たとえば仔牛のグーラッシュを食べたら、もちろん美味しいと声を上げてほしいし、その上とびきりの笑顔も見られたら最高だ。
でもその時はそうじゃなかった。口の中のものを飲み込んで、お行儀よく口元を隠しながらいたずらに笑って、そうして彼女の唇から出てきた言葉は「あんまり美味しくないみたい」だった。…それがさ、とっても不思議なんだけど。「美味しい!」とは真逆のその素直な言葉が、どうやら僕の心を射止めたみたいなんだ。
もし目隠しをしていなかったら彼女はどんな目を見せてくれただろう。すみれの砂糖漬けを楽しむ皇妃の目より、ずっと輝いていたかもしれない。そう思うから、何の飾りもない、そのままの言葉がかわいかったのかもね。
それに代わるものを飲んだから、取りに行く予定だったシロップ薬はもういらないんじゃ……と一瞬でも考えた自分を殴りたいよ。思考能力が下がってるのか?
ああそうだ、思い出した。けどいつだったかなあ。街に来たばかりの頃、泊まったホテルのカフェで、何人かのお嬢さんたちが会話に花を咲かせていた時かもしれない。イギリスのとある恋愛小説に、こんなセリフがあると聞いたよ。
『君といると僕は本当の自分になれる。』
多分席が近かったばかりに偶然聞こえた、誰のものかも分からない愛の言葉だけど。今更その言葉が胸に落ちてきた理由は分かる。その気持ちが、ふと理解できてしまったからだ。
最上級の愛の言葉ってなんだろうね。結局人それぞれとしか言いようがないけど、意外と、すうっと音もなく胸に落ちてくるようなものなのかも。
「わたし、盲になっても…あなたしか見えない。」
そう言って柔らかな体が僕の胸に預けられた時、突然、この熱と重さこそが愛なんだと分かった。僕が知らずに終わると思っていたもの。美しい少女の姿をした、狂おしいもの。
予想外のアクシデントには、あくまで冷静に、臨機応変に対応する。そうすればどんな窮地だって切り抜けられるし、決して悪いようにはならない。運はいつだって僕の味方だからね。
……確かに、悪いようにはなってない。むしろ他の誰にも味わえない至福と言ってもいい。なのに何なんだ、この感覚は…!彼女を前にしてどうすればいいか分からない、どうすることもできない。そしてそれが、とても大切な感情に思える、なんて。まったく理不尽に身体中を駆け回って自分を見失わせるこれは、一種の熱病と呼ぶべきだよ。ドクター!
右耳に囁かれた甘い声と、体に触れる滑らかな手によって、シルクのハンカチの運命は決まってしまった。汚れたハンカチは捨ててくれ。メイドに洗濯させるのは忍びない。そう言ったとして、素直に頷く姿が想像できない時点で僕の負けだな。
右の首筋で彼女の愛が燃えた。左の焼き印よりもずっと、比べようもないほどに。
完璧な貴族の格式高さの中に、少しだけ少女の無垢を隠したような…彼女の上品な香りが、メイクルームにはより深く満ちていた。もしかしたら、倒れた小瓶の中に香水があったのかもしれないな。
化粧瓶がいくつか倒れているのに気付いたのは、確か……キスをして、体を起こした後だったっけ。それまで他はどうでも良かったんだろう。彼女に夢中だったと言うべきかな。
口紅の色を独り占めしたいと、僕にすら分け与えたくなさそうだったのが少し前。振り向いた彼女の唇は、そんなことはすっかり忘れていた。
いつかどうにかして奪ってやろうと思ってたんだ。その時は、企みの成功よりずっと好いものがあると知らなかったからね。キスをおねだりする声や、色の移った僕の唇を撫でる指、そうして小さく笑った顔のかわいらしさを。
「お腹の中から、はっきりと感じたの。」
僕のためだけに、僕に捧げるために。そうであるべきだと僕も思うよ。それがたとえ、呪いのような『神の祝福』だったとしても。
覚えたての感覚に歓喜して、覚えたての言葉を恍惚と繰り返す。この世には不釣り合いなほどのあどけなさが、その時の行為やしどけない姿とはどこかアンバランスで、彼女はその不思議な魅力で僕を惹きつけてやまなかった。
床に落ちた秘密の白色と、恥ずかしさに震える膝と赤く染まった首筋。どれも知らないものだった。その時、今まで以上の激しさで、僕の身体に火がついたんだ。
ハイネの詩なんて目にしたこともない。愛の詩集を懐やポケットにねじ込んで歩く人生は知らない。
でも、ちょっと興味が湧いてきたよ。彼女の父親が「女が読むのはふしだらだ」と言ったその詩、ぜひ読んで聞かせてやりたいなあ。
ただ僕も、ほんとうにいけないことが何かは分かってるつもりだ。ふと気になっても絶対に口を噤むべきこと。たとえば、君のウエストは何センチ?とかね。