公園を歩きながら二人で別れ話をしてた時、彼女の手を離さなきゃ良かった。
 彼女と別れた帰り道、右から強い風が吹いた。台風程ではないけど、強く冷たい風だった。まるで、手を離した彼女が風に流されて、どこかへ消え去ってしまったような、そんな気分になって、涙が溢れた。でもその涙も、風は何も言わずに吹き飛ばした。
 それから二年が経った頃、闘病していた祖父が亡くなった。祖父が最後の面会の時、僕に一つ、言葉をくれた。「失うということは悪いことではない」と。
 冷たい祖父の手を離して病室を出ると、外は風が強く、少し肌寒かった。もう会えないかもしれないと思うと、怖くて辛かった。その不安が現実となったことを知ったのは、その二週間後だった。
 祖父は、何故失うことが悪いことではないのか、その理由までは教えてくれなかった。これ以来、僕は何かを失うということの本当の意味を探していた。
 かくして、祖父も恋人も僕の手を離れて、風に流されどこかへ行ってしまった。
 今、僕は仕事をしながら一人暮らしをしている。最近になって、失うということはどういうことなのか、少しずつ分かってきたような気がする。
 毎年この時期になると吹く風のことを「春一番」と呼ぶのだと、祖父は教えてくれた。
 今、あの時の彼女がどこにいるのかは分からない。誰かと結婚して、幸せな家庭を築いているのかもしれない。
 今、祖父がどうしているのかも分からない。案外、見えないだけで僕の隣を歩いているのかもしれないし。
 僕が誰かの手を離して泣き崩れた時、春一番は現れて、僕の大切な人も、僕の涙も全てを奪っていってしまう。でもその度に大事なことに気づいて、また歩き始められた。
 もし、僕が何も失わなかったら、どうだっただろう。手を離すことで分かったことが、分からないままだったかもしれない。
 今、一言で失うことの意味を答えるとしたら、僕はこう答えるだろう。「失うことは悪いことではない。失うことは気づくことだから」
 今年も春一番が吹いている。僕はその度に、失った大切な人のことを思い出して、前に進むんだと思う。
 手を離して、風が吹き去って、僕は生きてくんだろうと思う。
 天気予報で言っていた。もうすぐ風は止む、と。

10 :零
2024/04/01(月) 22:46:44

【笑顔の写真】

 ある時代、人々は戦争をしていた。それは世界規模の大きな戦いで、星全体を火が覆い、悲鳴が聞こえない地は無かった程。

「マリア。心配しなくて大丈夫よ。きっといつか、全ては終わるわ」

 とある国の若い女とその娘のマリアは、地下のシェルターに避難していた。絶え間なく響く大きな爆発音に震えるマリアを、女はそっと抱いていた。

「お母さん、いつかって、いつ?」

「そうね……お父さんは、半年くらい経てば終わると言っていたわ」

「本当に?」

 今にも消え入りそうな声で、マリアは言った。

「お父さんの言うことが間違っていたこと、あったかしら?」

 女はそっと頭を撫でるような優しさで、マリアに問いかけた。

「ううん」

 地下シェルターには色んなものがある。ただ、減っていく一方なだけで。
 女は一つの機械を取り出して、マリアに言った。

「写真、撮りましょうか。思いきり笑顔で」

「笑顔、笑顔なんて……できない」

 母の提案にマリアは俯く。

「お父さんは、マリアの笑顔が見たいはずよ」

「そっか……そうだよね」

「マリア、私の真似をして。ほら」

 女はそう言うと、マリアにとびきりの変顔を見せた。

「んふふ」
 
 マリアの表情がだんだん明るくなっていく。
 そして女は、チェキカメラのレンズを自分達の方に向けて、シャッターを切った。
 出てきた写真には、二人の笑顔が確かに写っていた。

「お父さんが帰ってきたら、見せてあげましょうね」

「うん」
 
 ヒュウ……と音がする。爆弾の落下音だ。しかも、今まで落ちてきた爆弾よりもずっと大きい、突風のような落下音。
 間もなく、その落下音が途絶えると、それは全てを消していった。人も、街も、自然も。
 結局戦争は四年間続き、人類はその人口の四分の一を失うこととなった。
 そして、戦争から千年の時が経った。

「おい! この下、なんかあるぞ!」

 少年と少女が野原で遊んでいると、少年が何かを見つけた。

「本当だ! 階段がある。地下に続いてるみたい……」

「ちょっと探検してみようよ!」

「え、ちょっと!」

 一人の少年が発見した階段を勢いよく駆け降りる。少女は不安そうになりながらも、それに着いていった。

「ん? なんか踏んだぞ」

 少年が闇の中に一歩を踏み出したその時、彼は足元の薄い何かに気付く。
 彼は足を離しそれを手に取る。

「写真……?」

「何か落ちてたの? ちょっと見せてよ!」

 少女は一気に階段を降り、少年と共に写真を見る。

「笑ってる。親子の写真だ。幸せそうだね」

「そうね。幸せそう」

 そう言って二人は顔を見合わせ微笑んだ。

11 :零
2024/04/07(日) 17:58:42

【完璧人間】

「ついに……ついに完璧な人間を作り上げたぞ……!」

 とある研究所で老いぼれた博士が少年の様に目を輝かせて言った。その瞳には培養ポッドの中で眠る赤子の姿が映っていた。
 
「これは……世紀の大発明じゃ!」

 博士は暗く広い研究所の中で、狂った様に笑った。
 21XX年、人類は人工的に人間を作り出すことに成功した。赤子は「完璧」と言う意味の「perfect」から頭文字のPを取って【P-01】と呼称された。赤子は遺伝子工学の粋を集め作られ、筋肉や皮膚、脳に至るまで事細かくデザインされたそれは、まさに完璧な人間だった。
 そして赤子は世を忍ぶため【チャーリー】と言う仮の名前を与えられ、人工的に作られた存在である事が世間にバレない様生きる事となった。
 赤子はすくすくと成長し、十歳の頃にはアメリカの有名大学を主席で卒業、十五歳の頃にはオリンピック選手として活躍し、男子100mで見事金メダルを獲得した。十八歳の頃からは経営者となり、一躍大企業の社長となった。二十歳の頃には俳優デビューし、人気スターの仲間入りを果たした。さらにオンラインゲームのトップランカーでもあり、人々を爆笑の渦に巻き込むコメディアンでもあり、世界を魅力する歌手でもあった。
 才色兼備、非の打ち所がない彼は、世界中から好かれ、【完璧人間】と呼ばれるようになった。
 しかし彼にはたった一つだけ悩みがあった。それは、「普通になりたい」と言うものだった。産まれた時から神童と呼ばれ、もてはやされ続けてきた彼は、周囲の人々からのプレッシャーが何よりも苦しかったのだ。
 ある日チャーリーは全国ツアーの途中(歌手活動の一環)で、ステージの上で突然歌うのをやめて、泣き出してしまった。
 それから彼は歌手活動を始めとしたありとあらゆる活動を休止し、自分自身のメンタルを回復するため、精神科に行くことになった。
 精神科医はチャーリーの容態を診てこう言った。

「なーんだ。【完璧人間】なんかじゃないじゃん」

 チャーリーの容態をインターネット上の人々は強く非難した。「【完璧人間】失格だな」「政治家にでもなれば世界は平和になるのかなーなんて思ってたけど、これじゃ期待して損した」「完璧野郎が鬱だなんて滑稽」「調子に乗るからこうなるんだ」「完璧野郎!死ね!」
 彼らの投稿を不意に目にしたチャーリーは、全てを捨てて「ただの一般人」として生きる事を決意した。
 サラリーマンとして働き、たまにゲームを嗜み、たまに同僚とカラオケに行く。ごく普通の生活。
 彼の決断に世界は混乱したが、彼にとってはこれが「完璧」な人生だったのだ。

「実験は失敗じゃったか……いや、むしろ成功と言うべきか……」

 暗く広い研究所の中、そんなチャーリーの姿をモニター越しに見た博士は優しくそう言った。

12 :零
2024/04/10(水) 23:53:26

【僕の城】

 今日から僕と彼女は、晴れて同棲することになった。

「やったーっ! 夢にまで見た、私だけの城! 城ってことは……私が女王様?」

 彼女は高校の先輩だった。中々珍しいことなんだけど、お互い一目惚れだったらしい。
 荷解きに手を付けずに、仁王立ちで呑気にそんなことを言っている彼女からは、いつも溢れ出るエネルギーを感じる。月並みな言葉で表現するなら、元気っ子と言ったところだろうか。

「ははっ。ま、そうとも言えるね」

「ねーねー君、そういえば料理得意だよね? だからさ、ご飯係は君で決定ってことで! ほら、私めっちゃ料理下手なの知ってるでしょ? このとーり、お願い!」

「えぇ……まぁ、いいけど」

「え! まじ? 冗談のつもりで言ったんだけど……ありがてー! 言ったよね、今いいけどって確かに言ったね?」

 彼女は、段ボールに貼られたガムテープを剥がすのに手こずっている僕に急に顔を近づけて笑った。
 いつもこうだ。彼女には振り回されてばかり。

「うん。作るよ」

「よーし! はははっ! 流石我が側近!」

 側近、か。

「ね、そんなこと言ってないで、早く手伝ってよ」

「んもー、いけすかないやつめ。はいはい。たまには王族も手伝ってやりますわよ。感謝しなさい。おほほほほっ」

 一通りの荷解きや家具の組み立てが終わると、もう日はすっかり置いていた。初夜、と言うやつだ。

「簡素だけど、どうぞ」

 丸く小さいテーブルに、チンしただけのカレーを二人分、置いた。

「あぁ、ますます私の城って感じがする……いただきまーす」

 私の城、か。
 彼女は僕の分のカレーにまで手を付けて、結局僕のカレーはほとんど食べられてしまった。まぁ、いいんだけど。
 あっという間に、夜が更けてきた。
 僕らは寝る準備をして、二人で使う一つのベッドで夜を過ごす。

「今日も楽しかったね」

 ベッドの中。彼女が囁く。

「うん」

「これからずっと、私の城で暮らそうね」

「うん。でも君は、女王様なんかじゃないよ」

「え」

 暗闇の中で、バサリ、と、布団の摩擦音が聞こえる。まぁ、僕が立てた音なんだけど。
 僕は彼女の上に体全体で乗っかった。

「な……に?」

「ん、どうしたの?」

 僕は耳元でそう言った。
 彼女の鼓動、生きている音がする。
 僕は次に、その耳を弱く弱く、僕の歯で噛んだ。

「えっ」

 彼女は混乱しているみたいだった。

「びっくりした?」

「いや……うん」

「初めてだもんね? こういうの」

 吐息が一つ。そしてもう一つ。

「えっと……うん」

「人生で一回もないもんね」

「うん」

「じゃあ初めてすることしよっか」
 
 その次に僕は言った。

「言っておくけど、ここは僕の城だからね」

 そう。僕はこの城の王様。そして君は、僕のお姫様。

13 :零
2024/04/23(火) 19:14:19

【青髪と大学生】

 僕はこの春から大学生。まさか第一志望校に受かるなんて思いもしなかったから、今は喜びと期待で胸がいっぱいになっている。
 実は昨日、髪を青のメッシュにしてきた。美容の知識がほとんどない僕は、何故か髪を染めたいと突然思い立ち美容院へ行ったものの、美容師さんにおすすめされるまで、僕は青が似合うらしいということも、メッシュという髪の染め方も知らなかった。
 ともあれ、僕はこれで、憧れの大学生に一歩近づいた、ように思える。今日はサークルの見学に行く予定。目星は付いている。
 
「あっ……た。ここが【文芸サークル】の部室で、合ってるのかな」

 文芸サークルに入ることにしたのは、僕が無類の本好きだから。合格が決まってから、ホームページで見て速攻で決めた。

「えっと……」
 
 僕は気がつくと扉の前で立ち尽くしていた。幼い頃から小心者だったから、声をかける勇気が出ない。
 すると、シャーッと、扉が開いた。

「んぁ? おぉ! こりゃーこりゃー、我が校の新入り、つまるところは一年生、かな?」

 部屋の中からメガネをかけた細身な女の人が出てきた。僕は平均的な男性の身長なはずなのに、この人は僕より少し高い。

「え、えっと……」

 なんだ? 理由はよくわからないけど、この人のメガネ越しの目に、僕は引き込まれてしまいそうだ。

「おー、よく見たらキミも青髪じゃないかー。気が合うねぇ」

 本当だ。呆気に取られて全然気が付かなかった。

「あ、あの、サークルの見学に来たんですけど」

「あぁ、そうなのかい! こりゃー嬉しいよぉ。なんてったって、今日はアタシしかいないからねぇ」

「えっ」
 
 マジ? 今日、この人しかいないの? ということはもしかして……この人と二人きり!?

「あ、今『マジ? 今日、この人しかいないの? ということはもしかして……この人と二人きり!?』って顔してるねぇ……いいよその顔、好きだ」

 ば、ばれてる!?
 僕と同じ青髪のその先輩は、僕に顔を目一杯近づけると、こう言った。

「ま、入ってよ。少ーし、お話ししようか」

 先輩に言われるがまま中に入ると、部屋の中は本で埋め尽くされていた。すごい。図書館みたいだ。

「お、驚いた顔してんね。まるで『すごい。図書館みたいだ』とでも思ってるみたいに」

「えっ」

 また当てられた。なんなんだこの人は……超能力でも持ってるのか?

「んー、きょとーんとしたキミの顔、大好きだよ。同じ青髪ってのも、どっかシンパシー感じるし。んー、アタシの下僕にするのもありだねぇ」

「げ、下僕!?」

 この人、後輩のことなんだと思ってるんだ。

「ウソウソ。アタシ、キミに一目惚れしたよ……この髪、大学デビューってやつだろう? だったらさぁ、今日からアタシと付き合うってのは、どう? キミの風貌を見る限り、色んな意味でデビューしてなさそうだし……初彼女デビュー、ってとこだねぇ」

「え、ええ、えぁ?」

 慌てて変な声を出してしまった。いきなり何を言い出すんだこの人は。

「じゃ、次は、ドキドキ接吻デビューといきましょう……」

 窓の外を見ると、桜の花びらが吹雪いている。

「わぁっ!」

 先輩は僕を押し倒し、笑った。
 先輩は、とってもとっても不思議な人。そして、僕と同じ綺麗な青髪の人。そして、僕が人生で初めてキスをする人。そして、僕の人生で初めての恋人になる人。

14 :零
2024/04/26(金) 14:49:53

【この木の名前は】

 ある晴れた春の日の出来事であった。長髪を結んだ一人の学者とその息子が森を歩いていた。

「ねぇお父さん、この辺には虫いるかな?」

「息子よ、お前の言うような虫が出てくるのは夏だ。今はまだ、奴らは土の中で眠っている」

 水溜まりは葉の緑を反射し、鳥たちは枝を咥え巣を作る。
 学者の息子は立ち止まり、空を見上げて言う。

「お母さん、見てるかな」

「あぁ。見ているさ。お父さんたちとお母さんが、どんなに遠くに離れていようと、心だけは、ずっとそばにいる」

 学者は息子の手をそっと、力強く、握った。
 十分ほど森の獣道を歩くと、二人は大きな木々に阻まれてしまった。

「どうやらここで行き止まりみたいだな。息子よ、引き換えそう」

「お父さん待って! 奥に何か、ピンク色が見えるよ」

 学者の息子が指をさした先に、何やら鮮やかな色が見える。

「ピンク色……何かの花か? でもここから先は危ないから、戻った方がいい」

 学者は先へ進もうとする息子の肩を掴んだ。それでも息子は言った。

「でも……お母さんが好きそうな、綺麗な色なんだ。僕のお願い。行かせて」

 息子は決意を表明するかの如く、父の顔を見た。

「うむ……よし、行くならお父さんも連れていってくれ。これはお父さんのお願いだ」

 学者は息子の表情を見て、同行することに決めた。学者の息子はいつも父の言うことを聞いてばかりで、自ら進んで意思を持ち行動するというのはあまり見たことがなかったからだ。
 二人は獣道ですらない生い茂る植物の中を掻き分け、石でできたナイフで草木を伐採し、進んでいった。鋭い枝の端に足を切りつけられながらも、二人は目の前のピンク色に向かって突き進んでいった。

「見えてきたぞ息子よ!」

「うん!」

 ようやくたどり着くと、二人は一本の木を目撃した。それは孤高に、超然と、まるで生まれてきてからずっと二人を待ち焦がれていたかのように華々しく、佇んでいた。

「木にたくさんの花が、良く咲いている……素晴らしい。こんなに素晴らしい木は見たことがない!」

「お母さんに良く似合う、綺麗な花だね」

 気付けば、二人はその木に見惚れていた。

「この木は新種だ。間違いない。だから……名前を付けよう。そうだ息子よ、この木に名前を付けてくれ」

「いいの? ありがとうお父さん! じゃあ……この木の名前は、良く咲くから……【サクラ】! お母さんにぴったりでしょ?」

「おぉ、いい名じゃないか。素敵だ」

 二人は静かに空を見上げた。
 紀元前500年、ある晴れた春の日の出来事であった。一人の学者とその息子は、一つの木を発見した。たった一人の母の為に【サクラ】と名付けられたその木は、やがて沢山の人々に愛されることになる。