高貴な苗字なんてない。称号めいたミドルネームだって持たない。そんなただのギャンブラーが持て囃されたのは、それ以外の全てを僕が持っていたからだ。
優れた容姿、陽の性質、並外れた度胸、賭けの場で紳士たちの羽を容赦なくむしり取る残酷さ。
冬とともに現れた謎のギャンブラー!なんて珍しい生き物!退屈を愛せない貴族たちが、そんなふうにこの見掛け倒しを信じるのは自然なことだよ。
黒鳥のようなフェザーが揺らめく、真珠の涙を散りばめた仮面。それをつけた瞬間彼女が彼女ではなくなるように、仮面舞踏会は、そんな僕の武器すら包み隠してしまう。金の蔦が走る、黒い仮面の下に。
シャンデリアやキャンドルスタンドのろうそくの火は太陽よりもずっと頼りなかったけど、それでも、あの邸と比べれば眩しいくらいだろう。
正面玄関で預けたケープコートの下、あらわになった彼女のドレス姿はほんとうに綺麗だった。ろうそくの灯りを映した白い肌が、初めて目にした時とはまた違って見えて…使用人の視線にむっとしちゃったよ。少しだけね。
一度目の「かわいい」は、照れ臭くて心が乱れた。二度目は自分からその言葉をねだったようなもので、寝る前のミルクのような甘い声にどうしようもなく安心した。
柔らかな体に抱かれて、その時の僕は、どうがんばってもアベンチュリンにはなれなかったんだ。耳に触れるだけのキスや、髪を梳く指、あやすように背中を叩く手が、優しく許してくれなかったから。
かわいい人。いとしいひと。…とっくに死んだはずの名前。
もう二度と呼ばれなくったっていい。たった一度でも構わない。揺れる箱の中で聞いた彼女の声は死ぬまで覚えていられるさ。
だから、毎夜僕を抱きしめて眠る約束もうっかり忘れてもらっちゃ困るな。いいかい?“アベンチュリン”だって、子守唄とふかふかの枕が大好きなんだよ。
膝の上に『抱っこ』しながらイゾルデちゃんと呼びそうになったけど、やめた。ばかみたいな理由でね!
馬車の中、僕の膝に座る彼女の楽しそうな顔が可愛かったから、ただの冗談、いつものお遊びで小さな女の子扱いをするだけ。それを変に意識したのがいけなかった。もう彼女を子どものようには見られないことが分かっていたから、きっと嘘くさく響く自分の声が気に入らなくて。ほら、ほらね、くだらなくって…馬鹿みたいだろ?
あたたかなケープの中に僕を包み込んで、あなたが愛しいと僕の髪に頬を寄せる。
彼女は僕に初めての感情を教えてくれた、マイレディ。躊躇いなく愛に生きることができる、ひとりの、特別な女性だよ。