彼女の手でベッドの横に揃えられた靴が好きだった。床に転がっていた時とはまた違ってサイズの差がよく分かるのも、ちょっとした笑いを誘うようだった。
散らばった服を集める仕草とか、歩くたびに弾む踵に、そっと埃を払う指…。そんな小さなひとつひとつが、今はこんなにも特別に見える。
「仕方のない人ね、アベンチュリン。わたしの前では…いつでも、赤ちゃんなんだもの。」
あれこれと動き回るのを全く苦に感じず、心から楽しんでるのが分かる。だから素直に甘えられたのかな。ローブを脱がせてもらう時も、シャツを着せてもらう時も。
たとえば僕が、二人だけのディナーの席でなにかを落としたとして、身体に染み付いたマナーを振り払って自然に手を伸ばそうとしてくれる。今の彼女を見ているとそんな気がするよ。その手は、きっと僕が宙で絡め取ってしまうけど。
一番上のボタンだけ閉めない。その小さな気遣いひとつが、なんだか嬉しいものなんだね。
オペラ歌手として彼女がもっとも輝けるのは、広い舞台と、眩しいスポットライトの下だろう。それでも、心から楽しそうな彼女の笑顔を見たら…あの狭くて床板の軋む部屋がずっと僕らの城であるようにと、そう願ってしまう。
メイクのない顔はとびきり可愛くて、安物のバスローブは、どんなに上等なドレスよりも美しかったから。
『あのこと』は絶対に誰にもばれないように!この約束を破ったら尻叩きという話になったんだけど、これ、決まりでいいかな。これに関しては僕も甘い顔は見せられなくてね。
でも、罰を聞いた時の仕草にどきっとしてしまったよ。口元や胸はともかく、彼女に両手でお尻を隠させるなんて……中々ないこと、なんじゃないのかな?
引き出しの中にあった、ぶなの木のブラシ。色が薄く、可愛らしい丸みもあって、彼女の黒い髪に添えるととてもしっくりくる気がした。お互いの髪を梳かし合う間、ずっと『なんだか擽ったい気持ち』だったよ。
僕の髪をとかすだけなのにバスローブの袖を捲る仕草が、なにか、今にも大変なことを始めそうでさ。おかしさと愛おしさが溢れて仕方なくて、跪いたまま、ずっと彼女の膝に甘えていたかったんだ。
「狼みたいな襟足がとても好きよ。」
僕の頬を包んだ指に撫でられた瞬間、皮膚と肉の下にある頬骨が溶けそうだった。トーストの上のバターみたいにね。
そうして幸せな時間が終わって、彼女が言ったのは「立って」でも「顔を上げて」でもなく…キスをして。だめだよ、獰猛な狼にはなれそうもない。 かわいい兎に翻弄されちゃって、できるのはキスと甘噛みくらいさ。