うつらうつらと眠そうなあいつの顔をじっと見ながら今までの事を思い出していた。突然目を見開いて目覚めたあいつとばっちり視線が絡むと気まずさに視線を落とす。……いや、気まずいというよりずっと眺めていたことへの羞恥に近い。言い淀むおれと詰めるあいつ。諦めて事を白状したおれが視線をあげた先には放り出したままの海図と機密事案。
そう言えば新しい体制を整えて報告しねェと…。
改めて「なにを考えてる?」と尋ねるあいつにおれは、「新しい戦略を考えていた」
ここまでがあいつに怒られるまで。
ここから先は自戒と反省を込めたあいつへの惚気。
ひとつ説明が終わるともう次のことを考えてるのはおれの悪いクセだ。あんまりにも感情や状況を置いて筋を立ててしまって……淡白とはまた違うんだろうな。そのくせに昔のことを掘り返し無駄に考え込むことも多い。
なにも"思考力"が全てでない事はわかっているんだが。
あいつはその点どちらかというと感情優先方なような気がする。ただ自分の感情なら犠牲にしてもいいと考えているから厄介だが………ヒトの気持ちに寄り添えるってのは美点だな。自分のことを大事にしてもらいたいと思う反面、あいつに大事にされているんだという実感も湧く。
気持ちが伝わっているかの確認なんて実際そんなもんで充分で。あまりに気持ちが大きすぎるから、それを全て。と思うと際限がなさすぎて不安になるんだと思う。
愛されて、大事にされてる実感。
あいつも同じようにそれを受け取ってくれているから、お互い不器用なりに上手くいくと思っているし、今後もそうだろう。
烈しい激情も時折顔を覗かせるが、ゆっくり、ただ日々を慈しんでいければいい。
そのためにおれはもう少しちゃんと考えの軌跡をあいつに伝えていきたい。
寂しい思いはさせたくないしな。
捕物が終わり駆け足で自船に戻る。
煙草も吸わず、大人しくおれの部屋で過ごしていたあいつが俺の姿を見つけて目を細める。
卵と、ソーセージとベーコン。出る前に使いに頼まれていた物は早々に食糧庫にいれた。母親に褒められるのを待つガキのようにおれはあいつに近づきそれだけを伝えて、称揚の声を待った。けれど次いで聞こえたのは茶化すような応酬ではなく、少し呆れた、それでも慈愛に満ちた穏やかな声だった。
「その前に言うことがあるだろう」
暫く考えて漸く頭に浮かんだ言葉をおれは悠久の中のような一間できつく噛み締めた。
そう、「ただいま」の一言を伝えることが酷く難しかった。
言いたくないわけでも、そのあとの常句を聞きたくないわけでもない。……恐ろしかったんだ。見ないようにしていた。
好きだと伝え合う前、あいつは「おはよう」と「おやすみ」は絶対に言いたい。と息巻いていた。そんな姿を愛おしく思ったのも懐かしいが、事はそこではなく"毎日の約束"みたいなものをお互いに作ることにおれは尻込みしがちだ。
今だって寝る折の言葉に囚われているのはおれの方。
眠い眼を擦るあいつにおやすみを尋ねてしまう。
あいつが起臥の言葉を掛けるのだと自分自身にルールを設けるのとは随分と違う、おれの中の弱さの指針。
「ただいま」「おかえり」、確かにおれの帰る場所はあいつの元だしあいつに迎え入れられる幸せに代わるものなどないだろう。ただ、それが、日常になることが怖い。
いつか消える「おかえり」をおれは受け入れることが出来るだろうか。いつか消える「ただいま」をおれは、………許せるんだろうか。
そんなことが一瞬の間に頭の中を駆け巡った。
目の前に立つ体を抱き締めて、深呼吸をする。一度口にすればおれは求めてしまう。たった一言がこんなにもおれを縛っていたなんて改めて気づいてしまった。
本当に細く、……違う意味でガキのように見えただろう。
零した「ただいま」を、あいつは笑って受け取ってくれた。ポンコツだなァ、がんばった、えらい。と抱き締めながら。
あいつはおれが戸惑っていたことを感じて努めて優しくしてくれたんだろう。その優しさにいつも救われている。
じんわりと胸に広がる「おかえり」の声を忘れたくないと思った。