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283.短編小説のコーナー
 ┗191-197

191 :ベリー
2023/12/05(火) 22:54:28

『緩やかに、世界をとかして嚥下する』


 この街は、かつては観光地として有名であった。とある芸術家が共同で芸術作品を作ろうと市長にあおぎ、市長も街おこしになるからと芸術家の提案にのった。そして生まれたのが、街を囲うガラスドームであった。
 またたく間に人は集まり、繁盛し、観光地として名を轟かせた。
 しかしそれも昔の話だ。
 食人病という、突然変異で生まれたウィルスによる病。名の通り、人を食らいたい衝動に駆られる奇病である。それがこの街から生まれてしまった。
 感染した者は身体中の色が抜け、頭が回らなくなり、体が腐ろうがもげようがお構いなしに、まるでゾンビのように人肉を求め続けるのだ。
 世界が食糧難ということもあり、この街は即座に切り捨てられた。かつて街のシンボルであり、街の人々を見守っていたガラスドームは、食人病に感染した者を隔離する道具と成り果てる。
 街の人々はガラスドームから外へでれぬまま。いつゾンビに襲われるのか、いつ自分も食人病に感染するのか、恐々として日々を過ごした。
 かつてあれほど陽の光を反射し輝いていた街は見る影もない。人口が徐々に減り、赤黒い液体があたりに飛び散り、崩れかける家々がならぶ廃れた街へとなってしまった。

 そんな街に住む一人の少女、ストレーリチア。彼女は父も母もいない。生まれて間もない頃に孤児院の前に捨てられた。ゾンビも病も蔓延り、しかも外へでられない環境であるこの街では珍しいことではなかった。
 ストレーリチアは孤児院で、病の脅威に怯えながらそれでもすくすくと育った。
 ガラスドームの出入り口には外から岩が敷き詰められていて、村の外にはでられない。生き残ったってその先には何もない。ゾンビとなって人を食うか食われるか。彼らの末路はそれしかない。そんな絶望に目を背け、ストレーリチアは日々を過ごした。
 しかし、そんなストレーリチアにも希望はあった。

「やぁ、みんな元気かい?」

 無秩序な街にできた自警団に所属する青年。ルレザンである。彼は定期的に食料を届けに孤児院へやってくる。

「やぁチア、元気かい?」

 自身の名を呼ばれ、ストレーリチアは頬を赤らめながら頷く。

「はい、お陰様で……。またお食事の材料を持ってきてくれたんですの? いつも助かっておりますわ」

「それは何よりだ。といっても、日に日に量が減ってることはチアも分かってるだろう?」

「それは……」

「けどこっちもカツカツなんだ。飲み込んでくれ、としかいえない。不甲斐ない僕で、ごめんね」

「そんなことっ……!」

 ストレーリチアは腰までの髪とともに前へ飛び、ルレザンの両手を握る。

「私(わたくし)はあなたに救われています。あなたは、私の英雄なんですもの」

 ゾンビから人々を守り、かつての治安を取り戻さんとする自警団。そこに所属するルレザンは、ストレーリチアにとって心の支え、英雄であった。
 彼という光があるから、この地獄で生きようと思えるのだ。

「そっか、それは照れるな。僕達も、チアみたいに元気に過ごす人達の笑顔が希望だよ」

 ルレザンはストレーリチアの頭に手をやり、その栗色の髪を上から下へとすいた。ルレザンの体温と大きな手を感じて、ストレーリチアは幸せな気分だ。

「そうだ、ルレザン。また三つ編みをしてくれませんこと?」

「またか? いい加減自分で結べるようになれよー?」

 そう、ルレザンはストレーリチアへ座るよう促し、他の孤児の子にクシを持ってきてほしいと頼む。その間、ルレザンは手でストレーリチアの髪をといた。
(いい加減自分で結べるようになれ、だなんて。おかしいことっ)
 そうストレーリチアは胸中で笑う。だって、ストレーリチアはとうの昔から、三つ編みなんて自分でできるのだから。けれどそれは言わない。言ってしまったら、もうルレザンが髪を結んでくれなくなってしまうかもしれないのだから。

[返信][編集]

192 :ベリー
2023/12/05(火) 22:54:46

頭からルレザンの体温を感じる。まるで大切なものを触るかのように丁寧に、ルレザンは髪を梳く。そんなこの時間が、ストレーリチアは好きだった。ルレザンが髪を二つの房に分け、その片方を更に三つに分けたその時。

「いやあぁっ!!」

 孤児院に悲鳴が轟いた。ルレザンは髪を梳く手を止めすぐさま悲鳴の方へ向かう。自分に何も言わず走り去ったルレザンに、ストレーリチアはため息をつく。
(相変わらず正義感が強い人。でもそこがいいのですけれど。でもでも、なにか一言置いていってもバチは当たらないでしょう)
 ルレザンには自分だけを見て欲しい。彼の優しさも義侠心も自分だけのものにしたい。けれど、自分以外の人を疎かにするようなルレザンなんて、そんなのルレザンではない。見たくない。矛盾した己の感情に、ストレーリチアは頬を膨らませた。
(ルレザンは私だけのヒーローでいいのに……)
 ふと、背後から足音がした。悲鳴が聞こえたにも拘わらず呑気なストレーリチアは、無防備にゆっくり振り向いた。

「──え」

 突発的に溢れでた驚きが声となる。息が詰まる。ストレーリチアはその栗色の瞳を丸くして、呼吸を止めた。

「ちあ、ちゃん──」

 目の前には、ストレーリチアの友がいた。しかし様子がおかしい。黒髪だった彼女の髪は脱色していて、瞳も色が抜けて血の色に染まっている。
 食人病の初期症状。ストレーリチアの頭にはそれが一番にうかんだ。しかし、

「いや、なんで──」

 受け止めることはできなかった。物心ついた時から一緒に孤児院で過ごした友。家族と言ってもいい存在が、食人病に犯されてしまった。その衝撃は計り知れない。
 その友の口からはボタボタとよだれをたらしている。その虚ろな赤い瞳にはストレーリチアしか映っていない。

「お腹が、すいて……。ちあちゃん、お願い。逃げ、て」

 ストレーリチアは先の展開が読めた。しかし体は動かない。日々恐れていた食人病の魔の手が現れた衝撃と、友が病に感染したというショックと、その友が自身を食料として見ているという恐怖と、絶望。

「嫌っ、そんなの、いや──」

 ストレーリチアのか細い声。世界に届けと、半ば救いを求めるように絞りだされたその声は、誰にも聞こえない。
 友が地を蹴る。ストレーリチアは、その首を友に噛まれた。

[返信][編集]

193 :ベリー
2023/12/05(火) 22:54:58

 ◇◇◇


「三年前のあの時、私すごく怖くて、ショックで。絶望していましたの」

 窓から差し込む陽の光をカーテンが遮る。薄暗い部屋の中で、ストレーリチアはぽつぽつと語る。

「そのとき助けてくれたのが、あなた。私の英雄様、ルレザン」

 自身の名を呼ばれ、ルレザンは手を止める。しかしストレーリチアが「やめないでくださいまし」と頬を膨らましたため、ルレザンは手を動かす。
 まるで蚕の糸のように細いその“白髪”を、ルレザンはクシで梳く。

「英雄、か。孤児院の中に侵入したゾンビに気付けず、結果誰も救えなかった僕が、英雄なんて……」

「自分を卑下しないでくださいまし! 結果的に私が救われたでしょう!」

 ルレザンは眉を下げて悲しそうに笑う。その表情は椅子に座るストレーリチアには見えない。しかし、ストレーリチアはルレザンがどんな顔をしているかなんて手に取るようにわかっていた。

「僕は、君を救えたことになるのかな。食人病の魔の手から救えなかったのに」

 まだへりくだるルレザンにストレーリチアは振り向く。八の字を逆にした眉に、真っ赤な瞳を爛々ともやしルレザンを映す。
 そう。あの時ストレーリチアはゾンビと化した友に噛まれた。そして食人病におかされてしまったのだ。しかし運良く食人病に適応し、体の色が抜けただけで、人を喰らいたくなる欲望をもつことなく済んだ。更に、ストレーリチアは食人病におかされたゾンビを操る力も手にした。しかしこちらはあまり使うことがない。

「何を言っているんですの! ルレザンがいなかったらきっと、私はずっと一人でしたわ。適応したといえど食人病に感染した私を仲間に入れてくれるコミュニティなんてないですもの。ルレザンのお陰で、私は幸せに今を生きていられる。ルレザンは私の光。英雄なのです!!」

「わかったわかった。君の気持ちは十分に分かったから前向いて。髪が編めない」

 ルレザンは額に手を当て、照れを隠す。ストレーリチアは「わかったならいいのです」と満足気に前を向いた。

「いい加減、自分で編めるようになれよ」

「うふふ、三年前も同じことを言われましたわ」

「三年前どころか、孤児院にいたときからずっと言ってるよ」

 孤児院の者全員が死亡してから。唯一生き残ったストレーリチアはルレザンの家に引き取られた。それからは、ストレーリチアとルレザン二人で暮らしている。

「それにしても、何故目隠しをしているのに髪を編めるのです? 私、いっつも気になって仕方がないのです」

 ルレザンは黒い目隠しをしている。それなのに丁寧にストレーリチアの髪を編めている。それがストレーリチアは不思議でたまらなかった。
 ルレザンが目隠しを始めたのはつい最近だ。なんでも、自警団での任務中に目を切ってしまったのだとか。

「外から中は見えないけど中から外は見える目隠しなのさ」

「あら不思議。それよりお目目は大丈夫ですの? 切っているなら目は見えないのでは──」

「みえるものはみえるんだ。それよりチア、動かないでくれるかい? 綺麗に編めない」

 有無を言わせぬ物言いにストレーリチアは黙ることしかできなかった。
 ルレザンの大きな手が大切なものを触るように繊細に、ストレーリチアの髪を編む。この時間が、ストレーリチアはずっと昔から好きだった。なんてったってルレザンが自分を見てくれているのだから。大切にされていることが伝わり、ルレザンの体温がストレーリチアの中に溶ける。いつもルレザンに三つ編みを頼むのは、ストレーリチアがこの幸せな時間を味わいたいからなのかもしれない。
 はい、終わり。極楽な時間の終了の合図。それさえもストレーリチアは好きであった。

「ありがとう、ルレザン」

「どういたしまして。さ、僕は仕事に行ってくるよ」

 ルレザンは壁にかけてあるライフルを手に取る。慣れた手つきでクルクルっと回しカッコつけた後(のち)、玄関の方へ向かう。

「行ってらっしゃい、ルレザン」

 編み終わった二つの三つ編みをゆらし、ストレーリチアは彼の背中へ手を振る。バタン。玄関の扉が閉まる音がして、ストレーリチアは立ち上がった。
 ルレザンの私室。そこには食人病やその病におかされた生物についての本が置いてある。ストレーリチアは迷いなく一つの本を手に取り、パラパラと黄ばんだ紙をめくる。

「食人病におかされると色が抜け、日に弱くなる。その代わりか、五感が異常なまでに発達する」

 赤瞳に映る文章をストレーリチアは音読してみる。そしてパサ、と本を放り、ルレザンの椅子に座る。

「私の英雄。みんなのヒーロー、ルレザン。こんな日がずっと、続けばよかったのに」

 机に突っ伏したストレーリチアの言葉は、小鳥のさえずりによってかき消されてしまった。

[返信][編集]

194 :ベリー
2023/12/05(火) 22:55:43

 自分たちをガラスドームに軟禁した国がいうには、病が収まるまでこの状態を解くつもりはないと。病なんて収まるはずがない。特効薬を作る財力もウィルスを研究する人手もないのだから。実質、軟禁はとくつもりは無いと、ルレザンは国に言われたのだ。
 彼らに待つ終わりは、病に犯されゾンビとなるか、ゾンビに食われ死ぬか、餓死するかだ。生き残ったって絶望しかまっていない。

「クソッ、クソッ、クソクソクソッ!!」

 ルレザンの私室。彼は床に這いつくばり、何度も床を叩いた。
 この世界は地獄そのものだ。自警団という仕事柄、この切羽詰まった世界で人間の汚い部分を何度も見てきた。こんなこととなるならこの世に産まれてきたくなかった。
 神に何故、我々に命を吹き込んだか問えば、命を宿してみたんだと言うだろう。粗末なものだ。

「あぁああぁ──」

 ルレザンの口から、ボトボトと唾液がたれる。
 しかしこの地獄にも、救いはあった。ストレーリチアである。彼女は昔から、太陽のように笑う。どこまでも純粋で自分を英雄と呼んでくれるストレーリチアを、ルレザンは愛おしく思う。思うからこそ、
(その澄みきった瞳で、僕を見ないでくれ──)
 仕事柄人も、ゾンビも屠ってきたルレザンは苦しむ。
 今のこの感情をなんというのだろう。この痛みはなんと形容するのだろう。ああ、苦しい。胸も、頭も、腹も。肉が引きちぎられるように痛い。ああ、

「お腹が、すいた」

 出しては行けない言葉。そうずっと押さえ込んでいたつもりの欲求が口をついてでた。ルレザンは慌てて自身の口に手をあてる。
 食べたい。食べたい。食べてしまいたい。ストレーリチアのあの白皙の肌と、柔らかい唇を、引きちぎって咀嚼して嚥下して光悦としたい。
(いや、そんなことは許さない! この僕自身が、許さない!)
 緩やかに、彼女を血でどろどろにとかして、それをゴックンと。喉奥に流し込みたい。ルレザンは懇願する。
(お前は誰だ! こんなこと考えるなんて、僕じゃない! ストレーリチアは大切な僕の希望なんだ!)
 生きるためなんだ仕方ないよな。
 ストレーリチアの、味付けはどんな夢がいいかな。

「あああぁぁああぁっー!!!」

 全てをかき消すようにルレザンは叫ぶ。思考も欲も頭の声も、全て聞こえないように耳を塞ぐため。喉が枯れるほどに絶叫する。

「僕は誰だ! お前は誰だ!!」

 化け物がとり憑いた指先でルレザンは髪を掻きむしる。

「ルレザン! どうしましたのっ!」

 小鳥のような鳴き声が外からする。
 ああ、君のか細い声が胃袋を刺激してたまらない。

「来るなっ。ストレーリチア、来ないで、くれ……」

 貴方のその瞳に愚かな自分を映したくない。
 ルレザンは覚めない夢のような感情が泥まみれに落っこちて、感じたこともないこの惨状が現実だと知る。

「ルレザン!」

 ストレーリチアは小走りで自室をでる。そして隣の部屋である、ルレザンの私室を開けた。

「──るれ、ざん?」

 ストレーリチアに一番に飛び込んできたのは這い蹲るルレザン。口から唾液を落とし、カーペットにそれが広がっている。頭を掻きむしるルレザンは、目隠しをしていなかった。

「──ルレザン」

 全てを悟ったように、ため息を吐くようにストレーリチアは呼ぶ。
 ストレーリチアを映すルレザンの瞳は色が抜け、血の色に真っ赤に染まっていた。

「任務で目を切ったというのは、嘘だったのですね。病に犯されたことを、隠すための」

 ストレーリチアは落ち着いて言葉を落とした。鉛のように重いそれはルレザンに激突し、ルレザンはうなだれる。

「ちが、うんだ、チア。僕はチアとの生活を壊し、たくなくて──ごめん」

 ルレザンは声を潰し懺悔する。ボタボタと垂れる透明な粘液は、もはや涙か唾液が判断がつかない。

「私も、謝らなければならないことがありますの」

[返信][編集]

195 :ベリー
2023/12/05(火) 22:56:00

 ストレーリチアはルレザンの元へ歩む。床に広がった唾液がストレーリチアの靴下にじわりと染みた。

「あなたが食人病にかかっていたことは、知っていましたの。私も食人病にかかっていますから、わかって、しまいましたの──」

 ルレザンの瞳が見開かられる。彼の赤瞳に映るストレーリチアは、口を結んで罰の悪い顔をしていた。

「私も貴方と同じ。この日常を壊したくなくて黙っていましたわ。ごめん、なさい」

「いいんだ。もういいんだチア。ありがとう。お陰で、僕は今日まで君との時間に浸れた。幸せだった。だから、逃げてくれ。もう限界なんだ……」

 ルレザンはやにわにストレーリチアを突き飛ばす。きゃ、と軽い悲鳴がしてルレザンに罪悪感がへばりついた。

「君を食べたくて、仕方がない。逃げて、くれ」

 食べる。それは殺すと同義。殺害予告をされたストレーリチアだったが、彼女の表情はこの部屋に来た時から変わっていなかった。ルレザンという、自身の英雄の弱みを見据える澄ました顔だ。そこに恐怖も緊張も介在しない。ストレーリチアは立ち上がり、軽く寝巻きを払う。

「私が逃げて、その後貴方はどうするのです?」

 ルレザンは何も言わない。ストレーリチアの質問に頭を回すほどの余裕もないのだから。だから、懇願する。切なに声を絞り出す。

「逃げて、くれ──」

 ストレーリチアは滑るように膝をついてルレザンの肩を掴む。怒りが入り込んでいるのだろうか。ストレーリチアの力は強かった。

「私が逃げたその後、貴方はどうするのです! ゾンビとなって人を食べるのですか!」

「あ、ぅ──」

 ルレザンは俯く。図星だったのだ。無性に乾く喉を満たし人の肉を食いちぎりたい、空腹の欲。それは津波のようにルレザンの理性を流してしまう。
 彼にとって今一番重要なのはストレーリチアを食べてしまわないことで、それ以外はどうでもいいのだ。言い換えるなら、二番に重要なのはこの空腹を満たすこと。ルレザンは、それをストレーリチアに見透かされた。

「でもチア、お腹が、すいて。僕は満たされたいんだ。けどチアは食べたくない。殺したくない、失いたくないっ! だからチア、逃げ──」

「──私の英雄様は、間違ったことをしませんの」

 ピシャリと言い放ったストレーリチアにルレザンの言葉はかき消される。この状況で何を言うのだとルレザンは目を見開く。

「私の英雄様は、ヒーローは! 誰彼構わず人を助けてしまうお人好しで、情に弱くて、食人病にかかってしまったこんな私を養ってくれる心優しい人なんですの!」

 ルレザンの赤瞳にうつるストレーリチアは、ぽろぽろと涙を流す。顎を伝って落ちていくそれに、更にルレザンは唾液を落としてしまう。その気持ちのすれ違いを空目するようにストレーリチアは大声を上げた。

「人を食べるなんて私が、私の英雄様が、貴方自身が、許さないでしょう!!」

「はは、チア。なら、僕に死ねというのか? 僕は、嫌だよ」

 実際のところルレザンは、ストレーリチアが思うほど完璧な人間ではない。人相応に汚い欲も考えもあった。英雄などとは程遠い。彼は一般民衆である。死にたくないのは当たり前だ。しかしそれはストレーリチアが認めない。

「私の英雄様はそんな事言わない。真っ先に自分を殺せと、そういうのです」

「英雄様、ね。そうか、君の中で僕は、まだ英雄でいられるのか」

 ルレザンは瞑目し、また開いてストレーリチアを見上げる。
 ストレーリチアが思い描く英雄とルレザンは程遠いものだ。しかし、ルレザンが思い描く“救い”であるストレーリチアは偶像などではない。純粋で、自分をヒーローと慕う愛らしい娘。
(僕は、永遠にチアの英雄でいたい)
 親にも愛されなかったルレザンは、ストレーリチアの愛だけは、失いたくなかった。

「チア、僕を殺せ」

 38口径の拳銃を床にストレーリチアへ向けてスライドさせる。

「あなたなら、そう言う、はずですわ」

 ストレーリチアは拳銃を手に持つ。その腕は震えている。自身の英雄を永遠のものとするために、英雄という偶像を壊さないために、ストレーリチアはルレザンを殺さなければならない。
 自身のエゴのために、大切な人を殺さなければならない。
 しかしそれでいいのだ。ルレザンがストレーリチアのヒーローであり続けるには、彼を殺す他に方法はない。

「さようなら、私の、英雄様」

 パァン。
 月の雫が、落ちる音がした。





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196 :ベリー
2023/12/05(火) 22:56:25

 「あら?」

 唾液と涙と、それと血液で汚れたカーペットを片付けているストレーリチア。そのカーペットをめくると、変なものを見つけた。

「なにかしらこれ」

 どうやら地下の入口らしい。
(家に地下があるだなんて、三年住んでいるのに知りませんでしたわ)
 ストレーリチアはその地下へ足を進めた。コツコツと無機質な音が響く。階段を降りきってあったのは鉄扉だ。ストレーリチアはその扉をゆっくりと開ける。ギギギ、と鉄が擦り合う音。それと共にむわりと、鉄の匂いが広がった。

「──」

 ストレーリチアは絶句する。目の前に広がるのは有象無象の骨々だった。動物の骨だろうか。いや頭蓋骨がある。間違いなく人間の骨だ。

「なんで、こんな──」

 ストレーリチアは鼻を塞いで涙目ながらに進む。やってきた扉から反対の方にも、もう一つ扉がついていた。そこを開けると上へ続く階段があり、庭に繋がった。

「──」

 ストレーリチアの頭の中で全てが繋がる。ルレザンは人を食べていたのだ。それもそうだろう。ルレザンが目隠しをし始めたのは最近、といっても二ヶ月前だ。二ヶ月間、何も食べずに生きていられるわけがない。理性を保っていられるわけがない。
 ルレザンはストレーリチアに黙って、人を食べていたのだ。

「そんな、そん、な。嘘よ嘘よ嘘嘘っ!!」

 ストレーリチアの中で崩れゆく、ルレザンの英雄像。今まで心の支えにしていたヒーローがボロボロと消えてゆく。

「嘘、ルレザンは間違ってなんかッ。でも人を食べてしまって、ヒーローが。英雄様がっ!!」

 人を食べ、しかもそれを隠していた。ストレーリチアの英雄がしてはならないことだ。なぜなら、英雄は間違ったことをしないのだから。
(間違ったこと? そうよ、人を食べることが間違ったことの、はずがない)
 ストレーリチアはゆるりと立ち上がり、空に浮かぶ月を見上げる。

「そうよ。そうよそうよそうよっ!!」

 まるで母を見つけた赤子のように、掴み取った答えへの喜びを反芻する。ストレーリチアは何回も何回も喜びを噛み締め、空へ向かって正解を叫ぶ。

「人を食べることが間違いなんていう、世界が間違っているんだわ!」

 すぐさまストレーリチアは走る。ヨダレと血で滲んだ靴下が土に汚れる。そのまま廊下を歩き、私室の戸を勢いよく開けた。

「英雄様っ!」

 そこには、ストレーリチアのベットに横になるルレザン──の死体があった。

「ねぇねぇルレザン。英雄様っ」

 まるで意中の相手の部屋に招待されたかのように、ルンルンとストレーリチアはルレザンの元へステップする。とろりととろけたその赤瞳をなぞるまつ毛は、白く星のように輝いている。

「貴方は永遠に私の英雄様なの。でもきっと、皆は貴方を英雄と認めない。人を食べちゃったんですもん。でもね──」

 ストレーリチアはゆるりとルレザンにまたがる。その艶めいた桃色の唇を、ルレザンの首筋に重ねる。

「世界を変えてしまえば、どうってことないんですの。私は、貴方を永遠の英雄にしてみせますわ──」

 がぶり。ストレーリチアはルレザンの首筋を噛み、それを引きちぎる。ゆっくりそれを口の中で溶かし、ごくり。嚥下する。

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197 :ベリー
2023/12/05(火) 22:57:25

「ねぇねぇ聞いた? お金持ちさんが鍋を振舞ってくれるって!」

「聞いた聞いた! しかもタダなんだって! いこういこう!」

 とある村。二人の少女と少年が満面の笑みで走りゆく。食糧難のこの世界でタダ飯にありつけるのはありがたいことだった。

「ありがとう!」

 二人はくだんの場所へたどり着き、鍋をよそって貰う。よそってくれた相手は深く外套を被っていて顔が見えないが、それでも二人は精一杯感謝を述べた。後ろを見ると、噂を聞き付けた人々が長い列を作っている。少女達はすぐさまそこを離れ、器に入った鍋を食べる。

「おいしい、けど変な味がするね」

「そう? 確かに、このお肉食べたことがない、味が──」

 カラン。片方の少女がおわんを落とす。どうしたの?! と、少年が少女のかたをゆする。少女は震えていて様子がおかしい。

「どうし──」

 ──たの? そう少年が言いかけた時。

「お腹、が、すいた。」

 少女が少年に襲いかかる。ここだけでなく、鍋を食した村人皆がゾンビと化し、人間のままである村人に襲いかかっていた。

「うふ、うふふ、あははは!」

 鍋の前に立っていた人物──ストレーリチアは外套で顔を隠すのをやめ、両手を広げ天を仰ぐ。
 この鍋にはゾンビの肉が入っていた。食人病に感染した肉を食べればその人も感染する。それだけでは無い。共食いもはたすこととなり、鍋を食べた者もゾンビ化し食人するようになる。
 みんなみんな同族を貪る。求める。
 この世界の人々がカニバリズムを行い、ゾンビと化したとき。食人が罪という概念が消えたそのときこそが、ストレーリチアが求めるもの。
 ルレザンが、紛うことなき英雄になるときだ。

「まっててくださいまし、私の英雄様──」

 ストレーリチアはゴクリと、緩やかにとける世界を嚥下した。


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文芸鯖の企画で書いたものです。折角なのでゲラフィでもあげました。
>>191-197 『緩やかに、世界をとかして嚥下する』でした。

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