「ああ!怖かったわ、アベンチュリン…!」
狭い試着室でのちょっとした事故から誰かの足音が近付いてくるまで、どのくらいの時間が経ったのかは分からない。甘いミルクのような匂いと、硬いコインとは真逆の柔らかい感触。僕の頭にあったのは、馬鹿みたいに、そういうふわふわとしたものだけだった。
もし、あのヒールの音がカーテンの向こうで止まらなかったら。それが遠ざかった後、無防備だった彼女の胸元が隠されなかったら。時間も分別も忘れずにいられた自信は、僕にはない。
本能でいい匂いと感じる相手とは遺伝子から惹かれ合ってるって、ほんとうかな。僕が時間を忘れて夢中になった匂い、あれは……何だと思う?
「わたしは……あなたの隣に一番ふさわしいレディになれているかしら…。」
彼女の唇が言葉を紡ぐ時、優しげな眉の下でふたつの目が瞬く時。露や雨に濡れた花が震えるようで、そっと包み込みたくなるようなその可憐さが好きなんだ。
でも、自信のなさそうな声で囁いた彼女が、ふと強気な顔を作った。両手をこめかみに添えて、言葉通り『作ってみせた』んだ。自分を奮い立たせようとするみたいに。
あの儚さがかわいくて、守りたいと思う。だけど懸命に作った表情が「あなたの隣にあるべきはわたし」と語っていて、その強さにときめいたのも、また本当のこと。
彼女の隣だからこそ、僕は『世界一素敵な王子様』になれる。お姫様に全身着替えさせてもらうような甘えっぱなしの王子様だけどね…。