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┗381.【小説】箱庭のLABYRINTH(1-14/14)

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1 :樹暁
2024/04/27(土) 17:26:11

 ああ、アリス。どうか無事に出て来ておくれ。暗くて虚しい[箱庭]から。

 これは、好奇心旺盛な少女『アリス』の不思議な冒険のお話。冒険の果てに、アリスは何を手に入れるのでしょうか? 信頼できる仲間? 人としての成長? かけがえのない思い出? いえいえ全くその逆です。アリスは全てを失うのです。そして彼女は――。


【本作品について】
 不思議の国のアリスの二次創作です。
 グロはありませんが残酷描写がございます。
 嘔吐シーンがあります。
 バッドエンドではありませんが主人公は作中で可哀想な目に遭います。ハッピーエンドですが人によっては受け取り方が変わります。
 八章構成で、各章約九話ずつ入る予定です。長編です。
 不定期更新です。

 目次1 >>002
 目次2 >>003

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2 :樹暁
2024/04/27(土) 17:38:59

目次1(随時加筆)
プロローグ ウサギ穴に落ちて >>004-005

【第一章 強欲のLABYRINTH】 >>006-014
 第一話 目覚めて >>006-009
 第二話 [箱庭]を知って >>010-014

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3 :樹暁
2024/04/27(土) 17:39:44

目次2(随時加筆)

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4 :樹暁
2024/04/28(日) 10:45:29

【プロローグ ウサギ穴に落ちて】

 蜘蛛の巣みたいな霧が張られた灰色の世界。くすんだ黄緑の芝生が世界の果てまで続いているが、霧が地平線を隠していてその様子は見えない。光源らしき天体は存在しないものの、その世界は暖かな光で満ちていた。くすくすと、子供達の笑い声がする。希望と期待を孕んだ静かな笑い声。子供達は、複数名で話している者達も居れば、一人で原っぱを駆ける者も居る。行動は十人十色であっても、皆一様にくすくす笑うだけで、それだけで、静かであった。
 見上げる気すら失せてしまう大樹が、盛り上がった小丘の真ん中に佇んでいる。風もないのに、さぁさぁと葉擦れの音がする。枯れた木のような色彩を失った木肌。それにもたれる影が一つ。小さな女の子だ。頭頂部の左寄りに団子結びをした、腰まで届く長い金色の髪。同じく金色のまつげに縁どられた瞼は固く閉じられている。黄色を基調としたエプロンドレスは座った体勢に沿ってしわが寄っていた。足全体を覆うハイソックスと黒の靴を身に着けた足は八の字に開いて伸びている。微動だにせず、一見死んでいるようにも見えた。彼女はすうすうと寝息を立てている。寝ているだけのようだ。

「嗚呼、忙しい忙しい」
 
 彼女の眠りを妨げる者が居た。見えない地平線の向こうから、何かがやって来る。ソレは草原を大きく跳ねながら、ぐんぐん大樹に近付いてくる。子供達は大樹を中心に散らばっていて、大樹から遠く離れた場所に居る子は居ない。故に子供達がソレに気付くのは、ソレの出現からしばらく経った後だった。
「嗚呼、忙しい忙しい」
 ソレの姿が更に大樹に近付き、霧の中から露になった。
 灰色の世界に似つかわしくない、目が痛むほどの鮮やかなピンクのチョッキと、豊かな胸毛に埋もれた緑の蝶ネクタイを身に着けた、太った白ウサギだ。青いズボンから生えた足を動かして、白ウサギは眠る彼女の元へ来ると、急かすように早口で捲し立てた。
「アリス、アリス、起きてください。貴女の順番が回って来たのですよ」
 アリスの瞼が震え、ゆっくりと水晶のような真っ青な瞳が現れた。くりっとした可愛らしい目はしばらく虚ろに色を落としていたが、やがて光を宿し白ウサギを見た。白ウサギの橙色の目とアリスの青色の目とが視線を交わす。
「じゅんばん?」
 アリスは何のことかさっぱり分からなかった。だからアリスは白ウサギに聞き返した。
「嗚呼、忙しい忙しい」
 しかし白ウサギは応えなかった。左手――左前足――に着けた金時計をちらちらと見ながら、走ってきた方向とは違う方向へまた走っていく。
 服を着て直立するあの奇妙な白ウサギを、アリスは何度か見たことがあった。時々こうしてアリス達の居る灰色の世界にやって来ては、アリスに訳の分からないことを捲し立て、そしてどこかに消えていく。意味不明な言動の答えも残さず、走り去る。今のこれだって、いつものことだと言ってしまえばそれだけだ。アリスはいつも、白ウサギが去った後はまたうたたねを再開する。
 
「待って!!」

 しかし、今回アリスは白ウサギを追いかけた。アリスがその理由を理解することはなかった。ただ「ウサギさんをおいかけなくちゃ」という思考だけが、アリスの脳を支配していた。それは本能に似たものだった。理由の必要すらない欲求にも似た意志だった。
 小丘を転がる白いだるまを追いかけて、アリスは草のカーペットの上を駆けて行く。大樹から離れるにつれて、大地を覆う霧が濃くなる。静かな空間に、アリスの息遣いとアリスが野を踏む音だけが響く。
「はぁ、はぁ、はぁ」
 いつの間にか息も乱れ、アリスの足の動きが鈍くなる。それでもアリスは足を動かす。遠くに来てしまったのか、それだけ霧が濃いのか、アリスの背後にあった大樹は影も見えなくなっていた。大樹だけではない。白ウサギも濃霧に呑まれて消えていた。あの奇抜なピンクはどこにも見えない。アリスは無自覚に走るのを止め、徒歩に切り替えていた。アリスが鳴らしていたザクザクという草が踏まれる音は無くなり、徐々にアリスの荒い呼吸も治まってくる。すると、アリスを静寂が包んだ。アリスはどうしようもない不安感に襲われた。慌てて振り返るが、そこにあるのは灰色の霧だけで、一寸先の芝生すらアリスの視界に映らない。
 それでもアリスは歩を進める。前に向き直り、大声を張り上げる。
「ウサギさーーん!!!」
 その声は木霊すらせず霧に溶けていく。シィンと静まり返った空間に、アリスは取り残されたのだ。

 突如、アリスの足元から地面が消えた。

「えっ」

 アリスが声を上げる。次の瞬間、アリスの姿は灰色の世界から消えた。

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5 :樹暁
2024/04/28(日) 10:45:56

「きゃぁぁぁああああああああ!!!!!!!」

 アリスは虚空に向かって落ちていた。霧に隠されていた落とし穴に、アリスは落ちてしまったのだ。入口から漏れる灰色の光。アリスはそれに手を伸ばすが、何も掴むことは出来ずただただ落ちていく。その顔は恐怖に引き攣っていた。黄色のエプロンドレスが風に煽られ、バタバタと暴れる音が嫌に響く。空気に腹を突かれるような不快感に包まれながら、アリスは無情にも落下運動を続ける。
(このままおちたらわたしは――)
 この穴がとんでもなく深いことはアリスにも容易に想像出来た。最悪な妄想に囚われたアリスは、いつかに予想される痛みに備えて固く目を閉じた。
「……あれ?」
 アリスが呟く。違和感に気付く。目を閉じたことで、服が風になびく音すら消えたのだ。アリスには耳を塞いだ覚えはない。それに、体に空いていた穴も塞がった。これがおかしいことに気付いたアリスは、恐る恐る目を開けた。アリスは数回パチパチと目を開閉させた。そして、アリスの表情がパッと華やいだ。
 
 やはりアリスは落下していた。しかしその速度は先程のものとは全く違っていた。あくまでアリスはゆっくりと、白く温かな光で満たされた空間を降りていた。冷たく暗い穴の中であったことは忘れ、アリスはこの空間に魅せられる。ぷかぷかと本棚やら戸棚やら服やら写真やらが浮かんでいて、それらは十分に間隔をあけてぐるりとアリスを囲んでいた。アリスの目の前で、それらは上へ上へと去って行く。
 アリスはそれに近付き触れてみた。アリスは写真を手に取った。黒髪の女性が一人、写っている。アリスが見慣れない服を着た、ボサボサの短髪の女性だ。アリスが見慣れた服と言えばアリスが今着ているエプロンドレスと白ウサギの派手なチョッキくらいなので、アリスには見慣れない服の方が多い。しかもよく見れば写真の中の女性は肌のあちこちに傷がある。赤青黒の痣だったり、黄色く膿んだ肌の裂け目だったり。アリスはそれらが傷だとは分からなかった。自分の体にそれらが出来たことがないから。自分のものであろうが他人のものであろうが、アリスは『肉体的な傷』を見たのはこれが初めてだった。アリスはなんとなく、嫌な気分になった。
 女の後ろには、模様があった。いや、汚い文字だ。アリスには読めない。
「ね……るな……?」
 他にも文字らしき羅列はあるが、考えているとアリスは頭が痛くなった。そしてぷかぷかと浮いている戸棚の上に写真を置いた。元々写真は浮いていたのでそのまま手を離しても良いのでは、と思いもしたが、万一落ちて穴の下にいるかもしれない誰かにぶつかりでもしたら大変だと思ったのだ。

 他にもぬいぐるみやらティーセットやら、楽しい物が沢山あった。アリスは何故だか懐かしさを感じ、それもあってそれらを手に取ると楽しい気持ちになった。
「このこたちはどこからきたのかしら?」
 アリスは呟いてみるが、生憎その問いに答える者はいない。アリスはもやもやする気持ちを小物達で遊ぶことで何とか解消した。

 そんな一時的な遊びにも飽きてしばらく落下を続けていると、だんだん物が少なくなってきた。次第に辺りも暗くなり、漸くアリスは自分が穴に落ちてしまっていたことを思い出した。
 さらに落下が進むと、視界の下の方で再び白い光が見えてきた。しかし今度は先程のような空間を包む強い光ではなく、弱く点々とした光、それが複数ある。

 ザ、ザザッ……ザッ……

 不快な音が嫌に耳に響く。アリスはその光が何なのか見極めるべく、じっと光を見つめたが、光から距離が離れているのでよく見えない。それでも辛抱強く光を睨んでいたが諦めて、自分の体が光に近づくのを待った。目を凝らしたせいか、アリスの頭がズキズキと痛む。

 ザザザッ……ザ、ザザッザッ……

 光が大きくなるにつれ、音も大きくなり、アリスは耳を塞ぎたくなった。心做しか、キーンというか細い耳鳴りも感じる。
「これ、なに?」
 ハッキリと光の正体を確認できた。それは、映像だった。空間の黒とは対照的な無機質な四角形。小物たちと同じように自身を取り囲むそれらから、アリスは何となく閉塞感を感じた。アリスは無数の白い画面の一つを見た。何を映しているのか、誰を映しているのか、何処を映しているのかわからない。しかしアリスは見覚えがあった。何故かは分からない。ただ、『見たことがあった』。

 耳鳴りが強くなった。頭の痛みも増してきた。

「あ、れ? 私、どうして……」

 視界がゆっくり暗くなる。見えるたくさんの映像もぼやけていく。
 消える意識の片隅で、アリスはこんな声を聞いた気がした。

『……なに……な……でやる!!!』

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6 :樹暁
2024/05/04(土) 16:00:35

【第一章 強欲のLABYRINTH】

【第一話 目覚めて】

 彼女は目を開けた。ペンキを何重にも塗りたくったような重く濃い黒を見て、彼女は寝ぼけた頭で「まだあなのなかなのかしら」と考えるがそうではない。今は、いや、そこは夜だった。星の煌めきすらも練り込まれて練り潰された、遠くまで続く、黒、黒、黒。
 生暖かい風が優しく彼女の頬を撫でる。さぁさぁと水の流れる音がする。彼女の傍に立派な噴水がある。水が天を貫かんと噴き出し、そして儚く散っていく。彼女が寝転がる草の平面、それには点々と木が生えている。仰向けになりながらぼんやりと噴水を見上げている彼女に、彼女の視界外から声を掛ける者が居た。
「やあ! 君がアリスだね? 君のことはウサギから聞いているよ」
 アリスが声のした方に顔を向ける。アリスが足を向けている方に居たのは、アリスよりも背が高い少女であった。緑色のつり目とその中に見えるクラブのスートが特徴的な少女。彼女の黒髪からぴょこんと飛び出た小さなポニーテールが、アリスへ活発そうな印象を与えている。身に着けている服も機能重視の軽装だ。太ももと手首に同じ飾りをつけており、そこにもクラブのスートがくっついている。そしてそれは髪飾りやピアスにもあった。
「うしろのそれはなに?」
 名を聞くよりも先に、アリスは少女が背負っている木刀に興味を示した。ぴょんっと飛び起きて、少女の背に隠れて端だけが見える棒を指す。
「これ? これは木刀っていって、だれかを守るためにつかうものなんだよ」
「ちょうだい!」
 墨汁に浸された夜空の代わりに、大量の星を閉じ込めたアリスの瞳の中に少女が映る。少女は怒ることはせず、アリスを諫めた。
「だめだよアリス。これはおれの大切なものなんだ」
 少女の言葉を聞き、アリスはむっとする。そして「ん?」と首を傾げた。
「アリス?」
「ああ、アリス。おれはノナンだよ。よろしくね」
 ノナンはにこっと笑って見せた。アリスよりちょっと高いだけの見た目よりも、大人びた態度である。ノナンから差し出された手を取り、アリスもつられて笑った。ノナンの手は温かくも冷たくもない。ノナンと自分の手の温度が全く同じであることにアリスは気付かなかった。
「ねえ、ここはなんなの? とってもたのしそう!」

 そこは不思議なセカイであった。

 月も星も存在しない、ただ黒いだけの平面的な空。暗いはずなのに明確に輪郭を持つ空間。遠くに見える、空まで届くエメラルドの王城。そして、アリスを取り囲む鬱蒼とした森。どれもこれもアリスが見たことのないものだった。幼い好奇心を蓄えた彼女は満面の笑みを浮かべ、ノナンに尋ねる。
「ここは、君のために用意された場所だよ、アリス」
「わたし?」
「まあ、この意味は分からなくていいよ。それよりさ、おいで! みんなのところに案内してあげる!」
「あわわわわ!」
 ノナンはアリスの手を掴んだまま走り出す。アリスは突然のことに対応しきれずコケてしまうが、ノナンはアリスの手を放してそのまま走っていった。べしゃっと音がして、アリスの体が草の中に埋まる。幸いアリスは怪我をしなかった。鈍い痛みを痛みだと知らないまま、涙目で起き上がる。元々小さなノナンの背がさらに小さくなっているのを見て、アリスは慌てて追いかけた。
「まって!」
 その時、アリスの脳裏に電流が走った。バチッと、細く弱い電流が。アリスはこの光景に見覚えがあるような気がした。けれど今はそれよりもノナンを追いかけなくてはならない。表に出かけた記憶は、また奥の方に閉じ籠った。
 芝生ではない雑草の道、その上をアリスは走る。ノナンは時々立ち止まってアリスが追いつくのを待っているが、ある程度アリスが追いつくとまた走り出す。決して共に走ろうとはしないのだ。それを幾度と繰り返すうちに、アリスは自身も知らぬままに森の中に入った。多勢の木々に阻まれて、ノナンの姿は見えにくくなる。「まってよ!」とアリスが叫んでも、ノナンは何も言わずにアリスの先を走る。段々アリスは怒りを募らせた。それでも、次の瞬間にその怒りは忘れることになる。
 森の中に、少し開けた場所があった。そこにはノナンが立っていて、仁王立ちをしていた。しかしアリスが注目したのはそれではない。
「この子がアリス?」
「かわいーい」
「よろしくねー」
 灰色の毛で覆われた小動物たちが切り株の上に居た。鼠が多かったが、中には小鳥も居たしリスも居た。それらは一様にアリスと同じ青い目をしている。それらは興味深そうにアリスをじろじろと眺めて口々にアリスに話し掛けた。アリスはぱち、ぱち、とゆっくり瞬きをして、表情を明るくした。

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7 :樹暁
2024/05/04(土) 16:01:14

「わー、なにこれ! うごいてる!」
 アリスは小動物を知らなかった。自分と違う見た目をしているのに動いて話すそれらを不思議そうに眺め返す。
「こいつらはヘ……アリスの友だちになりたがっているやつらだ。危険はない。安心していいよ」
「へって言った? なに?」
「気にしないで。それよりこれを見てよ。君をかんげいするために用意したんだ」
 ノナンが指を伸ばした先の空間には、切り株の上に置かれたバスケットがあった。その中にはリンゴやブドウといった果物があった。それらにも見覚えがないアリスは目を輝かせて言う。
「なにあれ!」
「食べ物だよ」
「たべもの?」
「おいしいんだよ」
「おいしい?」
「あとでわかるよ。これはあとでみんなで食べよう。
 ここはみんなの広場でね。寝泊まりしているところはべつにあるんだ。まずはそこに連れて行く」
 ノナンは鼠たちにバスケットを運ぶように指示を出して歩き始めた。小動物はアリス以上にノナンの走りに追いつくことが出来ないので、ノナンは今度は歩いてアリスを導いた。それでもノナンは歩く速度が速く、アリスは短い足を懸命に動かしてノナンに着いて行った。
「どうぶつたちは木のうろ――木に空いている穴や、土の中にほった穴に住んでいるんだよ」
「あながすきなの?」
「そうなのかもしれないね」
 ノナンは小さく笑う。栄養を十分に取り込んで空に向かって伸びている雑草が、アリスやノナンに踏みつけられる。
「おれはほら穴に住んでいるんだ。ああ、でも穴が好きなわけじゃないよ? 動物たちとそこらへんでねることもある。一応拠点をほら穴にしてるだけ」
「きょて?」
「きょてん。おうちのこと」
「おうち……」
 アリスは頭痛に襲われた。何か、また。先程とは違う記憶が引き出しから顔を覗かせている。開いていないアリスの頭の中の引き出しを、何かがこじ開けようとする。強引なソレがアリスを苦しめる。アリスは表情を曇らせた。
「わたしにも……おうちが……」
「あ、心配するなよ。アリスはしばらくおれとくらそう。ほら穴生活もわるくないぜ?」
「ちがっ、そうじゃなくて」
 ズキン、ズキン、拍動する痛みに耐えかねて、アリスは頭を押さえた。立ち止まればノナンに置いて行かれることは分かっているので歩く、歩く、歩く。
 鈍い痛みによって、吐き気を催す。歩くことが作業と化していた頃、ノナンがアリスの足を止めた。
「ぷぎゃっ」
 また体勢を崩したアリスは草の中に突っ込む。ふわっとした感触がアリスを守る。アリスはむくりと起き上がり、はっきりとした意識でノナンを見た。そして、周囲を観察する。頭痛は何処かに溶けてなくなっていた。
 微かな冷気の漂う洞窟に、刈り取られた草が敷き詰められている。アリスはその上に座り込んでいた。いつこの洞窟に入ったのか。アリスには覚えがなかった。もしかしたら頭痛に気を取られている間に無意識に入っていたのかもしれないし、そうではないかもしれない。ただ、ノナンはアリスを見下ろして笑っていた。コケで埋め尽くされた岩肌がちらりと見える。緑色のそれはずっと奥まで続いていて、端が見えない。アリスは好奇心によってそわそわしだした。

「ねえ、ここはどこにつづいているの?」
「その先には行かないようにね」
 ノナンはアリスの問いに答えず言う。
「どうして?」
「あぶないから?」
 疑問に疑問で返すノナンに煮え切らない思いを抱き、アリスは頬袋に空気を入れた。むくれたアリスを無視し、ノナンはアリスに話し掛ける。
「寝るときはてきとーに草をよせて寝るといいよ。こう見えてけっこうあたたかいんだ。そもそもここは寒くないしね」
 洞窟の奥から、風が吹いてくる。アリスは変な気持ちになった。そわそわするような、ざわざわするような。ヒュウヒュウと聞こえてくる風音が妙に洞窟に響いている。
「アリス。さっきの食べ物食べよう」
 ノナンがアリスに呼び掛ける。アリスは洞窟から噴き出てくる風に押されるように外に出た。洞窟の中からだと余計に暗く見えていた世界が、少しはっきりと見えるようになる。
 一匹の鼠が、アリスの足の合間を抜けていく。鼠達はバスケットに集って口々に言う。
「たのしみだねー」
「おいしそうだねー」
「きみはなにがすきー?」
「あかいのがたべたいなー」
 語尾が伸びた、アリスよりも幼い口調。ふふふ、と小動物達が静かに笑い合う穏やかなその光景。
「ねえねえ、きみはなにがすきなの?」

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8 :樹暁
2024/05/04(土) 16:01:35

 リスがアリスに尋ねる。ターコイズみたいなおもちゃのガラス玉がアリスを見る。表情のないそれがどんな感情でアリスに声を掛けているのかを知る術は、アリスにはない。
「んー、わかんない」
 そう尋ねられても、アリスはあのバスケットの中身を見たことが無かったのだから答えようがない。アリスが首を振ると、リスはアリスの隣を通り過ぎていった。
「あはは、そんなに焦らなくても食べ物は逃げないよ」
 ノナンが笑いながら歩くが、動物達は行儀良くバスケットが乗った切り株の周りをうろついていて、誰も焦っていない。そのことにアリスは疑問を抱きもしたが、それよりもふと。

 甘い匂いがした。

 アリスが立ち止まる。ノナンはアリスを置いていく。アリスとノナンの間が開いていく。動物達も食べ物に夢中でアリスのことを見ていない。
 甘い匂いがする。あの果物とは違う匂い。鼻にまとわりつく、少し重たい甘い匂い。アリスはそれに引き寄せられて、ふらふらと歩いて行った。
「どこからこのにおいはくるのかな?」
 アリスはワクワクしていた。後先考えない危険な好奇心が自身の首を絞めることには気付かない。気付けない。
「こっちかな?」
 甘い匂いに誘われて木の合間を抜けていく。気付けばアリスは元居た場所も分からなくなっていた。それでもアリスは森の中を進む。右に曲がって左に曲がって、アリスよりも背が高い草を掻き分けて。
 アリスの目の前に、巨大な怪物が現れた。
「……へ?」
 それはとんでもなく大きいハエトリソウだった。横長に広い、饅頭みたいな顔がそのまま地面から生えている。二枚貝のような葉には大量の棘が付いていて、それが鋭い牙のように見える。アリスの三倍ほどの体躯のそれがアリスを見下ろしている。アリスには、ハエトリソウの口から洩れた樹液がよだれのように見えた。それがアリスに向かって大口を開けて首を伸ばす。口の奥の濃い灰色から、吐き気がするくらいに濃密な甘い匂いがした。その匂いがアリスの脳を震わせる。意識を朦朧とさせる。アリスは逃げられなかった。突然のことに脳の処理が追い付かずフリーズする。その青い目を見開いて、ふっくらとした頬から赤みが消える。ゆっくりと、焦らすように、それはアリスにかみつこうとして……。
「アリス!」
 間一髪。木刀を構えたノナンが走って、飛び上がる。ハエトリソウに思いきり木刀を叩きつける。
「ギャアッ」
 怯んだハエトリソウに、ノナンは再度突進する。
「ヤァッ!」
 ノナンは木刀を縦にしても入りそうな大きな口に渾身の突きを食らわせた。ハエトリソウはその巨体を大きく後ろに傾けて、地面に倒れ込む前に、塵となって霧散した。
 風に乗って、塵は何処かに消えていく。灰色の塵が。灰が。そこには何も残らなかった。
「ふう」
 ノナンが一息吐く。それから、体が震えているアリスを睨みつけた。
「なんでおれから離れたの?」
 呆れているような、軽蔑しているような。アリスはどうしてノナンがそんな顔をしているのか理解出来なかった。それでもノナンが怒っているから、自分が悪いことをしたのだという自覚は持った。アリスは呂律の回らない口でノナンに言う。
「え、と、あまいにおいがして」
「次はないように!」
「あばばばば」
 ノナンがアリスの鼻をつまんでアリスを持ち上げる。アリスはそれから逃れるように手足をバタバタと振るが、ノナンは涼しい顔をしている。ノナンは罰も兼ねてそのまま動物達が居る元の場所に連行した。

 
「ほら、アリスはこれ」
 ノナンから差し出されたのは、ガラスのコップに注がれた緑色の液体だった。透明感は皆無で、黒く濁っている。動物たちが食べている物とは明らかに違っているそれを、アリスは何の疑問も抱かずに受け取る。そしてそれを飲み干す。
 アリスが口に入れた時はただの水だった。アリスと同じ温度の水。しかしその硬質な味わいは次の瞬間猛烈な苦味に変わった。発達途中の未熟なアリスの舌には強過ぎる刺激に、アリスは思わず苦悶の表情を浮かべる。アリスは膝から崩れ落ち、体をガクガクと震わせた。ガラスも同時に落下したが、切り株に衝突しても割れることは無くガンッと無機質な音を響かせるばかりだった。アリスにはそんなことに目を向けられる程の余裕は無かった。

 ノナンはアリスが零した緑色の粘着質な物体を掴む。その時聞こえたネチャッという音がアリスの不快感を増幅させた。ノナンが再びアリスを見ることは無かった。何も表情を変えぬまま、ぬらぬらと光るスライムを手に乗せて、アリスを残してその場を去った。見てみれば、動物達も何処にも居なかった。

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9 :樹暁
2024/05/04(土) 16:01:52

「ガッ」
 飲み込んだ液体を吐き出そうとしてアリスは喉を鳴らす。渇きと痛みで悲鳴すら出てこない。吐瀉物はおろか胃酸さえ垂れて来ないがアリスの生存本能が防衛本能がアリスにそうさせるのだ。 苦みと痛みによる麻痺が舌から始まり、全身に回り、アリスは何も考えられなくなる。
「カ……ああ、ぅあ」
 ぽたり、ぽたりと雫が垂れた。口から滴る唾液だろうか、いやそれ以上のアリスの青眼を溶かして床に落ちる多量の涙だ。
「あ、あ、うわああぁぁ……」
 アリスは泣きじゃくる。永遠にアリスの口内に居候するかと思われた苦汁は案外直ぐに消え失せた。アリスの涙の訳は別に有る。アリスの意志など関係無いと言いたげに、涙は無許可にアリスの目頭を焼き、その熱と共にアリスから出て行く。そのせいでアリスの体温は急激に低下した。アリスは自身を抱いた。そうでもしなければ消え行く熱に耐えられないと思った。
  
 時間が経って、暫くして、アリスの嗚咽が消えた。アリスの瞼は閉じられている。時間の経過によって涙の跡が着いた乾いた頬が冷たい冷たい、苔の生えたような床にくっついている。
 細く短く頼りない呼吸音だけが響く洞窟で、アリスは呆然と横たわっていた。
 悲しいとか辛いとか、先程まで原因不明の負の感情に苛まれ蝕まれのたうち回っていたアリスは妙に静かであった。
 はあ、とか、ふう、とか。弱弱しいアリスの呼吸音がやけに洞窟に響く。響く程の大きな呼吸音なのに、アリスの体はアリスが息を吐いても吸ってもほとんど動かない。
「……あ」
 アリスから音がする。意味も持たずに出された声は、言葉ではなく音と定義付けられる。
「さむ、い」
 今度の声は言葉だった。ふるっと体を震わせて、アリスは体を起こそうした。アリスの体は震えることで懸命に体温を上げようとしたが、いつまで経ってもアリスが動く気配はない。
「ここ、どこ?」
 アリスはつぶやく。
「え、なにここ」
 青眼からは光が無くなり、不安気に辺りに視線を彷徨わせる。体が動かないことに驚き、体温の低さに戸惑う。先の見えない真っ暗な洞窟の中を見回して、恐怖の色に表情を染める。
「おか、さん、おかあ、さん……」
 渇いた喉に唾液を送り、必死に、存在しない『彼女』の母を呼ぶ。
「誰か、誰か助けッ……ゲホゲホッ」
 無理に大声を出そうとしたせいで声帯に負荷が掛かり、アリスは咳き込む。頭がぐらっと傾いてアリスは岩肌に頭を打ち付けた。じんわりと広がる痛みを押さえる。
「あたし、なんで、こんなところに」
 自分の存在に疑問を抱き、脳内に保管されているはずの記憶を漁る。
「え」
 しかし、いくら記憶の箱を探っても、ひっくり返しても、全て空、空、空。アリスの中に記憶なんてものはなく、アリスの頭には大きな穴が空いていた。
「いや、いやっ! おかあさん! おとうさん!」
 出ない声を必死に絞り出し、アリスは叫んだ。冷たい石と同化していく自身の足を見て、このままでは自分という存在が消えて無くなって仕舞うと考えたから。痛みなんてものを感じる余裕もなく叫ぶ。
「消えたくない! あたしは此処に居るの!」
 アリスから、何者かが意識を奪っていく。
「待って! あたしは! ……あたしは」
 アリスは強くそれを掴もうとしたが叶わずに、そのままされるがままに瞼を降ろす。アリスの世界は黒に沈んだ。
 
 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
 
 芝生の上ですやすやと寝息を立てるアリスの横に、ノナンが腰を下ろした。空間に薄く張られた闇の中、キラキラと光るアリスの金髪を撫でながら、ノナンは呟く。
「ようこそアリス。[箱庭]へ。
 罪深い、小さな命よ」

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10 :樹暁
2024/05/11(土) 18:29:29

【第二話 [箱庭]を知って】

「コケェェェエエエ!」
「わわわわっ?!」
 得体のしれない金切声が、彼女の耳を貫いた。慌てて飛び起きた彼女の横で、ノナンは寝息をたてている。
「の、ノナンノナン! なにかへんなこえがそとからするの! あれなに!?」
「んー? ああ、アリスか。おはよう」
 アリスがノナンの体を揺すり、不穏な声を訴える。しかしノナンは直ぐに目を閉じ、布団代わりの草を手繰り寄せた。
「のなーん!!」
「にわとりだよにわとり。おやすみ」
「にわとりってなに! あ、ノナン!」
 草の中に頭まで入れてしまったノナン。アリスは何とかノナンから草を奪い取り、ノナンを起こした。
「まだねむいんだよ……」
 どうやらノナンは朝に弱いらしい。常に夜闇に覆われたこのクラブのエリアにおいて、朝などあってないようなものだが。とにかくノナンはアリスに支えられながらなんとか座っているものの、目は完全に閉じ切っている。このままでは座ったまま眠ってしまいそうだ。
「コケェェ! コケッ! コケェェエエ!」
「ほらほらノナン! またおかしなこえが!」
「だからにわとりだってば。ほっとけば鳴き止むよ」
 そしてノナンはやっと重い腰を上げた。洞窟の外へ二人が出ると、鶏がそこにいた。アリスが両手で覆えるくらいの大きさしかなく、灰色の毛玉にくちばしと枝のような足がくっついただけの、奇怪な見た目。こんなにも小さな生物があんな声を出していたことをアリスは信じられなかった。が、それ以上の違和感がアリスの中に宿る。
「……なんか、ちがうきがする」
「そう?」
「コケェ!」
 ノナンは鶏の頭を撫でる。すると鶏は途端に静かになった。
「ほら静かになった。じゃあおやすみ」
「のなーん!!!」
「はいはいわかったよ、しつこいなぁ」
 ノナンは大きなあくびを一つして、のそっと立ち上がった。食事を取って来るとアリスに伝え、ノナンは洞窟の外へ出る。まだ寝ぼけているようなゆっくりとした足取りだったが、帰って来るのはやけに早かった。両手に一つずつ盆を乗せ、その盆の上には焼き目のついたパンや湯気が昇るスープが並んでいた。それを見てアリスが目を輝かせる。
「わ! 美味しそう!」
「そうだろうそうだろう」
 ノナンがにやつきながら言う。
「食べ終わったら外へ行こう。[箱庭]のことを教えてあげる」
 そう言いながらノナンはアリスの前に盆を置く。アリスはその上にぽつんと置かれていた黄色のコップを手に取った。
「ほんと? はやくいきたい!」
 そしてアリスはコップの中身を一気に飲み干す。無味無臭の液体がアリスの喉を通った。水の温度はアリスの体温と同じだった。アリスはコップをこんと置くと、鼻息荒くノナンに捲し立てる。
「のなんのなんたべおわったよはやくいこ! ねぇねぇはやく! のなんおそい!」
「待ってよ。おれはまだ食べ始めたばかりだって」
「おーそーい! わたしはたべおわったもん!」
 アリスは何度も何度も早く行こうと訴えたが、ノナンがアリスの為に食事のペースを上げることはなかった。
 ノナンはきちんと味わいながらスープを喉に流し込む。ノナンの食器が全て空になった。
「おわった? おわった? はやくいこ!」
「みんなに後片付けしておいてって伝えてくれる?」
 ノナンはアリスに手を引かれながら足元の鶏に伝えた。鶏はコケッと鳴いたがそれ以外の動作はしない。本当に分かっているのか疑わしいが、二人は洞窟の外へ出かけていった。

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11 :樹暁
2024/05/11(土) 18:29:50

「のなん、ここのことおしえてくれるんでしょ? はやくはやく!」
 アリスは急かすようにノナンに言った。昨日はノナンがアリスを置き去りにしようとしていたが、今はアリスがノナンより先に走り出しそうである。ノナンは昨日とは違いやたらゆったりと歩いている。
「そうだなー、何から話そうか」
 ノナンはそう呟き、アリスと視線を交わした。
「この[箱庭]には、四つのエリアがあるんだよ。ここは[クラブのエリア]。こういう森みたいな自然のものが多いのが特徴かな。緑が多いんだ。この先に行けばよく分かると思うよ」
 そう言いながらノナンは今まで歩いてきた獣道を外れ、木々が密集していて先が見えない暗闇に入って行く。ただでさえ夜闇で視野が狭い上、そんなところに入ったらもう二度と戻って来られないような気がする。アリスは恐怖心に苛まれたが、かといってここまでの道を引き返すことも出来ない。幾つかの分かれ道をどう曲がってきたのかを覚えていないからだ。
 そうこうしている内にノナンの姿は完全に闇に呑まれてしまった。がさがさとノナンが落ち葉や枝を踏み木々を掻き分ける音がしていたがそれも段々遠ざかる。やがてアリスの耳に届く音は周囲の針葉樹の葉音だけになった。アリスの体温と同じ温度の風がアリスの頬を撫でる。それがやけに生暖かく感じられ、アリスは悪寒を感じた。
 ノナンが戻って来る気配はない。きっと戻って来ないであろうことはアリスも何となく理解していた。アリスは意を決して闇の中に踏み込んだ。
 アリスの足を飲み込もうとする密集した草の道をアリスは進む。アリスは暗闇を進む。
「のなーん!」
 アリスは叫ぶ。当然答えは返って来ない。アリスは涙目になりながら、進むしかないから暗闇を進む。
 突如ぽつんと、緑色の星が見えた。アリスはそれを凝視する。彼女の視界を覆い尽くす闇の中に、針の先程の大きさの光があったのだ。アリスは歩く。足を動かす速度が速くなり、やがてアリスは走り出した。彼女を導く緑色の光は徐々に大きくなっていく。それは星ではなかった。アリスが森を抜けると、その光の正体が明らかになった。
「アリス、おそかったじゃないか」
 ノナンは崖の際に立っていた。アリスから見るとノナンは逆光になっていて、ノナンがどんな表情をしているのか見えない。眩い深緑の光に当てられながら、ノナンはアリスを見下ろしていた。
「こっちおいで」
 ノナンが居る場所は、アリスが居る場所よりやや高所だった。アリスは坂道を登ってノナンの傍に寄る。そこから[クラブのエリア]が一望できた。そして目に飛び込んで来たそれを見て、目を輝かせた。
「あれって、あれだよね! あの、きのうみたやつ!」
「昨日? ああ、拠点からも見えるよね。でもはくりょくが違うだろ?」
 ノナンはにやっと笑う。アリスは大きく頷いた。
 それは、エメラルドを削り出して作られたような、巨大な城だった。天を突き刺さんとするゴシック様式のそれは、まさに権力の象徴と呼ぶにふさわしい重厚な存在感を放っていた。ギラギラと城そのものが発する光は、城下町の最端までもを照らしている。
 ふいに、ちくんとアリスの頭が痛んだ。
「おいおい、気をつけろ。落ちたら死ぬよ。たぶん」
 ノナンが言う。アリスはそこで自分が身を乗り出していたことに気付いた。視線を落とした先に見える木の先端の数々で、アリスはここが崖の上であることを知る。うひゃ、と小さく声を上げて後ずさった。
「[クラブのエリア]は、全体をぐるっと森が囲んでいるんだ。城の後ろに森が見えるだろ? それから、町の外にも。全部おれたちがいるこの森とつながってるんだぜ。すごいだろ」
 ノナンは一歩歩けば崖下まで真っ逆さまだと言うのにアリスのように下がることなく、にかっと笑う。アリスは少し青くなった顔でノナンを見返した。

「ぜんぶ? ぜんぶつながってるの?」
「そう。全部。だから[クラブのエリア]を抜けるには必ず一回は森を通らないといけない」
 ノナンは城を指した。その指をゆっくりと左へと移動させる。
「あれが[クラブの城]。そこから城を通って左へ移動するんだ。そしたらそこに大きな橋がある。その橋を渡ると隣の[ハートのエリア]に行くことが出来る」

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12 :樹暁
2024/05/11(土) 18:30:11

 アリスは不思議そうに首を傾げた。
「[箱庭]は四つのエリアで作られているんだ。クラブとハート、それからダイヤとスペード。それぞれのエリアをそれぞれの橋が繋いでいる」
「のなんはいったことあるの?」
「ここ以外のエリアにってことかい。おれは無いよ。橋を使って行こうと思ったらまずハートのエリアに行かないとだめなんだけど、あそこの連中はおっかなくてさぁ。船は王様がきょかを出した人じゃないと乗れないからむり。ってことでおれはこの[クラブのエリア]から出たことは無いよ」
「おっかないってなに?」
「んー、こわいってことだな。女王は気が短くてすぐに首を――ああ、いや。牢屋に入れようとするし、住人も血の気が多くておそわれそうになるんだってさ」
 アリスは顔を顰めた。こんな楽しそうな場所が他にもあるなら行ってみたいと思ったのだが。
「わたし、ぜったいはーとのえりあにはいかないわ」
「はははっ、そうかい」
 ノナンはそう言って笑うが、どこか感情が籠っていない。アリスはそれに気付かなかった。
「アリス、あの森の向こうがわの空がうっすら白くなってるの、分かる?」
 ノナンにそう言われ、アリスは[ハートのエリア]に続く橋がある方向を見た。ノナンの言う通り、その方向ではある場所から空の色がほんの少し変わっていた。
「ほんとだ! どうして?」
「ここは[夜]で、あっちは[昼]なんだ」
「よる? ひる?」
「空が黒いのが[夜]、青いのが[昼]と言えばいいかな。そんな感じ」
 アリスはこてんと頭を傾ける。
「よくわからないわ」
「気になるなら行ってみるといい」
「うーん……」
 アリスは眉尻を下げて唸った。[ハートのエリア]は怖いが、昼とやらは気になるのである。そんなアリスにノナンは言った。
「ま、アリスが行きたいって言ってもおれは案内しないから。勝手にしなー」
 ノナンは傾斜を降りてアリスの横を通った。驚いた顔をしたアリスがノナンを見る。ノナンはその視線に気づいて、くるっと振り向いた。
「お城はまだむりだけど、城下町なら案内してあげられるよ。来る?」
 アリスは満面の笑みを浮かべた。
「いく!」

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「わっ」
 アリスがぼてんと土の上に転がった。鼻先は強く打ちつけられたせいで赤く変色している。じぃんと広がる痛みに、アリスはぎゅっと目を閉じた。
 アリス達が歩いているこの道は、先程の崖の場所ほどではないが斜面になっている。そもそも大した舗装のされていない、森のでこぼこした道を歩き慣れていないアリスがこけてしまうのは仕方のないことであった。
「い……たい!」
「だいじょうぶー?」
 灰色のネズミがちょろちょろとアリスの顔の前に走り出た。
「いたい!」
「そっかー」
 アリスは、アリスのことなど気にせずスタスタと歩いて行くノナンの背中を見た。不機嫌そうに顔を歪めるアリス。
「のなん、いたい!」
「あっそう。早くおいで」
 ノナンはアリスを見ずに言った。
「うー!」
 アリスは苛立ちをバネにしてぴょんと飛び起きる。そのままの勢いでノナンに駆け寄った。
「のなんつめたい」
「そう?」
「そう!」
 だがノナンはそれ以降、アリスが転倒したことについては何も言わなかった。アリスはぶすっとした顔でエプロンドレスに付いた土を払う。その払った土が地面に近い位置に居る小動物達にかかった。小動物達は迷惑そうにアリスの傍から離れたが、特に何かを言うことはなかった。
「あ、ほらアリス見てごらん。出口が見えてきたぜ」
「じょーかまち!?」
「城下町はもう少し歩かないとだなー」
 ノナンが言うと、アリスは「なぁんだ」と吐いて肩を落とした。
「つかれた!」
「……おれはアリスを置いていっても良いんだよ。アリスに城下町を見せる以外にも用事はあるし」
「よーじ?」
「用事。城下町でしたいことがいくつかあるんだよ」
「なにするの?」
 ノナンがアリスの方を向いた。片方の口角の上がった顔がアリスの視界に入る。
「おれたちが食べるものを買わないといけないし、それについでに、師匠の様子も町のやつらに聞きたいな」
 アリスは昨日ノナンや小動物が食べていたものは全て森から採れるものだと思っていた。だがそうではないと聞いて、そういえば森で採れるはずのないパンもあのバスケットの中に入っていたな、なんてことを考えた。アリスの頭の中でザザッと音がして、アリスは頭痛のために頭を押さえる。
「ししょってなぁに?」
「師匠な。師匠はおれに剣を教えてくれるんだ。おれはまだ木刀しか持たせてもらえないけど、師匠は本物の剣を持っているんだぜ。すごいだろ」

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13 :樹暁
2024/05/11(土) 18:30:49

 ノナンの目がキラッと光る。それを見て、アリスは。
「ししょのことすきなの?」
「好き? んー、うん。ここのやつらで一番おれの面倒見てくれるし、たまに甘いものもくれるしな」
「あまいもの!」
 アリスは爛々と輝く瞳でノナンを見た。
「いいだろー。飴とかクッキーとかくれるんだぜ」
 ノナンは自慢するように、にやにやしながらアリスを見る。アリスは飴やらクッキーやらがどんなものかは分からなかったが、羨ましいと思った。アリスは、自分は甘いものが好きなような気がした。
「これなに?」
 アリスは森の出口で、二本の木に跨って設置されている看板を見上げた。横に長いその板には黒インクが文字として乗っているのだが、アリスはそれを読むことが出来ない。看板のすぐ下にダークブラウンの木製扉がある。それはきっちりと閉じられていて、アリスにはその先がどうなっているのか全く想像出来なかった。
「ここが森の出口です、って書いてあるんだよ」
「ふぅん」
 アリスは興味無さそうに息を吐く。ノナンがドアノブに手を掛けた。キィィと高い音がして、扉がゆっくりと開かれる。それに合わせて森に差し込む若葉色が増えていく。ぼんやりとした光が森の木々に乗り、キラキラと、森が光っているように見えた。
 それにアリスが見惚れていると、今度はキィィと光の量が減っていく。あれ、と思ってアリスが扉を見ると、その向こうにノナンが居るのが見えた。扉が閉まりかけている。アリスは慌てて駆け出した。
「おいてかないでよ!」
「ならちゃんとついて来いよ」
「むきーっ!」
 アリスは地団太を踏む。ノナンはそれを無視して歩を進めた。ノナンとはぐれることが自分にとって良くないことであるというのはアリスも理解している。だからアリスは渋々ノナンについて行くことにした。看板の下をくぐる。
 その時アリスは知った。森で言うところの木が、その先では深緑の直方体であることに。下の方に扉があり、その上に間隔を空けて窓が二枚取り付けられている。それがいくつもいくつも連なっていた。がらりと変わった世界にアリスは目を丸くする。直後、興奮した様子で鼻息荒くノナンに話し掛けた。
「のなんのなんなにあれなにあれ!」
「は? いきなりなに?」
「これこれ! このしかくい……の……?」
 急にまた、アリスは頭痛を自覚した。ザザッと嫌な音が響く。ぐらっと目が回り、一瞬目の前の四角い建造物の深緑が、違う色に見えた。いや違う。別のものに見えたのだ。別の家。違うところに窓があり、違うところに玄関がある。そういえば横幅の長さも違ったかもしれない。しかしその幻覚は、アリスに観察する余裕は与えず霧散した。
「この辺は、[クラブのエリア]に住む連中の家が集まってるんだよ。住宅街ってやつだ。ここを抜けたら城下町だよ」
「……へ、ぇ? そう、なんだ」
 アリスはズキンズキンと拍動する頭を押さえつける。呼吸をする度に痛みは引いていくが、不快感はそこに居座って動かなかった。
 アリスの足が、動きが、鈍くなっていく。ノナンはアリスの様子に気付かない。いや、気付いていながら無視しているのかもしれない。アリスは遠ざかっていくノナンの背中を眺めている。呼び止めようと叫ぶ力は残っていなかった。

「大丈夫?」

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14 :樹暁
2024/05/11(土) 18:31:38

 アリスの前に人影が現れた。ノナンよりもほんの少しだけ幼い――アリスと年が近い――男の子だった。ところどころ毛先が飛び出た頭を見て、アリスは鳥の巣みたいだと思った。不快感が紛れたような気がした。服装はノナンと似たようなもので、違いと言えば、首元に襟が付いているくらいである。
「ノナン、ちょっと待って!」
 その人はアリスの代わりにノナンを呼び止める。ノナンは振り返って、その場に立ち止まった。
「なに?」
「なにじゃないよ。アリスの具合悪そうじゃないか。どうして気遣ってあげないんだよ」
 その人は、背中を丸めたアリスに合わせて視線を下げた。黒縁眼鏡を隔てて見える、ノナンと同じ瞳がアリスを見ていた。その人の目の中にもまた、クラブのスートが潜んでいた。
「大丈夫?」
 その人はにこりとアリスに笑いかけた。
「初めまして、ぼくはオクタ。ぼくの家が近くにあるから、休んでいきなよ」
「ええ? 困るよ! 町に行く用事があるんだってば!」
 オクタはノナンを見た。その目には怒りも呆れも浮かんでいない。しかし近くに来たノナンに寄ったオクタの声は、冷ややかだった。
「ぼくと君、どっちが重要なのか分かるよね?」
 ノナンはぱちぱちと瞬きをして、背中をオクタに向けた。頭の後ろで腕を組み、不貞腐れたように言う。
「はいはーい。じゃ、町には明日行くことするよ。おれも寄るからそこはよろしく」
「わかった。それじゃアリス、ついてきて。歩ける?」
「え、あ、うん」
 アリスはオクタに促されるがまま足を動かした。オクタの言う通り、オクタの家はすぐそこにあった。オクタは手際よくアリスを誘導し、あれよあれよと言う間に彼女はベッドに寝かされた。その頃にはもうアリスの調子は回復していたのだが、なんとなく言い出せなかった。
「ノナンのことだけど」
 ベッドの横に椅子を置き、オクタが話す。
「性格きついでしょ。辛くない?」
「つらい? うーん、そうかも」
 オクタは微笑みを崩さずに、そうだよね、と返した。
「ノナンは前からあんな感じなんだよ。体も心も強いから、他人を気遣うのがどうも苦手みたいなんだよね」
「のなん、つめたい」
「うん。実はぼくもちょっと苦手なんだ」
 オクタは内緒だよ、と人差し指を自分の唇に押し当てる。
「オクタとノナンは、おともだちなの?」
「うん、そうだね。ノナンは普段は森に居るんだけど、今日みたいに降りてくることがあって。その時にたまに会うかな」
 実際のところは、オクタは他の『仲間』にノナンを押し付けられているだけである。ノナンは性格に難ありであまり人々に好かれていない。ノナンはそれを承知した上でずかずかと他人の領域に踏み込んでいくので、避けられているのだ。だがそれをわざわざアリスに伝える必要はない。オクタはそう判断した。
「アリス。ノナンから話は聞いたよね? [箱庭]に来てどう思った?」
「はこにわに、きて?」
 アリスは首を捻り、直後ハッとした。がばっと起き上がる。
「そうだ! わたし、おちて、うさぎさん!」
 思いついた単語を並べただけの言葉だったが、オクタは彼女が何を言いたいのか分かった。オクタは苦笑いを浮かべてアリスを再び寝かせる。
「白ウサギか。白ウサギも困った奴なんだよなー」
「うさぎさんをしってるの?」
「うん」
 アリスは灰色の世界のことを思い出した。灰色の世界と、どっしりとした大木。それから――
「また顔色が悪くなってるよ。大丈夫? 無理はしちゃいけないよ」
 アリスは痛む頭を押さえた。オクタはアリスに使わせている掛け布団を引き上げる。
 
「アリス。君はあの世界に帰りたいと思うかい?」

 オクタがアリスを見下ろす。暗い室内に、オクタの目の緑がぼんやりと光って見えた。自分という体の内側まで見透かしそうなその瞳を、アリスは見返した。
「うーん」
 アリスは首を捻って答えた。
「あそこはつまらないから、こっちのほうがいいわ」
「……そっか」
 オクタは目を細めてアリスに笑いかけると、立ち上がった。
「それじゃ、アリス。おやすみ。また明日」
 アリスはなんとなく、眠るには早い時間だと思った。しかしそんなアリスの思考とは裏腹に、彼女の瞼は下がっていった。
 意識を失う直前に、アリスはオクタの作り物のような笑顔を見た。

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2 :樹暁
2024/04/27(土) 17:38:59

目次1(随時加筆)
プロローグ ウサギ穴に落ちて >>004-005

【第一章 強欲のLABYRINTH】 >>006-014
 第一話 目覚めて >>006-009
 第二話 [箱庭]を知って >>010-014

3 :樹暁
2024/04/27(土) 17:39:44

目次2(随時加筆)