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┗321.【ギルトループ】(21-29/29)
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21 :てふてふ
2022/12/18(日) 00:23:13
──19時57分
東笹浦駅を抜け、駐車場に着いた。
赤黒灰緑、どの色の車も雪をかぶり、真っ白な塊と成り果てている。
俺は記憶を頼りに自分の車を見つけては、雪を払い落とし、すかさず中に乗り込む。そしてすぐに暖房をつけ、温風に手を当てた。かすかな冷気が体外に飛び出していくのを感じた。
「それじゃ帰るか」
エンジンをかけると、車体が小刻みに揺れ始める。そのまま右足でアクセルを踏むと、ジャリジャリという雪の音とともに、車は発進した。
──20時05分
少しの待ち時間の後に駐車場を出て、賑わう車道に入る。
大雪のためか、やはりいつもの何倍、いや、何十倍も混雑していた。
あまたの車がワイパーを立てて、ちぐはぐな間隔でフロントガラスの雪を除ける。
どれもがぜんまいの錆びたメトロノームのように、ぎこちなくその身を揺らしていた。
「はぁ……はぁ…はぁ、はあっ」
……どうして。どうして、まばらに震える振り子たちを見るだけで、こんなにも息をするのが苦しくなるんだ。
──20時10分
カチ、カチ、カチ。
次第にワイパーから発せられるのは、時計の針のような音。
いや、ワイパーからそんな音がするはずない。
俺の、幻聴なんだ。
だから、落ち着いてくれ、俺。なんでますます息を荒くする。これは幻聴だ。
そうだ。この先起こることも全部幻なんだ。
「違う、違う。違う」
鼻からも、口からも、生暖かい乾いた空気がひっきりなしに飛び出す。
喉は酸素を求め、一心不乱に全てを飲み込んでいく。
わずかな酸素に、大量の唾液が喉をこじ開け、咳が止まらない。
必死に肺から空気を送り返す。
海に溺れてしまったかのように、次第に息が絶え絶えになっていく。
ダメだ。
俺はカーラジオをつける。
ちょうど、クラシック音楽の放送が流れていた。
ピアノの滑らかな音色の繋がり。全身を吹き抜ける爽やかな旋律の風。とても聴き心地がいい、が。
それでも過呼吸は、止まらない。
──20時15分。
《……さんは、最近どんな夢を見ますか?》
《そうですね。昨日は、舞台の上でピアノを弾く夢を見ていました》
雪がさらに強くなっていく。
フロントガラス先の景色は、舞い散る白粒に覆い隠され、常に先の見えない不安に駆られる。
周りの車が雪の中に消えていく。
前も後ろも、右も左も。全部、全方位が真っ白だった。
似ている。あの情景に。夢で見た、あの白だけの世界に。
《それじゃ、夢と現実でなにも変わりませんね》
《あはは》
「は?」
違う。あれは夢だ。あんなの、現実なほうがおかしいんだ。お前らは何も分かってない。
「夢、なんだよ……」
──20時20分
カチカチカチカチカチカチカチカチ。
おかしい、おかしい。
なんで時間がこんな早く進むんだよ。
世界が、一刻一刻と、歩み続けていく。
足を掴んでも、ただ引きずられるだけ。
やめてくれ。
いいじゃないか、もう。俺は。
「なあ、いつまでこんなことしてんだよ」
え……。
なぜか、俺の耳にはラジオとは別の人の声が聞こえていた。
車内には俺しかいないはずなのに。
俺は、右左を見る。だがそこには、白く凍りついたガラスがあるのみで、人の姿は見えない。
じゃあ誰だ。誰なんだよ!
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22 :てふてふ
2022/12/19(月) 15:18:52
「いい加減さ、目ぇ覚ませよ」
なにを言ってるんだ。ここは現実だ。
ハンドルを握る手の感触、足裏に伝わるアクセルとブレーキの重み。
確かに俺は、今この時を生きてるんだ。
「そうだ。ここは現実だ。だが、他人とは決定的に違う感覚で今を生きている」
やめろ。やめてくれよ。
俺は他人と同じ感覚で生きている。至って平凡な人間だ。
「なあ、この景色に覚えがあるだろ。この白で覆われた世界に。そして、あのオルゴールの音色に」
俺の心を見透かし、追い詰めるように語りかけてくる口調が俺の鼓動、そして吐息を荒くさせる。
苦しい。呼吸が上手くできない。
《続いての曲はこちら、ロベルト・シューマンの『トロイメライ』です。どうぞ》
カーラジオから、ゆったりとした出だしのピアノの一音が響いた。その後には、上がり下がりを繰り返す美しい音階変化。
たしかに、覚えている。
白の虚無に鳴るオルゴールの音。
でも、夢だ。
「現実だ」
夢だ!
「時計を見てみろ」
え……?
俺は言われるがままに、腕時計に一瞬目を向ける。
──20時30分
あ、あぁ……。
「分かるだろ?」
頭が真っ白になって、鼻息ばかりが荒くなって。そうして心臓が絞めつけられ、喉元を無がひたすらに通り抜けていく。
どうしても、それが残酷な数字に見えてしまう。
「いいか、あと5分だ。分かるな?」
黙れよ。
「おい、しっかりしろよ」
黙れ。黙れ。黙れ黙れ黙れ黙れ。
「おい」
「──黙れっ!」
あれ……?
辺りが静まった。
その言葉を皮切りに、声は聞こえなくなったのだ。
たぶん、幻聴だったんだ。
そうだ。俺はこのまま家に帰って、幸恵おばさんとうさぎ、三人で、クリスマスパーティーをするんだ。
この先にあるのは幸せだ。
なのに、それなのにどうして。
こんなにも涙が溢れてくるんだ。
《続いての曲はこちら、フレデリック・ショパンの『夜想曲第9番』です》
いつの間にか、カーラジオからは次の曲が流れていた。
全体的に優しいメロディだが、安定しない旋律、時折訪れる音の途切れが不安を煽ってくる。
音と音の間が短いときもあれば伸びるときもある。それが、まるで時間の流れを表しているようで、俺自身を表しているようで。どうしようもなく切ない。
フロントガラスのメトロノームは相変わらず右へ左へ揺れ、かすかな視界を俺に与えていた。
でも、見えない。
涙で視界があやふやで。
じゃあ俺はどうして今車を走らせることができている?
それは──記憶を頼りにしている?
違う。そんなことはない。
ダメだ。
別のことを考えろ。考えろ。
……。どうして、周りには白しかないんだ。
それじゃなにも考えられない。頭の中まで真っ白になりそうだ。
──20時34分
俺は大通りを脱して、我が家に向かう一筋の道に入った。
依然として雪の強さは増し続け、右側にあるはずの街灯の光も視界に映らない。
だが、あと少しで家に着く。
数分車を走らせれば、その先に幸せがある。
車内を流れる曲も終盤に差し掛かり、紡いできた音の層も次第に薄くなる。
大丈夫だ。大丈夫だ俺。
大丈夫、心配することはない。
あれは夢だ。
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23 :てふてふ
2022/12/23(金) 22:02:45
──20時35分
心臓が波打っている。胸を触らなくても分かるほどに激しく鋭い。
瞳孔が最大限に開き、涙が顔中を伝っていく。
一瞬、雪が弱まったようだった。
ワイパーの一振りと同時に、周りの景色が少しだけ鮮明に見えるようになった。
前方には雪の道、左には凍りついたコンクリートの壁、右には街灯の列。右斜め前には狭い路地裏が見えた。
そこには人も、車の姿も無い。
「ほっ」
これで一安心だ。
やっぱりあれは夢だった。
俺は心配し過ぎていたようだ。
そう思っていた時。
ラジオから突如不協和音が鳴り響いた。
今までの夢見心地なメロディを全てせき止める晴天の霹靂。
その後の激しい音の高揚に肩が震え上がる。
同時に、空から雪がなだれ落ちてきた。
フロントガラスに雪波が押し寄せ、一切の視界が閉ざされた。
ワイパーの金切声とともに、波が徐々にひいていく。
あまりの衝撃に俺の思考は停止したままだ。
だからすぐに気づけなかった。
──ガラスの奥で立ち尽くす、一人の女性に。
車の先端から鈍い音が響く。
ラジオの音楽が途絶えた。
急ブレーキとともに、身体に深刻な負荷がかかる。
さっきまで時間は俺を待ってくれなかったのに。
その一瞬だけが、何百倍にも遅く感じられた。
フロントガラスが映画のスクリーンのように、様々な光景を映し出す。
曇天から降り注ぐ雪の流星群。その中を漂う紅白の濃霧。
車輪の起こす地吹雪とともに弾け飛ぶ肉塊。
雪の粉の隙間から飛び出す真っ白な腕。
赤みがかった細い太もも。風にあおられ逆立つ亜麻色のポニーテール。ほつれかけた麦色のニット。俺をまっすぐに見つめる虚ろな翠眼。天に向かってたなびく純白のダッフルコート。所々破けた黒タイツ。銀世界に輝く乾いた涙。切なげに開かれた小さな口。衝撃で歪む顔の輪郭。両手から抜けた手編みの赤い手袋。首もとで緩む真っ赤なマフラー。腰辺りで捻れた胴体。
ガラスに叩きつけられた、イチゴ柄のリボンヘアゴム。
女性はそのまま地に落ちて、両手両足をだらしなく垂らした。
車も彼女の直前で止まる。
今すぐ彼女に駆け寄って、大丈夫ですか、と言わなければいけない。
それなのに俺は、すぐにその場から動かなかった。動けなかった。
「あぁ……。あああ……」
人を轢いたやつが、どうしようもなく、情けなく泣いていた。
鼻水を垂らして、服をよだれでよごして、涙を大量に溢れさせて。
そんな権利、あるわけないのに。
喉の奥から、気持ちの悪い駄声が自然と漏れる。
目の前の惨状を見なければいけない。でも、見たくない。
彼女がまだ生きている可能性があるのに。
「いや、生きてるわけない」
喉が絞めつけられる感覚とともに、また、誰かの声が聞こえた。
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24 :てふてふ
2022/12/25(日) 00:36:36
「もう、分かってるじゃないか。最初から分かってたじゃないか」
すると、今度は俺の手足が引っ張られる感覚がした。すかさず潤んだ視界で真横を見る。誰もいない。
つまり、俺の身体は、何者かに支配されていた。
俺の手で、力一杯に車のドアが開かれる。
「もう、終わりだ。早く救急車に連絡しないと。何の意味も無いのに」
嫌だ、見たくない。車から出たくない。お願いだ。俺を引きずり出さないてくれ。
「俺は罪人だ。俺は最低最悪な人間だ」
俺? なんでコイツは自分を責めているんだ。
彼女を轢いたのは俺なのに。
ああ、そうか。コイツは……。
車を出ると身体が暴風を受け、勢いよく崩れ落ちた。
下を見ると、水滴がボタボタと、薄い雪の層を何度も打ち続けていた。
見た目だけは透き通った水晶のようだが、その実、俺の汚く醜いだけの瞳の泥だった。
前を向けば、彼女がいる。
向き合わなければいけない。現実に。
もう、ダメだ。
「いいか、俺のせいでこうなった。手の打ちようはたくさんあった」
前髪を鷲掴みにされる感覚。抗おうとしても、無理矢理と視線を前に移させられる。
残酷な現実が、そこにはあった。
街灯がスポットライトのように、女性を照らす。
瞳を閉じた彼女は、全身を雪の粒に容赦なく殴られていた。頭からは、絵の具のように濃いドロリとした赤が止めどなく流れては、白を蝕んでいく。
「俺のせいだ。俺が、“現実逃避”なんて、馬鹿なことをしていたからだ」
心臓が揺れ、吐く息が不規則に荒れていく。
やっと、気づいた。
車の中で話しかけてきたのも、車から俺を引きずり降ろしたのも、今前髪を掴んでいるのも。
その正体は全て、紛うことなく俺自身だった。
同じ時を一度繰り返した俺が、現実から逃げる今の俺を責め続けていたんだ。
俺は既に一度、この時間を生きていた。
そして、もう一度この銀世界をやり直していた。
それなのに、そのはずなのに!
俺は、何もしなかった。
全て夢だと自分に言い聞かせて、何も知らないふりをした。時計を何度も見ては秒針に震え、その度に恐怖を押さえ込んでいた。
一度目の今、俺は彼女を轢いた。
その現実から、逃げ続けていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。俺が愚かだった。俺のせいだ。俺が殺した。俺の罪だ」
俺は携帯を取りだすと、身につけていたコートで彼女を覆った。
せめてもの罪滅ぼしのつもりだろうか。
自分の全ての行動が、俺をイラつかせる。
すぐに携帯の画面上で、119の数字を打ち、耳元に寄せた。
雪の粉が目に入り、涙に溶けて流れていく。
「はい、はい……そうです」
電話先から来る、通話相手の重々しい真面目な口調。
重圧が頭からのしかかってくる。
「……分かりました。はい、お願いします」
俺の返事と同時に電話が切れた。
俺は空を見上げた。
どんなに目を細めても、月も星も見えない。クリスマスツリーのような煌めきは、灰色の雲に侵されている。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
膝から力が抜ける。手足が白に埋もれていく。
嗚咽が一向に止まらない。
こんな俺を、誰も許しはしないだろう。
「ごめんなさい。うさぎ。お父さん。お母さん」
降る雪はますます鋭く吹き荒れる。俺の罪を咎めるように。
12月25日20時35分2周目。
俺はまた人を殺した。
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25 :てふてふ
2022/12/29(木) 23:50:54
凄惨な現実を目の当たりにして、俺はもう何も考えられなくなった。
胸にぽっかりと穴が空き、中を冷たい風が吹き抜ける感覚。俺は、神様がくれたやり直しのチャンスを無駄にしてしまった。
俺の全てが終わりを迎えたんだ。
視界いっぱいの白が次第に真っ暗になっていく。どうやら俺は、瞳を閉じたらしい。この先で起こる、地獄を見ないようにするために。
──時間の流れが加速する。
暗闇に響くたくさんの音が、次々に耳に入っては出ていった。
救急車の不気味なサイレン。バックドアの開く音、女性を乗せた担架がわずかに揺れる音。その直後にパトカーが近づいてくる。
「とりあえず、車の中で話しましょうか」
寒さで乾いた警察の声。
俺の背中を手で押される感覚と、パトカーのドアが開く音。
──時間の流れが加速する。
「トキトくん、人を轢いたって……」
真夜中の静寂な警察署の壁を反射する、語尾がかすれたおばさんの震え声。小刻みに鳴る、慌ただしい靴底の音色。
「ごめん……。ごめんなさい」
──時間の流れが加速する。
俺の部屋を支配する目覚ましの雷鳴。窓の外で荒れ狂う風のざわめき。
部屋のドアの軋みとともに聞こえてきた、うさぎのささやき。
「あにぃ……大丈夫?」
「ごめんうさぎ、一人にさせてくれ」
「……。ごめんあにぃ」
──時間の流れが加速する。
「それじゃトキトくん、行こうか。うさぎちゃんはお留守番よろしくね」
「うん」
──時間の流れが加速する。
積もった雪を踏みしめる音。
おばさんのいつものはきはきとした口調。
「しっかりしてね。ご遺族様に失礼の無いように」
「……ごめんなさい」
「トキトくん……」
そして世界は──12月26日18時15分を迎えた。
辺りを占めるのはポクポクと、小気味よく、軽快に鳴る木魚のリズム。そして、お坊さんの発する厳かで力のあるお経。
その泰然に伸びる旋律に合わせて、時の流れが次第に遅くなっていった。
「トキトくん。ほら、しっかり!」
幸恵おばさんが背中を強く叩いて、活を入れてくれた。
ああ、そうか。俺は地獄を受け入れなきゃいけない。逃げることは許されていない。
俺は肩の震えをなんとか抑えて、恐る恐るまぶたを開く。突然、瞳に眩しい光が入り込み、同時に黒の喪服を着た人々の姿が見えた。皆静かに椅子に腰かけたり、焼香の列を作ったりしていた。時折、鼻水をすすり上げる音が聞こえる。
鼻に染み付く抹香や焦げた炭の香り。
さらには、屋内に漂う鬱屈とした雰囲気。俺は改めて、ここが葬儀の場であることを理解した。
それも、俺が昨日車で轢いた女性、廻音イチゴさんのための催しだ。
本当に、俺はここにいていいのか。俺にそんな権利があるのか。
この場を覆う悲しみ全てが、俺のせいなのに。
周りからの冷たい目線をずっと感じる。
早く出ていけ。消え失せろ。この罪人。人殺し。きっと皆そう思っている。
だからもう逃げたい。帰りたい。一人になりたい。
それでも我慢しなくちゃいけない。罰を受けなくちゃいけない。
おばさんと共に祭壇に向かう焼香の列に並ぶ。その間にも、椅子に座る女性が耳打ちするのが見えた。
「あの子よ」
「よくもまあ来れたわね」
「あいつがイチゴを殺した」
「イチゴに近づくな、人殺し」
「帰れ」「帰れ」「帰れ」
次第に耳に入る声の数が増えてくる。
男性女性、子供老人。お坊さんも。みんな俺を責めている。
「かーえーれ!」「かーえーれ!」「かーえーれ!」
「かーえーれ!」「かーえーれ!」「かーえーれ!」
ごめんなさい。ごめんなさい。
俺みたいなやつが、のうのうとやって来てごめんなさい。
帰りたい。早く消えてしまいたい。
「かーえーれ!」「かーえーれ!」「かーえーれ!」
もう嫌だ。
俺は耳を塞ぎ、腰を後ろに曲げる。
連動して、つま先が出口方面に向き始めた。
その時だ。
「──トキトくん、ほら」
「あ……」
おばさんの強く暖かみのある声が、耳を貫いた。
すると、さっきまでの帰れコールは途絶え、また辺りはお坊さんの読経だけに支配された。
どうやら幻聴、だったらしい……。
いつの間にか焼香の順番が回ってきていたため、すかさずイチゴさんの遺族と思われる三人にお辞儀をする。
俺の礼に深々と頭を下げてくれた二人は、彼女の両親。残り一人の俺と同年代に見える男は眉をひそめ、俺を睨み返してきた。彼女の兄か弟だとは思うが、正確な関係性は分からない。
正面に向き直り、白百合の咲き誇る祭壇を見つめる。真ん中には、優しく微笑むイチゴさんの写真。
そしてその手前には、イチゴ柄のリボンヘアゴム。
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26 :てふてふ
2023/01/05(木) 23:47:58
イチゴ柄のリボンヘアゴム。それを見るだけで、事故当時の映像が鮮明に頭をよぎる。
写真の中のイチゴさんに黙礼をしたら、すぐにヘアゴムから目を逸らし、俺はその下の純白の棺に視線をずらした。
ベージュの壁に包まれた空間の端で、妙な存在感を示すそれは、満ちた悲哀を溢れさせて横たわっていた。中ではイチゴさんが、覚めない夢にさいなまれているのだろうか。
焼香台上にある抹香を指でつまみ、額まで上げたら、香炉にそっとくべる。ちりちりと、か細い煙が揺れては消えていく。
瞳を閉じて、イチゴさんに合掌。数秒後に再び瞳を開くと、目の前に俺に笑顔を向ける彼女がいた。
そんな目で俺を見ないでくれ。
俺はあなたを殺した張本人だぞ。
慈愛に満ちた翠眼が、俺の心をきつく縛りつける。
屈託のない聖母のような微笑みが、目に焼きついた。
最後に遺族にもう一度礼をしなければならない。そう頭で考えたときには、既に足が動き出していた。向かった先には、イチゴさんの遺族達。
「あ……」
幸恵おばさんのかすれ声が鼓膜を小さく震わせる。視界に映る三人も、目を丸くして固まっていた。
そのまま俺は三人の真ん前で腰を深く曲げた。こうでもしないと、罪悪感に押し潰されそうで、怖かったのだ。
「本当に、ごめんなさい!!」
自然と口から溢れたのは、敬語の一つもない、子供じみた謝罪だった。
顔を下に向けると、両目に溜まっていた涙がどんどんと垂れてくる。
その一瞬で会場もざわめき始める。
「全部俺のせいです。俺が悪いんです」
激しい鼓動と荒い呼吸の音が耳にずっと流れ続け、頭がガンガンと絞めつけられる。後ろからはおばさんの慌てふためく靴音が聞こえてきた。お坊さんのお経も少しだけ間が空き、動揺を感じ取れる。
そして、必然的に生まれる静寂。
「……顔を上げて」
沈黙を破ったのはイチゴさんのお母さんだった。俺はその言葉に従う。
前を見ると、彼女の顔にはどこか陰りがあって、それを笑顔で無理矢理に隠しているようだった。
「今回のことは、『事故』だったんでしょう? あなたのせいじゃないわ」
優しい口調を保って、彼女は言う。子供を失って一番悲しいはずなのに、涙一つ流さず、俺をまっすぐに見つめた。
「違う。違います! 俺は分かってたんです! 彼女を轢いてしまうことを。でもなにもしなかった。だから俺のせいなんです!」
そうだ。俺は罪人なんだ。それなのに……。
「そんな無理に自分を責めなくていいのよ。警察もあなたを解放したわ。それが全てじゃないかしら」
確かに、俺はほぼ無実となり、雪道での不注意を軽く咎められただけだった。現場近くの監視カメラが、路地裏から突然飛び出すイチゴさんの姿をとらえていたと言うのだ。
お母さんの今の発言もここから来ているのだろう。
でも違う。俺はこうなることをもう知っていたんだ。世界をやり直しているという非現実的な現実から逃げていただけだ。
だけど、そのことを話しても誰もが不思議そうな顔をしてから、憐れむように俺を見る。
「俺の、せいで……。だから……」
「そうだ、あんたのせいだ」
突然、怒気を混ぜた声が新たに加わった。イチゴさんのお母さんの隣で、俺を睨んでいる男だ。
「イチゴはあんたが殺したんだ! あんただ! 他の誰でもないあんただ」
男は勢いよく立ち上がり、俺の胸ぐらを掴む。その手はかすかに震えていて、潤んだ桜色の瞳からはずっと泣くのを堪えているのが伝わってくる。歯をきつく食いしばり、憎悪を向けてきた。
そうだ。これが当然の反応なんだ。俺の受けるべき憎しみだ。
「ごめんなさい……」
「ふざけるな! ごめんでイチゴは帰ってこない!」
大事な人を殺された恨みつらみといった感情が、胸に刻み込まれる。
とてつもなく苦しい。でも、耐えろ。
「その辺にしろ」
また、違う声が辺りを支配した。
今度は、イチゴさんのお父さんだった。
「でも!」
「落ち着け」
「……くそっ」
お父さんの低く威圧感のある声色が放たれると、男は乱雑に、俺から手を離した。
お父さんはその様子を見ると、また口を閉じた。そしてまた生まれた音の空白を、さっきのようにお母さんの和やかな口調が埋めていく。
「これはね、仕方のないことなの。どうしようもないことなの」
俺の顔を見ているようで、どこか遠くのほうを見つめる彼女。
考えが読めない、不思議な人だ。
「どうして、そんなに平然としてられるんですか……」
一周目の時からどうしても彼女やお父さんに聞きたかったことだ。
なんで、娘の命を奪ったやつにこんな風に接するのか。
彼女は淡々と言い放った。
「これが、イチゴの『運命』だからよ」
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27 :てふてふ
2023/01/09(月) 00:04:45
「運命……?」
「そうよ。きっとそうだったのよ」
お母さんは、俺に、そして己に言い聞かせるようにそう言った。
イチゴさんの死は神様のいたずらだと言いたいのだろうか。でもそれは……違う。
「そんな訳がない。だって、俺が行動を少しでも変えていたら彼女は助かったんだ!」
「……」
そうだ。彼女の死が運命なんかに絡めとられているなら、どうして神様は俺に世界をやり直すチャンスを与えたんだ。それはきっと、彼女を救う道があったからだ。だから、与えられたものを無下にした俺が、イチゴさんの死の責任を取らないとダメなんだ。
「運命なんて」
「もういいのよ!!」
「……え」
今まで温厚に接してくれていた彼女から、初めて飛びだした悲鳴に似た叫び声。
そして、その後に見せた表情が、俺の瞳孔を離さなかった。
口元をわなわなと震わせて、中で食いしばっている歯を必死に隠し、優しく細めた目を俺に向ける。その瞳からも今にも涙が溢れだしそうなのに、眉間に力を入れ、一滴も流すまいと己と戦っていた。
どうして、そこまでするのか分からない。分からないが、今俺にできるのは謝ることだけなんだ。
「それでもっ」言いかけたときだ。
「もうやめて……お願いだから、ね?」
彼女はとうとう涙を流して、そう言った。ずっと耐えていた分、顔の輪郭を伝う涙の勢いはとどまることを知らない。
「イチゴの死を全部あなたのせいにできたらそれは幸せでしょうね。……でも、私にはそんなことできないの」
「なん、で。なんでなんですか!」
なんで、誰も俺の犯した罪を認めようとしないんだ。おかしいじゃないか。
さらに、俺がもう一度口を開けると、彼女は突然両手で髪を鷲づかみにして、発狂した。
「お願い、お願いします! もう、やめてください。お願いします……」
横にいた男が、彼女の背中をさすって俺を睨む。
「もうやめてくれ! あんたが謝るほど、母さんは苦しむ。分かるだろ?」
「そ、そんな」
今度は、後ろから肩を手の平で撫でられる感覚。おばさんだ。
「トキトくん。もう、帰ろう」
優しく俺に耳打ちして、おばさんは三人に小さくお辞儀をする。そのまま俺の右手を引っ張り始めた。無意識に、左手で払いのける。
「トキトくん」
「おかしい。おかしいぞ。なんで、謝るほど状況が悪くなってる? これじゃ一周目よりひどいじゃないか」
「トキトくん!!」
「そんなつもりじゃないのに。どうしてだよ。どうして、どうして」
「トキト!!!」
おばさんが声を荒げた。そのとき既に、俺の頬には強烈な痛覚が走っていた。
パチン。
蚊を叩くような、そんな音。
「しっかりしなさい。一度落ち着くの」
言われるがままに深呼吸をしながら、辺りを見渡す。
席に座る人々は、俺に冷ややかな目線を向けていた。
お坊さんは、読経を止め、わざとらしく咳をしていた。
おばさんは、肩を掴み、じっと俺を見つめていた。
イチゴのお母さんは、涙を流して嗚咽していた。
俺を睨む男は、お母さんに優しい言葉をかけて落ち着かせていた。
イチゴのお父さんは、口を閉じて、二人の様子を見守っていた。
何度も何度も首を回して、みんなを見る。
その度にどんどん呼吸が荒くなる。
呼吸が止まらない。止められない。
嫌だ、こんなの違う。違う!
「あ、あぁ、あああ、あ」
膝の力が抜け、重力によって身体が自然と崩れ落ちた。
「あんた、いい加減にしろよ!」
男が近づいてくる。
嫌だ、来るな。
涙で揺れる視界を、男の姿が支配する。
いつの間にか手を握られていた。
男が何かを言うと、急に俺を引っ張りあげた。
その時だった。刹那、そう、俺の望まない刹那が訪れた。
遠くから聞こえてきたのだ、あの鐘の音が。
東笹浦駅の時計塔で、12月26日18時30分00秒を針が指したということだ。
みんな、鐘の残り香に耳を傾け始めた。
ああ、──終わりだ。
一周目の記憶が脳内を駆け巡る。走馬灯に見るには、ずいぶんと酷いものばかりだ。
あ……頭が真っ白になっていく。
「あアァアアあア!!!!!」
「ひっ。お、おいどうした」
「もう、もう遅いんだ!!!」
「あんた、大丈夫か?」
「俺のせいでみんな死ぬ俺のせいだ俺のせいだ」
「さっきからなに言って」
俺が現実逃避をしたから、イチゴさんを殺した。
イチゴさんを殺したから、葬式が開かれた。
葬式が開かれたから、みんな死ぬ。
全部、俺の罪だ。
全身を寒気が襲い、鳥肌が止まらない。
男の声が聞こえてきた。何を言っているかは分からない。分からないが、俺から言うべきことはたった一つ。
「この葬儀場は今から、『爆発』する!」
[
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28 :てふてふ
2023/01/12(木) 23:59:06
「爆発? どうしてここでそんなことが」
男が口を動かした時だった。
屋外から激しい演奏が聞こえてきた。それは紛れもないギターの音色。葬儀場の中にいても、その騒ぎっぷりが伝わる。
その騒音に、嫌でも思い出させられる地獄。
だめだだめだだめだだめだ。
「ギターの音? 夜明け祭はもう……」
男は入り口側に視線を向ける。そして終わりが、待たずに訪れた。
突如轟く、花火が夜空で口笛を吹くような音。音は重なり、どんどんボリュームを増していく。
……だめだ。
「おい! なんか近づいて」
もう遅い、か。
──ダン。気づけば、入り口付近の天井が破れていて、まばゆい光の玉の雨が降り注いだ。
終わりを自覚し、額や目や耳元からしずくが流れ、顎の先で混ざると、一滴の大粒となる。そのまま、自身の重みに耐えきれず、顎からちぎれ落ちた。
ポツン。
汗と涙の結晶は、地に堕ち、光の玉とともに切なく散る。
刹那、目の前は紅の火花に覆われた。
咲き誇る赤の薔薇とコンマ一秒の静寂。
破裂音。そして、爆風。
すかさず、辺りは赤い濃霧に包まれた。
身体が浮き、祭壇の白百合へと投げ飛ばされる。
「がっ……!!」
背中からの激痛が全身を駆け巡り、喉元に集中する。胃が喉から飛び出るのを感じた時には、白い棺が顔面を殴りつけていた。
そのまま棺の下敷きとなった直後に、爆発の熱が葬儀場全体を呑み込み始める。
閉ざされた視界で、爆音と悲鳴が混ざりあって聞こえる。
「いゃああああ!」「うわぁああ!!」爆音。
「どうしてよ!」爆音。「トキ……く! ああっ!!」
「ツナグ!!」「なんで今に」爆音。「あ」「助け」
爆音。「ガァアアアア!!」「ハッ?」
恐怖に唖然、痛みと苦しみ。たくさんの絶望の込もった不協和音が両耳の鼓膜の中へと潜り込み、脳内をぐちゃぐちゃに掻き乱した。
なぜ爆発のことを言わなかった?
なぜ平気な素振りを見せていた?
今でも分からない。いや、分かりたくない。こんな愚かな自分を。
この結末は俺がもたらしたものだ。俺のせいだ。俺が、この場にいる全員を殺すんだ。
俺ができることは死んで償うだけ。
──いや、それだけじゃない。
せめて、イチゴさんの亡き骸を守らないと。
お腹にのし掛かる棺をどかし、俺が上に覆い被さるのだ。
決心して、急いで棺の顔近くの部分を持ち上げ、視界を開いた時だった。
瞳の隙間を光が反射した。思わず一瞬まばたきをする。そして、その一瞬で全てが終わった。決心があまりにも遅いと嘲笑うみたいに。
光の玉がもうすぐそこまで来ていた。
無慈悲にやって来る、破裂音と爆風。
全身の毛一本一本が威嚇する猫のように逆立つ。
後方に重力が働き、俺の身体は崩れた壁を越して、木の破片とともに、外に放り出される。エレキギターの狂いに狂った旋律がさらに強く鼓膜を突き破る。辺り一面には、狂騒に合わせて薔薇色の爆発が咲き狂っていた。
そしてその時、俺は見てしまった。
イチゴさんを入れた棺が、俺をかばうように、光の玉とともに爆ぜていくのを。
「イチゴさん!」
手を伸ばしてみたが、届くはずもなかった。
直後、身体が地面に埋もれる。昨日の豪雪で積もった雪が、クッション代わりになったらしい。
しかし、今はそれどころではない。
無理矢理腰から上を起こして、葬儀場を覗く。
建物を包むのは赤い煙。
煙は徐々に上へと昇り、中の様子をあらわにした。
だが、あるのはただただむごい景色だった。
「そんな……」
あちこちに喪服を身に纏った黒焦げの人間が横たわり、血しぶきをまいている。祭壇いっぱいの白百合は黒く染まり、花びらがゆらゆらと飛び回っていた。
その中に、白装束の女性が一人。
「イチゴさん!」
さっきの爆発で棺から飛び出たんだ。
俺はよつん這いで、震える手足を前に動かす。
その時だった。
ギターの雷鳴がさらに激しく鳴り響き、呼応して光の玉が増える。
そして、葬儀場の中央で眠るイチゴさんに向かう。
「やだ、やだ。やめてくれ。待って」
全身の激痛に耐え、無我夢中で前進する。
間に合え。間に合え。間に合え!
「あと、少し!」
もう目の前だ。手を伸ばせば、届く。
「イチゴさん! イチゴさん! イチゴさん!」
涙で歪む赤の世界。その中心で、彼女の名を叫ぶ。
がむしゃらに両手を突き出し、そしてついに。
「届いた!」
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29 :てふてふ
2023/01/12(木) 23:59:20
白装束を力一杯に掴み、ひたすらに彼女を引っ張る。
イチゴさんの亡き骸を俺は救える。
世界をやり直しても、何も変えられなかった俺の、最期の償いだ。
そう、信じていた。俺は罪を滅ぼせるのだと。
でも俺が信じていたのは、信じても無意味な、ただの妄言に過ぎなかった。
涙なんかを流して視界を震わせていたからすぐに気づけなかったのだ。
俺が引っ張っていたのは、布切れだけだったことに。
「は?」
恐る恐る前に視線を移すと、肌を剥き出しにした、彼女がいた。
すぐ上に、光の玉。
「あ」
破裂音。爆風。
俺の身体はまた彼女から引き離されていった。
イチゴさんの剥き出しになった裸体が一瞬にして、バラバラにされ吹っ飛んでいく様子だけが、瞳に刻み込まれていく。
また、飽きもせずに雪が俺を包み込む。
その時ようやく、俺の心を縛っていた鎖がほどけたような気がした。
俺は両手両足をいっぱいに広げて、大の字になった。
なぜだろう。頬が勝手に緩み始める。
「あは……。あはははは、はは」
「はは」「あはは」「……はぁ」
「あはははははははははは」
喉から溢れたのは、叫び声などではなく、極めて軽快な笑い声だった。
俺は、笑い死ぬんだろうか。そんな冗談までもが頭に浮かぶ。
そして、ついに、光の玉が俺の真上にやってきた。
脳裏によぎったのは、形容しがたい喜び。
ああ、やっと死ねる。
俺、樵木トキトは、神様からお仕置きを受けられるのだ。
乱れるギターの音色が、俺をさらに高揚させる。
「ははっ!! みんなごめんな! ウサギ、ごめんな!! 俺、死ぬわ! あはははは!」
光の玉を抱きしめようと、手を伸ばす。
届け、俺は死ぬんだ。俺は死ぬんだ!!
──刹那。
ギターが止んだ。いや、俺の耳に届かなくなった。
代わりに、優しいメロディーが俺の脳内で響き始める。
どこか懐かしい、心安らぐゆったりとした旋律。
徐々に上がり始める、音の羅列。
なんで、どうしてだ。どうしてまた、『トロイメライ』のオルゴールが聞こえてくるんだ。
一周目と同じだ。俺が後少しで死ねる、ギリギリの瞬間にそれは鳴った。
俺は、また死ねないのか?
妙な実感が沸き、冷や汗が全身を流れる。
そんなのいやだ。
「俺を殺してくれ! 俺は死ぬんだ!」
トロイメライはゆっくりと小節の終わりへと向かう。
「待て! いやだ、いやだ!」
一段、また一段、音が音階を低くしていく。
俺は腰を起こしながらやみくもに手を伸ばした。
「届いてくれ!」
3。光の玉まで数十センチ。
「いやだ。俺はもう……」
2。光の玉まで数センチ。
「とど、け」
1。指先が玉に触れた、が、かすめる。
「ああ!」
0……。オルゴールが止んだ。
「なんで、だよ」
まばゆい光を前にしてなお、視界がボヤけ、強い倦怠感と眠気に襲われる。
そのまま、まぶたは閉じていった。
…………。
…………。
……何か聞こえる。
無駄に甲高く、無機質で絶え間ない。心をざわつかせる音。
ピピピ ピピピ ピピピ ………
もう見慣れた薄汚れた天井。暖かい羽毛布団。
俺は、家のベッドで横たわっていた。
「はは……。あ、そうか。俺は気絶しただけなんだな。今日は12月27日の朝。なあ、そうだよな」
アラームがガンガンと頭を揺さぶってきて、思考がうまくまとまらない。
心臓も膨張と収縮を幾度となく繰り返す。
「いやだ……。いやだ。いやだ」
頭の中がぐちゃぐちゃで、両手で頭部を支えずにはいられない。
部屋がぐにゃぐにゃで、目頭も不思議と熱い。
「違うんだ。俺は……」
俺が布団を身体に限りなく密着させ、中に潜り込んだ直後、力強く慌ただしい足音が近づいてきた。
「やめろ……くるな……」
部屋のドアが力いっぱいに開かれる音。
俺が耳を塞ぐ間も無く、高らかな怒声が耳をつんざいた。
「いい加減に目ぇ覚ませえええぇえ!!」
「ぁあああアアアあアアアああ!!! うっ」
妹のボディプレスで、俺は嫌でも現実へと引きずり下ろされる。もう逃げるのは許さないと、悪魔が微笑んだ。
──12月24日8時00分3周目
ここまでくれば認めざるを得ない。
俺は26日の葬儀場の爆発を境に24日に戻り、何度も同じ時を繰り返している。
罪を重ねて時の監獄に囚われる。
この事象に名前をつけるとしたら、そう。
罪の循環──ギルトループだ。
──第一幕【ギルトループ】──完。
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