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283.短編小説のコーナー
 ┗8-10

8 :げらっち
2022/06/29(水) 01:21:43

━━━この仕事に、やさしさはいらない。


 プロローグ


 逢う魔が時。城は今にも攻め落とされそうだった。
 王城九代目当主、王城四郎今直(おうじょうしろういますぐ)は、天守にて、忠臣の報告を受けていた。
「殿、これで終りで御座います。敵ながら見事な山彦の術に、してやられましたなぁ。」
 忍者隊の頭でもある吉良(きら)という部下は、まるで他人事のようにニヤリと笑った。
 主殿も確実に包囲を狭められていた。火矢が射られる、ドカドカという不気味な音。
「終り?我には終りという言葉は存在しない。」
 今直は黄金の小刀を手にし、畳の上に胡坐をかいた。
「王城に伝わる家宝、“転生ちゃん”じゃ。これでハラキリした者は、五百年後に再び生を受けるという。二千二十二年になったら、おぬしの子孫が転生したわしを見つけ出し、再び仕えるのじゃ。」
「いいでしょう。」と吉良。「では殿、王城四郎今直様、お別れの時ですな。」
 今直は自身の腹に短刀を突き刺した。直後、介錯を受け、彼は絶命した。


 500年後。


 俺は、吉良生間(きらせいかん)。
 たまに自分の年齢をド忘れするアホがいるけど、俺は違う。俺の年齢は簡単に覚えられる。
 今は2022年。
 俺は22歳の新社会人。
 どうだ、覚えやすいだろう。

 俺が今日から務めるのは、ここ。寛風園(かんふうえん)という知的障害者入所施設だ。
 関東郊外にあって、40余名の障害を持った人たちが暮らしている。

 俺は事務所で挨拶をした後、居住スペースに通された。
 そこに住むのは重度の知的障害がある人たち、暴れることもあるからだろう、重い鉄扉は厳重に施錠されている。先輩職員がその扉を内側から開けてくれた。
 さて第一印象が大事だ。
 俺は入室と同時に、その場に居る全員に届くような大きな声を出した。
「今日から支援員として勤めさせていただきます、吉良と申し――」
 だが次の瞬間、俺の頭は真っ白になり、言葉が霧散してしまった。視覚と聴覚と嗅覚が同時に刺激され情報過多になった。

 想像以上だった。いや、俺は元々何を想像していたのだろう。そんなことも忘れてしまった。
 異形の人々が奇声を上げて歩き回り、ソファや床で捻じれ合い、棚の上で寝そべっていた。壁に頭を打ち付ける者もいれば、素っ裸の者もいた。
 外の世界とはまるで違う。俺は何か間違った場所に来てしまった。決して来てはいけないところに。一度来たら、後戻りできないところに。

 そしておぞましい悪臭が鼻を貫いた。ここはトイレだったのだろうか。違う筈だが。
 目の前の床に排泄物が落ちていた。犬の糞ではない、ヒトのウンチ。

 俺は退職を意識した。

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9 :げらっち
2022/06/29(水) 01:25:25

 俺は職員室に通された。
 ここは居住スペースの中で唯一の安全地帯に違いない。職員たちが滞在し、リビングに通ずる大きな窓と、無数の監視カメラで、利用者たちの所在を確認している。
 先程の糞便はというと、職員の1人が片付けに向かった。あの程度なら、いつものことというように。

 俺はようやく気を取り直し、自己紹介を済ませた。2人の先輩職員が俺を出迎えた。
「よろしくお願いします。佐水(さみず)と申します……。吉良くん、資格は持ってないんですかね……?この業界でやっていくには、資格が重要ですよ……ゼッタイ。」
 中年男性の佐水職員は、小柄で線が細く、なんだか女々しい。喋り方もどこか毒をはらんでいる。オツボネ様みたいなもんだろうか。俺はなよなよした奴が嫌いだが、先輩相手なので一応頭を下げておく。
「まぁた、佐水さんは新人いびりですか?私は川口(かわぐち)です。よろしくねぇ。吉良さん、若いのにこの仕事しようって思うだけで偉いヨ。」
 川口職員は大柄で髭もじゃ、眼鏡を掛けていて濃い顔だ。だが発声は明瞭で、動きも機敏。若々しい。
「よろしくお願いします!全くの未経験ですので、色々教えて下さい!」
「すばらしい心がけですね!もちろんですヨ!即戦力です!」と川口職員。佐水職員は「コラコラ……ちがうでしょ。しばらくは見学。」と言い、キャスター付きの椅子に座ってデスクワークを始めた。
 川口職員が俺にわざとらしく、ひそひそと話し掛けた。
「大丈夫でしたか?はじめたばかりは吐き気を催す人も多いんです!私も最初は毎日えずいてましたヨ!」
 川口職員の話によると、環境に耐えられず、すぐにやめてしまう職員も多くいるらしい。

 だが俺はきっぱりと言った。

「俺にはやるべきことがありますから。」

 川口職員はうんうんと頷いた。
「すばらしい。じゃあまずは基本的なことから。ここには知的障害のある方々が、44名入所されています。男女は別のスペースで暮らしていて、私たちが受け持つのは男性21名です。障害の程度は割と幅広いです。」
 川口職員は窓の向こうを指さし、障害特性について語り出した。
「すごいですヨ。」
 動物園というよりは水族館のようだ。ガラスの向こうで、不思議なカタチの魚たちが回遊している。
 リビングには大きなソファがあり、そこに5名の入居者が座っていた。皆そこそこ年のようだが、小柄で、胡坐をかいて、共鳴するように、ゆさゆさと体を前後に揺らしている。あれはダウン症。
 部屋の中をうろうろと行ったり来たりしている入居者も数名(川口職員曰く、本来はうろうろという表現はふさわしくないとの事)、急に叫んだり、椅子をガタンと倒したり、服を脱いだり、何かを思いついたように走って居室に行ってしまう。あれは自閉症。

 何かと覚えることが多い。

「寛風園では、シフト制により24時間体制で入居者さんを見ています。食事介助や入浴介助、夜間見守りが主な業務です。入居者さんたちは自由奔放で楽しいことばかりですヨ。」
 川口職員はニコニコと話していたが、目は笑っていなかった。
 この人は俺を試すつもりだ。相当の手練れだ。

 だが、どうであれ俺の目的は1つだ。

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10 :げらっち
2022/06/29(水) 02:11:48

 俺は居住スペースを見て回った。
 入居者さんに挨拶巡りをすると見せかけ、目指す場所は決まっていた。
 殺風景な廊下を歩き、居室の1つに入ってゆく。「あますが」という表札は剥げかけている。

「失礼します。」

 俺はサッと身なりを整えた後、そろりとドアを開けた。
 部屋は仄暗かった。壁際を探り、パチンと電気をつける。
 限りなく質素な部屋だ。扉の外れた箪笥が1つ、ベッドが1つ。そのベッドの上に、男性がひとり、仰臥していた。

 俺にはそれが、赤ん坊のように見えた。

 明らかに、通常の赤ん坊より大きい。明らかに、大人の体格と顔つきをしている。
 それなのに、その光景は赤ん坊が寝ている様を思い起こさせた。というより、それ以外のことは想起できなかった。
 それはつまり、ベッドで仰向けになっているこの男が、赤ん坊以上の知識を、経験値を、存在感を秘めていないということだ。
 眼を見開いて、両手を虚空に突き出し、ひらひらと動かしている。まるで空気をこねているみたいに。
 俺はすり足でベッドの傍に寄り、片膝をついてかがみ込んだ。


「王城四郎今直様、忠臣の吉良で御座います。お迎えに参りました。」


 ときに、俺は現代を生きる忍者だ。
 そう聞くと大方のアホは、俺が手裏剣や刀で戦うヒーローじゃないかと勘違いする。
 でもそんなんじゃない。
 忍者は戦士ではない。分身したり、水の上を走ったり、壁をすり抜けたりするのは架空の忍者だ。
 忍者ってのは、スパイだ。何処かに潜入し、情報を収集するのが主な役目だ。潜伏期間は何十年にも上ることがある。まあ俺は、大学生活中にいくつか仕事を請け負っただけだから、最大でも6か月の潜伏経験しか無いんだけどな。あの時は、引っ越し業者のアルバイトとして潜伏して、目当ての家の間取りを調べるのに半年掛かった。地味で、静的で、報われない稼業だ。最も必要な資質は我慢強いことだ。特定の記事が切り抜かれた新聞のように、情報の一部を隠し、小出しにし、駆け引きする。体術はその補佐をするために研鑽すべきものにすぎない。

 新社会人となった俺に、華々しく会社に勤める朝など来るわけがない。そんなものは俺の人生にはなから存在しない。
 俺には使命がある。俺のタマシイが雨になって、偶然吉良家の遺伝子の大河に降り注ぎ、合流した時から、逃れることのできなくなった使命が。

 王城四郎今直は、500年前に自害した。転生すべく。
 もう一度天下を取るつもりだったのだろう。だが誤算があった。この世は合戦が消え、暴力よりもインテリジェンスの支配する、ガチガチの資本主義世界となっている。
 そして第二の誤算。
 転生先は選べなかった。
 彼は「最重度認定」の知的障害者として生まれ変わった。

 それでも俺の使命が消えるわけではない。
 俺は吉良家の伝承に従い、忍者として育てられ、転生先を示す痕跡を辿り、遠い先祖がしたように、主の元に馳せ参じた。


 そんな説明をしようが、レスポンスは得られない。

 俺はベッドにそっと手を置いた。
 これまでに見て回った入居者さんたちも、知能が低く、言葉を喋れないケースが多かった。俺が挨拶をしても、アーとかウーとか、そういう声しか返さない人も大勢いた。
 それでも、何らかの反応は示してくれたものだ。

「あますがさぁ~ん」

 俺は、ドキリとして振り向いた。
 軽いノックがあり、ドアが開かれた。川口職員がそこに居た。
「あれま、吉良さん。勉強熱心ですね!でも最初からあますがさんの対応をするのはちょっと大変ですヨ!もっと手頃な方から接してみるべきです!あますがさん、服薬のお時間ですよ。」
 川口職員は、ベッドに近付きかがみ込むと、「ヨイショ」と言ってあますがさんの体を起こした。

 このあますがさんからは、生命の痕跡は見えても、意識の吐息は感じられなかった。果たしてその肉体の中にかつての大名のタマシイが息づいているのか、俺にはわからない。だがそれが再び目を覚ますことを信じ、仕えるしかない。何年の辛抱になろうか。1年か、5年か、10年か、20年か、いつまで尽くしても、その成果は得られないかもしれない。
 忍者とは報われない、因果な商売だ。それでも任務を、ひたすら忠実に繰ってゆく。

 それが忍者としての俺の使命だ。

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