「少しだけ踵が痛かったの」と聞いた瞬間から気になって仕方なかったんだ。ヒールを履き慣れてはいても、それで走り慣れてはいないはず。気付けなかったことが悔しくて、部屋で落ち着いたら必ず確かめようと思ってた。怪我はないか、肌が赤くなってやしないか?
膝を立てた右足がシーツの上を滑った時にね、はっとしたよ。クッションに乗った宝石を差し出されたような、そう、静かな感動だった。
真珠貝のような爪、触れると丸くなる指、引き締まった足首ときれいな曲線を描いたふくらはぎ。細いけど、折れそうな、とは思わなかった。すらりと長く伸びて、やわらかくて触り心地の好い…。
最初はただ、踵が心配だっただけだ。ほんとうに!うそじゃない!だから………、……ごめん。
たぶん、あれは彼女の『待て』の格好。両手は胸の上に、熱くうるんだ目をして、また僕に抱き寄せられるのを待ってたんだろ?
ずーっと手袋が邪魔だなあと思ってたんだ。手を繋ぐ前に、道端に放り捨てても良かったくらいさ。そんな手袋をやっと外せたわけなんだけど、あの待ての姿を見たら、手袋消失マジックでも覚えておけば良かったと思ったよ。
後悔とは少し違う。これで素手で彼女の温もりを感じられて、かわいい姿も見られたんだからね。ただ、身体の離れたほんの数秒すら、僕にとって大切な時間になってしまった。これからどれだけの大切が積み重なっていくんだろう。……困ったね。
床に不揃いに転がった靴、まあなんてことない光景だよね。正直僕もたまにやる。でも彼女にとって『靴を揃えない』ことは特別だ。特別だから、ベッドの上で脱いだ靴を、サイコロを振るみたいにそっとベッドの外へ放った。これをどうすればいいかしら、なんて考え込むような顔の後で。
僕はジャケットを脱ぎながらそれを見てた。遠慮がちなのに、意外と楽しそうな音が耳に心地良かったよ。ころん、ころん。
「アベンチュリン、抱き締めて……ほしいわ…。」
言葉ひとつに、こんなにも力があるなんて思わなかった。ベッドに寝かせた無防備な素足とか、甘えるような視線、控えめに袖を引くような声に心惹かれたのはもちろんだけど。
たとえそこが薄汚い路地裏でも、責め立てるような眼差しだったとしても、僕は喜んで両腕を伸ばすよ。いつか試してみて。
君は僕が一度嬉しそうにしたことをきっと覚えていて、それを何度でも、ふとした時に伝えてくれるね。
僕はそのたびにあの時しどろもどろになったことを思い出して、照れ臭さを覚えながら何とか気を取り直して、それからやっと、同じ言葉を返すんだ。
大好きだよ。たったそれだけの言葉を。
学ぶことが好きだって、すごく素敵だね。君は僕がお願いしたことを笑顔で受け入れて、たった数日で完璧に己のものにした。それ以外にも君の聡明さを感じることは珍しくないし、僕なら適当に済ませてしまうことも、時間を惜しまずひとつひとつ丁寧に追っていく。
僕も学ぶことが好きなのは同じで、日々探求、知識が増える過程も増えた結果も楽しくてたまらないって人間だけど。間違いなく、君を心から尊敬してる。
いつだって包み隠すもののない君の言葉が嬉しいよ。たとえば、僕にしか興味が持てない、とか。もちろん君は周りに冷たいわけでも、本来の意味で興味がないわけでもないけど、君の視線がまっすぐ僕だけを見つめているのが分かる。
眼差しも言葉も、寄り道をせずに僕に届くから、僕はそのたびに照れて君への想いを募らせていくんだ。
──君の好きなところ、厳選三つ。
ああ、待ってくれ!こんなものはプレゼントじゃないよ。ただ、君への気持ちをつらつらと喋ってみただけのことだ。それでも君は、笑顔で喜んでくれるだろうね。
誕生日おめでとう、イゾルデ。世界一のレディ。
僕からの贈り物は、僕が選んだ君の香りだよ。
上品で官能的なサンダルウッド、知的で包容力を感じるアンバーグリス、甘くて可愛らしいバニラ。これをラストノートに置いた香りさ。他にも並んでいた香水の中で、これが一番、僕から見た君にぴったりだったんだ。
ちょっと試してみたらなかなか薄れなくてね、危うく僕の香りになっちゃうところだ。そうなる前に、イゾルデ、今日という日に生まれた愛する君へ!
君に世界を買い与えたかった。そんな気障な台詞をどこかで聞いたことがある。
これは、そのくらいの気持ちを込めた、僕から君へのラブレターだ。