彼女は、鮮やかな色を隠す黒頭巾みたいなコート。僕はかなり着古された上着と中折れ帽を拝借して、まるで、駆け落ちしようとする恋人たちだ。
一度別れて落ち合った廊下は薄暗くて、それなりに距離もあった。すぐに僕と気付かなかったのも、まあ無理はないけどね。また逃げられるかと思ってひやひやしたよ…。でも、僕に伸ばされた手を握った時、驚きと甘えの混じった声を聞いた時、このままほんとうに世界の果てまで逃げていけるような、不思議な自信と無謀が胸を満たした。
アベンチュリン、あなたでしたのね。その一言と微笑みが返されるなら、何度追い掛けて、叫んでもいい。
「お別れなんてしないわ、アベンチュリン。絶対に嫌よ…?」
おや、珍しい。絶対にとまで言いきるなんて。
顔も知らない召使いの服をいただく代わり、夜明け色のドレスを置いていく。価値交換としてはちょっと釣り合わないけど、彼女のおおらかさを否定するほど馬鹿じゃないさ。
「それじゃあ、黒鳥の仮面の女とはここでお別れだ。」そう口にした時、彼女の睫毛は弱々しく震え、手は僕の腰を掴んで縋り、目は悲しげに未練を語っていた。それはいつもと変わらずか弱い少女のものだったのに、確かな主張と僕をまっすぐに見つめる眼差しは、もう霧にけぶる迷路から抜け出しているようで、一瞬、息をのんだんだ。
安心して、悲しい顔はさせないよ。僕の魔法で、ドレスは金貨一枚に早がわりだ!
たった数歩、屋敷の表と裏を繋ぐその数歩を越えるだけで、景色はまるで別世界だ。だけど、色の少ない使用人の部屋が、ランプの灯りの中でその時一気に華やいだ。舞台も客の囃し立てる声もないのに、一瞬で小さな演芸場にでもなったみたいだった。花は咲く場所を選ばず、だね。
肩を見せる代わりに袖が膨らんだフリルブラウス、深緑のチロルコルセットと真紅の膝丈スカート。黒鳥の女から町娘になった彼女は、今にも陽気に歌い出しそうな可愛らしさだったよ。
…というのは少しだけ嘘。ただ可愛いだけじゃなくて、首筋から肩の柔らかなラインとか、むしろドレスよりも大胆な胸元、膝から下の素足がすごく色っぽかった。
腰のリボンを結んであげる手は、確かに緊張で震えてはいなかったけどね。僕の我慢強さを褒めてくれとは言わないよ。この手がいつ言うことを聞かなくなるか、僕にも分からないんだから。